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2010年4月

簿記と、経済の地下水路

 歴史を学ぶのは苦手です。

 歴史の中にあるのは、うんざりするような戦いの記録です。そのようなものを学んでも少しも楽しくありません。誰が誰を支配し、どの民族がどの民族を制圧した。歴史はそうした出来事がいっぱいで、心が重くなってしまいます。

 経済史はずいぶんましですが、これもまた痛ましい出来事が目立ちます。16世紀からの三角貿易の話を聞く時は、体調が悪くなりそうです。その三角貿易はイギリスの産業革命の資金源となり、産業革命を経たマルクスの時代には、炭鉱で働く「日曜っ子」たちの登場です。
 その一方で科学技術の発展により、現代のような豊かな時代に進んでもいきますが…。

 科学技術の発展には、NHKの「プロジェクトX」を見ているような楽しさがありますが、とにかくこのような激しいドラマは、よほど精神がタフでなければ耐えられません。私はそういう理由で、歴史が苦手です。過去よりも、未来を考える方が楽しいと思います。

 ところが会計の歴史という世界は、意外にも大変静かなものでした。そこには地上の歴史に見られるような、騒々しさも、血なまぐささもありませんでした。

 しんとした世界の中に、まるで時々金属がかすかに音をたてるような、静寂に満ちた世界です。どこか宮崎駿監督のアニメーションに出てくるような、地下の世界と似ています。この世界には生々しいものはあまりなく、数値だけが静かに動く世界です。

 音が無く、地上におけるようなリアリティが遠ざかり、ただただ静かに計算が行われ、その技法が洗練されてきた世界です。

 いつの間にか私は、簿記という技術を見つめるようになりました。

 簿記は、お金とは何かを雄弁に語ります。

 簿記の世界では、お金はどこまでいっても現金または預金でしかなく、それ以外の財産とは混ざりません。この世界では、お金は簿記の中心となる存在です。

 簿記を見ていると、お金には流れがあることがわかります。それは水路のように、静かな水音をたてながら、お金が世の中のある方向に流れているのです。

 私は水音に沿って、一人で地下水路を歩き始めました。

 ここでは地上の喧噪が聞こえません。目まぐるしい、実体のある経済の世界の地下にある、「お金」とは大きな地下水路です。

 もしも世界中のすべての経済主体が、ある時点でいっせいにそれぞれの貸借対照表を作った時、それらの現金と預金の総和は、世界中のすべての中央銀行と市中銀行が発行したお金の総和と等しくなると思います。

 差額が出るとしたら、それは海に落ちたお金や、野に捨てられたお金、あるいは忘れられて数えてもらえなかったお金です。

 地下水路は一定の方向に流れています。水を追っていくと地下はどんどん深くなり、だんだんとひんやりしてきます。

 水路は社会の血液です。水路が枯渇した地上では、植物が生命を失うように、人びとは交換に支障をきたし、うなだれています。水流が活発な地域では、地上の人びとが繁栄しています。

人びとは、地下水路でつながりあっているのです。

 健全な経済においては、お金が移動する時は、地上でも何かの生産物が、お金と反対方向に移動します。

 ところが地上の交換に関係なく、地下だけでお金が移動する世界が広がっています。いわゆるマネー経済の世界です。マネー経済の世界はもはや大変大きくなっていて、その上の地上は荒野です。

いつのまにか世界のお金の大部分が、実体のある経済活動とは関係ない、マネー経済のお金になってしまいました。実体のある経済活動は、相対的な水量減少によって縮んでいます。

 地域通貨というのは、水路が枯渇している場所に、新しい地下水路を作って水を流そうとする試みです。

 水路は暗く、誰にも会いません。
 
大変孤独な旅になりました。

 簿記は、地上の世界と地下水路をつなぐ結節点です。地上の経済活動は数値化され、簿記にうつし出された後、その数値は世の中のある方向に流れていくのです。

 水音が、私を誘います。

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2度と事故を起こさせないために

 JR福知山線の脱線事故から5年が過ぎました。

 107人が亡くなった、本当に痛ましい事故でした。そして本当に「もう2度とこのようなことは起こってほしくない」と思います。

 事故の報道が流れた時、私はまだ株式会社とは何かを知りませんでした。そうすると報道の中で、とても不思議な話を聞きました。

 JR福知山線は、同じ地域を走っている私鉄と競争をしていたようなのです。録画がありませんので、だいたいの記憶しかありませんが、同じ地域を走っている私鉄は乗車料が安く、その代りにとても混んでいる。それに対してJR西日本は、乗車料は高いが、すいていて速いということで、2社は競争をしていたと言うのです。

 事故が起こった時、私はまだ株式会社という組織についての理解がありませんでした。そうするとこの報道は、大変奇妙に思えました。

 ひとつの地域に2つの電車があれば、それは2つの電車で、大量の乗客を仲良く分け合えばいいだけの話です。2つの電車で、同じ程度の安全な速度で、同じ程度の乗車料金で両方とも走ってもらった方が乗客としては利便が良く、2社ともによほど社会の役にたつというものです。

 鉄道において、安全をないがしろにされてまで、スピードで競走されても、利用者にとって良いことなど、何ひとつありません。

 それなのにどうして、2つの鉄道会社は競争をする必要があったのか?
 だいたい何を競争していたのか?
 小学生の男の子でもないのに、どうして電車がスピードにおいて競争する必要があったのか?

私には長いこと、その理由がわかりませんでした。

 その理由がおおよそ察せられるようになったのは、2年ほどたって株式会社とは何かが理解できてからです。「株式会社とは何か」(友岡賛著)という本を読んだ時、2社の競争の意味がわかりました。

2つの鉄道会社は、もともと利益において競争せざるを得ない立場にあったのです。

 株式会社とは何かがわかると、世の中の見え方が変わります。

 事故が起こる前、JR西日本はとても高い利益を出していたという噂を聞きました。またJR西日本の一部の株主は、JR西日本に高配当を要求していたという話も聞いています。

 それらの話が真実かどうか、私は確認してありませんが、JR西日本が株式会社である以上、十分に考えられることだと思います。

 こうした時、私たちは株式会社とは何かを知らないために、物事の表面に現れている人の責任だけしか追及できません。株主、経営者、企業との関係を知らないと、経営者と企業以外に責任の追及のしようがなく、本当に事故を引き起こす原因となった背景を、まったく見過ごしてしまうと思います。

 JR西日本という企業の経営体質に問題があったのはもちろんだとしても、その一方で、企業に大きな利益を望んでいたという株主には、まったく責任はなかったのでしょうか?

 あるいはこうも言えると思います。

もともと経営者は株主のために、全力で利益を上げなくてはいけない立場にあります。そうするとその経営者の利益を優先する行動が、社会の安全の脅かさないように監視をし、本当に事故を防止できる立場にあったのは、誰だったのか?

社会の安全のために、そういう存在も必要ではないのか?と。

もちろん株主は有限責任なので、社会に迷惑をかけた企業の責任を株主が負う必要はないのでしょう。

でも、それにしても、です。

 「2度と痛ましい事故は起きてほしくない」と願いながら、その一方で株式会社とは何かを知っている人は、本当に少ないと思います。そうすると私たちは、実際には何度もでも、生活の安全をおびやかされる危険にさらされ続け、同時にいつもピントのはずれた、わりの悪い戦いに力を使ってしまいます。

 世の中を知る上で、株式会社を知るということは本当に大切なことだと思います。

それなのに不思議なほど私たちは、株式会社とは何かを知らないのです。
 とても残念なことだと思います。

*事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

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会計の本のとびら絵5/今回はダメだったよ♪

 この絵は「会計の時代だ 会計と会計士との歴史」(友岡 賛著)という本の中の、「第三章 期間計算」という章のとびら絵です。イラストはいながきちえこさんという、イラストレーターさんによるものです。

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 この絵は、この本のとびら絵の中で、私が一番好きな絵♪です。

 船から降りてきた船乗りさんが、空っぽのお財布を振っています。
 そのお財布は、見事に空っぽ!

まるで失業中なのに、お友だちとファミレスでお酒を飲んで、その帰りにコンビニに寄ってしまった後の私のお財布といい勝負?!

 しかも船乗りさん、笑っちゃってます!
 そして目の前には、がっくりと肩を落とすお金持ち…。

 これは中世イタリアの当座企業という、1回ごとの航海単位で、出資から清算までが行われていた時期の、船が帰ってきた時の場面です。

 
おそらく何か事情があって、儲けが出なかったのでしょう。そこで儲けを期待して出資をし、「どのぐらい儲かったかな?」と、港で船の帰りを待っていたお金持ちは、船乗りさんのお財布を見てがっかり…、という図です。

 この絵を見ていると、「当座企業の時代はまだ良かったのかも知れない」と思います。

 
1回やってみてダメだったものは、もうどうしようもないのだから、儲けが出ようが出まいが、出資をした人のがっかりにおいて、責任をとってもらうしかなかったからです。 出資して損をしてしまった出資者は、別の事業への出資において、損を取り戻すよりほかにありません。

 時代はこの後だんだんと、1回の事業ごとに清算をしていた当座企業の時代から、事業の終わりを予定しない継続企業の時代へと変わります。

 
会計の方法と、出資金の回収のしかたも変わります。1回の事業ごとの清算ではなく、定期的な期間計算が一般化し、出資者は株式の自由譲渡性をとおして、出資した資本を回収するようになります。配当システムも17世紀半ばには完成するそうです。(配当システムに関する記述は、同著者の「株式会社とは何か」より。)

 継続企業は出資者に「利益についての、未来への期待」を強めるようになったと思います。そしてそのことは、絵の中に見られるような、船乗りさん(事業者)と出資者の関係を変えてしまう可能性を抱いていたのではないか?と思います。

 
出資者の利益についての関心が高ければ、出資者が事業者の行動に口を出し、積極的に利益を生みだそうとする、経営活動への介入が始まると思うのです。

 期間計算の技法が成立することによって、いよいよお金が、実体のある経済活動に積極的な支配を得る、資本主義という荘大なドラマが動き始めたように感じます。

 この絵は現代のような資本主義が、まだ誕生するかしないかの、古き良き時代(?)を思わせます。

 現代の株式会社も、これぐらいおおらかだったらいいのにネ♪

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時間どろぼうと「簿記」という出入口

 現在の単発の仕事は、10年ほど前に派遣で働いていた企業が入っているビルと、まったく同じビルでの仕事です。

 10年前、私はそのビルの高層階にある外資系企業で、時給1650円で働いていました。残業が多くひと月あたり税込みで40万円ほど稼ぐこともありました。

 それに対して今度の仕事は低層階で、時給900円のお仕事です。10年前と同じ時間分働いても、稼げるお金は6割程度でしょう。

 同じビルで働いているのに、状況がものすごく違います。時代も約10年、違っているのですが。

 はじめての午後から夜の勤務でした。
 夜型の私は、はじめのうちは「これも悪くない」と思っていましたが、そのうちに睡眠のリズムが崩れてしまいました。昼間でも身体が眠ってしまい、動けません。

 ある日「少しつらい…」と思いながら、子どもの頃のことを思い出していました。

 父はブルーカラー・ワーカーで、シフト勤務でした。朝、夜、深夜、朝昼とおしという、いくつかの勤務時間があり、お給料は良いのですが、睡眠のリズムが崩れてしまうので、休日もあまり体調が良くないようでした。勤務がきついと慢性的な頭痛に悩まされます。

 それは、まだ子どもだった私が、そのまま自分の目で見た資本主義社会の一場面でした。

 「世の中って、あんなにたくさん働かないと生きていかれないのだ」と、子ども心にも思いながら、疲れている父の表情を見ていました。

それが「エンデの遺言」を追うようになった私の原点です。

 世の中は、高層ビルに似ています。

 高層階に住む人たちは、華やかで、安全で、豊かなフロアしか知らないし、低層階に住む人たちは、世の中に失業があることや、どれほど働いても豊かになれないことを、普通のこととして見ています。

 低層階では本当に、ミヒャエル・エンデが表現した「時間どろぼう」が存在していて、この階層では「食べていくだけ」で一生を終わってしまう人」もいます。

賃金が安いので、ただ生きていくだけの収入を得るのに、たくさんの時間を使ってしまうのです。

 低層階では、賃金が安い仕事か、あるいは失業という選択肢しかありません。

そして低層階の仕事は賃金が安いだけでなく、きつかったり、あるいはとても忙しいのです。誰もがノルマに追われ、あまりにものすごいスピードで仕事をこなすので、仕事に愛情を込める余裕がありません。きっと時間どろぼうのしわざです。

 低層階の人たちは決して能力が低いわけでもないのに、どうしてかそうなってしまうのです。

 ケインズは低層階を見に来てくれました。

ケインズは高層階と低層階と地下も見て、高層階で眠っていたお金を、低層階に呼ぼうとしてくれたと思います。低層階にお金が流れ込めば、社会の血液は回り出し、失業者は再び雇用を得て、少なくとも生きていかれます。

 私が「エンデの遺言」を追いたいのは、低層階で働く人たちのぬすまれている時間を取り戻したいからです。そうすれば低層階に、穏やかな時間の流れが戻ってきて、誰もが自分の仕事を愛し、本当に心をこめた仕事ができるようになるからです。

 「エンデの遺言」は、私が知った時にはもうすでに、経済学者や経済評論家が注目していました。地域通貨、ゲゼル・マネーなど、私もいずれはその人たちの理解を追うのだと思っていました。

 ところが意外なことに、私はいつのまにかそうした流れから離れてたった一人、「簿記」という不思議な出入口の前に立っています。

 企業が利益を出して、株主配当を生み出そうとする時、労働者の賃金は抑えられ、さらには労働に従事する人数が減らされます。そうすると労働者は同じ量の仕事を、少ない人数でやり遂げなくてはいけなくなり、仕事の高速化が求められ、さらには株価を高くするために、もっと効率化が望まれる…。

 簿記は、語ります。

 エンデが語った時間どろぼうの出入口は、簿記の世界の中にあるのではないでしょうか?

 私は、ぬすまれた時間を取り戻したいのです。

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会計の本のとびら絵4/複式簿記

 この絵は「会計の時代だ 会計と会計士との歴史」(友岡賛著)という本の、「第二章 複式簿記」という章のとびら絵です。イラストはいながきちえこさんというイラストレーターさんによるものです。

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 はじめて見た時は「ちょっとへんてこな絵?」と思いました。でも最近は「複式簿記というのは、たしかにこんな感じだネ♪」と思うようになりました。

 ちょうど向かって左側を借方として、右側を貸方と考えた時、この絵の中で示されている取引は、借方にお城で、貸方に現金なので、「現金でお城を買ったのね?」(スゴイ!)と聞ける感じです。

 そして電話の中に吹き込んでいるのは、左の電話には「財産、お城(?)増えた、金額いくら」と話していて、同時に右の電話には「財産、現金減った、金額いくら」と話している状態です。

 そのようにして、財産の種類が変化したことや、財産がどういう理由で増えたとか、減ったとかの出来事を、常に両方の電話に、金額を合わせながら録音しておき、決算の時にその録音を全部整理して集計すれば、貸借対照表と損益計算書が出来上がり♪

 私が簿記を覚えた時は、簿記というものがいったい何をしているのかさっぱりわからないまま、やみくもにひたすら覚えたのですが、この絵をアニメーションにして説明してくれていれば、もっと簡単に理解ができたのに…、と思います。

 この章では、複式簿記の仕組みが世の中に広まっていった流れが書かれてあります。

 複式簿記は1494年にイタリアのパチョーロさんというお坊さんかつ数学者が、「スムマ」(すごく発音しにくいっ!)という本の中で解説したことによって広まったそうです。当時はまだグーテンベルクの活版印刷が実用化されてからおよそ45年ほどの時期で、この書はごく初期の印刷所だったそうです。そしてこの「スムマ」はラテン語ではなく、イタリア語で書かれてあったので一般の人々にも読むことができ、ここで紹介された複式簿記は16世紀のうちに数カ国語に訳されて広まったとか。

 複式簿記という技術がこの時期にはっきりとした形を表し、広まっていったということは、とても興味深いことだと思いました。というのは複式簿記という技術が世の中に望まれていたであろう時代背景を想像すると、すでにこの時期の資産家は資産運用の認識を持っていたのではないか?と思ったからです。なぜかというと複式簿記は手間がかかるので、自分の収入と財産で生きようとする人にとっては家計簿と同じで、別になくても困らなかったのでは?と、疑問を抱いたからです。

 この章ではこの後、資本主義経済と複式簿記の関連に話が進みます。私がもっとも興味を引かれた部分です。そしてまた、もっとも意外な印象に「…」と感じた部分です。

 正直に言うと私はこの部分を読むまで「社会学者や経済学者という人たちは、簿記を知らないのかも知れない」と、実は思っていました。(!)

簿記の世界ほど、単なる数値でしかないお金と、実体のある経済事象をきれいに切り分けている世界はないと思います。それなのに経済学の世界ではすぐにお金の話と、実体のある経済活動の話を一緒くたにしてしまうと思うのですが、それはきっと簿記を知らないからなのだろうと思っていました。

ところが…。

 簿記の伝播を重要視した社会学者と経済学者は、マックス・ヴェーバー、シュムペイター、ゾムバルト。

 私にはどの人も、とても意外でした。

とくにシュムペイターさんです。すごくわからなくなりました?!

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会計の本のとびら絵、の余談/本物の「会計くまさん」発見!

 用事があって、自宅からけっこう歩いた場所にある、区の公共施設に行きました。

 行ってみたら、どうやら月に1度らしき休館日でした。

 がっかりしましたが、「せっかくここまで来たのだから、もしかしたらほかに何か、いいことでもあるのかも知れない♪」と思いなおしました。

 時間が少しできてしまったので、「何か、おもしろいことはないかな♪」と思って、そのまま駅に向かって歩きました。そうしたらなんと、道路の反対側にとても気になる表示を見つけました。

 会計事務所のロゴです。それもなんと「くまさん」の絵が書いてある!

 思わず信号を渡って、走り寄っていってしまいました。

 ちょうどこのブログで、「会計学はこう考える」(友岡賛著)という本の、とびら絵シリーズを書いていて、(左、カテゴリーの上から6番目、「会計のとびら絵シリーズ」をご覧下さい♪)「会計くまさん」という、可愛らしい「くまさん」の絵の記事3編を、ちょうど書き終わっていたところでした。

 前述の本のとびら絵のくまさんとは、とてもテイストが違いますが、本物!の会計くまさんです。ちゃんと営業している会計事務所のくまさんです。

 思わずじっと見てしまい、携帯で写真を撮ろうとしていたら、なんと会計事務所の方がとおりかかってしまいました。(!)

 一見怪しい人と間違われてしまいそうです。

 「このロゴをブログに載せたいのですが…」と許可をいただこうとしたら、なんと中にご案内いただいてしまいまして、所長さんに直接許可をいただくことになりました。

 説明する時、すごく恥ずかしかったです!

 「ブログを書いておりまして…、(とは言っても「エンデの遺言」という、とても変わった経済思想についてのブログだし…)、(おまけにちゃんとした経済学の知識もないのに、経済のことを書いているし…)、その中で「会計の本のとびら絵」というテーマを書いておりまして、(書いているのは会計の本の、「とびら絵」についてであって、ぜんぜん会計とは関係がないし…)、だいたいイイ大人が、まさかくまのロゴの写真を撮ろうとしていたなんて…」。

 心の中で思いました。

「常識ある税理士さんからしてみたら、いったい私って…」。

 説明しながら、かけていた眼鏡がくもってしまうほど恥ずかしかったです。

 でも許可をいただきましたので、ブログに載せさせていただきます。

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こちらは「くまさん」のアップです。実にカワイイです♪

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 こちらは安田会計事務所さんのサイトです。くまさんがアニメーションで動きます!
http://www.yasudakaikei.com/

こちらは安田会計事務所の所長さんのブログです。読ませていただいていたら、別れをテーマにした、ちょっと心に響く記事などもあり、楽しかったです♪
http://blog.livedoor.jp/yasudakaikei/

 安田会計事務所様、そして所長様。このような会計のお話とは、かなり関係のない記事で、お写真を載せさせていただきまして、大変申し訳ございません! 

 くまさんのロゴが大変可愛らしかったので、載せさせていただきました。
 どうもありがとうございました。m(_ _) 

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スタートはこんなもの♪

 事務職で仕事を探しているのですが、あまりにも仕事が見つからないので、とうとう今まではやったことのない仕事も、できそうであれば、この際やってみようと思いました。

以前から興味はあったけれど、通常の事務職よりも時給が安いのを理由に、やらずにきていた仕事にチャレンジです。以前よりも時給がさらに、とんでもなく!下がっているので、この仕事をメインの仕事にしたら、確実にワーキング・プアの基準に合格です♪

でも少しだけ、ドキドキします。新しい仕事なので、自分に合っているかどうかはやってみなければわからないのですが、もしもやってみて楽しければ、それもまた新規開拓体験♪です。

表題の「スタートはこんなもの」というのは、私の好きな「VIEW FROM THE TOP」(日本名は「ハッピー・フライト」)という映画の中の台詞です。英語では、"Everybody has to start somewhere."と言っていました。

グウィネス・パルトロウが演じる、ドナという田舎町のスーパーマーケットの店員の女の子が、フライト・アテンダントになると決意し、最後には有名な航空会社の国際線ファースト・クラスのフライト・アテンダントになるというサクセス・ストーリーです。

 「スタートはこんなもの」というのは、ドナがはじめてフライト・アテンダントとして働く航空会社が、笑ってしまうようなテキトウな会社なのですが、そこでドキドキしながら働き始めるドナの気持ちです。もちろん、一度も飛行機に乗ったことがなかったドナの初フライトは、ものすごいことになりますが…♪

 私も明日から就業なのですが、途中にまだ、シフトが不明の日というのがあります。研修もものすごい詰め込みだったのですが、あとはもう体当たりで行くしかないでしょう♪

 このさいハッタリもきかして、がんばってきます。

 というわけで。

 おそらく1週間ほどブログが更新できないと思います。(もしかしたらストレス解消に、突然何か書いてしまうかも知れませんが♪)

 私の拙いブログを見に来て下さる皆さま、いつも本当にありがとうございます。m(_ _)m

 というわけで。

 しばらく働きに行ってきま~す♪(^0^)/

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ベーシック・インカム、やっぱりほしいね…

 友人とお花見に行きました。

 ふたりとも失業中です。友人は、私よりかなり預貯金はあるはずですが、それでもふたりとも失業中なので、私たちのお花見はとても質素です。

 横浜の大岡川という川沿いを歩きました。桜は満開でとてもきれいです。

 途中で橋の欄干に手をついて立ち止まり、見事な桜を堪能します。

 「きれいだね~」。
 「ほんとだね~」。
 「平和だね~」。

 すぐに現実を忘れてしまえる性格の私は、すっかり桜に見とれてしまい、しばらくフワッ♪と和んでしまいました。友人もすっかり桜の美しさに見とれている様子です。

 しばらくしたら、おもむろに沈黙を破って友人が言いました。

 「ベーシック・インカム、やっぱりほしいね…」。


 
思わずふき出してしまいました。
 
でも「本当にそうだね」と思いました。

 私は、以前はベーシック・インカムには賛成ではなくて、ゲゼル・マネー(減価するお金)の普及によって、世の中のお金がよくまわる経済体制がいいと思っていました。

でも最近は考えが変わり、ベーシック・インカムに賛成です。

もしもベーシック・インカムが導入された場合、世の中に何が起こるのかはまったく想像できませんが、とりあえずモノを買う力がない人たちに雇用か、あるいは購買力を与えてもらわないと、お金の蓄えが少ない人たちは、安全に生きていくことさえできません。
 それならばせめて、余分な人にまでお金を配ってしまうとしても、全員が生きられる社会の方がいいと思います。

もちろん本当は、ちゃんとした仕事で、収入を得られるにこしたことはないわけですが、世の中がそう動けないのであれば、しかたがないと思います。


 今年もゆったりと、桜を見ながら歩きました。

 いつもの年と同じように、桜はとてもきれいでした。

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会計の本のとびら絵3/会計くまさんのくらべっこ♪

 この絵は「会計学はこう考える」(友岡賛著)という本の、「第五章 会計制度論」という章のとびら絵です。イラストは、市川智子さんというイラストレーターさんによるものです。

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 会計くまさんが2人、くらべっこ♪をしています。

 何をくらべっこ♪しているかと言うと、「どちらが儲かったか?」、ではなくて、お互いの会計の方法を比べているのです。左が大陸法(フランス、ドイツの法に由来する)担当のくまさんで、右が英米法(イギリスの法に由来する)担当のくまさんです。

 大陸法担当のくまさんの方が、目が鋭いのは、大陸法は性悪説が前提になっているからなのでしょうか?

 英米法担当のくまさんの方が、なんとなくお人よしそうな感じですが…。

 本当に?!

 などと、根拠のない疑いをついつい抱いてしまいました…♪


 緊張感がおもしろいので、この絵も何度も何度も見てしまいます。

 この章は、読み始めた時には、あまり現実的ではないように感じました。ところが読み進めていくうちにだんだんと興味が湧いてきて、一番じっくりと読み込んでしまいました。

 読み終わった時には、とても現実的なお話なのだと感じました。

 というのは、過去に外資系企業の経理部の下っぱだった私は、自分の上司たちがしょっちゅう長時間にわたる会議を開いて、「ああでもない、こうでもない」と話し合っているのを見ながら、「経理なんて財務諸表を作って、利益を計算するだけなのに、いったい何をあんなに話し合うことがあるのだろう?」と不思議に思っていたのです。

でもこの章を読んで、ようやくその理由がわかりました…。

 *「会計のとびら絵」シリーズはまだ続きますが、「会計くまさん」はこれで終わりです♪

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雑誌 : 「経済セミナー」2010年5月号の「特集2」

 久しぶりに図書館で、雑誌の「経済セミナー」を手にとりました。

 ふだんは、私に読める記事はあまりないのですが、今回は興味のある特集があり、私にも読めそうだったので、コピーをとって読みました。

 特集のタイトルは「行動経済学と不況対策 スミスとケインズの処方箋」です。

私はアダム・スミスもケインズも好きなので、この記事が自分にも読めそうだったことが、とてもうれしかったです。日頃は自信が持てなかったケインズの言葉もいくつか、とてもわかりやすく説明されてありました。

 たとえば「流動性の罠」とか「流動性選好」などです。

 でもあいかわらず経済学の世界の「投資」という言葉は、いまひとつ自信がありません。

 読んでみて、いろいろなことを考えました。

 たとえば「経済学というのはやはり、人間をどういう存在としてとらえるのかということも、とても重要なのだな」とか、「『富裕の状態に到達した社会における不況』というのは、それだけの生産力は発揮できているわけなのだから、結局、お金を介した分配がうまくいっていないということではないのかな?」など、いろいろです。

 アダム・スミスはやはり、新自由主義者が礼賛していたような、競争好きな人ではなかったようです。なんとなく感じてはいても、学者の見解を知るとすっきりします。

 またケインズは、いつも思うことですが、どうしてか伝わっている情報からは、「いったいどういう人だったのかという」イメージがつかみにくい経済学者だと思います。

 ケインズについてはよく言われることですが、「優しさから、失業者を救済しようとしたのではない」と言われます。そしてこの特集の中でも、優しさよりも、むしろ経済としての効率から雇用創出を考えたとされています。

 でも私はそういうお話を聞くたびに、いつも思うのです。

 「ケインズは、本当は優しい性格だったけれど、でも同時に、ものすごく頭が良かったから、かえって論理的な面の方を強く打ち出していたのではないか?」などと、思ってしまうのです♪

 また読んでいて、ケインズは、自らはすごいエリートだったのに、どうしてそれほど、失業者の状態を正しく観察し、想像することができたのだろうか?と思いました。

 そして、それはやはり、ケインズは本当に「人間が生産し、交換し、消費するという、実体のある経済活動そのものを、とても魅力的な現象として観察していたからではないか?」と思います。お金ばかりを見ようとする、机上の経済学では満足できなかったのではなかったのか?など、素人の読者なりに思います。

 ピン作りの工程をじっと観察してしまったアダム・スミスという人も、そうしたところが本当の経済学者であるように感じられるので、それで私はアダム・スミスもケインズも好きなのではないか?と、この特集を読んであらためて思いました。

 乗数効果への疑問が出てきたところでは、驚きました。というのは私も、乗数効果が納得できていないからです。(きっと学者の方とは理由が違うのでしょうが…、笑)

 賛成のエクスクラメーション・マーク、大賛成!の大きな星印、わからない部分のクエスチョン・マークなども書き込んで、気がついたらコピーがライン・マーカーで色だらけになりました。

 楽しかったです♪

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会計の本のとびら絵2/会計くまさん、新大陸に行く♪

 この絵は「会計学はこう考える」(友岡賛著)という本の、「第三章 近代会計の特徴」という章のとびら絵です。イラストは市川智子さんというイラストレーターさんによるものです。

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 この章では、期間利益計算というものと、発生主義というものについて説明されています。そして会計公準という、会計の基本的な前提というものについても、説明されます。

 私はこの章を読んで、「ゴーイング・コンサーン(継続企業)」という考え方が、会計を考える時の「前提」なのだということを知りました。以前から「どうして企業は永遠に経営を続けなくてはいけないのだろう?」と、不思議でたまらなかったからです。

 本当に「永遠に経営を続けるつもり」なのではなくて、「会計を考える時の『前提』」なのだと知って、ほっとしました。(♪そうだよねー。いくらなんでも…。)

 ところでこのとびら絵は、そうした本文の内容と、どのように関係するのかはわかりませんが、この本の中で、私が一番気にいっているとびら絵です。

 というのは、この絵はとても可愛いのですが、同時に少し不思議で、なんとなくブラック♪な雰囲気もあるように感じるからです。

 右側がイギリスから新大陸にやってきた、と思われる会計くまさんです。会計の仕事をしているというよりも、どうも「ビジネスくまさん」です。そして左側は見てのとおり、どう見てもネイティブ・アメリカンの酋長さんです。

 そして興味深いのは、ビジネスくまさんがネイティブ・アメリカンくまさんに渡している、アメです。(!)

 どうしてアメを渡しているのでしょう? 「お友だちのしるし」でしょうか?

 まさか現代のOLでもあるまいし!

 でも同じ本の別のとびら絵を見ていると、なんとなく勘ぐってしまうのですが、このアメはもしかしたら「お金」の意味ではないか?と思うのです。

 ということは、この場面はいよいよ資本主義が、ネイティブ・アメリカンの世界にも拡大していくところ?!

 私の考え過ぎでしょうか?

 何回見ても、興味がつきません。

 くまさんたちの表情が、ビミョウ(微妙)でイイ感じです。

 ところでこの絵は、私に誘いかけてくる要素が強くてキケンです。

 見ていると、ネイティブ・アメリカンくまさんの羽飾りに、ライン・マーカーで色を塗りたくなってしまってたまりません!

 今のところなんとか、思いとどまっています。

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ケインズに熱中し過ぎて…

 派遣会社の登録に行きました。

 最寄り駅から電車に乗り、途中で乗り換えです。

 通勤時間帯はすべての電車が各駅停車なのですが、日中は快速になってしまうので途中で降りて、並走している各駅停車に乗り換えなくてはいけません。もちろん電車に乗った時は、ちゃんとそのことを意識して乗りました。

 ところが電車の中でつい、気になっていた本を読んでしまいました。

 「『経済学』の基本がわかる本」(入江雄吉著)という本です。私がはじめて買った経済学の本です。今回は久しぶりの読みなおしでした。

 読んでいたら途中で、ケインズが1918年にパリの講和会議で、とても怒ってしまった時のお話になりました。

 ケインズはその会議で、敗戦国であるドイツに、あまりにもとんでもない金額の賠償金が課されたことについて、激しくくやしがり、怒ったのだそうです。その時にケインズが自分のお母さんにあてた手紙と、お友だちにあてた手紙が、とても伝わってくる言葉で載っています。

 私はケインズ・ファンなので、毎回この部分を読むと、ケインズがどれほど正義感にあふれていた人なのかを思い、ついつい夢中になってしまいます。

 「そうだ、そうだ! そんな賠償金はあんまりよ! 私もくやしい!」と、ついつい今回も夢中になって共感してしまいました。

 気がついたら、乗り換え駅のドアが閉まるところでした。

 やがて窓の外に、私が降りるはずだった駅が流れるように…。

通り過ぎていってしまいました。


教訓:♪本を読む時は状況を考えましょう。


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