経済学と、クチナシの香りと、幸福感
蒸し暑い夜道の帰宅時にふと気がつくと、道端の家の庭先の、クチナシの甘い香りに包まれました。梅雨時の、体中にこもるような暑さの中で、突然ふわりと幸福感に包まれました。
この季節の東京は、あちこちの道端でクチナシの花が甘く香ります。夜は気を散らすものもなく、感覚が澄まされるせいなのか、空気中のちょっとした温度差や香りも、ひときわ鮮烈に感じます。
クチナシの、オフホワイトの優しい花が、本当に甘く香ります。
「東京って、クチナシの街だよネ?」などと言ってしまうのは、私のいつもの決め付けで(笑)、きっと東京以外の町でもこのように、夏のはじめにはクチナシの花が香るのでしょう。
私はキレイなものを見ると、すぐにそうやって、その土地のご自慢のお話にしてしまいマス。(笑)
なんとなく楽しい気持ちで歩きながら、ふと思います。
「経済学って、お金ばかり数えているから、人間を幸せにできないのだ」と。
お金はただの数字です。電子マネーがコンビニでも使われる現代、お金が金や銀でできていなくてはいけないという人はもはや、たいしていないと思います。お金はもともと、紙でも十分だったし、もはや電子データとなったただの数字でも、十分に役目を果たしています。
お金を払う時、私たちは紙や硬貨を渡すことによって、その紙や硬貨が表しているポイントを相手に移動させているのだということは、注意深く考えてみれば、すぐにわかります。
経済学は、そういう数値でしかないお金を貯めることばかりを考えていて、どのように使うかとか、誰のために使うかを、あまり考えないのだと思います。
お金は本当は使ってあげた時に、世の中の経済行為が前進し、世の中の誰かが幸せになれるのに。
そうして使った自分もまた、幸せになれるものなのに…。
大切なのは、お金そのものではなくて、お金を貯めることでもなくて、お金で交換されている何かの方…。
お金というものを忘れた時、地球は本当に豊かです。
どこかの家の、よく手入れされたクチナシは、無償で、道ゆく人を幸せにしています。
地球を大切にして、地面のアスファルトをはずしてあげれば東京だって、もしかしたら夜には、涼しい風が無償で吹いてきてくれるのかも知れません。
地球ほど豊かで、人間に幸せを与えてくれる存在はとても貴重なのに、それなのに地球の値段はタダだと思われているようです。
お金で測定できないものには、価値を認めないなんて、経済学はとてもガチガチのスクルージーさんです。
道端でつい立ち止まって、携帯でクチナシの写真を撮っていたら、その家のクチナシの手入れをしているおじいさんが出てきてしまいました。(笑)
「夜は、花が茶色くなっちゃってね」と、笑って話してくれました。
そういえば朝にはそのおじいさんが、茶色くなってしまった花を、ていねい摘んであげているのを見ています。
「アリガトウゴザイマス!」と、クチナシのお礼を言って、帰りました。
私が撮影したクチナシの写真です。あと10年ぐらいしたら、香りも一緒に記録して、ネット上からお届けできるようになるでしょうか?
その頃には、地球の経済が変わっていてほしいと思います。
人間を本当に幸せにするものは、お金では測定できないものごとの方にあるのです。
お金はただの測定値でしかなく、人間の幸せは、数字では測定できない世界の方にある。
主婦の家事労働の大切さや、地球が美しいことの感動や、世の中が平和であることのありがたさなど、お金では測れない世界の方がよほど重要なのに、経済学が気にするのは、「お金がいくら、どれだけ、増える」という金額ばかり。
経済学は、お金という測定値の縛りから自由になり、本当に人間の幸せを目的とする学問になったらいいと思います。
その時、地球の東京の6月の夜は、あちこちでクチナシの香りに包まれる、本当に豊かな街として、世界に知られるように…。
なったらいいな♪と、思います。
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