山本太郎氏のデジタル・ゲゼル・マネーの可能性

 たまたま通りかかった場所で、山本太郎さんの演説を聞きました。

 それほどの人ごみでもなかったので、きちんと聞くことができました。

 演説の途中で「都民全員に10万円を支給」というお話が出てきました。

 賛意の拍手をしながらさらに聴いていると、本来であればこの10万円はデジタル通貨で支給したいということで、山本太郎さんのデジタル通貨構想がわかってきました。

 それはとても新しい、画期的なもの!と、私は思いました。

 もしもこれが東京都で実施されたら、それこそ世界も注目する大実験になると私は思います。

 山本太郎さんのデジタル通貨構想は、期限付きで減価を起こすように構想していて、たとえば1か月でその価値が70%になるというものでした!

 つまりは、デジタル・ゲゼル・マネーです。

 そして、その通貨は東京都限定の流通にしたいようなので、つまりは大規模な地域通貨です。

 ということは…???

 つまり、今、私の目の前でリアルな、本物の!、生きている政治家が、デジタル・ゲゼル・マネー、かつ、デジタル地域通貨を構想した演説をしているのーっ?!(えええーっ?!)と、聴衆にまじって私はひそかに大興奮!

 とうとう、そんな時代になったの~?!!!(笑)

 とは言っても、その場の聴衆のほとんどは、おそらくゲゼル・マネーも地域通貨もあまり知らないのだと思います。

 その場は大変、穏やかな様子でした。(^^)

 実際には、1回目の支給はインフラが間に合わないので、現金支給になるだろうということです。

 「それは、そうよね」と、聴衆の中に立ったまま、うんうんと頷いて。

 ところでその場が本当に静かだったので、聴いている私としては、この場にいる人たちのどれぐらいが、ゲゼル・マネーや地域通貨にことを知っているのだろうか?

 それが、どういう経済効果が期待できるものなのか、知っているのだろうか?と、少しさみしく思いました。

 ゲゼル・マネーや地域通貨の発想は、まだまだ情報が社会に浸透していないので、山本太郎さんは不利だと思いました。

 「地域通貨やゲゼル・マネーについて知ってもらうために、私はブログをもっと、がんばろうーっ!」と、その日は心を強くして帰ってきました。(笑)

 ところでこの、山本太郎さんのデジタル通貨構想ですが、いろいろな可能性を秘めていることに、後になってから気づいてきました。

 つい最近、私は「期限付き日本銀行券」という発想をブログに書いたのですが、実を言うと、その時はあまりデジタル通貨に乗り気になれなくて、その形状はどうしたものかと保留のままでした。

 今さら、ヴェルグル・スタイルの「印紙を貼る」などということをしていられる時代でもないのですが、どうしてかデジタル通貨には抵抗があったのです。

 でも太郎さんの演説を聞いたら、「デジタル通貨、いいね!」と思えてきました。

 とくにゲゼル・マネーの場合です。(地域通貨にも、いいかもしれません。)

 その理由は、減価率を設定する際の柔軟性です。

 どういうことかと言いますと、太郎さんのアイデアの例では1回目の減価は1か月で30%減です。

 そして2か月目の減価では、その20%減なので、1か月あたりの原価率が変わっているのです。

 つまり、経済の状態を見ながら、原価率の変更が可能です。(しかもユーザーは印紙を買わなくても!笑)

 そして、はじめの1か月で、おそらく発行されたデジタル通貨のほとんどが、他の人の所得に変わるでしょう。

 それに伴って、財やサービスがお金の移動と反対方向に移動します。

 太郎さんの案では、このように2か月目には原価率が変わるというところまでを聴いてきたのですが、その後、私はさらに、しばらく様子を見ながら、2回目、3回目の給付を続けたらどうかと思いました。

(ここで財源を考えない理由については、発想途中の記事ですが、以下の記事をご参考にしてください。)

>http://go-go-lemming.cocolog-nifty.com/okanetojikan/2020/05/post-8abe7c.html

 そうやって、適当な見積もりではあるのですが6回ぐらいの給付をすると、今度は各家庭で、財やサービスが過剰な状態になり始めると思うのです。

 つまり「これ以上お金をもらっても、もう買うものがない」という状態です。

 家計の中には十分な財とサービスが足りてしまい、お金が余り始めると思います。(今、家電を買っても、もう置き場がないよ~!的な感じです。)

 マネー経済と違って、実物経済には、消費の限界量があるので、ある段階から家計にお金が余ると思うのです。

(もしかしたらインフレになってしまう可能性もありますが。)

 そうしたら、余ったお金は都に納税として返すという方法もありますが、NPOや社会事業家に寄付をする、それから客足が減って困っている飲食店や映画館、ライブハウス、演劇会場などの、値上げに応じてあげられるのではないかと思います。

 COVID19のために、飲食店をはじめとするお客さんを収容する施設はすべてが、当初の経営計画が崩れてしまいました。

 それらのお店や施設では、これからはお客さんを呼んでも、従来の半分以下の人数しか呼べません。

 ということは、お客さんあたりの単価を倍以上に上げることができないと、時間の問題でたくさんの事業者が倒産してしまいます。

 でも家計にお金が余れば、消費者としては、たまにはきちんとウィルス対策がされているお店で、気持ちの良い外食だってしたくなるはずです。

 コンサートやお芝居も観たいはず!

 たとえそれが倍額であっても、こちらにお金が余っているならば、どんと来い!です。(笑)

 家計にお金が余っているのなら、しかもそのお金は期限つきで、ただ持っていたら無駄になってしまうのなら、この際楽しく使って、事業者の収入にもつなげていかかれば!

(もしかして、希望が出てきたかも?!)

(う~ん、それとも生活必需品のインフレが起こってしまうかな?)

(そのあたりはもっと考えてみる必要がありそう?)

 とにかく、いろいろ考えながら帰りました。

 ところでデジタル・ゲゼル・マネーには注意点があって、消費にまわすとは言っても、株式投資などマネー経済との接点は徹底的に塞がなくてはいけません。

 用途は実物経済限定にする必要があります。

(貴金属を扱う宝石店などは、どうしたいいのかな?)

 何にしても、おそらく世界でまだ一度も使われたことがなさそうな、デジタル・ゲゼル・マネーという発想に私はドキドキ!

 明日は希望の1票を投じてきます!

(^^)

*リンク先はlivedooNEWS、山本太郎さんのデジタル通貨の記事です。

>https://news.livedoor.com/article/detail/18500131/

 

 

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時の記念日に思った「時間と金利と生きること」

 6月10日は時の記念日でした。

 それで、なんとなく「時間」について考えていました。

 その時にふと思い出したことがありました。

 どこで目にしたのかは忘れてしまったのですが、昔、キリスト教の教会が金利を禁止したのは、時間は神の領域に属するものだからという話を、思い出したのです。

 時間は神の領域に属するもの。

 その時は、特別に深く考えもしなかったのですが、この日はなんとなく、考えがつながったような気がしました。

 時間というのは、人間が生きている現実の世界に存在するものです。

 人間が生きている現実の世界というのは、人間が経済活動を行い、生きている「この世界」です。

 この世界では、財やサービスを生産する行為に時間が伴い、生産された財やサービスは、消費がされなければ時間の経過に伴い減価します。

 また消費された財やサービスは、人間の生存をつないで、生きるということを支えるわけですが、その人間という存在そのものが、誕生から死へと向かう時間と一緒に存在しています。

 エンデの「モモ」の物語の中に現れるマイスター・ホラは、まさにその「時間をくばる存在」でした。

 人間の経済活動というのは、人間が生きるということと、時間と一緒に流れてゆくのです。

 ところがそれに対して、「お金」というのは数値の情報です。

 お金は、貨幣や紙幣の形で表現されていても、その本質は数値であって、デジタル表示でも足りるものです。

 お金は、その役割を考えてみれば、個人が社会に対して、「ほかの誰かが生産した何か」を買えるという、その量を表示するだけの数値です。

 お金は単なる数値であって、現実の世界に存在するものではありません。

 人間の意識の中にだけ、存在している情報です。

 ということは、数値は時間の経過による、自然な変化は起こしません。

 たとえばある時、1という数字であるものは、100年たっても、1000年たっても1のままです。

 でもそれが、時間の経過に伴い、少しずつ増えていくのが金利です。

 現実の世界にあるものと同じように変化を起こし、少しずつ増えていこうとするのが金利です。

 その増額は、お金が返される時まで止まりません。

 でもそれは、決して自然に属する変化ではなく、人間の意識の中で人工的に作られている変化です。

 借金を例にとれば、たとえば2020年6月10日に、私が誰かに1日分の生活費をお金で借りたとして、そこに利子がついていたら、その利率にもよりますが、100年後の2120年には、私は大変な金額をその人に返さなくてはいけなくなるでしょう。

 もしその時代に、世の中全体で物価が上がっていて、その時代では1日分の生活費がそれだけの額であるというなら、話はわかります。

 私はその時代で働いて、1日分の生活費を稼いで返せばいいでしょう。

 ところが、そうはさせないのが「金利」です。

 その時代の物価やお金の価値がどうであれ、機械的に計算して増やした結果を要求するのが金利です。

 私は1日分以上の生活費を返さなくてはいけません。

 単なる数値の情報に過ぎなくて、時間の経過が存在しない世界にありながら、まるで現実の世界に存在しているかのように時間をまとい、ある時点で貸した金額よりも、もっと多い金額を要求するのが金利です。

 時間は神の領域に属するもの。

 人間の世界を作ったのは神だという考え方を持つならば、そこにはいろいろな考えも重なります。

 まず、人間が生きているということ自体が、時間によって始まりと終わりを決められた、神さまの創造の結果です。

 そして、人間の世界が進化をしてゆくという現象も、過去から未来へと流れる時間とともにある、神さまの創造の結果です。

 そこに見られるのは、一人一人の個人の生産と消費が複雑に関わり合い、時間の経過とともに壮大な絵画のように現れる、人間の経済活動の結果です。

 その中にひっそり、人間と人間の間の、お金の貸し借りの習慣に潜んでいるのが「金利」です。

 本来は時間を持たずに、貸し借りの始めと終わりで、まったく同じ太さで終わるはずのものが、どうしてか終わりの時には大きく膨らんでいるのが金利です。

 この金利という存在が、神さまが描き出そうとしている、壮大な絵画を歪めている。

 それは、本来、裏側で静かにわたされる糸のように、時間の始めと終わりで同じ太さであるはずが、終わりの時には太くなり、表側の経済活動の糸を裏側に引き込み、潰している。

 現実の世界において、「お金が返せない」という理由で、財産を失い、事業をたたみ、生涯を余分に働かなくてはいけない人々はたくさんいるのです。

 自ら生命を絶つ人さえいるのです。

 たとえその社会に余るほどの、使われない財やサービスがあったとしても!、です。

 その社会に、使われない財やサービスが余るほどあるなら、その人にただで融通してあげればいいのに、その人に「お金がない」というそれだけの理由で、社会はその人に使わせてあげずに、余っていても捨てるのです。

 住宅ローンに金利がなければ、ローンの支払いはその分早く終わります。

 ローンの金利は、労働時間に換算すると、働く人のどれほど時間を奪うのでしょうか?

 まるで当然のことであるかのように、すっかり世の中の仕組みとして埋め込まれている金利。

 それこそ、「モモ」の物語の中で語られる「時間どろぼう」であるとは言えないでしょうか?

 でも、その存在をゆるしているのは人間です。

 お金は人間の意識の中に存在するものなのに、そこに加えられている自然的でない増加をゆるしているのは人間です。

 マイスター・ホラの「どこにもない家」で時間どろぼうのことを知ったモモは、「じぶんの時間をだれにもうばわせたりしないわ!」ときっぱり言いました。

 人間ははたして、今この瞬間にも、ぬすまれ続けている「じぶんの時間」を取り戻せるでしょうか?

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そこはお金でしょう!(笑)

 今日は、用事があって仕事を休みました。

 用事をすませた帰り道、見切り品のお花を売っている場所を通りかかりました。

 無人販売で1束100円です。

 買う人は、そこに置いてある口の狭い缶にお金を入れて、お花を買います。

 たくさんあるお花の中から買う花を決めて、お金を缶に入れようとしたら、ちょうど100円玉がないことに気がつきました。

 500円硬貨はあるのですが、おつりはもらえません。

 どうしよう…?

 雨だから、家に帰ってもう一度出てくるというのも億劫です。

 「バッグの中に、こぼれた100円とかないかしら?」と探してみたのですが、あいにく今日に限って、まったくありません。

 考えているうちに、「そうだ、それならさっき買ったバンが130円だったから、お金の替わりにそれを置いておけば!」と一瞬思ったのですが、すぐに「それではだめでしょ!」と気がつきました。(笑)

 パンだと、お店の人が食べたいかどうかもわからないし、雨にうたれてだめになってしまうかもしれません。

 やっぱりここは、何とでも交換ができるお金でなくてはならないし、雨にうたれても平気な壊れにくい素材でできていて、時間がたっても減価が起こらないお金でしょう!

 というより、普通の常識としてお金ですよネ!(笑)

 結局、いったん家まで戻って、100円玉を見つけてから、再び買いに戻りました。

 普通はこんなこと、思わないですよね。(^^)

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株高の一方で、失われゆくもの

 このところ日経平均は、毎日22000円を超えています。

 一時期は16000円台まで下がっていたのに、すっかりもとのとおりという感じです。

 実物経済においては、たくさんの人たちが不安を抱えているのに、お金というのはつくづく、ある場所にはちゃんとあるものだと思わされます。

 株価は高いようですが、その反面、実物経済においては、どうにもさみしい出来事が起こっています。

 信用調査会社の帝国データバンクよると、今年は10000件を超える企業倒産が予想されています。

 株は売っても、買ってもお金の持ち主が変わるというだけです。

 でも実物経済における企業倒産は、そういうわけにはいきません。

 長年、プライドをもって経営を続けてきた企業でも、地域で愛され、いつまでもと望まれている企業でも、その製品によって世の中を支え続けてきた企業でも、倒産となると簡単なことではありません。

 株価ばかりを見ていると、まったく見えないことかも知れませんが、ひとつの事業を終わらせるということは大変なことです。

 経営してきた人、そこで働いてきた人、そこでお客さんとなって消費をしてきた人、そこで製造されていた、あるいは販売されていた商品やサービス、仕入としてそこに納入をしていた業者さん。

 会社の建物、経営用の車両や道具、機械設備が処分され。

 なによりも、その企業が世の中に提供してきた誠実な気持ちが、これからは提供されなくなってしまうのです。

 それは、どれほど時代を超えて努力を重ねてきた、老舗の企業であってもです。

 人が生きるように、長年、愛情をもって経営されてきた企業が失われていくのは、本当にさみしいことだと思います。

 何も新しい財もサービスも生産することなく、あんなに株を買ったり、売ったりするためのお金が存在するのなら、そのお金はもっと実物経済の、世の中に価値のある生産をしている場所へ流れてくればいいのにと。

 今日も赤くなっている株価の電光掲示板を見上げて思いました。

*リンク先はbloombergのサイトです。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-05-29/QB18WWT0AFB401

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素敵だったブルーインパルスのビミョーな後味…

 すっかり楽しんでしまったブルーインパルス!

 もうずっとマスクをしたままで、毎日息苦しく仕事をしていた私は、久しぶりに見る航空ショーですっかりはしゃいでしまったのですが…。

 今日になって、ネット上の批判を見るまでもなく、たしかに飛ぶ前からあった話題は「そんな時間に飛んでも、医療従事者の人たち、見られるの?」という話。

 たぶん、見られる人たちというのは、本当に限られた人たちではないかというのは、医療現場で働いていない私でも思いました。

 それに医療現場に限らず、都内の多くの飲食店などで仕事をしている人たちは見られなかっただろうし、お昼時にコンビニなどでお弁当を売っている店員さんたちも見られない、タクシーやバスなど、交通機関の運転手さんたちも見られない…。

 結局見られたのは、もともと都心に住んでいる人たちと、私のように、その時間にきっちりお昼休みをとれる仕事の人たち、あとはその時間に空を見上げられる場所に来られた人たち。

 それから都内の、おそらく限られた医療従事者の人たちなど。

 そう考えると、楽しめた人のほとんどは、医療とはまったく関係のない人たちだったのではないかと思います。

 しかも飛行が東京だけとなったら、あまりにも限定されているその人数に、ますますビミョー…

 つまり見られた人たちというのは、単なる「医療従事者」というよりも、日本全国で考えたら、本当に一部の人たちだけで、しかもそのほとんどは医療従事者というわけでもなかっただろうと思います。

(いったい誰に、届けてあげたかったのだろう?)


 ブルーインパルスは航空自衛隊のチームなので、発案したのは国、つまり政府だと思いますが、ちょっと複雑な気持ちです。

 飛行はすごく素敵でした!

 でも、なんて言うのでしょう。

 楽しんでしまった者としては、条件的に楽しめなかった人への申し訳なさもあり、また不愉快に思う人たちの気持ちもわからなくはないので、複雑な気持ちです

 ネットを検索してみたら、いろいろな意見があったようですが、私の場合は「楽しめたのは、限られた人たちだけだった」という、全国レベルで考えた場合の不公平感が、ちょっと(…)です。

(もちろんブルーインパルスの飛行は素敵でしたが。)

 医療従事者と、それだけでなく、ウィルスによる感染と戦いながら社会を支えている人たちというのは全国にいるわけだし、それならば、こんなに派手ではなくても、もっと広く、多くの人たちに届けてあげられるような感謝の表し方というのも、あったのでは?と思えてきました。

 今回の飛行は、真っ白なスモークがきれいに残って、「ぼやけた五輪」ほどの結果にはなりませんでした。

 でも、気持ちの上ではちょっとぼやけてしまった、ビミョーな後味です。

*リンク先はMAG2NEWSです。怒ってしまった人もいるのですね。
https://www.mag2.com/p/news/453180

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ウィルスにも負けない通勤のご褒美です♪

 世の中にはテレワークなどという安全な働き方もあるようですが、諸事情により、派遣の私には通勤以外の選択肢がありません。(笑)

 毎日、いかにもウィルスが潜んでいそうな街中を、マスクで苦しくなりながら通勤しています。

 そんな金曜日。

 職場のラジオが、今日はブルーインパルスが東京の上空を飛ぶのだとおしえてくれました!

 医療従事者への感謝の気持ちを表すためだそうです。

 時刻は12時40分から13時頃までで、ちょうどお昼休みの終わり頃です。

 いつもよりスピーディーにランチをすませて、会社の屋上に上がりました。(笑)

 同僚とふたりで声を上げて、青い空を飛んでいく飛行機を見ていました。

 真っ青な空に引かれた白い線!

 大きく手を振りながら見上げた、東京の空を飛ぶブルーインパルスは、とても素敵でした!

 「今日だけは出勤で良かった!ご褒美だ~!」と思います。

 なんとか撮れた写真は、お裾分けです。

 (^^)

0529  

*リンク先はSankeiNewsの動画です。7分も見られます。
上からみると、こんな感じだったのですね。こちらもとても気持ちがいい~!(笑)
(リンク先、音がします。)

https://www.youtube.com/watch?v=czfWGDYcASw


*医療従事者の皆さま、そのほか介護、運送、交通機関、私の知らないさまざまな職種の皆さまにも、この状況下で社会を支えてくださっている皆さま、ありがとうございます。 💓


 

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豊かな惑星(ほし)で

 5月の連休明けの午前中。

 緑色の街路樹を抜けて出勤しても、心はまだ、目が覚めていない子どものようでした。

 いつものように静かな職場で、いつもより静かに仕事が始まります。

 窓の外は明るく爽やかで、人も車も少ない、のどかな雰囲気です。

 外のさわやかな陽気を感じながら、パソコンの画面を見ては、次々と仕事を続けていました。

 その時です。

 かかっていたラジオから突然、静けさの中に響いた、キラキラ崩れるようなピアノの音!

 はっとして、数秒を聴いてしまいます。

 その時、心に思ったのは…。

 「こんなにも美しい音が鳴るなんて、この惑星(ほし)はなんて豊かな惑星(ほし)なのだろう」。

 心が、夢の中に引き込まれてしまったようでした。

 ピアノはNew York State Of MindBilly Joel)のイントロです。

 少しだけ手を止めて、顔を上げると、爽やかな風が流れてくる窓がありました。

 明るい空の下で「いつか、あの時も…」と、思い出します。

 離島で、あまりにも透明すぎる海に目を見張りながら、シュノーケルで驚きの声を上げた時。

 身体の下は完全な透明で、光がとおっていて、水底の美しい魚たちを見下ろしている私は、空を飛んでいるかのよう!

 あの時も5月で、新緑がまぶしい季節でした。

 あの時も「地球は、本当に美しい惑星(ほし)だ」と、思ったのです。

 こんなに美しい場所があるのかと。

 5月のこの日。

 町は疫病で傷ついているけれど、この惑星(ほし)の潜在的な豊かさははかりしれず。

 未実現の、たくさんの財やサービスと、それを生み出す人間の能力は無限です。

 それらをのびのびと交換し、その潜在的な豊かさを解放することができたなら、この惑星(ほし)はどれほどの豊かさを得ることか!

 ただ、それなのに…。

 この惑星(ほし)の経済は、お金を使用した経済です。

 お金のない者には、交換の権利がありません。

 おまけに資本主義経済は、お金が停滞しやすく、一部に集中しやすい経済です。

 潜在的な豊かさは、資本主義経済であることによって、抑制されています。

 少しだけ…。

 閉じ込められている無限の豊かさに思いをよせるうち、音楽は過ぎ去ってゆきました。

 ラジオは、次の話題へと移ります。

 私の心も仕事に戻りました。

*リンク先はYoutubeの「ニューヨークの想い」です。(音が鳴ります。ご注意ください。)

https://www.youtube.com/watch?v=4Cy8oPoCMLI

 

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10万円はもらって使おうよ!\(^^)/

 いちばん下の、リンク先の記事は、たまたま見つけた記事ですが、大いに賛成です!

 10万円はもらって、全額!使えばいいと思います。✨

(近いうちに、たとえば家賃など、大きな支払いがあるのであれば、それまではとっておいても良いと思いますが…。)

 いちばんいけないのは、10万円を自分のところにとどめて、運用の資金にしてしまうことです。

 
その人以外には、誰も幸せにならない使い方だと思います。

 何か、実体のある財やサービスを買うのに使えば、財やサービスを買ったその人も、財やサービスを売った方の人も、両方が幸せになれます。

 そうすれば、両者で気持ちの良い経済が成り立ちます。

 私が理想とする経済活動の姿です。(^^)💓

*リンク先はcitrus、「私は必要ないから10万円を辞退する」ではない。という記事です。

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/「私は必要ないから10万円を辞退する」ではない。その10万円が必要なのは、あなたがそのお金を使うお店側なんだよ…「ほんとそれ」「自分は堂々と10万円貰って使う」共感の声集まる/ar-BB14gZRX

 

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本屋さんが再開していました!

 通勤経路に老舗の大きな本屋さんがあり、気分転換によく立ち寄っていました。

 でも、緊急事態宣言が出されてから、当然のことですが、ずっと閉まっていました。

 それでいつも、その前をとおるたびに、さみしい気持ちになりました。

 本屋さんが閉まっていると、まるで街がまるごと眠ってしまった気分になるのです。

 ところが今日は、久しぶりに営業していました。

 開店しているのを見たら、途端にうれしくなりました。

 まるで、街が生き返ったみたいだと思いました。✨

 あいにく18時までの営業なので、私がとおりかかった時にはもう閉店だったのですが、それでもうれしかったです。

 近くにある老舗百貨店が再開したことよりも、私は本屋さんの再開の方がうれしくて。

 「ああ、よかった!」と思って、帰ってきました。

(^^)

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フードロスと資本主義

 私がこのブログを書き始めた理由のひとつには、私は「食べ物を捨てるという行為が、とても嫌い!」という事情があったのを、この最近つくづく感じます。

 というのは、新型コロナウィルスの影響で、街ではいろいろなお店が営業を再開したものの、どうしても外出している人が少ないせいか、売れ残っている食品を見かけることが多いのです。

 売れ残った食品は、おそらく廃棄されてしまうでしょう。

 たくさんのお弁当、たくさんのパン、たくさんのおにぎり、それから飲食店の中にある、たくさんの調理してもらえなかった食材たち…。

 ニュースを見ていても、あちらこちらで食品が販路を失っていて、廃棄につながっているようです。

 たくさんの野菜、たくさんの牛乳、たくさんのお菓子、たくさんのお花(食品ではないけれど…)、それからたくさんの、たくさんの…!

 もう涙が出てしまいそうで、とても心が痛みます。💧

 もともと普段から資本主義社会では、実体のある財やサービスを完全に消費することよりも、お金の獲得を優先して、財やサービスを余らせる傾向がありました。

 たとえばデパ地下などでは、値段を下げて売り切るよりも、残して捨てるという選択をします。

 そうした食品を捨てるという行動が、今は新型コロナウィルスの影響で、ますます目についてしまうのです。

 捨てる時は、調理した方たちや生産者の方たちだって、とても心が辛いと思います。

 資本主義社会は、お金に振り回されていて、実物経済においては生産し過ぎだし、生産した商品を捨て過ぎ!と私は思います。

 もっとちょうどよく生産して、ちょうどよく消費し切る経済に変えた方が、人間にも、地球や自然にも優しい、スマートな経済になるのにと、いつも思います。✨

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