星が見える場所
前述の大学の入学式に行ってきました。
せっかくブランド目的で入学したのだから、こうしたイヴェントはちゃんと参加しておかなくてはと思います。
でも行ってみたら、ブランド以上の出来事に出会えました。
大学のトップの方のお話です。私の想像もしていなかったような、お話でした。
メモが不十分で、私の言葉に置き換えてしまいますが。
学問には、その時代に合わせた、その時の社会の役に立つ学問と、また、時代が変わり、社会が変わっていっても対応してゆけるような、長期的な視野の上に成り立っている、基礎的な学問があるというお話です。
そして長期的な視野によっている学問は、研究がされているその時には、社会から認められないということも多いというのです。
お話の中にはケプラー天文学から産業革命への関わり、ガリレオ・ガリレイのお話なども出てきました。学者は将来の社会を見据えて、それでも発言をするべきだというのです。
ガリレオ・ガリレイは地動説を主張したために、異端審問にかけられています。
そして私が関心を持っている「エンデの遺言」は、まさに「天動説から地動説」ほどの、大きな、認識の転換です。
学生の席でお話を聞いていた私は、いつの間にか想像力が全開になってしまい、心がどこかに飛んでいってしまいそうでした。
15世紀から17世紀、世の中がまだ天動説を信じていた時代、動いているのは自分たちの足元の方だと気づいてしまった人々がいて、誤った真理が喧伝されている社会の中で、その人たちはそれでも、正しく星を見つめ続けていた。
そうして認識された真理が、後の時代の人々の、社会を支える力となったのです。
このお話は、私学だからこそのお話でもありました。
ブランドに魅かれて入学を決めてしまった私ですが、ブランド以上に魅力的なものが見つかったことに気がつきました。この大学には、「星が見える場所」があるのです。
頑なで、自らの内にある光も見ずに、騒々しく論争が交わされる社会の上にもそびえるように、時代を超えても変わらない星空を、静かに見つめていられる場所があるのです。
それは敷地内の物理的などこかということでなく、人の中にある場所でした。
自分の中の「エンデ」はともかく、「この大学にご縁があってよかった」と、その時ようやく、素直に思いました。お友だちもできそうな気がしますし、案外楽しくなるかも知れません。
でもだからと言って、突然お勉強を好きになれるというわけでもなく…。
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