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経済学者だから、わからない。

 一時期「エンデの遺言shine」は、世の中を良くしてゆきたいと思っている、かなりの人たちの間で話題になったはずです。そしてその中には、もちろん経済学者や経済の専門家という人たちもいたはずです。

 

 でもその中の誰も、エンデが示唆していった先を、見つけることができなかったようなのです。少なくともネット上に、すっきりと解明されているサイトは、なさそうです。

 

 経済学者や経済の専門家でも解明できなかったお話なのに、どうして、私のような、たいして頭が良いわけでもない人間が、あっさり解明できたのか?sign02

 

 (少なくとも私は、自分では「わかった!shine」と思っています。ただ今のところ、誰にも話せる状況がないので、自分の中であたためているだけではありますが。)

 

 ここまできて振り返ってみると思うのですが、この内容は経済学者の方が、理解がしにくいことなのだと思えてきました。経済について知っているということが、逆に、私が見ているような世界を見ることの妨げになるのだと思います。

 

 結局こういうことなのですが、経済学というものは、もともと「お金」というものを絶対視した上で、お金、金額、値段という数値から、考え始めていると思います。dollar

 

 ところが経済というものは、お金や金額という世界にあるものではなくて、人間が実際に作っているジャガイモや、ニンジンや、お米や衣類や労働力など、そのほかにもいろいろな生産物がある世界の方に、存在しているのです。

 

 その中でお金は、ある役目を果たしてはいますが、決して「経済のそのもの」というわけではありません。

 

 だから本当は、経済というものを数値化するということは、とても難しいことであって、たとえばジャガイモ何トン、そのためにかかった人間の人数や労働力はどのぐらいで、生産されたジャガイモのうちのどれだけが消費され、どれだけが消費されずに減価または廃棄されたのか? 投入した労働力の量に、無駄はなかったか?、など。 

 

 ここに出てくる数値は、すべて重量であったり、人数であったり、時間であったりして、無理やり金額に換算しても、ほとんど意味をなさないことばかりです。libra

 

 でもこのように、具体的な何かを必要なだけ作り、分け合い、完全に使い切るということこそが最善の効率であって、「経済的shine」であるということです。

 

 経済学を勉強してしまうと、おそらく先に数字の世界dollarにとらわれてしまい、こうした現実的な世界の出来事が見えなくなってしまうのではないかと思います。

 

 このことについて、私は一度、会計の専門家という人に聞いてみたいと思うのですが、「会計は写像である」という言葉をよく聞きます。

 

 ある本ではこの言葉について、「鏡に映っている犬の姿」の挿絵がありました。

 

財務諸表は、鏡の中に写った犬の姿のことであり、会計の写し取り方によって、その姿がゆがむのですが、犬の方は鏡のこちらがわにいる、犬そのものです。(という意味で、合っているのかな?、と一度専門家の方に聞いてみたいのです。^^;)

 

 私が解明した(つもりになっている)お話も、そういうところがあって、経済学という世界は、鏡の中に写った写像の方を研究しているのです。それにたいして本当の経済活動というものは、鏡のこちら側にある、人間が生きていて、体温を持っていて、そして常に変化し続けているという、現実の世界の方がそうなのです。

 

 でもそのことは、一度経済学を勉強してしまうと、もうわからなくなってしまうのだと思います。金額によって数値化された写像にとらわれてしまい、現実の世界に起こっている出来事を、忘れてしまうと思います。

 

 だから「エンデの遺言」というお話は、経済学者の方が、解明しにくいと思います。eyeglass

 

 一度、経済学という世界から一歩引いて、経済学の基準になっている「お金」というものが、「そもそも何だっただろうか?」と考えてなおしてみると、一段視野が大きくなるので、そうしたら現実の経済活動というものも、視界に入ってくるのかも知れないと思います。shine



追記です。(2012年3月2日)

 

 この記事の青い文字の部分は、「少し、書きすぎてしまった」と翌朝になってから、本人も思いました。経済史の授業のことなどを思い出してみると、モノ作りのお話ばかりで、ノートをとることも大変だったという覚えがあります。人口とか、人の移動とか、生産技術の発展とか、ちゃんと経済学も、実体の世界の研究もしてました…。^^;

 

 でもきっと、この2つの世界の関係について、きちんと区別と整理がされていないまま、語られているのではないか?とも思いました。いつか整理したいです。

 

 

 

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コメント

みほれみさん

経済学者以上に、我々会計士の方が、金額によって数値化されたものでしか考えられなくなっているかもしれません(笑)

“財務諸表は、鏡の中に写った犬の姿のことであり、会計の写し取り方によって、その姿がゆがむ”とうのは、そのような理解で特に問題ないのではないでしょうか。

財務諸表は、経済活動・事象を一定の会計上のルールのもとに貨幣額でもって認識・測定したものを集約した(写し取った)結果です。
ただ認識・測定の仕方により数値が変わってくる場合もあります。
みほれみさんも経理のお仕事をご経験されているとのことですが、例えば減価償却でも定額法と定率法があったり、会計方針の違いによって数値は変わりますもんね。
このことが、“写し取り方によってその姿がゆがむ”ということなのでしょうか。

“経済学という世界は、鏡の中に写った写像の方を研究している”というのは若干言いすぎかもしれませんね。
本来的には、経済学は、現実の経済を分析する学問なはずです。
しかし、実際には、経済学では、経済事象をモデル化(=数式化)するために様々な仮定をおいて単純化して分析を行うので、現実の複雑な経済事象を捉えきれていませんよね。
みほれみさんが「だから本当は、経済というものを数値化するということは、とても難しいことであって・・・」とおっしゃるとおりです。
ですので、経済学者は、モデル化・数式化・数値化ばかりに関心が向かってしまい、人間の複雑な生の活動のような数値化しにくいものは考えることができなくなっているのかもしれません。

以前のみほれみさんの記事でも、「輸入したものの方が金額的には安い場合があっても、実際には多くの人手や時間や燃料が
費やされており、本当に経済的であるとはいえない」というような内容ががあったかと思いますが、まさにその通りだと思います。

ここが多くの人の盲点になっていますね。
政治家・財界人・専門家・マスコミ、みんなです。

活動力をベースに考えることができず、お金を基準としてしか判断できない。
活動がなければ、お金なんかどれだけあっても何の価値もないのに・・・・

このことを理解してないゆえに、とんちんかんな政策が実行され、とんちんかんな報道がなされます。
本当に大切なことが理解されていない。

私も大手の監査法人で仕事をしていますが、このようなことを理解している人はほとんどいないようです。

みほれみさんの理解の方が、専門家の理解よりも間違いなく深いと思いますので、どうぞ誰にも遠慮なく発信を続けてくださいね ^^!

“このように、具体的な何かを必要なだけ作り、分け合い、完全に使い切るということこそが最善の効率であって、「経済的」であるということです”

このようなことを早く多くの人が理解できるとよいですが・・・

長くなってしまいましたが・・・

投稿: こうぺ | 2012年3月 1日 (木) 14時03分

こうぺ様

いつもありがとうございます。
とても励みになります。

>そのような理解で特に問題ないのではないでしょうか。

やはり専門家の方のご意見をお伺いできますと、安心いたします。
本当にありがとうございます。m(_ _)m

>“経済学という世界は、鏡の中に写った写像の方を研究している”というのは若干言いすぎかもしれませんね。

はい。おっしゃるとおりでした。^^;

翌日の朝になってから、ちょっと言葉をはしょりすぎてしまったと思いまして、「少し書き直さなくては」と思いました。文章を長くしたくなかったので、言葉を削っていたら、ちょっと極端すぎる表現になってしまったものです。

すでにもうこうぺさんにご指摘いただきましたので、このあたりはいずれ別の機会に、もう少し適切な表現を探ってみようと思います。お早いコメントを、ありがとうございました。

>経済学者は、モデル化・数式化・数値化ばかりに関心が向かってしまい、

そうなのかも知れませんね。
そして、そのように考えてみますと、学者だからこそかえって、世の中の、感覚的な人たちがしているように、複雑で不思議な変化を、ただじっと見つめながら、何かが受け取れるまで時間を待つということが、起こらないのかも知れないと、はじめて思いました。

そうなると、学者や経済の専門家という人たちが、このエンデの示していった内容を解き明かしてくれなかったことについて、私は何も言えませんね。

>活動がなければ、お金なんかどれだけあっても何の価値もないのに・・・・

そうなんです! そうなんです! 本当にそこなのです!
そのことに気がついていてくれる人が、一人でも二人でも増えてきてほしいと思います。

こうぺ様がすっかりその部分を、おそらく私と同じぐらい、はっきりと見ていらっしゃるので、私はとてもうれしいです。

会計士さんだったのですね。
私のブログの中では、会計という世界は、とても重要な部分になります。

実体のある経済活動の世界と、お金の世界との結節点は、経済学の中ではあいまいですが、簿記の中でははっきりと見えてくると思います。ですので、ご意見をいただけますことが、とても心強く感じます。

このブログに関しては、私はほかの人のご意見をお伺いする機会がほとんどありませんので、長いコメントも大歓迎です。
これからも何かございましたら、お伝えいただけましたら幸いです。

いつも本当に、どうもありがとうございます。(^0^)

投稿: みほれみ | 2012年3月 3日 (土) 09時00分

みほれみさん

コメントをありがとうございます。

私も、お金と経済のしくみの「肝」の部分については、みほれみさんと同じような認識を持っているのではないかと思っています。

なかなか周りにはその部分を見えている人がいませんので、みほれみさんの記事は、あぁやっぱり同じように見えている人もいるんだよ!と、私の方こそうれしいのです。

会計士は、個別の財務諸表ばかり見ていますので、マクロの話やお金で表すことのできない話は苦手なんでしょう。


簿記こそまさに経済活動・事象を貨幣額でもって記録していくものですね。

ただ、貨幣額で表された会計上の数値というのも怪しいものなんですよね。
例えば、貸借対照表の「資産」として預金や有価証券などが載ってきますが、これって本当に「資産」と言えるのか。

もちろん、活動力(財やサービス)なしには預金や有価証券だけで何か価値があるわけではない、という捉え方もできますが、ちょっと違う角度から見ても怪しい。

預金は、実際は、銀行にて貸し出しや公社債投資などに使われており、どこかの貸出先で機械装置や建物などの実物資産として計上済みなはずです。

同様に、有価証券も、例えば株式は、企業の純資産の持分比率を示す証券であり、投資先企業の方で実物資産として計上済みなはずです。

このようないわゆる「金融資産」は、実際はどこかの実物資産に対応しており、資産としては帳消しされるべきなのに、本当に「資産」と言えるのか。

まぁ、こんな話をする会計士はまずいないと思いますが(笑)
(私は理系(工学系)出身で、もともと会計とは縁もゆかりもなく、違った角度から見ることができるのかもしれません)


みほれみさんの、何ものにもとらわれない、ご自分自身の頭で考えられた、気づきの数々にはこちらも大変勉強させられます。


今後とも記事を楽しみにしております。

投稿: こうぺ | 2012年3月 3日 (土) 22時21分

こうぺ様

ありがとうございます。

そうなんです!

「お金について、このような見え方をしているのは、もしかして世の中で私だけ?」というところが、実はとても心細かったところです。

ほかにも同じような見え方をしている人もいるのだと知ることは、とてもうれしいことですね。noteそして世の中には、まだもっとほかにも、そういう人が存在しているのかもしれないと思います。shine

簿記については、私は本当におおまかな部分と、限られた勘定科目しか経験がありません。

いずれはしっかりとした知識をつけたいと考えているのですが、今はとにかく、このブログの「骨になる部分」を固めたくて、そのあたりで手一杯になっております。

私の場合、難しい勘定科目や考え方、商業上の習慣、投資などについては、ほとんど知識がありません。ですので、コメントの後半部分について、今はまだ理解ができませでした。申し訳ありません!

いずれは、きちんと理解ができるようにがんばります。

私は書いている内容や書き方が生意気なわりに、不勉強ですよね。^^;
いずれは、ちゃんとプロフェッショナルの方たちとも、きちんとお話ができるように、強化してゆきたいと思っているのですが…。

でもそうしたことも、外の方からご指摘いただかないと気づけないことばかりですので、今はとにかくうれしく思います。
ありがとうございます。shine

投稿: みほれみ | 2012年3月 4日 (日) 13時28分

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