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結論です。(その12)エンデの「モモ」に立ち返る。

 エンデの「モモ」の物語の中で、モモが時間どろぼうにうちかつシーンのクライマックスは、モモが持っていた時間の花を、最後の時間どろぼうに渡すか、渡さないかでした。

 

 モモは、渡しませんでした。

 

最後にひとり残った時間どろぼうは、「いいんだ―――これでいいんだ―――なにもかも―――おわった――」とつぶやいて消えてゆきます。

 

 「時間の花」とは何なのだろう?と、このブログを書きながら何度か考えました。

 

 カシオペイアにうながされて、モモが時間どろぼうの貯蔵庫をあけると「ガラスのようにこおりついた無数の時間の花」が解放されます。エンデはこの花について、「なん十万、なん百万という人間のいのちの時間shine」と表現しています。

 

 「時間どろぼう」について、エンデはマイスター・ホラの場面で、「人間の姿をしているもの」、また「ほんとうはいないはずのもの」と表現しています。「死んだもので、いのちをつないでいる」とも表現しています。

 

 エンデの表現は、ひとつの言葉が和音のように、多重の何かを表現しているような気がしてしまうので、何が正解なのかはわからないと思います。

 

 でも私は、言葉のかけらをつぎ合わせるようにして、次のような出来事を見出してみたいと思います。

 

 お金は、人間のいのちをつないでいるものであり、「いのち」とは、人間が生きている時間のこと。人間は、自分の生きている時間は、自分の意思で時間を使えなくてはいけないのに、時間どろぼうの存在をゆるしてしまったために、自分の意思では時間を使えなくなっている。

 

 仕事は本来その人らしく、その人の速さで、愛情をこめてなされるべきものなのに、時間どろぼうの存在によって、せかされている。

 

 「時間どろぼう」とは、本来数値でしかないお金が、人間の「仕事」の価値と同等に、その存在の価値を主張しはじめた、「お金がお金を生む」とされている、資産運用のこと。まるで「生きている存在」のように、時間どろぼうの仕事は活動的で、お金は無限にどこかにしまわれていくが、その時に人間の生活は、仕事の報酬が増えなくなり、幸せを感じるはずの時間が失われ、物質的な豊かさの中で、どんどん生活が「うすっぺら」なものになっていく。

 

 お金をただの数値だと見なした時、時間どろぼうは「時間の花」を失い、消えていく。そして人間の、「自分の意志で使える時間shine」がもどってくる。

 

 こんな感じです。

 

★★★

 

 物語の中で、「時間」について、「一種の音楽」なのではないかとモモは考えます。shine

 

 「そうかもしれない」と、私も思います。

 

 音楽には、それぞれの曲に合った速さがあり、なんでもかんでもただ「速ければいい」というものではないからです。人間の仕事や生活もそうで、一番良い生活の仕方や、働き方ができる速度というものがあると思います。

 

そうしてそれぞれに合った適切な速さで、誇りを持って、それぞれの生活と仕事をしている時、人間は楽しさと幸せを感じると思うのです。

 

shine

「道路掃除婦ベッポの働き方が、好きだ」と言う人は、多いと思います。

 

この物語を、気をつけて読んでみると、エンデが「仕事」というものに、何度も注意を寄せていることに気がつきます。

 

エンデはただ、「人間の自由な時間がたくさんもどってくればいい」と考えていたわけではなくて、人間の「仕事」というものを、とても大切に考えていて、働く人たちの「尊さ」のようなものを、とても大切にしたかったのだと思います。

 そのことはベッポが、モモの身の代金を稼ぐために、せかせかと、仕事への愛情など持たずに、ただただ時間を節約するためだけに、働かざるを得なかった時の表現に現れています。

 
「こういう働き方をすることで、彼はじぶんの心の底からの信念を、いやこれまでの生き方ぜんぶを、否定し、裏切ったのです。それを考えると彼はじぶんのしていることがたまらなくいやで、吐き気がしそうでした。」

 この表現を読むと道路掃除婦のベッポがそれまで、どれほど自分の仕事に誇りを持って働いていたのかがわかります。そしてエンデの思いもまた、伝わってきます。

 
そのようにしてふり返ってみると、このお話は本当に「経済のお話だった」と、言えると思います。

 

★★★

 

この一連の記事を書くことで私は、資産運用をしている人たちを批判したかったのではありません。

 人間がまだ「形のあるお金」しか作れなかった時代には、お金はとても大切なものだったので、金利や資産運用という発想も、十分考えられることだったと思うのです。


でも今、人間が電子マネーの技術を手にした現在、このあたりで、この「お金」というものについて、もう一度「見直し」があってもいいのではないか?と思います。

 

そうすれば、世界のどこかで困っている人たちが、たくさん救われるかもしれないと思います。

★★★

最後になりましたが、文中で何度も出てきた「生活循環」という言葉は、もともとは生活経済学、労働経済学、消費経済学の世界の言葉だそうです。

 

私は自分で考えた図だと思っていたのですが、大学の授業の中で、先生が黒板にその図を書いていらした時に、とてもうれしかったのを覚えています。

 

私はブログの中で少しアレンジしましたので、もともとの大学のノートと、私がアレンジしたスライドを提示しておきます。

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 まだまだ中途半端な状態で、読みにくい文章だったと思いますが、この一連の記事を、最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。心より、感謝申しあげます。

*文中の「モモ」の引用は、岩波書店発行「モモ」、大島かおり訳によるものです

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