« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月

2007年12月28日 (金)

ビデオ「かもめ食堂」

 荻上直子監督の映画が好きだ。「バーバー吉野」も見たし、「かもめ食堂」も、今年の夏に公開された「めがね」も見た。ゆったりとした笑いのセンスと、爽やかな画面が、気持ちがいい。

 「かもめ食堂」のサチエさんは、フィンランドで1人で食堂を経営し、毎日毎日誰もお客がこないお店で、グラスを磨いている。サチエさんには不思議と、はらがすわっているようなおちつきがあり、毎日しっかりとグラスを磨き続けている。時間が流れ、いつの間にかかもめ食堂には、少しずつ人が来るようになり、ある日気がつくと満席になっている。

 私は、「お金と心の二重社会」という、自分のブログを書いた時、いつかは誰かに見てもらい、理解してもらいたいと思っていた。だけど今は、どちらでもいい。

 していることが間違っていなければ、いつかは必ず理解してくれる人に出会えるからだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分の人生の3つの課題

 自分の人生には、3つの課題があったということを感じている。これは今回の人生で生まれてくる前から、自分で決めてきたことらしい。1つ目は、他宗派とも手を取り合える宗教だ。これは20歳の時に、今の宗教と出会うことで果たせた。2つ目は、今年になるまで、はっきりとはしていなかったことだが、資本主義の仕組みを理解することだった。

子どもの頃から、人間の世界が動物の世界のように弱肉強食の世界であることが、不思議でたまらなかった。人間の世界なのだから、動物のようではいけないはずだし、むしろ神様の世界に近くなるように、人間同士で助け合って生きていく世界になるはずだ。世の中を良くしようと思って、誰もが一生懸命生きているのに、そうならない原因を知りたかった。今年、とうとう資本主義の仕組みを理解した。課題を果たせてほっとした。

3つ目の課題は小さなもので、これからゆっくり果たしていこうと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月25日 (火)

「エンデの遺言」

 ドイツの児童文学作家、ミヒャエル・エンデが亡くなったのが、1995年。エンデが亡くなる以前に作りかけていた番組の中で、世の中に伝えようとしていたメッセージから生まれた番組「エンデの遺言」が放送されたのは、1999年。それから私が「エンデの遺言」のことを知ったのは2004年頃だった。私はべつにエンデのファンというわけではなく、エンデの作品は映画化された「モモ」しか見たことはなかった。「モモ」はたしかに神秘的で美しく、深い洞察に満ちた不思議な映画ではあったけど。まさかあれが、お金の物語であるとは思いもしなかった。

 「エンデの遺言」は、地球上でどれぐらいの人たちが、心に受け取ったのだろう?

 「エンデの遺言」は、現実の世界の資本主義のからくりを見つけ出すという、驚くような謎解きの入口だ。なまじっかなファンタジーよりも、よほどエキサイティングだと思う。

http://www3.plala.or.jp/mig/will-jp.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

資本主義は終わるのか?

 船井幸雄さんの「もうすぎ次元上昇か―可能性60%以上!!」という本の中で、「資本主義は2020年までに崩壊する」という意味の記述を見つけた。船井幸雄さんが書いていることであれば、今はとても信じられないような話だが、きっとそうなるだろう。

 私自身ももちろん、資本主義は終わってほしい。だがそうなるためには、少なくとも3つの必要な条件があると思っている。

 1つ目は、「資本主義とは何なのか?」を、多くの人たちが知ることだ。実体のわからないものを、終わらせることはできないはずだ。2つ目は、資本主義の仕組みのどこに欠陥があるのかを見抜くことだ。これは現代の社会科学では難しいと思う。かえってスピチュアルな素養がある人の方が、その仕組みの欠陥に気がつけると思う。そして3つ目が一番難しいと思うが、人びとの意識が変わり、資本主義を卒業できるほど心が成長することだ。

http://www.funaiyukio.com/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月24日 (月)

2007年は結局最後まで「ハゲタカ」?!

 「ハゲタカ」のドラマは好きだけど、私の周囲にはファンは少ない。おそらくこのドラマの重さが苦手なのだろうと思う。私は重くても、良いものは良いと思うので気にしない。

 2007年は気がついたらこのドラマにはまっていて、8月の再放送も見て、ブログを書くためにビデオも何度も見たし、おまけにとうとう再々放送まで見てしまっていた。最初に見た時、私は資本主義というものがどういうことなのかも知らずに見ていたけれど、このドラマの苦しさゆえに、猛烈に資本主義について知りたくなったのは間違いない。

 ストーリーや台詞もよくできていたけれど、映像の光と影の使い方や、音楽もとても好きだった。マニアと言われても仕方がないが、実はエンディング・テーマの映像と音楽は、大好きだった。第1回から5回まで、空から降ってくるお札の映像の中で、一番最後の少女の手の中のヒマワリに毎回希望を呼び起こされ、結局最後まで見ていられたと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドラマ「ハゲタカ」と魂

 ドラマ「ハゲタカ」の再々放送を、またしても見ています。もうストーリーもほとんどわかってしまっているので、かなり余裕でドラマの雰囲気を味わっています。

 このドラマを見ていて時々不思議な気持ちになるのは、このドラマはなぜか「魂」というものを感じさせる、ということです。たしかに創作モノでもこういうことはありますが。

 三島製作所への貸し渋りで心に深い葛藤を負っている鷲津さんは、心を冷たく氷らせるようにして自分を守っていますが、運命は過酷にもそういう鷲津さんに、これでもか、これでもかと、柴野さんと三島製作所を繰り返し、繰り返し、つきつけます。鷲津さんの心が追いつめられて、いよいよお金の力に戦いを挑むまで、運命からは逃げられない。

 こういう状況は、神さまが人間の魂を鍛える時の方法と、似ているように思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月21日 (金)

不況と投機

 韓国大統領選挙の報道を見ていて気になったことは、もう1つある。それは「韓国の人びとは10年前からの不況のために、それまでの政権に対する不満がたまっていた」という解説だ。10年前は、日本も不況に入った年であり、この年1997年はアジア通貨危機が起こった年でもある。

 「アジア通貨危機」など、普通の労働者にはたいして関心があることでもない。アジア通貨危機というのはどうやら、アジアの通貨の交換レートがひどく変動したために、経済発展を遂げていたアジアの人びとの経済状況が、大打撃を受けた出来事を言うらしい。

 アジア通貨危機の原因については、ヘッジ・ファンドという投機集団が大儲けをしようとしたために起こったという見方がある。ヘッジ・ファンドなど、普通の労働者には関係なさそうだが、実は原油や、食料品の値上がりなど、労働者の生活にとても関係がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

韓国大統領選挙に思う

 韓国大統領選挙で、10年ぶりの政権交代が起こった。

 私はもともとひどい政治オンチで、日本の政治のことさえよくわからなかった。だがこの最近は、「エンデの遺言」をきっかけに、経済について学ぼうとするようになり、ほんの少しだが政治や経済についての、自分なりの考えというものも、持てるようになってきた。

 テレビで韓国の今回の選挙の報道を見ていて気になったのは、今回の選挙の様相は、数年前に日本の、小泉政権が誕生した時の状況と、とても似ているように感じることだ。国民の多くは経済の行き詰まりに対する、強力な打開を求めていた。だから行動力のある小泉総理に期待をかけた。そして規制緩和の結果、数年後にはワーキングプアを抱えた、格差社会を生み出した。多くの国民はそうなることを知らずに、自ら小泉政権を選んでいた。

 私は、韓国の人々もまた数年後には、おそらくがっかりしているだろうと、予測する。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年12月18日 (火)

「ワーキングプア」の再放送

 12月20日(月)に、NHKで「ワーキングプア」が再放送された。私は以前の放送も見ていないし、今回の放送も見るつもりはなかったのだが友人から知らされて、結局見てしまった。世の中で起こっていることは、だいたい予想どおりだった。そして予想どおり、弱者に冷たい社会への絶望感で、その夜は気持ちが重くなり、眠れなくなった。感情を整えるために、いつもより意識して祈りながら眠った。私が信仰を持つようになったのは、社会に絶望したら自分は生きていけないと思うからだ。健全な信仰や思想は、どれほど絶望的な社会の中でも、人間の心に希望を与えることができると、私は思う。

 地方の、高齢の仕立屋さんの話はつらかった。洋服を仕立てるという素晴らしい技術を持っていても、その技術で食べていくことさえできなくなるという社会。

 残念だけど、それが資本主義社会なのだと思う。資本主義はその構造上、多かれ少なかれワーキングプアという存在を必要とする。だから、資本主義はいつか終わってほしいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドラマ「ハゲタカ」再々放送

 NHKの土曜ドラマ「ハゲタカ」が、12月22日(土)から24日(月・祝)の、午後4時から6時でアンコール放送される。今年3度目の放送になるはずだ。資本主義社会の中に生きる人間の、胸を締め付けるような苦しさと、その資本主義社会の中で人間らしく生きようとする、鮮烈な心の戦いが再び見られる。冷たく、苦しそうでカッコいい鷲津さんと、人間らしく温かい鷲津さんの、2つの表情にドキドキしながらドラマを追った、鷲津さんファンには必見!です。

 私はこのドラマが大好きで、ビデオに撮って何度も見ました。2月頃にこのドラマを見始めた時には、私はまだ資本主義がどういう経済なのかもわかっていませんでした。

 「お金と心の二重社会」という、私のへんてこブログの第5章に、私の心に残ったハゲタカのシーンをいくつか書いてみました。ファンの方は見に来て下さい。

 時間がたくさんあって、資本主義の仕組みについて知りたい人は、こちらのブログの第2章と第3章をぜひ一度、見て下さい。資本主義の仕組みについてわかってくると、ドラマ「ハゲタカ」の面白さが、いっそう増すと思います。

http://go-go-lemming.cocolog-nifty.com/okanetokokoro/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月14日 (金)

へんてこブログができた理由

 私は最近「お金と心の二重社会」という、へんてこなブログを立ち上げた。このブログは、資本主義を終わらせる方法について考えるという、とんでもない発想でできている。そしてこのブログができあがってしまった理由というのも、へんてこだった。

 もともと私は信仰者で、21世紀になったら人類に大きな意識の変革が起こり、世の中は変わるという思想を持っていた。そして3年ほど前に「エンデの遺言」というテレビ番組の話を聞いていて、資本主義というのは、何かお金の仕組みについて、大きなからくりを抱えているのではないかと考えていた。だがいくら私だって、それだけで資本主義が終わるなどという、大それた発想を持つはずはない。ところが今年、事情が変わった。

 ある誤報が、私のところに飛び込んできた。それは次のような内容だ。

「世界にはマルチチュードという人びとが登場し始めていて、その人たちは、人種にも国籍にも宗教にもとらわれず愛によってつながり、資本主義を終わらせる」という。この情報はもちろん、正しくない。だが私は生来の早とちりな性格から、その誤報をすっかり信じ、いよいよ世の中は現実的にも変わり始めているのだと思い込んで希望に火がつき、それから夢中になって資本主義の仕組みや、エンデやシルビオ・ゲゼルの言っていたお金の仕組みについて考え始めた。気がついたら、資本主義とはもしかしたらこうした仕組みになっていて、またお金というものは、本当はこうあるべきなのではないかという仮説を思いつき、人にも知らせたくなってブログに仕上げ、すっきりした。

 その後わかったことだが、マルチチュードというのはただの思想であり、現実の世界には影も形も誕生していなかった。そしてなぜかすっきりとして、資本主義の仕組みを見抜けたつもりになっている私と、へんてこなブログができあがっていた。

http://go-go-lemming.cocolog-nifty.com/okanetokokoro/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月11日 (火)

介護の絵本「わたし 大好き」

 大学の図書室で見つけました。リディア・バーディック作、「わたし 大好き」という絵本です。この本は認知症の患者さんの介護をされている方が、認知症の患者さんと一緒に、ひざをくっつけて読むための本なのだそうです。でも周囲に認知症の患者さんがいない人にも、ぜひ1度は見てもらいたい本だと思いました。

この絵本を見ているだけで、大切な家族ともう一度言葉を交わしたいという気持ちは、介護をしている人びとの、心からの願いであることが伝わってきます。そして大切な人がもう1度、自分と言葉を交わして笑ってくれた時、どれほどうれしいかという気持ちも伝わってきます。それから年老いている自分の両親が、普通に自分と会話をし、元気でいてくれるということの、あまりに普通の有難さとうれしさに、かえって気がついてしまうと思うのです。

あたたかく、楽しい雰囲気の絵本です。たくさんの人に読んでもらえますように。

http://www.dowa-ya.co.jp/publish/books/books_data/watashidaisuki.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

落ち葉2編

 大学に向かう途中で、公園のそばを通りかかったら、たくさんの赤い葉が音もなく散っている風景を見た。

 春に桜が散る時に、何の音もしないというのはそれほど不思議と思わないのに、秋に、やや厚みのある木の葉が音もなく散るというのは、どことなく不思議な気がした。赤く色づいたたくさんの木の葉は桜の花と同じように、まるで時間が止まっているかのように、静かに散りしきっていた。

 同じ日に、校舎の廊下の窓から木々を見ていたら、そばにいた人がご自宅の近くの木の葉の話をしてくれた。その人の家の近くの公園で、プラタナスの葉を小さくしたような、茶色い葉っぱが不思議な音をたてて散るのだそうだ。葉っぱが丸まって中が空洞になっているから音がするようだと、その人は言っていた。とてもかすかな小さな音で、鳴き声のような不思議な音がするらしい。私もいつか、その音を聞いてみたいと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 7日 (金)

社会学を好きになった理由

 もの知らずだった私は、はじめて社会学の授業を受けるまで、マルクスが社会学者でもあることを知らなかった。マルクスは経済学者だとは思っていても、今度は経済学と社会学の違いがわからなかった。そして社会科学という言葉も知らなかったし、政治も経済もその日の私には関係なかった。ただ社会学者という人たちがどのようにして、社会という場所を、もっと良いものにしようとしてきたのかを、少しだけ知っただけだった。

 信仰者である私は、もともと学問という世界に、それほど期待を感じていなかった。学問という世界が全力を出しているのであれば、世の中はもっとよくなっているはずだと思っていたからだ。だが、はじめて知った社会学者の世界は、魅力的だった。宗教という、理由を持たずに愛や善意を肯定する世界と違い、社会学の世界は現実という場所から、丁寧に社会の現象を拾い出し、整理して解明し、人びとにわかるように説明していた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

社会学との出会い

 社会学との出会いは、まったく予想外の出会いだった。単位数を獲得するために、社会学という学問が何をしているのかも知らずに、スクーリングの申し込みをした。授業に出てみて少しのうちにそれが、自分が長いことやりたいと思っていた学問だったと思った。

 あとから考えると、それはたまたま先生が良かったからだったのかも知れない。社会学は、世の中を良くするための学問だと私は思い、先生から返却されたレポートにも、先生もそう思っていることが書かれてあった。

 その日はいろいろなことを知り、楽しかった。マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のことを知り、トマスとズナニエツキのポーランド農民の研究のことを知り、そのほかにもいろいろ知った。自分が新しい世界に出会ったことに気がついた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 4日 (火)

まつぼっくり

講義の教室が3階で、窓の外を見ると大きな松の木に、まつぼっくりがたくさんついているのが見えた。とても大きなまつぼっくりで、まるでりんごぐらいの大きさがありそうだ。ぜひとも手にとって見てみたい。

休憩時間に外に出たら、ひろってこられるかと思って、すぐ隣の窓がわの席の人に、下に落ちているかどうかと聞いてみた。あの大きなまつぼっくりで、誰かとまつぼっくりの投げっこでもしたら、きっと思いきり笑えておもしろそうだ!

 隣の席の人の返事では、ぜんぜん落ちていないそうだ。

 「あんなに大きいまつぼっくりが落ちきたら、危ないですよ」と隣の人に言われて、たしかにそうだと思った。南の島のヤシの実落下事故のようで、たしかにアブナイ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

通学風景

 よく晴れた週末の朝、電車の窓から見える都会の紅葉に目を奪われる。「こんなお天気のいい日に、自分はいったい何をしているのだろう?」と、以前はよく落ち込んだような気持ちになった。普通だったら仕事の疲れを癒すための休日に、自分はどうして明るい戸外ではなく、大学の教室に行き、大切な週末を勉強のために費やすのだろう?

 通信制の大学の勉強を始めたのは10年ほど前だった。とりたてて目的もなく、なんとなく生活が行き詰っているように感じて、何かを変えたかったのかもしれない。仕事のためでもない、学歴のためでもない。理由が何なのか、自分でもよくわからなかった。

それから10年、勉強が楽しいけれど、大変でもある日々を過ぎながら、今年になってようやく、自分が何をやりたかったのかが分かって、迷いが消えた。

窓の外を通り過ぎていく、青空と紅葉の風景をできるだけ見つめて、今日も大学へ行く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »