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未来からの歴史

 ちょうど3年前の5月、私が「ミヒャエル・エンデが指摘していることは、たぶん正しいのだ…」という直感を受け取った時期のことですが、私の頭の中にあるイメージが浮かびました。そのイメージは正直に言うと、マンガでした…。

 未来のいつか、小さな可愛らしいネズミの子どもたちがマンガの中で、どこか学校のような場所で、歴史の授業を受けているのです。

 ネズミというのは、本当はレミングという、集団行動をするネズミをひっかけたもので、私の中では「経済について何も考えることなく、反応的に行動してしまう庶民」の象徴です。

 そのレミングの子どもたちが、未来の学校のような場所で、過去の時代の資本主義について、歴史の授業を受けています。先生が何かを話しているのですが、私には音声は聞こえませんでした。

 おそらく21世紀の終わり頃、地球では資本主義が完全に終わっていて、子どもたちはまったく新しい時代を生きているのです。先生はそういう生徒たちに、21世紀の途中まで実際にあった、資本主義という経済体制の説明をするのに苦労しています。この時代の子どもたちはもはや、格差も貧困も環境破壊も知らないからです。

 子どもたちはおそらく10歳ぐらいです。先生の話を聞きながら、過去のすさまじかった経済体制の話に、みんな目をまるくして聞いています。プロジェクターのような装置で、過去の時代の映像が次々と、でもあっさりと写し出されます。みんな信じられないような場面にショックを受け、思わず目をそらしてしまう子どももいます。

 「どうして子どもが、サッカーボールを縫っているの?」。

 「どうして子どもが、ぼろぼろの服を着て、裸足なの?」。

 「どうしてせっかく作った食べ物を、あんなに捨てちゃうの?」。

 「どうして誰も、地球が汚くなるのを止められなかったの?」。

 子どもたちの質問は、絶えません。

 先生がゆっくりと語ります。過去の時代にはお金というものが、まったく間違って考えられていて、そのために地球では経済というものが、うまくまわらなかったのだと説明します。

すぐに「経済って、何ですか?」という質問が起こりました。

 「経済というのは、人間がみんなで何かを作って、それもできるだけ無駄をしないように、らくに作れるように工夫をして、そうしてみんなで作ったものを、お金をとおして、みんなで上手に分け合っていくことですよ」と。

 またすぐに次の質問が飛びました。

 「お金って、これのことですか?」。

 質問をした子どもの手には、わずか2センチほどの小さなキー・ホルダーが握られていました。ほかの子どもたちも、自分のペンダントとかバッヂになっている、自分の電子マネーを見ています。

 この時代には、もはや「匿名貨幣」と呼ばれた貨幣や紙幣は存在せず、すべてが完全公開性の電子マネーでした。子どもたちは、お金をただのポイントだとしか思っていないのです。

 ポイントは、あまり使わないままでいると、失効してしまいます。この時代は子どもでも、世の中の役に立つことができれば、ポイントを稼げる時代でした。子どもたちはポイントが余れば惜しげもなく、ポイントを必要としている人達に分けてあげました。

 21世紀の前半に、地球の歴史が変わったのです。人間とお金の関係が逆転し、お金は人間に従う存在となりました。

その転換は、地球の過去の時代の中で、自然科学における地動説から天動説への転換と同じほど、大きな転換でした。それまで地球では、お金に人間が振り回されていて、たくさんの大人や子どもが苦しみ、たくさんの地球の資源を無駄にしていたのです。

資本主義は、人びとのお金の認識が修正された後、ゆるやかに終わりを告げました。

いつのまにか、子どもたちは本当の人間の子どもの姿になっていました。みんな、いろいろな色の肌、髪の色、瞳の色とさまざまでしたが、子どもたちは全員幸せそうでした。この時代、大人たちはたいがい心が優しく、子どもたちのことを考えてあげる余裕がたくさんありました。地球は緑と、爽やかな空気に満ちていて、とても美しい場所でした。

お金の認識が変わり、経済が自由になって、地球の歴史が変わったのです。

私が見てきたイメージの中では語られませんでしたが、この時代、もはや子どもたちは誰にも競争を強いられてなどいませんでした。誰もがオンリー・ワンで、誰もが本当に、自分なりの才能の「天才」でした。

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コメント

「お金」についてネットで調べていて、偶然立ち寄りました。
私が常日頃から疑問に思っている「お金」に関する事柄に、同じように関心を持ち、その秘密を真面目に解き明かそうとされている人がいることに正直言って感激いたしました。嬉しいです。

私は年に数回、仕事の都合でアジアの某国へ行きます。その国は貧富の差が激しく、外国人の私から見てもあまりにも「フェアじゃない」と思う場面に出くわします。同じ国に生まれても親が貧しければ子も貧しい。親がリッチなら子は幸せ。お金が無いから貧しい、お金があるなら幸せ。子は親を選べません。ある真冬の氷点下の日、路上で民族風の土産を売っていた女性の側で遊んでいた幼児が裸足だったのを見たとき、私はその子があまりにも可愛そうで正視出来ませんでした。私は厚手のダウンジャケットを着ているのに、こんな幼い子供が、凍るような寒空、なぜ、どうしてそんな不潔な服を着て裸足なのか。どうにかして救ってあげたい。しかしその子が、いたいけな仕草と笑顔で私に近づいて来たとき、私は拒絶したのです。「手と顔が凄く汚い。どんな病気を持っているか分からない。自分と同じレベルの人間ではない。」 あの時、私は偽善者でした。私は当事者意識の無い、通りすがりの外国人。あの時、あの子にお金を恵んでやれば自分は満足したのか。それで解決するのか。何かが違う。そう、ずーっと思っていました。

この世は不公平だと思います。
お金って、何なんだろう?豊かさって、何なんだろう?金持ちが貧しい人にお金を差し出せばいいのか?そういう問題なのか?
分からないことは沢山あるけど、ただ「お金」というキーワードが私の頭から離れることはありませんでした。

こちらのブログを読んで、いろいろ勉強になりました。「ああ、そうか」と気付くことが沢山ありました。
また立ち寄らせていただきます。
おじゃましました。

投稿: おぐすた | 2010年5月13日 (木) 00時34分

おぐすた様
コメントをどうも有難うございます。コメントをいただけましたこと、とてもうれしく存じます。また大変励みになります。

>私は拒絶したのです。

私もおそらく、そうしたと思います。実際にそうした場面に出会った時、誰でもよほどの経験がなければ、頭で考えているようにはふるまえないと思います。決して偽善者などではないと思います。

その時のことはもう置いておいて、これからの未来に何ができるかを考えていきたいですね。おぐすたさんのコメントに私もまた、大変うれしく、感激しております。

エンデは、先進国が発展途上国の人々を貧困におとしいれながら、その一方で「援助」という言葉で助けるかのようなふるまいをしていることを、非難していました。(「パン屋のお金とカジノのお金はどう違う?」(廣田裕之著)という本の中に出てきます。)

自然に貧しい人々を作り出してしまう、私たちの経済システムにたいしては、「恐るべき(中略)犯罪性がかくされています」と言っていたそうです。

私はその「犯罪性」を、見抜きたいと思うのです。私たちの経済システムがどのようにして、貧しい人々や貧しい国々を作り出すのか、それを知りたいと思います。そうすれば、何を変えればいいのかが、わかるのではないかと思います。

ぜひまた見に来ていただけましたら幸いです。コメントも大歓迎です。私もゆっくりとですが、これからも探してまいりたいと思います。

ありがとうございました。m(_ _)m

投稿: みほれみ | 2010年5月13日 (木) 21時01分

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