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2012年1月

本当の「経済」の世界のお話

 今月は、このブログを書いている私自身の気持ちばかりを書いていて、まだひとつも経済の記事を書いてありませんでした。

 

 今月の最後にひとつだけ、経済の記事を書こうと思います。

 

 でもべつに目新しい話題ではありません。経済に関心のある人ならば、誰でも知っているお話です。

 

 でもこのお話は、もしもこれから地球のお金システムに変革が起こり、エンデが見ようとしていた新しい経済社会に変わっても、まったく変わらずに通用し続ける、本当の「経済」のお話です。

 

 それは、アダム・スミスの「ピン作りの工程」のお話です。

 

 ひとつの工場の中で、職人が分業をして作業をすると、1人が全工程を仕上げていた時の総量よりも、大量のピンが生産できる、というお話です。

 

 工場の中で、分業をする前と、分業に変えた後の、労働に費やした時間は同じです。

 

 生産したピンの量が増えますので、使用する材料の総量は増えますが、人間が投入する労働時間はやっぱり1日で同じです。

 

 つまり、生産をする人間の能力そのものが高くなっています。

 

 ここには、1円(?)もお金の話は出てきません。

 

 でもこれが、本当の「経済」のお話です。

 

 お金は、分業の成果を交換する時に使っている、価値を表示する道具にすぎないので、その金額がどれほど大きくなろうが、小さくなろうが、社会に生産される生産物の量とはあまり関係がないのです。金額は単なる「目盛り」であって、有用性のあるピンではありません。

 

 「経済が発展する」ということは、お金で表される金額によって測定するようなことではなく、このような「人間の生産する能力が高くなる」ということによってのみ、言えることだと思います。

 

 この「ピン作りの工程」のお話は、新しい経済体制になったとしても、経済のお話の基本になると思います。

 

 このお話をもとにして、たとえば「もしも職人たちが相互に、競争状態にあった場合、このような分業体制はとれただろうか?」とか、「もしも職人たちが、その社会に必要とされる量のピンを1日のうち5時間で作れるようになったとしたら、職人たちはそれでも残りの3時間を使って、誰にも使ってもらえないピンを作り続けるだろうか?」とか。

 

そういう風に考えてみると、現代の社会の経済体制というものが、「なんだかずいぶん、おかしなことをしているんだな」と思えてきませんか?

 

私が「エンデの遺言」にこだわるのは、その先につながる経済社会が、人間の生産能力を最大限に発揮している社会になるからです。おそらく、地球上でまだ一度も現れたこともないような科学技術が進歩した、素晴らしい社会がおとずれます。

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「地球外目線」が全開です…。

 最近、20年以上も信仰し続けていた宗教を、とうとう退会してしまいました。

 

 どうしてそのような話をこのブログに書くかというと、このブログを書いている私の心境と、とても関係があるからです。

 

 信仰者にとって、「神さま」とか「真理」というのは、とても絶対的な存在です。それは理解などできなくても、「そうなのだ」と信じるよりほかにないというほど、絶対的な存在です。「真理」なのですから、もしもそれを否定してしまったら、災難とは言わないまでも、何か現実的な不調和が起こるかも知れません。

 

 でも私はそれを、ずいぶん迷いはしたのですが、「やっぱりこれだけやってだめなのだから、もう信じない」と言って、離れてしまいました。「神さまであろうが、真理であろうが、すじがとおっていないことは、信じない」というわけです。

 

 宗教の外にいる人から見れば、なんでもないことです。でもその思考を20年もかけて頭の中に刷り込んできた人間にしてみると、これはけっこう大変なことなのです。

 

 それで、とうとうそういう状況を通りぬけてきたわけですが、そうしたら、ひとつ前の記事に書いたような「地球外目線」が全開になってしまいました。

 

今はうかつに物事が書けません…。(^^;)

 

 神さまに「NO」と言ってきてしまった人間にとっては、地球上で人間が作ってきた思想に「おかしくない?」ということなど、はるかに簡単です。たとえそれが、地球上で何百年、何千年、信じ続けられてきたことであっても、です。

 

 だってこちらは、「神さま」ではなくて、単なる「人間」なのですから、当然間違うこともあるわけですし…。
(^^;)

 

 今の私には、お金に関して地球上で長いこと信じられてきたことというのが、まるで単なる宗教のように見えているのです。

 

 このブログを書く時に、私は自分でも「なんて偉そうな…」と、自分で戸惑いながら書くこともあるのですが、その理由はひたすらに、前の記事で書いたような「地球外目線」のためだと思います。

 

 「地球外目線」があると、地球の人たちが「こういうものだ」と理由もなく信じていることについて、単純に「そうだよね」という見え方ができないことがあるのです。地球の人たちの思い込みに、一緒に染まれないのです。

 

 私自身は決して、たいして頭の良い人間ではありません。ただ、見えてしまっているものは、見えてしまっているものなので、しかたがありません。だから、見えているままに書くしかありません。

 

 地球の経済学は私にとって、時々「宗教みたい」です。

 

 でも経済学の中でも好きな場面というのはちゃんとあって、大きなところではアダム・スミスとケインズはかなり好きです。

 

 ただし私が見ているアダム・スミスとケインズはこれもまた、おそらく経済学者が見ているアダム・スミスとケインズと、ちょっと違って見えているようですが…。

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「地球外目線」です♪

 最近ある人とお話していたら、「上から目線だ」と言われました。

 

 本当のことなので、「あ、言われちゃった!」という感じです。

 

 でも私の場合は正確に言うと、「上から目線」というよりも、「地球外目線」という方が正しいと思います。

 

 普通によく言う「上から目線」は、他人にたいして、「俺の(あるいは、私の)いうことをきくべきだ」と見るような言動を、「上から目線」と言うのだと思います。

 

 でも私の場合は、「他人は、私のいうことを聞くべきだ」とは思っていません。ほかの人が、私が良いと思うことをそう思ってくれなくても、その人にはその人の考えがあるのだから、しかたがないと思います。

 

 でも私はたしかに、子どもの頃から周囲の子どもたちと、ちょっとものごとの見え方が違っていて、「もしかして私は『上から目線』なのかな?」というところがあるのです。

 

 自分個人のことも考えるのですが、どうしてか常に、自分が属している集団全体のことを考えてしまいます。そして自然に、世界全体とか、地球全体というレベルでものごとを考えてしまうのです。

 

 それも、その集団を離れて、集団の外からものごとを見るように考えてしまうのです。

 

 ということは、地球に住んでいるにも関わらず、地球の外から地球を見ているように考えてしまうので、「地球外目線」だと思います。

 

 この「地球外目線」は、とにかく周囲の人々とものごとが違って見えていますので、時々危険です。

 

 地球の人々が全員で「そういうものだ」と思っていることを、平気で「それ、違うと思う…」ということがあるのです。そうするとまわりの人々は本気で、その物事を真実だと思っていますから、もしも無防備にそのようなことを口にしてしまったら?

 

 ちょっとやっかいです。

 

 子どもの頃から、この性格にはいちおう気をつけてはいるのですが…。

 

 でも最近は、「エンデの遺言」がだいぶ解明できてきたので時々ついうっかり、とんでもないことを考えている自分に気がついて、自分でストップをかけています。

 

 「地球の経済って、これって何かのゲームをしているんでしょう? まさか本気じゃないよね?」、みたいな…。

 

……。(^^;)

 

 地球にはものすごい数の人々が、本気で経済について考え、テレビの中でも語っているのですが、「地球外目線」にはまったく目にはいっていないらしいです。

 

 本人に言わせると、「だって、そう見えてしまうものは、しかたがないじゃない?!」ということなのですが、とにかく本人の円滑な社会生活のために、黙らせておかないと…。

 

 つまり、私です。私自身のために、「言葉を少し慎まないと」、ということです。\(^^;)/

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世界を、変えちゃおう♪\(^0^)/

 用事があって、ほんの数時間前は雪の中を歩いていました。

 

 寒いけれど、頭の中は「エンデの遺言」です。ひとつ前の記事で書いた、「エンデの遺言」のプレゼンのことを考えていました。

 

 「私がもしもプレゼンをするとしたら、そうしたら『地域通貨の理論』っていうものをうち立てたいな。地域通貨は失敗しやすいようだけど、それはやっぱり理論がしっかり解明されていないのに、いきなり実践をするかではないかしら?

 

 理論が打ち立てられれば、リーダーも参加者も、自分たちのしていることの意味がわかるから、もっと成功する確率が上がるはずだし」。

 

 私はなぜか雪道をひとりで歩いていると、頭が逃避行動を起こすらしく、経済について考えてしまいます。数年前にも、ひとりで夜の雪道を歩きながら、アダム・スミスのピン作りの工程について、考えていたことがありました。

「エンデの遺言」や、経済のことを考えていると心が楽しくなって、半分寒さを忘れられるからなのだと思います。

 

 「もしも私が地域通貨のプレゼンをして、地域通貨の理論が普及したら、今度は試験導入として、どこかの過疎地からはじめたらいいじゃない? それから今度はそういう過疎地同志でネットワークを組めればいいんだわ。そうすればいくら中央銀行マネーが暴走して、金融危機だのなんだの言っても、私たち生産者はひそやかに生産物の交換ネットワークでお買い物をして。それから新しい技術開発も必要よね。そうしなければ豊かにはなれないし…」。

 

 自分がいったい「何様」なのかはすっかり忘れ、妄想に夢中♪です。夢が果てしなく広がってしまって、寒いのになんだか楽しくてたまりません。

 

 でも自宅近くでようやく現実に帰って、大きな夢を小さくたたみます。

 

 「でもまぁ別に私は『世の中を変えよう』とか、そんな大それたことは思っていないし、ひとりでも、ふたりでも、プレゼンを誰かに聞いていただければ十分だわ♪」と。

 

 そんなところで、帰宅しました。

 

 それなのに私は今、世界を変えたくてたまりません!
 \(^0^)/

 

 ついさっきNHKの「プロフェッショナル」を見てしまったのです。今日はグーグルの開発リーダーの及川卓也さんという人でした。

 

 見ていたらいきなり「世界を、変えよう!」、です。

 

 「?!」

 

心の中にいきなり、漬物石を放りこまれたような気分です。番組に引っ張られてしまい、今はすっかり「世界を、変えよう!」な気分になってしまいました。(!)

 

 影響されやすい性格です。今夜はドキドキして、眠れないかもしれません♪(*^^*

*番組のリンクはこちらです。

http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0123/index.html

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やりたいこと

 現在の職業は研修講師です。

 

 最近ある会場で同僚のベテラン講師から、私の話し方が上手になったとほめてもらえました。会場の雰囲気のほぐし方が上手にできていたそうです。実際にその日の受講者さんは、楽しそうでした。自分では自覚がなかったので、うれしかったです。

 

 こういう楽しい空間と時間を作れるよろこびは、この仕事のおもしろみのひとつです。

 

 その日から、このようなことを考えるようになりました。

 

 私がこのブログを書いている目的は、かつての私のように、「私たちの世の中の経済って、どうせこんなもので、どうにもならないんでしょう?」と、あきらめている人に、「あれっ、もしかしたらそうでもないのかも?」と思ってもらいたいからです。私は「あきらめ」が苦手なのです。

 

 「どうせこんなもの」というのは、貧困があって、長時間労働があって、競争のために仕事を十分に楽しませてもらえなくて、大学院まで出ても、仕事に就けなかったりするような、ちょっとへんてこな社会のことです。就職難なんて、社会の労働力を無駄にしていることですから、とてもばかばかしい状態だと思いますが、地球ではずっとそういう経済が「あたりまえ」でした。

 

 だからちょっと大きくなった子どもたちは、楽しくないと思います。どうせどんなにがんばったって、自分はこの、貧困も解決できない経済の一部でしかないからです。

 

 地球の経済は、世の中の一部の人には楽しくても、世の中の大勢の人にはとっくに、もうその可能性をあきらめられているのだと思います。それは、「人間って結局こういうものでしかないんだね。これはしかたがないんだよね」という、人間の可能性についてのあきらめです。

 

 私の「エンデの遺言」解明作業はまだ途中ですが、私はこの作業を完成させることで、地球に蔓延しているこの「あきらめ」を覆したいのだと思いました。

 

それは、「世の中を変えたい」というほどの大きなことではなくて、ひとりでもふたりでも、誰かに伝えることができて、「あっ、できるかも?」と思ってもらいたいのです。

 

 いつか私が「エンデの遺言」の解明ができて、わかりやすい説明ができるようになったらどこかで、聞いて下さる人に見ていただきながら、プレゼンをしてみたいなと思いました。

 

 私がプレゼンをする前は、「地球の経済って、やっかいだよね」という表情をしていた人たちが、私のプレゼンを聞いているうちに、「あれっ?」とか、「あっ!」という表情に変わって下さって、「えーっ、もしかして、そういうこと?」と途中であぜんとして下さって。そして、プレゼンが終わった後には、「目からウロコでした。希望がわいてきました!」なんて、言ってもらえたら…!

 

 ちょうど現在している仕事の中で、「○○は使いにくいソフトウェアだと思っていたけれど、本当はそうでないことがわかって楽しかったです」と言っていただけるような感覚で。

 

 そうしたら、「もう幸せすぎて、たまらないっ!」と思います♪

 

 そんな、大きな夢(妄想?)を見ています。(^0^)

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今年の目標です♪

 年明けて早々、このブログを書く上で、「自分は誰に何を伝えたいのか?」を、改めて確認しなくてはいけなくなりました。そうして気がついてみると、このブログをはじめて2年が過ぎ、「誰に、何を?」という部分では、自分の中にぶれが出始めていることに気づきました。

 

 「エンデの遺言」を追い始めたのは、2007年の5月でした。それから4年半ほどもたっていて、私の中の理解もだいぶ進んできています。

 

 はじめは取り扱っている内容が大きすぎて、とにかく自分と同じように、経済のことなど何も知らなかった普通の人に、資本主義を終わらせる可能性について伝えたいと思い、ブログを書き始めました。「希望はあります!」と、知らせたかったのです。

 

 でも今は、だいぶ様相が違います。

 

 「エンデの遺言」を知ってもらうには、受け取ってくれる人の方に、3段階の理解が必要なのだと気づきました。だから私には3段階のそれぞれに、違う伝え方が必要です。

 

 1段階目は、通常の経済の仕組みです。税金、銀行、株式会社の仕組みなどです。これは、かつての私のように、まったく経済について知らない人に伝えたい説明です。

 

 そして第2の段階は、経済の仕組みに対する認識です。たとえば、株式会社が利益を追求することは、世の中にどのような出来事をもたらすのかなどを、なるべく中立的に考える段階です。

 

この段階までは通常の資本主義社会に対するお話であって、経済を知っている人にとっては、特別に目新しい話ではありません。ただここには、善悪の価値観が入りやすいので、話がちょっと面倒くさくなりがちです。

 

 株式会社が利益を追求し過ぎると、年越し派遣村ができたり、企業の安全対策が不十分となって鉄道事故や原発事故が起きたりすると思います。でも私はそれを、良いとも悪いとも言うつもりは、あまりありません。痛ましいことなので好きではありませんが、ただ「そういう仕組みなのだ」と思うだけです。そして、それが「資本主義社会の限界」なのだと思います。

 

 そして、そのあたりの論争は「エンデの遺言」にあまり関係がないのです。

 

 第3の段階ですが、ここからがおそらく「エンデの遺言」の本質です。「時間を凍らせないお金」とは、つまりシルビオ・ゲゼルの減価するお金などのことですが、そのお金がどうして、人間の世界を幸福に導いていくのかという理論です。私は学者ではありませんので、この理論は、言葉は易しくても構わないのですが、それだけにすじみちのたった説明でなくてはいけないと思います。

 

 この段階は、「モモ」の物語の中に出てくる、「時間どろぼうから、人間の時間を取り戻した」段階のお話です。

 

 最近、第2の段階まで、おそらく話が伝わっていると思われる人に、出会えました。ですので、少し間を飛ばした感じになりますが、今年は第3の段階に焦点を当てたいと思います。

 

 「エンデの遺言」の一番難しいところですが、一番魅力的で、美しい部分です。

 

 私にうまく表せるかどうかはわかりませんが、とりあえずは今年の目標です。

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龍の年

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 スピリチュアル・アートのレッスンを受けるようになったのは、2009年の11月です。先生は八坂圭さんという、絵描きさんです。

 このアート・レッスンは、不思議な描き方をします。

 まっ白な紙の上に、ブルー・ソーラー・ウォーターという水を全体に塗り、その上にアクリル絵の具で色を置いていきます。

 「何かを描こう」として描くのではなく、どのような絵になるのかは考えずに、心に感じた絵の具の色をのせていきます。そうすると水が絵の具をにじませて、紙の上の状態がどんどん変わります。

 何かを描こうとしても、水が絵の具を動かしてしまうので、こちらの意思がききません。どうなるか結果は考えず、心を水にゆだねるようにして、選んだ色を水にのせます。

 「これでいい」と感じるまで色をのせたら、かわかしてもらい、今度はその絵の一部を切り取ります。切り取った絵を先生に見てもらうと、どうしてかそれなりに「絵」になっていたりします。そして先生が、その絵について説明をしてくれます。

 アート・レッスンを始めた最初の半年ほど、私の心の中にはよく「大きな風」が吹いていました。心に感じるその風のままに筆を動かすと、絵の中にはぎこちない形の「龍」が見えました。

 この絵は2010年の5月に描いたものです。この不思議なブログのことを思いながら、「これから、どうしたものかしら?」と問いを持ち、心のなかに吹く風のままに絵筆をピシッ!と振りました。その時には、どのような絵になるのかは知りません。

 飛沫の中に、龍がいました。

 そして、いつのまにか今年、「龍の年」です。

*八坂圭さんのサイトはこちらです。
http://www.yasakakei.com/


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今年もよろしくお願いいたします。

新年のご挨拶を申し上げます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

元旦は曇りのために、初日の出の写真は撮れず、2日はせっかく富士山の近くまで行ったものの、富士山には雲がかかっていて、やはりお正月らしい写真は撮れず…。

帰りに寄ったサービスエリアでようやく、富士山メロンパンの焼きたてを買うことができました。

これが「お正月らしいかどうか?」は、その人によるかと思いますが。

私としては「富士山を手の上に乗せて、上からじっと見下ろして、さらにぱくっと食べてしまって、おまけにおいしい!」というのは、「気分が大きくなって、とてもお正月らしい~♪」と言うことで…。

今年もどこまで進めるかわかりませんが、マイペースで書き続けて行こうと思います。皆さま、よろしくお願いいたします。(^0^)/

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