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「さかさま小路」があらわすもの

 ミヒャエル・エンデの「モモ」には、不思議な場面がいくつかあります。「さかさま小路」もそのひとつです。

 さかさま小路では、時間が逆向きに流れます。モモは、時間をつかさどる老人マイスター・ホラの住む家に行こうとしますが、向かい風に立ち向かうような感じになって、うまく進めません。強い圧力がかかってくるのです。そこに案内役のカメであるカシオペイアが「ウシロムキニススメ」と教えてくれます。言われたとおり、モモは後ろ向きになって歩いてみます。そうするとすっかりらくに進めるのです。

 「モモ」が経済について語っている物語であると知っている人には、この場面はとても印象的です。何か、意味があるのではないか?という気持ちにさせられるのです。

 実際に経済評論家の森野栄一さんは、この場面を経済における利子率のお話に重ねて説明をしています。貨幣に持ち越し費用が課される世界が、後ろ向きに進んでいる状態なのだそうです。

 経済の知識がないとこの説明は難しいのですが、専門家の見解ですので、おそらくそうなのだと思います。

 ただエンデの世界というのは、私たちが現実に生きている世界とは別次元の世界から、ひとかたまりの情報を、抽象画のように表現しているようなところがありますので、この場面の説明としては、ほかにもいろいろ、何か意味があるのではないか?と、私は以前から思っておりました。あまりにもこのモチーフがはっきりと、強く表れ過ぎているからです。おそらく経済の専門家だけでなく、普通の人たちにもよくわかる何かが表現されているという気がしていたのです。

 最近になってようやく、それはこのことではなかったか?と、思い当たるようになりました。

 さかさま小路が意味しているものを、現実の世界の事象として捉える時、とてもわかりやすい2つの見方が見つかります。

 1つは現在の私たちのような社会の場合に、お金を貯め込むことへの警告です。

 私たちの社会では、お金は中央銀行と普通の銀行だけしか発行することができません。社会におけるお金の量が限られているのです。

この限られている状態で、社会の多くの人々が「お金を貯めなくては、貯めなくては!」と言って、お金を貯め込んでしまうと、私たちの社会は、社会全体で貧しくなってしまうのです。理由は、社会の人たちが生産した財やサービスを交換するためのお金がなくなってしまうからです。

 お金がみんな財産になってしまい、世の中に流れていかないと、私たちはせっかく生産した農産物や工場の製品を売ったり買ったりすることができなくなります。景気が悪くなってしまうのです。このことは経済学者も認めています。

 その反対に私たちが、「お金を使わなきゃ、使わなきゃ!」と言って、どんどんお金を手放すと、私たちの社会は豊かになります。生産した農産物や製品が、どんどん売れて景気が良くなるからです。(ただし貧しい人が無理をしてまでお金を使う必要はありません。お金を余るほど持っている、豊かな人に使ってもらいましょう。)

 「お金を貯めなくては!」というのが、向かい風に向かって進んでいる状態です。その反対に「お金を使っちゃえ!」というのが、後ろ向きに進んでいる状態です。

 もう1つの意味は、お金を大切に思いすぎる価値観です。

 社会全体で「お金がなくては大変だ」とか、「お金がなくては生きていけない」と思えば思うほど、私たちはお金に振り回されてしまって、「世の中の役に立つものを生産する」という経済の本質を見失います。

 その反対に、「お金なんかなんだ!」とか「お金なんかただの紙っ切れじゃないか!」と気づけば気づくほど、私たちは経済の本質に気がつきます。

 「お金がないならほかの方法で、みんなで作った生産物や労働力を交換すればいい!」。

 そう気がついた時、私たちはマイスター・ホラが住む「どこにもない家」の前に立ちます。

 「お金から自由な経済」は、もう目の前です。

*資料は「自由経済研究第14号 エンデの遺産」(ぱる出版)より、「『モモ』、人間とその経済の、回復の物語」(森野榮一著)です。

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