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2011年9月

Step 0 (ゼロ) 下準備…



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 最近、とりあえずひとりで「エンデの遺言」解明プロジェクトを立ち上げました。

 どう予測しても、長期プロジェクトになりそうです。なにしろ唯一のプロジェクト・メンバーである私は、経済学部の学生ですらありません。野望というには、あまりにも大きすぎる野望です。(^^;)

 でも状況はどうであれ、おもしろそうなことは、やるしかありません。自分のこれからの成長(?)を見込んでも、何年かかるかわかりませんが、とにかくスタートです。

 それで数年先のことになるかも知れずとも、今から準備しておけそうなことは、しておきます。この記事はいつか来る未来の準備で、つまりは「仕込み♪」です。

 とは言え、私が思いつく準備ですから、やはり常識のある方々から見たら、おそらくへんてこな準備に思えることでしょう。それでも私にとっては、立派な「準備」です。

 昨年あたりから、私はある本に注目して、その本からひそかに野望のタネを温めています。

 それは「12歳からはじめる賢い大人になるためのビジネス・レッスン 『会計』ってなに?」(友岡 賛著)という本です。

 この本は、子どもに株式会社をとおした資産運用を説明する本です。著者は慶應大学の先生ですが、この本は12歳以上~大人を対象にしてありますので、普通の人でも読むことができ、落ち着いて考えれば理解ができると思います。

 私がこの本を良いと思うのは、この本を読めばわりと簡単に、複式簿記の骨組みと株式会社の仕組みがわかるようになるからです。タイトルは会計に焦点が当てられていますが、私が注目している側面は、複式簿記と株式会社です。

 私はこれから「エンデの遺言」を解明していこうとしています。実はその途中でどうしても複式簿記を使用して解明したいと思うのです。ところが複式簿記は、日本の義務教育では教えられませんので、社会の中で複式簿記を知っている人は限られています。

 そうすると私は、「エンデの遺言」をわかってくれる人が、限られてしまいます。私としてはそのあたりを、できれば今のうちから、どうにかしておきたいところです。

 ですので私は、この本がちょっと手直しを加えられて、「日本の中学生の、教科書か参考書になったらいいな♪」と、夢見ています。(*^^*)商業科の学生であるかどうかに関わらず、これから世の中に出て行く子どもたちが、複式簿記を知っていて損になることはありません。

 もともと複式簿記は、福沢諭吉サンが日本に紹介しました。福澤諭吉サンの中に、日本の発展を願う気持ちがあったことは間違いありません。だから、いよいよ日本の資本主義経済も十分に発展を遂げた今、今度は日本中の子どもたち全員の、一般的な社会の知識として伝わっても良いと思うのです。

かつては複式簿記と株式会社の仕組みを知るということは、資産を持たない家庭の子どもたちにとって、あまり幸せなことではありませんでした。でもエンデが「遺言」を遺していった今、その構造は打ち破れる可能性が出てきます。

 「エンデの遺言」を解明するという、自分の野望達成のためなのですが、そのための下準備として、「この本がいろいろな人にたくさん読まれて、株式会社と、複式簿記の仕組みが、たくさんの人に伝わりますように♪」と、世の中の片隅でひそかに願い、未来の「仕込み♪」をしています。

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あっ、逃げないで…!(^0^)

 このブログの目的が、不労所得批判にあることを明かしてしまいました。(^^;)

 ところでこのことを明かしてしまうと、私はせっかく「見つかったかも♪」と思った協力者に、いきなり冷たくされてしまうことがよくあります。とってもいぶかしげな、冷たい視線で見られてしまうのです。(;;)

 だから、予防線…。

 ちょっと待ってください。とりあえず聞いて下さい。だいたい私がこんなところで、不労所得批判に成功したって、世の中何も変わりませんっ…!

 それに、もしも百万が一、資産運用という制度がなくなったとしても、その時にはちゃんと、お金持ちの人たちにだって、いいことがたくさんあるんです!

 だから、逃げないで! とりあえず、「それは、あり得ない!」なんて決めつけないで、いちおう聞いてほしいです。そこから「プロジェクト」は、始まるのです…。

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それで、目的は?

 「エンデの遺言」解明プロジェクト!の、計画は立てました。ところで、この計画を実行することによる目的は、まだ明確にしてありませんでした。

 プロジェクトの目的は、結局ものすごくまとめて言ってしまうと、「不労所得の否定」ということになると思います。

ここで言う不労所得には、老齢年金のような、社会がちゃんと認識している分配は含みません。ここで言う不労所得とは、おもに資産運用による所得です。おもに金利、配当金、投機などによる売買差益です。

「エンデの遺言」というのは、経済を考える上でのヒントに過ぎないと私は思います。実際にエンデ自身も、結論はなにも示してありません。いくつかの、経済に関する不思議な考え方を提示しているだけです。

ところがそれらの考え方を理解しようとすると、どうしても一度、「お金とは何なのか? 私たちが何の疑問も持たずに、こういうものだと信じているお金というものは、実際には何であり、また私たちの社会において、どういう役目を果たし、そしてどうあるべきものなのか?」という疑問にぶつかってしまうのです。

それで、その疑問を解決するために、お金についてさらに追求していくと、ある時「お金とは、もしかしてこういうものではないか?」という、まったく新しい見え方で、お金について考え直す時が来ます。そしてその時に、「もしかして、経済というのは、本当はこういうことではなかったのか?」という、これもまたまったく新しい見え方をする段階に入ります。

この段階は、ちょっと頭の中がぐらぐらします。

でもこの段階は、けっこう爽快ではないか?!とも思います。

「人間の社会って、本当はこんなんことをしていたんだ!」という、ちょっとした感動があると思います。宇宙から地球の映像を見るような感覚と、似ています。

その場所から、今度はもう一度振り返って、地球の経済の仕組みを見直します。その時に、自然と結論が出てしまうのです。

「不労所得って、ちょっとだめじゃない…?」という感覚が、わかります。^^;

 不労所得批判、とくに金利批判というのは、地球の歴史の上ではあまりうまくいっていないようです。「働いていないからダメ」という、道徳的な批判になってしまって、善悪の話に流れてしまうようです。

私の目的は、この不労所得の否定ということを、善悪の話としてではなく、経済の構造を明らかにするという方法でやり遂げることです。

「私たちの経済というものは、こういう仕組みになっていて、こういう動きをしています。だからここでこういうことをすると、こちらでこういう結果が起こるので、これがまずいのではないですか?」というように、社会の仕組みについて、善悪を絡ませずに語ることです。

ちょうど企業の中で、データベース・システムを扱う時に、「ここに、こういうデータが入っていて、そのデータはこちらの画面では表示されます。だからご希望のデータが必要であれば、このようにすれば作れますよ」などと、データベース・システムの状態を調べて説明をするということがあるのですが、そういう作業をする時のように、あっさり、淡々と説明をすることです。

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宇宙から…

 「宇宙から見ると、国境線なんかない」。

 その言葉を聞いたのは、何歳の時だったか忘れてしまいました。それでもその言葉は心に焼き付き、実際には見たこともない地球の姿を思いました。

それなのにこんなにも突然、宇宙から中継される地球の姿を、目で見る瞬間が来るなんて!

 18日(日)の夜に、NHKで放送された番組「宇宙の渚」です。

 途中からちゃんと、生中継の時だけ室内の電気を消して、真っ暗な部屋で見ました。日頃は「テレビはなくても平気」と言っている私も昨晩だけは、「壁いっぱいの大型スクリーンで見たい!」と思いました。

 宇宙から見ると本当に、地球にはただ人間が住んでいる場所があって、そこには人間が生きていて、夜景が光っている…。

 「星の王子様」で語られていた世界を、見ています。

 すごい時代になったと思いました。これからの子どもたちは、こういう映像を当たり前のように見て大人になっていくのでしょう。時代が進むというのは、こんなにも素晴らしいことなのですね。

 私は、人間の寿命が100年程度しかないということを、むしろ良いことだと思っています。

 地球に長く生きていると、どうしても思考の枠のようなものが頭に沁みついて、柔軟な想像力がこわばってしまいます。だからそうやって、頭がこわばってきたあたりで人が死に、まだ若い、思い切り想像力が羽ばたける世代に交代して…。

 人間の世界はそうやって、どんどん進化をしてきたのだろうか?と思います。

 そういう大きな宇宙の中の、同時に、大きな時間の中の、ほんのひとすじである自分を感じます。そして地球は本当に美しく、この惑星に生きていることの幸せを思います。

 これからの子どもたちはこうして、宇宙から生中継される地球を何度も見て、心の中に「まるごとの地球」を焼き付けていくのでしょう。

 いつか、人間は気がつくのかも知れないと思います。

 こんなに丸く、限られた場所の中に生きていて、それなのにある場所で食べ物を捨てながら、ある場所で人が餓えている。

おまけに、こんなに美しく、限られた場所なのに、どうして環境破壊までしながら実体のない「利潤」を追求しているのか?

 宇宙から見ると、実体のない「お金」に振り回されている人間の姿は奇妙です。

 早く気がついて、限りのある生産物や資源は地球上のみんなで上手に分け合うようになり、美しい地球のまま、未来につながって行かれますように。

 私の中で、そういう願いが照らされました。

http://www.nhk.or.jp/space/nagisa/

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2つの立場から書いています。

 このブログについて、ある方から少しご意見をいただくことができました。とてもありがたいことでした。

 そして少し反省しました。私はこのブログの中で、2つの立場から記事を書いています。そのことを表明していなかったことは、数少ない貴重な読者さんからしてみると、私の主張が伝わりにくくなる原因となっていたことと思います。ここで、表明いたします。

 2つの立場というのは、1つは普通の資本主義批判の立場です。そしてもう1つは、「エンデの遺言」にヒントを得た、地球上にまだ一度も実現してない、新しい経済体制を追求する立場です。

 1つ目の立場というのは、本当にありきたりな資本主義批判です。資本主義社会の中で、株式会社をとおして資産運用をしようとする人たちに、「運用はもう少し控えて下さい!」とうったえる立場です。

 ただしこの立場からの記事というのは、このブログの主題ではありません。

 それにもかかわらず、私がそうした批判を書いてしまうのは、私が自分の感情に負けてしまうためです。

 これはジブリのアニメに例えて言えば、ナウシカやシータが燃えている街を見ながら、思わず「やめて!」と悲鳴を上げているような状態です。

 資本主義社会に生きているのだから、弱肉強食の社会であることは当然です。それなのに思わず悲鳴を上げてしまうのは、私の心が弱いのです。

 最近は、あまりこの立場から批判をしていると、自分のエネルギーを消耗してしまうばかりだと気がついたので、これからは加減をしようと考えています。また、あまりこの立場に陥ってばかりいると、私にとってはある「不利な状態」を、自分で呼び寄せてしまいます。

 一方、もう1つの立場というのは、「エンデの遺言」にヒントを得た、地球上でまだ1度も実現されたことのない経済体制の追求です。こちらがこのブログの真の目的です。

 こちらはジブリのアニメに例えると、「天空の城ラピュタ」の中でパズーが、「父さんは、竜の巣の中でラピュタを見たんだ!」と叫んでいるような状態です。

 「エンデの遺言」は、いろいろな有識者の心にざわめきを呼び起こしながら、結局今でも、すっきりとした解明が見つかっていないようです。私はそれを、誰にでも理解ができるような、はっきりとした具体的な言葉で、解き明かしたいのです。

 私にはそういう望みがありますが、ただ、実際の私には社会や経済に関する知識も、また社会的な信用も、教養に裏打ちされた格調高い表現力もありません。私にできることは、中学生がノートを持って、商店や町工場を調査に行くように、地道に、そして具体的に考え、整理し、表現し続けていくだけです。

 望みを実現するために、私には協力してくれる人が必要です。

 そして私が必要とする情報を持っている人たちは、資本主義社会の中では、おそらく私がつい批判をしてしまうような立場の場所にいるのだと思います。私にとって、そうした人たちから嫌われてしまうことは、決して得策ではありません。

 もともと私は、資本主義という経済体制を批判はしますが、その社会における人の役割についてはあまり、良いとも、悪いとも思いません。悪いのは人ではなくて、人をそうした行動に導いてしまう経済体制の方だと思います。

 資本主義社会の中で、強者であろうが、弱者であろうが、どちらも資本主義という経済体制の中に「閉じ込められている」という点では、それほど違いはないと感じます。この経済体制からの突破口は、誰も見つけていないのです。

 この経済体制は、今のところ強者の目から見ても、弱者の目から見ても、正当なものであるかのように見えています。でもエンデは「この経済体制の中の『お金のシステム』が変ではないか?」と、遺していきました。

 パズーはシータとともに、竜の巣の中に飛び込んで行きました。

 私も、地球上でまだ誰も見たこともない、まったく新しい経済体制を、エンデの言葉をたよりに追いかけたいのです。

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資本主義社会における都市化と過疎化の原因

 離島から帰ってきた日、8月の東京は雷雨でした。

 羽田に到着した後、1時間もたたないうちに都会の騒然に巻き込まれていました。体の中から離島の静けさが抜け出ていくのは、本当にあっという間のことでした。最寄り駅に着いた頃には、すっかりたくさんの人とすれちがったエネルギーで、自分の外側がどことなく、ガサガサしているようにさえ感じました。

 「どうして人は、こんなにも窮屈な都会に集まって生きようとするのだろう?」。

 人ごみが苦手な私は、都会の雑踏を通り過ぎるたびに、そのようなことを思います。息苦しいほど人が集まって、狭い場所でぶつかり合うようにしてすれ違っている。私にはどうしても、快適な生き方であるとは思えません。

 資本主義社会について考える時、以前からこの「都市化」という現象が不思議でなりませんでした。どうして資本主義社会が発展してゆくと、人々は都市に集中し、その一方で地方が過疎化してしまうのか?

 今までにも何度も考えてみたのですが、どうしてもしっくりとくる答えが思いつきませんでした。

 外は大雨で、東京中が、灰色の雨雲に閉じ込められているようでした。

砂浜を歩いたサンダル履きで、重たいキャリーバッグを引きずりながら、駅の人ごみを通り抜けます。すれ違う人々は、おそらく強い雨に苛立っているのでしょう。時々、人とぶつかりそうになりながら、私もなんとかよけて進みます。

 駅のエスカレーターを降りて、外のロータリーに出ようとする時でした。激しい雨の音を聞いた瞬間に、どうしてか突然思いました。

 「資本主義社会で都市化が起こるのは、もしかしたら株式会社のせいではないか?」と思ったのです。

 資本主義社会では、利益や配当は実体のある生産物やサービスではなく、お金でなくてはいけません。たとえば1000個のトマトやナスで出資して、翌年に1100個のトマトやナスが収穫されても、それを100個の利益とは言いません。出資者は、トマトやナスを配当としてもらっても、納得しないはずです。出資者がほしいのは、トマトやナスではなくて、お金だからです。

 そうであれば株式会社は、生産物やサービスを、(物々交換ではなく)お金でたくさん買ってもらえる可能性が高い場所で経営をしなくては、株主を満足させられる見込みが低くなってしまいます。物々交換で経済活動を行っている場所や、売り上げの量が少なそうな田舎ではいくら経営をしても、お金での利益は大きくならないでしょう。

 もう少し、考えてみる必要がありそうですが…。

 でも、ずっと不思議でならなかった「資本主義社会における都市化」という現象についてもしかしたら、思考が前進したのかも知れません。

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そんなに焼けてません。

 八丈島は、東京から飛行機で1時間弱です。

 午前中にシュノーケリングをしてから午後に移動して、夜には東京のオフィスに戻りました。ちょうどその頃に、午前中の日焼けがほてってきて、肌がはっきりと赤く、同時にどんどん黒っぽくなりました。

 私は知りませんでしたが、職場では「真っ黒になって帰ってきた」という噂が、ひとり歩き状態で語られていたようです。

 そんなに黒くはなっていません。ちょっとだけ「色が着いた」という程度です。

 

 だいたい1時間ちょっとしか、海の中では遊んでません!

 (もっと遊びたかったです…。)(;;)

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八丈島

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 仕事で八丈島に行きました。

 八丈島は、私の大好きな経済小説「エンデの島」(高任和夫著)のモデルとなった島です。

 滞在中に、島の人2人に「この島は、小説のモデルになったことが、ありますか?」と、知らないふりをして尋ねました。1人はおそらく小説に登場していた場所と、縁のありそうな方でした。

 「そう言えばたしか、お金の…」と言って、記憶のどこかに残っているようでした。でもそれ以上語らないところを見ると、おそらく内容が理解してもらえなかったのではないかと思いました。

 「経済」に関わらずに生きられる人などほとんどいないのに、それなのに「経済」というものは、本当に遠くにあるのだと感じました。

 仕事がある日は、働きました。仕事が完了した後に、半日とちょっとの自由時間がありました。

 タクシーで、夕方の港や海沿いをまわってもらいました。

夜は、光るキノコも見に行きました。森を出れば、今にも降りこぼれそうな満天の星の下でした。天の川がきれいに見えました。

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東京に帰る日の午前中、持ってきたシュノーケル・セットで海に入りました。小説に書かれてあったとおりの、美しい海です。

都会派か田舎派かと聞かれれば、私は完全な田舎派です。銀座のデパートは退屈で15分と持ちませんが、離島の海岸ならば、お腹がすいてくたびれるまで、思いっきり遊んでいられます。

 海の中は、コバルトブルー、鮮やかな黄色、銀色の小さな魚たち。

たくさんの魚がのんびり、ゆったり、そして自由にのびのび、泳いでいました。

 私も仕事のことはきれいに忘れ、縮こまっていた背中を思い切りのばして、魚たちに向かって手を伸ばしました。日差しは透明な海の中に深く射し、魚たちのからだがキラキラ見えました。

 わずか1時間ちょっとですが、本当に贅沢な時間でした。

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