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やっぱり、世界は変えなくていいと思います。

 1月23日には、NHKの番組にすっかり感化されて、このブログに「世界を変えちゃおう♪\(^0^)/」と書きました。
http://go-go-lemming.cocolog-nifty.com/okanetojikan/2012/01/post-cbfc.html

 

 でも2月3日の今日はもう、「べつに変えなくてもいいや♪」と思ってマス。^^;

 

 私はやっぱり「流れに逆らう」ということが、好きではないのです。

 

 地球を見ていると、「貧困はよくない」と言うけれど、それならば本気で貧困問題について解決しようとしているのかと見てみると、私にはそうは見えないのです。

 

 そのようなことを書くと、本気でボランティアとか寄付などの活動をしている人たちに叱られそうですが、私たちの経済はもともと、「貧困を作り出す経済」でしかありません。それが、現状の地球の経済の「流れ」です。

 

 その中で、下流から水を桶ですくって、上流に流し返すということをしてみても、それは流れに逆らうことであり、きりがないのだから、私ならしないと思います。それよりも、水の流れをもとから変えて、「貧困を生まない経済体制」を考えた方がいい。

 

 エンデが見ようとしていた経済社会は、私の中でほとんど完成していて、私は今、表現する方法に困っているだけです。本当は、表現する方法を探るために、どなたかに議論につきあっていただきたいと思う状況です。

 

 今はもう、私の中にあった「情熱」のようなものが静かに落ち着いて、それほど激しい思いはわきません。私は知りたかった間だけ、激しく燃えていたようです。

 

 知ってしまったら、静かになってしまいました…。

 

 私自身は、痛ましい出来事は極力見たくありません。でも人間の心というのは、けっこう不思議なものだとも思うのです。

 

貧困が存在することで、自分の中に愛があることを確認している人たちも、存在すると思います。何かと戦うことで、自分の中の正義が確認できるという人たちも、いると思います。その人たちには自覚はないとしても、人間には、そういう「学び」のようなものも、あると思うのです。

 

この世の不条理を正すことで、人間の知恵を確認するという人たちも存在していて、おかしくないと思います。

 

ボランティアとか、そういう人たちの活動を否定するわけではありません。ただ自分の中に、そういう方向の情熱が湧かないだけです。

 

 私が今、見たい愛は「静かで、柔軟で、知恵がある愛」です。

 

 今はただ、自分が生きている間に、エンデが見ようとしていた経済社会のことを、ひっそりと何かに書きつけてゆければいいなと思います。やっぱりひとりでも、ふたりでも、私が見たことを伝えてゆければ、満足です。

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コメント

こんにちは。
“それよりも、水の流れをもとから変えて、「貧困を生まない経済体制」を考えた方がいい”。私も全く同感です。貧困問題のみならず、環境問題や戦争の問題なども、現在の経済システムが原因となっている面がかなり大きいと思います。
それもこれも、本来活動力の交換の機能さえあればよい「お金」といものが、価値の貯蔵や利息の取得など、不当に強大な力を持ってしまっているからだと思います。
みほれみさんの記事には、ハッとさせられることも多く、ボチボチで結構ですので、何か思うところを書き綴っていただければと思っています。
今後とも楽しみにしております。

投稿: こうぺ | 2012年2月 4日 (土) 10時25分

こうぺ様

ありがとうございます。

記事を公開した後になってから、「このようなことを書いてしまっては、世の中の貧困対策の活動をしている人たちから、嫌われてしまう…(泣)」と、ちょっと後悔が入ってしまったところでしたので。

コメントをいただだけましたことを、本当にうれしく存じます。

きっと、貧困対策をしている人たちも本当は、本当に「本気」なのですよね。そうでなければ、わざわざ自分の力を注ぎ、時間をかけてまで、そうした活動に力を注ぐはずがないのですから。

「お金」というものが、あまりにも絶対的なものとして長い間信じこまれてきているので、それが何かということをあらためて考えるということもないほど、自明のこととして固まってしまっているのだと思います。

私の文章から、少しでも何か感じとっていただけましたら、本当に幸いです。

最近は心に思うことが少し過激?になってしまい、書きながら自分でもはらはらしてしまうこともあるのですが、やはり少しずつ、表現し続けてゆきたいと思います。

どうもありがとうございます。(^0^)

投稿: みほれみ | 2012年2月 5日 (日) 00時31分

私も自分のブログでちょっと同じこと考えてました。
例えば反捕鯨運動家は本気で捕鯨をなくそうとしてるのか?本当になくなっちゃったら、じぶんのやりがいもアイデンティティーもなくなっちゃうじゃないですか?
同じことがほかの環境問題、貧困問題にも見えるんです。
貧困に苦しむ人は本当にお金がないのではなく、パチンコ依存症とか、消費依存症だったりします。
お金を個人の私物じゃなくて社会を循環させる血液として捉えれば、どんな経済システムでも貧困はなくせるかもしれないです。

投稿: azalea3 | 2012年2月12日 (日) 20時12分

azalea3さま

貴重なコメントをどうもありがとうございます。

コメントをいただいたことがきっかけとなって、自分で認めざるを得なくなってしまったのですが、私がどうして「世界は変えなくてもいい」と思ったのか、その理由を正直にお話いたします。その理由の半分は、まさにazalea3さんのご指摘のとおりです。(スミマセン!)
こちらの記事をご覧いただければと思います。
http://go-go-lemming.cocolog-nifty.com/okanetojikan/2012/02/post-d5b6.html

貧困に苦しんでいる人については、私はやはり「貧困から脱出したい」と思っていると、思います。

ギャンブル依存、買い物依存、ほかにもいろいろと外からは理解できない行動もあると思いますが、人間の心という視点から考えてみますと、人間は一度自分にたいして「自分はこういう者なのだ」という固定観念ができしまうと、なかなかそれを自力で覆すことが難しい存在なのだと思います。

コメントをいただいて気がつきましたが、世の中をよくするための経済のデザインを考えることは、まだ易しいことだったのですね。それよりも問題なのは、先に進まずに、現状に留まっていようとする人間の心の方なのだと思いました。

ありがとうございました。(^^)

投稿: みほれみ | 2012年2月14日 (火) 22時43分

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