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「商業」と「お金儲け」は別のことです。

 子どもの頃、誰か大人の人から聞いたお話です。

 

 「江戸時代の『士農工商』という身分の分け方の中で、商人が一番低いのは、農業、工業をやる人は何かを作るけれど、商人というのは何も作り出さずに、お金ばっかり儲けるから、形だけ一番下におかれたんだ」という俗説です。

 

 「商人は、お金儲けばかりをして、何も作らない」というのです。

 

 でもこの説明がおかしいということは、大人になって、自分で経済について考えてみれば、すぐにわかります。商業は、新しい形あるものは生産しませんが、消費者にとっての便利さを提供しています。商業は「形」を経ずに、直接「価値」を生産しているのです。

 

 もしもこの世の中に商業というものがなかったら?

 

 私は野菜と魚がほしい時、自分の家から農家の生産者のところに出かけて野菜を買い、海辺の漁師町まで行って魚を買わなくてはいけません。商業がなければ、スーパー・マーケットがありません。商業は、生産者と消費者をつなぐ働きをしています。

 

 だから商人がその働きの分として、仕入れ値と売り値の差額をもらうのは、当然です。商人はちゃんと「仕事」を提供して、その報酬としてお金をもらっているからです。

 

 本当に簡単なことですが、でも私たちの社会では、このことをよく認識できていないと思うのです。

 

 昔の商人には、あまりに商業のセンスがありすぎて、その結果「大金持ち」になってしまう人もいたようです。

 

 でもそれは、その人が強欲だから「大金持ち」になってしまったとは限りません。もしかしたらその人が、「その時代にちょうど良いタイミングで、人々が欲しているものを、ちゃんと買い付けてきて、売ってあげた」という、仕事の結果であるかも知れないのです。その人に、その時、世の中が望んでいる品物を察するセンスと、提供してみせる能力があったのです。

 

「お金が儲かった」というのはただの結果であって、その人がした仕事は、「品物の移動」です。

 

 「商業」と、「単なるお金儲け」の違いは、商業の場合は、その人が品物を移動させてあげた結果、世の中の誰かが、それまでよりも幸せになります。

 それにたいして「単なるお金儲け」だと、その人の行為の結果、その本人だけが幸せになり、そのほかの人は、あまり幸せになりません。

 「単なるお金儲け」だと、世の中に何も新しい「価値」を生み出さないからです。

 

 たとえば何かを買い占めて、世の中の人を困らせながら、お金を儲けるという行為は、商業ではなくて、「単なるお金儲け」です。これは「商業」ではありません。世の中に何も、便利さ幸福を提供していません。

 

 すごく簡単なことですが、でもこのことがきちんと理解されていないために、私たちの社会では、商業とか、組織の経営といった行為の価値を、きちんと認識できていないような気がするのです。

 

 shine「きれいなものが、きれいであることに気がつけない」という状態は、人間にとって、とても残念なことだと思うのです。shine

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