権力の分散状況に注意をはらっておく

 前述の政治学入門の授業では、もうひとつ、新しく、大きく気がついたことがありました。sign01

 

 それは政治というものを考える時は、その時の「権力の分散の状況」によく注意をはらっておくことが重要だということです。shine

 たとえば、日本は三権分立です。

 

 そうなるとこの3つである立法、行政、司法の機関は、いつでもそれぞれに独立していなくてはいけません。

 

 でもこれらの3つ機関というのは、結局は「人の集まり」でもあるわけですから、いつでも、「いつの間にかそれぞれが、やけに融和的な状態になってくる」ということだって、起こり得るわけです。

 

 国民としては、そのような状況に気がついたら、すぐにそこで警鐘を鳴らして、それぞれが分立して動ける状態を維持しておかなくてはいけないのです。(具体的に、そのような方法があるかは別ですが。)

 

 権力が集中しようとする状況は、できるだけ避けておいた方がいい。

 それは権力が集中してしまうと、その権力が強大になり過ぎてしまい、国民の手に負えなくなって、暴走する可能性が出て来るからです。thunder

 権力というのは、考えようによっては、獰猛な動物を国民のために飼うようなものだと私は考えます。

 

 主権が国民である以上、国民はいつでも、権力というものにはある程度の首輪をつけるようにして、国民に不利益なことをしないように監視していなくてはいけなかったのです。

 
権力というものが国民を裏切って、自ら強い力を得ようとする時には止めようとしなくてはいけなかった。

 

 権力の状況を野放しにしておきながら、いつのまにか分散されていた権力がひとつの力となってしまい、国民に牙をむいてくるような状況は起こしてはいけなかったのです。

 

 そのようなことは、この政治学の授業を受ける前には思いもしなかったことでした。

 

 これは具体的な例をあげれば、2014年の5月に内閣府が内閣人事局を設置したというあたりで、世の中はもう少しこの動きに注目しておくべきだったということです。thunder

 

 それまでの各省庁や官僚の在り方がどうであったか(タテ割行政)ということは別にしても、とにかくこの内閣人事局の設立によって、首相や官房長官が大きな力を得たことは間違いありません。

 

 でもその頃の自分に、その認識があったかと問われると、正直に言えばまったくありませんでした。そもそも内閣人事局という組織が設置されたことさえ、知らなかったのです。

 

 その時の内閣人事局という組織があるために国民は、これからは森友学園問題で疑惑隠しとしか思えないような答弁をしていた国税庁長官のもとで、税金を徴収されなくてはいけないという、なんとも言い難い状態におかれることになっています…。sweat01

 

 この時の政治学入門の授業では、このような「権力を分散させておく」というような、国民側から政治に関わっていくための知恵もいろいろと学べました。flair

 

またそのほかにも、「選挙による政治家の信託というのは、どの範囲までなのか?」という問題など、それまで気づかなかったいろいろな政治の見方も知ることができる授業でした。

 

 「政治家への信託がどの範囲までなのか?」というのは、例えば「選挙で選ばれた政治家なのだから、その後、その政治家は何をしてもいいのか?」という問題です。

 

 例えば当選した政治家が、選挙前の公約には無かったことを実行するとか、それから公約をまったく覆すことなど。

 

 有権者は政治家という「人間そのもの」に信託したのか、それとも政治家の公約に対して信託したのかというあたりになるかと思います。

 

 とてもおもしろい授業だったので、いつかまた同じ先生の授業をお聴きできたらと思うのですが、大学の規則であいにくそのチャンスはもうなさそうです。

 ちょっと、残念です。shine(^^)shine

*リンク先は内閣人事局が発足した時のJ-CASTニュースの報道です。
https://www.j-cast.com/2014/05/05203780.html?p=all

 

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政治を「権力」という観点から徹底的に見直してみる。

 最近受けた、ある政治学入門の授業。pencil

 

 いったいどこがおもしろかったのかと言いますと。

 

 その授業では、政治というものを徹底的に「権力」という観点から、見直してみるという試みがおもしろかったと思うのです。(←先生がそう表現したというわけではないのですが…。)flair

 

 どういうことかと言いますと。

 

 授業を受ける前までの私の視点。

 

 政治とは? → 国会、内閣、裁判所、省庁、自治体、市区町村など。

 

 だいたいそのあたりが視野でした。

 

 だからつまり、「選挙が終わったら、国民は政治を見ているだけしかできない!」と。

 

 そういう風に考えていました。

 

 ところが先生のお話を聞いているうちに、政治というのはよく考えると、その範囲だけでものごとが決まっていくものでもない、という状況がわかってきました。(「見えてきた」という感じです。

 

 「公式的回路」と「非公式的回路」という言葉。shine

 この言葉が、いったいどの学者のどういう考え方によって出てきたものなのかはわかりませんでしたが、このふたつの言葉を知ることで、政治というものを見る視野が、ものすごく大きく広がります。

 

 「公式的回路」というのは、先ほど私が書いたような、いわゆる「目に見える政治」とでもいうのでしょうか。

 

誰もが「政治」と認識している部分です。(先生の資料では、「既存の制度(政治制度、行政制度)を通じた回路」となっています。)

 

 そして、その「公式的回路」に対して、「非公式的回路」という部分もまた存在すると、先生は言うのです。

 

その「非公式的回路」という部分に注意を払うと、政治というものには、もっと大きな範囲があり、そこに働いている力というものが見えてきます。

 

 ちなみに「非公式的回路」というのは、具体的な例をあげるとデモや圧力団体、それから世論などがあるそうです。(先生の資料では「制度以外における討議、世論形成(カフェ文化からIT空間まで)」ということです。)

 

 たしかに世論というものはばかにできなくて、時々、政治家が世論に動かされるという場面も見かけます。

 

 そうなると、政治というのは決して、制度としてきちんとした形を持っている議会、内閣などという組織だけの話でなく、その国の運営に影響を与えることができる「力」のすべてが、ある意味では政治の一部だという見方もできてきます。

 

 つまり政治というものを、政治制度によって規定されている議会、内閣などと言った形にとらわれず、その国の運営に関する判断に影響を与えることができる、すべての力(権力)の関係、として見る視点ができてくるのです。sign01

 この見方は、大変おもしろい見方だと思いました。

 

 つまり政治というものは、決して国会のあたりだけで、すべてが決まるというわけでなく、デモや世論が形成される空間からも、政治を動かしていく可能性というものが考えられるということです。

 

 実際に韓国では、デモによって大統領を失脚させています。

 

 それは、韓国では公式的回路だけでなく、非公式的回路の部分もまたよく機能していて、それなりの力を持っていると言うことなのでしょう。

 

 それに対して日本はもともとデモが起こりにくい。

 

 これは非公式的回路の中の、デモという部分は、もともとあまり力を持っていないということなのだと思います。

 

 この非公式的回路という見方を知ると、政治というものの見方が大きく変わります。

 

 つまり政治というのは、公式的であろうが非公式的であろうが、とにかく力と力の戦いなのだという現実が見えてきます。impact

 そして、力という点においてはとにかく力の強いものが、「その集団を動かしていく力」になっていくということです。sign01

 力の強さという点から見れば、たとえば韓国で起こったように、非公式的回路からの力が、その国の未来を動かすことも起こり得るでしょう。

 

 あるいは公式的回路があまりに強固なものとなっている国では、非公式的回路の力がすっかり抑えられてしまうことだってあるかもしれません。

 

 たとえば中国などは、公式的回路である共産党の力が強すぎて、非公式的回路であるデモや世論は、すっかり抑え込まれているということなのだと思います。

 

 そして日本は?

 

 共謀罪法というのは、非公式的回路に大きな脅威となるように思います。

 

 授業の中では、この公式的回路と非公式的回路の力の関係と、民主主義というものの関係までは、発想することはできなかったのですが、こうして書いてみると、本当におもしろい見方を知ったと思うのです。book

*リンク先はハフポストの韓国のデモの記事です。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/03/seoul-rally_n_13398170.html

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平和を追いかけている時間は本当に幸せです♪

 最近ある場所で、社会人大学のスクーリングに行ってきました。

 

 科目は政治学入門です。

 

 休日に2日間の授業。

 

 場所は自宅から遠くて、電車に乗ること1時間、プラス徒歩。train

 

 朝、仕事に行くのとほとんど同じ時間に家を出ました。

 

 でも不思議なことに2日間、とにかくおもしろくて夢中で、楽しかったのです!

 

 日頃の生活習慣がたたって、2日とも午後の1限目になると眠くなってしまい…。sleepy

 

 そうするとどうしてか「くやしい!」と思うのです。(←残念ながら、仕事中にそんなことを思ったことは、一度もありません。笑)

 

 「くやしいっ!impact」って、自分が眠くなってしまったことが悔しくて。(笑)

 

 だって、起きていて、先生のお話を全部お聴きしたいのに!

 

 それなのに、意識はうとうと…。

 

 「ああ、だめ、どこかに、行ってしまう~」という瞬間も何度かありましたが、とにかくがんばって、できる限りこらえました。(笑)

 

 以前は心の不調があったので、こうした休日の授業に出かけると、「こんな休日に私はいったい、何をしているのだろう」と悲しくなりました。

 

 でも今は心が元気になっていて、そうすると夢中になっている間は、悲しいとか、不安とか、そういう気持ちってないのですね。(笑)shine

 夢中になってお話を聴き、一生懸命質問をしながらノートをとり、一期一会かもしれない先生のお話をとにかく頭に詰め込みました。

 

 授業の途中で気がつきましたが、私は結局、平和というものを追いかけている瞬間が、一番自分らしくて、幸せなのだと思います。shine

 「平和を追いかける」という行為が、社会科学という形で表れた時は、大学の授業に出席するという形になり、そしてスピリチュアルや宗教という形で表れれば、祈りや瞑想になっていた…。

 

 まったく違うふたつの世界に興味があるようで、本当は同じ、ひとつの平和を追いかけていただけ、だったのでした。(笑)

 

 この最近の世の中を見ていると、平和というのは、学問だけはできないと思います。

 

 どんなに頭の良い人たちがそろっても、人を見る目がなければ、民主主義は合法的に停止に追い込まれ、独裁者に社会を操られてしまいます。

 そうかと言って、宗教やスピリチュアルの世界もなかなか、いろいろで…。

 

 世の中の動向に関心も持たずに祈るだけで、世界が平和になるとは思えません。

 

 あるいは、自分で考えることも放棄してしまう盲信で、世界が平和になることもないでしょう。

 

 平和を求める心と、しっかりと足場を固めて、社会の仕組みを考える心。shine

 
その両方が必要ではないかと思います。shine

 歴史の中で、世界は一度も、世界全体で平和になったということはありません。

 

 それでも、平和というものを目指して、あれこれと道を探してゆく旅は、とてつもなく挑戦的で楽しい旅だと思います。shine

 

sun(^^)sun

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知っていたわけではありません…。

 ヒトラーの経済政策のことを書こうと思ったのは、たしかに29日の夜だったかもしれません。(あるいは、その前日の夜だったかも?)

 

 でもそれは、私が自分であるサイトを見て、「ああっ、そうだったんだ?!」と驚いて書こうと思ったのです。

 

 べつに、この文章の最後の、リンク先の情報を見てから書こうと思ったわけではありません。sweat01

 

 単なる偶然の一致です!

 

 信じてください! 本当です!

 

 知っていたわけではないんです!sweat01

 

 と、まぁ、それはそれとして。(笑)

 

 うん。たしかに私は変わったことばかり書いているけれど、時にはこんな風に、「ちゃんとした人」が発想するのと同じことを思いつくことだってあるのですね。

 

 めったにないことなので、うれしい、うれしい。

 

♪(^0^)♪

 

 ただし問題は、この発想をされたこの方が、おそらく経済界の異端者的に扱われてしまうかもしれないことですが…。

 

 ……。

 

 (どうか、がんばってくださいね!shine)(←かげながらの応援です。)

sun\(^^)/sun

*リンク先はロイターの、原田日銀委員の発言を扱った記事です。

https://jp.reuters.com/article/harada-germany-polcy-idJPKBN19K1JT

 

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ヒトラーが支持された理由に驚きました!

 「サウンド・オブ・ミュージック」に関する本を読んでいくと、当時のオーストリアの人々は、実はヒトラーによる祖国の併合をむしろ喜んでいたという、信じ難い事実を知ることになります。sign01

 

 いったいどうして、そのようなことになっていたのか、とても不思議に思いました。sweat01

 

 現在の日本にいる私なりに、その理由を想像してみます。

 

 当時のオーストリアの人々は、世界大恐慌の後で経済的に苦しんでいて、そこからユダヤ人に対する怒りが生まれていたのでは?

 

 まぁ、誰でも思いつきそうな理由です。(^^;)

 

 ちょうど現代の世界のあちらこちらで極右化が起こっているように、大きな金融ショックの後、人はその苦しさのあまり、誰かを悪者にして攻撃したくなるのではないでしょうか?

 

 リーマン・ショックが起こったのは2008年です。そうすると今年(2017年)は、それから9年目。

 

 そしてヒトラーの時代も、世界大恐慌が2029年で、第二次世界大戦は2039年から。

 

 だいたい金融ショックの10年後ぐらいに、世界は争いの状態に向かうのでは?

 

 そんな風に仮説をたててみて、それからネットで調べてみました。

 

 すると驚くべきことが、わかりました。sign01

 

 ヒトラーが指示されたのは、ユダヤ人を排斥したからではなかったのです。

 

 ヒトラーはなんと、短期間でドイツの経済を復興させたから?!

 人々はその経済復興の手腕に喜んで、本当にヒトラーを支持していたのでした。

 

 そして、その経済政策ですが、どう考えても私には、まったく正しい方法であるように思えます。

 

*リンク先のサイトに詳しく書かれてあります。(個人のサイトです。)

http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-910.html

 

 

 「ヒトラーの経済政策」という本については、以前からその存在は知っていましたが、ヒトラーという人物に興味を持つことがそもそも嫌だったので、あえて読もうとは思いませんでした。

 

でも、もしかして、読んでみたらたくさんの発見があるのかもしれません。sweat01

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某社のお菓子は買いません

 フリー・ジャーナリストの詩織さんの告発を注視しています。

 

 女性として、軽く受け流せることではありません。

 

 怒りで言葉が出ないほどです。

 

 抗議の意思表示をしたいのですが、方法がありません。

 

 大変奇妙なことですが、日本のほとんどのメディアが詩織さんの記者会見を黙殺しています。

 

 そして外国特派員協会は、詩織さんの記者会見を拒否したそうです。

 

 つまりこの出来事は、世の中できちんと報道がされません。

 

 そうした対応は、詩織さんだけでなく、すべての日本女性に対する精神的な暴力ではないかと思います。impact

 

 などと思ってひとりで憤慨していたら、そこに思わぬ「同性からの敵」が登場です。(!)

 

 なんと、総理大臣夫人の安倍昭江さんです。sweat01

 

http://lite-ra.com/2017/05/post-3149.html


 ………。

 思いっきり怒っていた自分の常識を、頭からハンマーで粉砕された気分です。

 

 もともと昨年、この方が沖縄の高江を訪れた時にも思いましたが、この方の頭の中というのは、私の常識からは推測不可ですが…。(私もスピリチュアルが好きなフシギ人間のひとりではあるのですが…。)

 

でも今回のこの件で、この人にとってレイプという出来事は、女性にとっての人権問題でも、たいした犯罪でもないのだということだけは、わかりました…。

 

 思わず、昨年書店で見た「ヒトラーの娘たち」という本が頭に浮かびました。

 

 「女性ならば、残酷な行為はしないだろう」という、世の中の思い込みを覆す、大変衝撃的な本でした。thunder

 

 どうやら時代を超えて、男性であっても女性であっても、人権意識が低い人たちの行動というのは、それほど変わりがないようです。

 


 それはそれとして、詩織さんという女性は二次被害を起こさせないためにも勇気を出して告発した方です。

 

 私は、詩織さんの告発を応援します。

 

 ただ、メディアで報道がされないので、この問題はこのまま放っておけば消えてしまいそうです。

 

 私には何もできませんが、私なりに支援の意思表示を決めました。

 

 私は、安倍昭江さんと深い関わりのある某社のお菓子は買いません。

 

 そしてもうひとつ、私は、TBSはもう見ません。tv

 

 お菓子の方は、実は某社には私の好きなお菓子もあり、多少の残念さはありますが切り捨てます。

 

 そしてTBSの方は、朝、うっかりしていると寝ぼけてつけてしまうかもしれませんが、気をつけます。

 

 私はたとえ市場という場を介してでも、レイプという犯罪を肯定する企業や組織の製品は買いたくありません。

 

たとえ市場を介してでも、そういう「心」と関わりたくはありません。

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沖縄を見ていれば、日本の変化に気がつくことができます。

 昨年までは、とくに気にかけなかったかもしれません。

 

 たまたま今朝、ラジオの放送で気がつき、そして思い出しました。

 

 今日は、沖縄の慰霊の日です。

 

 すっかり遅くなってしまいましたが、今夜は平和のお祈りをして眠ろうと思います。

 

 そう言えば、今月3日、辺野古では、本土から基地建設反対の運動に参加していた64歳の女性が、機動隊とのもみあいで頭を骨折するという大けがをしています。

 

例によって、本土のメディアは何も報道していないようですが…。

 

 おけがは回復されているでしょうか。

 

 沖縄の人であれ、東京から出かけていった人であれ、頭の骨を折ったということは、かなりのけがであることは間違いありません。

 

 少しでもお早い回復を、お祈り申し上げます。

 

 それにしても、昨年の高江のことといい沖縄では、基地問題に関して機動隊とのもみあいで人がけがをしても、本土では報道されないことが決まっているかのようです。tv

 

 沖縄は、もしかしたら日本ではないのでしょうか?

 

 私は、沖縄も日本だと思っていたのですが…。

 

 沖縄の基地問題に関する出来事は、あまりにも本土で報道されないので、時々、不安になってしまいます。

 

 もしかしたら、出来事がもっとエスカレートしてしまうことがあっても、本土ではまったく報道されないのではないかと心配です。

 

 もしも、そういうことが起こってしまったら?

 

 本土では報道がされないので、本土の人たちはまったく気づかずにいることでしょう。

 

 でもそれは、その社会が大きな異変に直面しているということを意味します。

 

 つまりその社会は、社会のどこかで起こっている出来事を、報道しない社会に変わっているということです。

 

 そういう状況は、世界全体で考えてみれば、たいしてめずらしいことではないかもしれません。

 

 でも、少し前の日本を思えば、そんな状況はまったく信じられないことだと、多くの人が思うのではないでしょうか。

 

 本土の人たちは、本土を見ているだけでは、自分たちの社会の変化に気がつくことができません。

 

 でも沖縄に積極的な注意をはらっていれば、自然と自分たちの社会の変化を知ることになるでしょう。

 

 ただし、もともと本土では報道がされない状況ですので、とにかく本土から意識して、積極的な注意をはらっていればの話です。

 

*リンク先は沖縄タイムスの記事です。
https://this.kiji.is/243541295348221437

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共謀罪、成立前後のテレビを見ていて思ったこと

 6月15日、共謀罪が成立しそうだと知ったのは夜でした。

 

 驚いてNHKのニュースを観て、それから報道ステーションも観ました。

 

 「今夜は、大変な夜になる!」と思い、そのままブログを書きました。

 

 ところでその後、のことです。

 

深夜になってから、「共謀罪はどうなっちゃったのかしら?」と思ってテレビをつけてみたのですが、どの局もまったく関係のない、バラエティ番組のようなものしか放送していませんでした…。

 

 ……。

 

 「いいの???」と思ったのですが、放送されていないので、何も知ることもできません。

 

 「NHKとか、どうかな?」と番組表も見てみたのですが、NHKは夜中の2時ぐらいから放送休止でした。(NHKはテレビ局として休眠中?)sleepy

 

 これでは国会で何が話されているのか、さっぱりわかりません。(たしかに私だって、一晩中つき合う気持ちはありませんが…。)

 

 それにしてもこの状況は、国民は国会など見なくてもいいということでしょうか?

 

 たしか何年か前のテレビなら、このような時には国民がうんざりするほど、同じ内容を放送してくれていたような気がします。

 

 少し拍子抜けしましたが、「どうせ、決まっちゃうんだろうな」と、過去の経験から学んだ予想に基づいて、とりあえずは私も眠りました。

 

 そして朝になり、ちょっと寝坊をして7時20分頃にテレビをつけてみたら。sun

 

 「どうせもう、決まっちゃっているんだろうな」と思っていたのに、今度もやっぱりまったく関係のなさそうな普通の朝の番組だけしか、放送していませんでした…。tv

 

 てっきり「共謀罪、未明に成立!」とか、そういう報道でいっぱいになっているのかと思っていたのですが、べつに国会のことなど、どこの局でも放送していません。

 

まったく普通の、平和な朝のようでした。sun

 

 「たしかきのうの夜は、共謀罪は未明に成立とかなんとか、言っていた気がするけれど、あれは私の夢だったのかしら?」と、一瞬思ってしまいます。(笑)

 

 「結局、共謀罪はどうなった?」と、ちょっと寝坊をした私は不思議に思います。

 

 「成立したという報道がないことから考えると、まだ成立してないということなのかしら?」。

 

 まぁ、それはそれとして、とりあえずは仕事に行く支度を始めます。

 

 それにしても日本って、本当にすごい国になっているのだと思いました。

 

いかに現在の日本らしいと思います。

 

 そういうことがあっても、「あぁ、そういうこと…」と、なんだか納得ができてしまう。

 

 驚きはするけれど、「今までの状況から考えれば、まぁ、それぐらいのことはあるだろうな」と、不思議とあきらめがついてしまいます。

 

 そして7時30分頃からでしょうか。

 

 いきなり画面があわただしく国会中継に切り替わり、投票の様子が報道されました。

 

 それでその時点でようやく、「あ、まだ、決まっていなかったんだ?」と、私も知りました。(笑)

 

 そして、そのままわずか、20分ぐらいで共謀罪は成立してしまいました。

 

 とりあえずはその後、出勤です。

 

 いちおう共謀罪の成立を見届けてからの出勤なので、この後、仕事中はもう心配する必要はありません。ただ気分が暗いというだけです。(笑)

 

 時間設定がよくできている、というか、なんとも言えないタイミングです。

 

 そしてその日(18日)の夜10時、テレ朝の報道ステーションを見ようとした時です。

 

チャンネルを変えたら何かのドラマをやっていて、今度は報道ステーションがお休みしてました。(そう言えば、昨晩、そんなことを言っていたような…。)

 

 ………。

 

 ………。tv

 

 その時に、何かすごく、「ああ、そうだったのか!」という気分がしました。

 

 「つまりは、そういうことだったのね」という感じです。sign01

 

 こうなってくると、さすがに私だって気がつきます。sign03

 

 たしかにこの2週間ぐらい、うすうす感じてはいたのですが、それでも「まさかね?」と打ち消したことがありました。

 

 ずっと報道ステーションもいちおう見てはきましたが、これはつまり報道ステーションも含めて、テレビは安倍政権に煙幕をはってあげていたのですね。

 

 だから森友学園問題も片付かないうちに、次の加計学園問題に話題が移っていく。

 

 カゴイケさんも前川前事務次官も、視聴者の視線を引き寄せ終わったらもう終わり。

 

 この番組の役目は、国民の怒りに寄り添ったスタイルをとりながら、国民の関心を次々とそらしていくことにあったのではないかと思いました。

 

 だから次々と報道はするけれど、決してその問題を追い続けるということはない。

 

 そうやって国民の感情を緩和する目的で、報道しているのではないかと思います。

 

 ちょっとため息ができましたが、「まぁ、今の日本だし」と言って割り切ります。

 

 がっかりはしましたが、それでも前川前事務次官をテレビに出してくれただけでも、感謝でしょう。

 

 テレビ局や新聞社には、「まったく報道をしない」という選択肢だってあるのですから。

 
それにしても、日本は本当にすごいことになっていたのだなと、改めて思いました。

 

 インターネットも特定のキーワードで検索すると、ほとんど限定された情報しか出てきません。まるで、映画の中の世界のようです。

 

 とりあえず、これからはもう、私はテレビを見る必要はほとんどないでしょう。

 

 テレビを見る必要があるとしたら、おそらく天気予報だけだと思います。

 あ、あとはNHK、Eテレの「ムジカ・ピッコーリノ」だけです!

shine(^^)shine

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日本の歴史を変える夜

 今夜、共謀罪は成立するでしょうか?

 

 議員の数で考えれば、おそらく成立するのでしょう。

 

 共謀罪が成立しても、芸能情報とスポーツにしか関心がない人には、日本は何も変わらないでしょう。

 

 いつか、「観察する日々」というコラムの中で、映画作家の想田和弘さんが、書いていた。

 

 日本は中国のようになるのだと思います。

 

 べつに普通の社会生活があり、それなりに楽しそうで。

 

 オリンピックの時には平和を大きくアピールして。

 

 ただ政府にとって都合の悪いことだけが、国民に対して知らされない。

 

 でも外国の人たちは知っている。

 

 その国の中では、人権活動家が拘束されたり、社会の表に出られなくなっているということを。

 

 ある民族が激しい弾圧を受けているということを。

 

 日本も国内の人だけが、自分の国で何が起こっているのかを知らずに、楽しそうに過ごしている国になるのでしょう。

 

 今夜は、歴史に記される夜になりそうです。

*リンク先は想田和弘さんの「観察する日々」です。

http://www.magazine9.jp/article/soda/9868/

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私はどうして政治に怒ってしまうのか?

 ちょっと険しいタイトルになってしまいましたが、自分にとって大切なことだと思うので、このまま書きます。

 

 正直なところを書くと、2012年12月に安倍政権に変わってから、とにかく気分が楽しくない、ということが多くて、大変困っていました。

 

 症状?が悪化したのは、2013年の9月頃からの、特定秘密保護法のあたりからでしょうか?

 

 いいえ、それ以前にもすでに2013年7月、麻生副総理のナチス憲法でんでん。←あっ、間違えました! ナチス憲法云々(「うんぬん」、ですネ?)という発言を知った時、もうすでに、すっかり震え上がってしまったということもありました。

 

 それから現在に至るまで、政治に対する不愉快は増すばかり。

 

 怖ろしさで眠れない、怒りで眠れない等々、とにかく自分個人のことでもないのに、私の感情の動きの激しいこと!

 

 その一方で、少し冷静になる自分という存在もいるので、時々不思議に思います。

 

 私は現在の日本の状況が嫌でたまらないのだけど、その一方で、そのようなことなどまったく気にもしていなそうな人たちが、世の中のほとんどを占めているのはいったいなぜ?!

 

 またしても(?)、「私の頭がやっぱり(?)、ちょっとおかしいのかな?」という弱気な気持ちも出てきます。sweat01

 

 だいたい、人生はとにかく楽しい方がトクだと思いますし…。

 

 でも、どうしても私は怒ってしまうのよ!的な…。(笑)

 

 とにかく、そういう状況がもう4年半なので、自分でもさすがに疲れてきていました。

 

 この最近は「サウンド・オブ・ミュージック」の本を読みながら、祖国を捨てて難民になる時に必要な心構えは、いったい何だろう?と。

 

 そのようなことまで考えてしまうほどでした。(「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ一家はナチスから逃げて、オーストリアからアメリカに亡命しています。)

 

 「とにかく私は、日本にいるのも、もうかなり嫌!」という状態で、またまた、あまりにも自分は変わり者過ぎるのかもしれないと、けっこう真面目に困っていました。

 

 ところがこの問題が、意外な場所からすっきり解決しました。shine

 

 それは最近行ってきた、あるスピリチュアル系のセミナーでした。

 

 セミナーの場所で質問をさせてもらえる機会があり、私の悩みを質問しました。

 

(スピリチュアルの世界では、通常、激しい怒りという感情は喜ばしくないものとされています。)

 

 「私は現在の政治の様子を見ていると、どうしても怒ってしまって、それからあとになって落ち込んでしまうんです。とくに弱い者いじめ的な場面を見ていると、本当に怒ってしまって大変で、それで自分でも困っています」という感じで。

 私の質問に講演者の方はちょっと間をおいてから、とてもおもしろい答えを返してくれたのです。

 

 「う~ん。そこには、あなたの価値観が関係しているんじゃないのかな? 自分が価値感を置いているものを否定されると、怒りがわくよね?」という感じ。

 それで、その回答を聞いて、私もはっと気がつきました!

 

 私は人権問題に、とても関心が強いのです。

 

 人権というものは、大切にされるべきものだと、とても強い価値観を自分の中に持っています。

 

 そして人間の主張というものは、とくに社会の弱いに立場に置かれている人の主張というのは、いっそう大切に扱われなくてはいけないと考えています。

 

 ところが安倍政権は人権問題に対して大変鈍感、というよりも時によっては、大変な人権軽視の態度を見せます。

 

 また、人の心を傷つけるという点では、沖縄の翁長知事に対する菅官房長の態度などは、国が自治体に対して上から傲慢に従わせるような、とても沖縄県民の心を傷つける態度をとっています。

 

 そうした状況を見せられるたびに、私が自分の中に内在的な価値観として持っていた、「人権は尊重されるべき。人の心は大切にされるべき」という価値観が、まるで目の前でハンマーで叩き壊されるように、傷つけられていたのでした。

 

 そして私が日々、「あの人たちはどうして、私のように怒らないのだろう?」と思っていた、世の中の多くの人たちというのは、私ほどは人権問題に価値を置いていないのだと思います。

 

 おそらく人権問題ではない、そのほかの何かで、その人なりに大切にしている何らかの価値観があるのでしょう。

 

 それを悪いとも言いませんし、誰もが人権問題に強い関心を持つべきだとも言うこともできません。人が何に価値を置いて生きるのかは、それぞれその人の自由です。

 

 でも今、世の中で安倍政権に怒りを向け、また反旗を翻すような人々も出ていますが、この人たちはおそらく私と同じように、安倍政権以前の日本で、それぞれ自分たちが「大切なもの」として心に抱いてきた価値観を、安倍政権によって大きく叩き壊されてきている人たちなのではないでしょうか。

 

 だから怒りが湧き、そして時には、それをゆるしている自国の国民にまで、怒りがわいてしまうのだと思います。

 

 価値観というのは見方によっては、人間にとってその人の心の中に抱いている宝物のようなものだと思います。shine

 その人が心の中で大切にしてきた考え方を、目の前で真っ向から否定され、壊される行為を見せられた時、人は怒りを感じるものだし、また、もしも社会全体がそうなってしまった場合は、その社会に生きづらさを感じるものです。

 

 映画の「サウンド・オブ・ミュージック」を例に出しますと、たとえばトラップ一家はやはり、ヒトラーの価値観に自分たちの価値観を合わせることができなかったということなのでしょう。一家は亡命という道を選びました。

 

 けれどもその時代、オーストリアではナチスを歓迎する人たちも少なくなかったそうです。その人たちはおそらく、自分たちの価値観とヒトラーの価値観が、ぶつかるというほどのことではなかったのかもしれません。

(もちろん、当時には当時の状況が何かあったからなのかもしれませんが。)

 

 当時の状況を現在の自分の身において想像してみると、私ならやはり街からユダヤ人がどこかに連行されていくことに気づいた時点でアウトです。

 

 どんなに愛した祖国でも、それはもう私にとっては、放射能に汚染された街と同じで、生きていく場所としてはあまりにも辛すぎる場所となってしまいます。

 

 そしてまたもしも、自分たちの住んでいる社会が未来に、そうなってしまうかもしれないという危険を感じたら、私ならやはり、なんとかしてその状況を回避しようとするでしょう。sweat01

 

 なにしろ自分以外の人たちにとっては、国旗がハーケンクロイツに変わっただけで、たいした変化も起こっていない街だとしても、自分にとっては、それは放射能に汚染された街に変わってしまうのと同じです。

 

 どんなに過去に素晴らしかった場所でも、汚染されてしまった街には住めません。

 

 結局現在、政治の状況にあれこれ声を上げている人たちというのは、やはり私と同じように、人権問題や言論の自由などに関心の強い人たちなのではないでしょうか?

 

 そして、とくに危険を感じることもなく、傍観している人たちというのは、人権問題よりも、もっとほかに価値観を置いている何かがあるのだと思います。

 

 私が政治に怒ってしまうのは、私という人間が、自分の中に人権問題に強い関心を持っているからだったのだと気づいたら、なんだか気持ちがらくになってしまいました。sun

 

 自分の周囲の人たちと反応が違っていたとしても、それはとりあえず、私の頭がおかしいわけではないのだとわかったからです。(←まずはこちらがけっこう心配でした。笑)

 

 その状態は、どちらかと言えば、私の「個性」が強く表れていたのでした。

 それならそれで、私の生きる場所も、おそらくどこかに開かれていくと思うのです。shine

shine(^^)shine

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