« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月

Festina lente.

Festina lente.shine

 

「フェスティーナー・レンテー」と読んで、ラテン語で「ゆっくり急げshine」という意味だそうです。(解釈はいろいろあるそうです。)

 

私は今、「急ぐ」ということができません。

 

心のエネルギーが下がり過ぎていて、この忙しい資本主義社会の中にも関わらず、カメのようにゆっくり、自分だけの時間の中を歩くしかありません。

 

目の前をどんどん流れ過ぎてゆく求人情報も、今は、流してゆくしかない時があります。頭は焦るけれど、自分はまったく「急げない」のです。

 

 そういう時間の中で、幸い、外界と自分がきれいに区切られていますので、怖いと感じることは意外となく、自分の中の時間を信じて生きるしかありません。

 

 外界とつながればまた、激しい時間の流れの中で力を入れ、大量の刺激を受け止めながら、しっかりと立たなくてはいけません。

 

そうしたらまた、私の中の「傷」は置き去りにされたまま、いつかまた私の外側の、社会的な生活を壊してしまうと思うのです。

 

資本主義社会は本当に忙しいけれど、心の世界や、自然の世界では、必ずしも時間は「速ければ速いほどいい」というわけではないのかもしれません。

 

たとえば、子どもや動植物が成長する時間。

 ワインを熟成させたり、調理やそのほかの、科学的な変化を待つ時間。

 傷を癒すこと。

 大地が再び芽吹くこと。

 残留放射能が減る時間。

 

そして人間の心の中に、起こること。

 

自分への確実な自信を築くこと。

 

誰かと関りを深めること。穏やかな信頼を安定させること。

私たちの世界には、自然に沿った、いろいろと適切な速度の時間があるのだと思います。shine

 

自分がどうして今、急げないのか、自分でも理由はわかりません。

 

でもこうして、まったく、ゆっくりとしか生きられない時間の中で、私の心のどこかにある、「古い傷」が、ゆっくりと修復されているのだと、信じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ギフトカード

 親戚からの内祝いに、ある大手スーパー系列のギフトカードをもらいました。

 

 幸い近所にいくつか店舗があるので、食料品や日用品を買うのに、ちょこちょこ使っています。

 

 ただちょっと困るのは、そうした店舗はアルバイトやパートの人がレジに入っているので、時々レジで、そのギフトカードの処理の仕方を知らない店員さんが、担当している場合があるということです。

 

 すでにもう何回か、そういうことがありました。

 

 そして、そういう時は運が良ければ、店長さんとか、ほかのパートさんが知っていたりして、私の前でその人に教えてあげて、処理をしてくれます。

 

 「ああ、それはクレジット・カードではなくて、ギフトカードだから、その時はこのボタンを押して、それからね…」という感じです。私はいつも横で見ながら、待っています。

 

 そうしたら、今日も担当のレジの方が、いかにも不慣れな感じでした。

 

 それで私の方もなんとなく先に察して、「あの、ギフトカードなんですが…」と言って、カードをレジのトレイに出しました。

 

 やはりちょっと、うろたえている様子です。

 

 そこでつい、「あの、そこにある『ギフトカード』っていうボタンを押して、それから(カードを)そこのカードリーダーにとおすみたいなんです」と、思わず言ってしまいました。

 

 そうしたら焦っていてボタンの場所もわからない様子だったので、つい「あの、ほら、ここの並びの、そのボタン…」と言って、すっかり「教えて」しまいました。

 

 うまく読み取ってもらえました。

 

 「ああ~、ありがとうございます!」と、お礼を言っていただけました。
(^^)

 

 うまくいったのはいいのですが、これからこういう場面では、いったいどうしたものか、ちょっと困っています…。sweat01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

換気扇

 換気扇の調子がおかしくなってしまったので、大家さんにお話したら、翌日には電気屋さんを手配してくれました。

 

 新しい換気扇は前のよりも薄型で、今までよりもお部屋がちょっと広く見えます。

 

 工事に立ち会って下さった大家さんは、「あら、すっきりしていて、うちのよりもいいわね」と言っていました。

 ありがたいことです。

 「あ、どうも♪」とか言いながら、お家賃滞納などということがないように、早く自分を修復して、社会復帰しなくては…、と思います。

12083_

| | コメント (0) | トラックバック (0)

良かったことも…

 とても堅っ苦しくて、ちっともオモシロクナイ経済学を勉強することになり、(とは言っても、まったく自分のせいなのですが…、)「全然楽しくない!」と思っています。

 

でもちょっとは、良かったこともありました。shine

 

 たとえば「効用」、「トレードオフ」というような考え方について、改めて、認識しなおしたことなどです。

 

 たとえば「効用」の方ですが、現在の私は失業中のため、節約生活をせざるを得ない状況です。そうするといやでも買い物の都度、考えざるを得ません。

 

 「本日の予算がこれだけで、その中でこの商品A(抹茶あんみつ)と、商品B(白桃のジェラート)の値段はほぼ同じだけど、どちらの方が「効用」(食べた時のおいしさ、お役立ち度)が高いかしら?」とか。

 

 さらに言えば、「両者の関係は『トレードオフlibra』よね」、みたいな感じです。

 

 アイスクリームの「チョコ・ミントラム・レーズン」、それから「サラダ煎餅歌舞伎揚げ」などというのも、私にとっては、けっこうお悩みどころです。

 

 それからさらに、「トレードオフ」です。

 

 この考え方は、時間管理に超!役に立っています。clock

 

 たとえば夜7時を過ぎてから、趣味の「小さなお菓子作りheart02」に手を出したくなったけれど、でもブログも書きたくなってしまった時heart02

 

 どちらもものすごくやりたいけれど、でも時間という資源は限られているので、これも「トレードオフ」です。libra

 

だからその日にできるのは、方っぽだけ!flair

 

 って、まったく当たり前のことなのですが…。sweat01

 

 改めて考えてみると、何かと欲張りな私sweat01には、たしかに役に立っています。

(^^;)

 

 しかも「実戦で学べ!」という状況です。japanesetea

 

 まぁそれはそれでけっこう、「経済学って、ちょっとは役に立つのかもしれないわネ」などと言いながら、オモシロかったりもしています。

(^0^)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

非公開コメントのお返事です。

 6月24日の午後に、非公開ご希望のコメントをいただきました。

 

 ありがとうございました。heart

 コメントの内容については了解いたしましたので、とり急ぎお知らせいたします。shine

みほれみ(^^)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

厳選採用の時代なので

 心の不調が現れたのは10代の後半からでした。私の履歴書は、そこから一気に不安定な雰囲気を漂わせ、バラバラとちぎれる雲のような状態が出てきます。

 

 (せっかくそれまでは、いちおう「優等生」だったのに…。sweat02

 

 社会人になってからも転職回数がやたらと多く、しかもその間に経験してきた職種には、あまり一貫性がなくて、その人をまとめる「芯」というものがありません。

 

 時間がところどころ途切れたようになっていて、事情を知っている本人でさえ、「これはもう言い訳も限界かも…」と思ってしまう有り様です。

 

 職歴のあちこちに隙間があるのは、自分の心に振り回されていたためです。まるで柔道の投げ技のように、外側の「私」の方が「自分の心」に振り回されて、自分でもどうすることができませんでした。

 

そういう格闘をきつく自分の中にしまい込みながら働いて、ある時、力が尽きたあたりで失業です。

 

 今回の就職活動は、そうした隙間について、「この時期はどうして空いているのですか?」とか、「どうしてここで辞めたのですか?」とか、そういったことを聞かれることが多く、そのたびに自分でも、返事に困ってしまうことがしばしばです。

 

 世の中の事情と、自分の年齢も考えれば、当然なのですが…。

 

 ところで10代の頃の私の心の状態は、後になって知ったある病気の症状に、とても良く似ていました。自分ではどうしてその診断名が出なかったのか、不思議に思います。(ありがたいことではありますが。)

 

 宗教のおかげで社会的には復調してからも、「私の心は、ほかの人に比べておかしい」と感じることはしょっちゅうでした。

 

そういう時はその病気について調べます。そうすると自分の、自分でも不可解としか思えないような状態について、「ああ、こういうことだったのか」と理解ができ、対策が見つかるということがよくあります。

 

 現在困っているのは、「自分の気持ちが、自分でもよくわからない」ということです。

 

 これは、私の場合にはよくあることなのですが、こうした職業選択などの時にはかなり困ります。過去の職業に一貫性がないのは、このためです。

 

 自分の気持ちがよくわからないと、「何かを選ぶ」ということができません。libra

 

 今回ネットでその病気について調べたら、その病気の人の中には、あまり楽しからぬ死に方をしている人が目立つということがわかりました。有名な人もけっこういます。

 

 でもちゃんと、それなりに仕事で成功している人も見つかりました。

 

 さらに驚いたことに、いろいろと症状を出しながらも、普通の仕事と並行して夜間の大学で勉強して学者になり、心理学の博士号をとった人もいるということもわかりました。(スゴイ!)shine

 

 私はもうここまで生きているし、だいたいお医者さんの診断もおりていなくて、単なる「もどき」なので、きっとなんとかなると思います。

 

それにしても、世の中は就活も「厳選採用」の時代です。

 

困ります…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あなたにとっての贅沢は、何ですか?

 どういう状況や品物を「贅沢shine」と感じるかは、人によって違うと思います。

 

 そして、その人が好む贅沢にもよりますが、

 

「贅沢 = 必ず、たくさんのお金が必要!」

 

というわけではありません。

 

 もちろんお金がまったくないと、体験できる贅沢は、少なくなってしまいます

 

「お金がたくさんあるか、ないか」とは、結局選択できる自由がたくさんあるか、ないか」の違いだと思います。(この考え方は、作家の橘玲さんの本から見つけました。)

 

 私は、今は失業をしているので、体験できる贅沢は少な目です。

 

 でも最近、往復の交通費と夕食代の実費、約1400円で、とっても贅沢な時間shineを過ごしてきました。

 

 贅沢の状態は、人によって違うと思います。

 

 私が1400円で堪能してきた贅沢は、こういう贅沢でした♪

 

 ↓
http://go-go-lemming.cocolog-nifty.com/miholemigurashi/2012/06/post-54b0.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

経済ネットーワークの向こう側

 まじめに経済学の勉強を始めたら、堅苦しくて全然楽しくないし、数式はばかばかしくなってしまうし、ちっともいいことがありません。

 

 「経済学なんて、まるで宗教と変わらないじゃない?!」と、そこまで思ってしまいます。annoy

 

 私は経済について理解することは楽しかったけれど、経済学について理解することは、少しもおもしろくありません。

 

 この数年、「エンデの遺言」をきっかけに、自分なりに経済について考えてきましたが、でも、そこまでのことについては、悔いはありません。

 

 なぜかというと、こういうこと(↓)があった時、経済というネットワークを通じて、世の中のどこかの場所で、世の中の役に立つ製品を作っている人の存在を、感じることができるからです。

 

 こういうことは経済を知る前には、気づけなかったことでした。

 

 安いけれど、とても役に立つ、良い製品だと思います。shine

 

 少なくともおうちゃく者sweat01の私には、本当にステキな製品です。flair

http://go-go-lemming.cocolog-nifty.com/miholemigurashi/2012/06/post-8f93.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

撮り直し

 就活用に、もう2度も写真を撮り直しです。

 

 1回目の写真は、表情がちょっとかたかったので、その後再び、スーツ姿に武装(?)して、撮り直しをしました。

 

 自分では「悪くない」と思いました。表情もやわらかく、明るくて華やかな感じです。しかも気合い!を入れて撮ったせいか、ちょっと「頭が良さそう」に見えると思いました。

 

 本人はひじょうにおっとりしていて、うかつな性格ですので、賢く見えるにこしたことはありません。受かりたかった募集に、その写真を使いました。

 

 面接に呼ばれました。

 

(やった!)
\(^0^)/

 

 でも行ってみたら、先方のご希望は管理職でした。(管理職と下っ端が、ごちゃまぜの面接だったのです。)

 

 管理職、ムリですっ!

私は下っ端の方が、合っています。sweat01

 

 どうやら写真が、しっかり者に写り過ぎてしまったようです。

 

 また受かりたい募集が出てきたので、今度はもう少し「控えめshine」に撮り直しです。

 

普通は賢く見えるように写真を撮るものだと思っていたのですが、あえて「ちょっとおっとりめ」に写真を撮るなんて、なんだかおかしな気分です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やめなさーいっ!

 私は自分の中が二重になっているので、時々外側の自分と、内側の自分の意思が、真っ二つに分かれてしまうことがあります。

 

 そういう時、だいたい勝つのは「内側の私」です。

 

 そして、だいたい負けて、その「内側の私」の後始末をさせられるのが、「外側の私」です。「内側の私」は、結局子どもの時の私なので、とんでもなくパワーが強いのです。

 

 しかも何かの恐怖症にかかっているらしく、その行動はかなり意味不明…。

 

 最近とんでもなくやられてしまったのは、某私立大学通信課程の経済学部への入学です。「外側の私」はずいぶん抵抗したのですが、結局負けてしまい、「私」という「全体」は入学してしまいました。

 

 正確に言うと、「内側の私」が入学したがって、「外側の私」は抵抗したのですが、力で負けてしまって、「外側の私」は入学「させられてしまった」、ということです。

 

 「外側の私」は、いちおう常識があるので思います。

 

 「経済学部なんて大変だから、やめておこうよ。いったいお金と時間がどれぐらいかかると思っているの?」と。

 

 でも「内側の私」は、暴れん坊で力が強いのでききません。

 

 その「内側の私」に負けてしまう時の、不快感ときたら…。

 

 きっと「もう2度とギャンブルはやりません!」と心に誓ったのに、気がついたら大負けをして競馬場から出てくる人のような気持ちではないかと思います。そういう心境を、私は笑えません。

 

 本当に、子どもの言い訳ではありませんが、自分の中に「良い自分」と「悪い自分」がいて、そのふたりが戦ってしまうのです。

 

 私の場合は「大人の自分」と「子どもの自分」なのですが、どう見ても「大人の私」が「子どもの私」に負けています。

 

 そしてその後始末ですが、学費がすでに十数万円、難しそうなテキストが数冊、そのうえ大嫌いな数学つき!の経済学です。それを片づけるのは、結局こうしてブログを書いている「大人の私」。つまり「外側の私」です。

 

(><)

 

 経済理論ですでにもう、ひどくやっつけられています。

 

 「限界効用は逓減する」って、この人たちはいったい何の財を見て考えたの?

 

 こんな財、地球に存在しているの?sweat01

 

 普通は必要量が満たされれば、あとはもうバッサリそこで終わりでしょう?

 

 今はもう「断捨離」の時代なのに…。shine

 

 おなかがいっぱいになったら、もうそれ以上は無理して食べなくてもいいのよ。そんなガッついて、苦しくなるまで食べなくてもいいんだってば! sweat02

 
おなかがいっぱいになったら、もう、食べちゃだめ!

 

こらーっ、もうやめなさいっ!impact

| | コメント (0) | トラックバック (0)

手紙のような役目の本

携帯用リンクはこちらです。

 すっかり就職活動の行き詰まりを感じて、こまっています。(←「ひらがな」ですが。)

 

 とは言っても、あまりに状況が行き詰まり過ぎていて、とりあえず「物事をやみくもにつくろっても、もうだめだ」ということだけが、はっきりしているという状況です。

 

 「とりあえずで、つくろってももうだめだ」ということは、「今、簡単にできることはない」ということです。

 

 どういうことかというと、私はちょっと心に問題を抱えていて、そのことが間接的に、私を現在の失業状態に追い込んでいるからです。

 

 私は心の外側と内側が、かなりきれいに分断されています。

 

 外側というのは「社会に対応している私」のことで、内側というのは「私の本当の気持ち」の部分です。

 

 私の場合は幸い、外側と内側を隔てている壁が頑丈で、今までは社会と接する時には、「内側の自分」をしっかりと、一時的に黙らせておくことで、働いてくることができました。

 

 というのはこの「内側の自分」というのは、どうやら子どもの頃に何かがあったらしく、ものすごく怖がりで、破壊的で、理性がきかなくて、とにかく大変な存在なのです。

 

 私の今までの人生はずっと、この「内側の自分」に振り回されてきて、おかげさまで私の履歴書はボロボロです。(;;)

 

 この「暴れん坊」をなんとかしたくて、25年も宗教にのめり込み、通信制の大学まで教養学部心理学専攻で卒業してしまいました。

 

いったいどれだけ「お金と時間」がかかったことか…。(←自分のブログのタイトル?!sweat01

 

 それなのにこの「暴れん坊」は、私が「治った。今度こそ、もうだいじょうぶ!」とほっとしても、しばらくしたらまた「暴れる」ということの繰り返しで。

 

 さすがに私ももう、完治はあきらめかけています。それでももう、人生を壊されることだけは、やめさせたい。

 

 図書館から「PTSDとトラウマの心理療法」という本を借りて読んでいます。ちょっと専門的な事例集で、普通の人はおそらくあまり読まない本です。

 

セラピスト向けですが、言葉はわかりやすく、私には貴重な資料です。本を書いてくれた人に、心から有難いと思います。shine

 

 ところで読んでいて、ふと思いました。「こういう本は『たくさん売る』ために書かれてあるのではなくて、純粋に『伝える』ために書かれてあるのだ」と。shine

 

 はじめから、少数の人向けの本なのです。

 

 私は一所懸命、読んでいます。

 

 まるで「自分宛の手紙」でも受け取ったかのように、とても真剣に読んでいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新しいブログを始めました。

 このブログは、いちおう経済のブログなのですが、どうしても日頃の出来事などを書きたくなってしまうので、新しいブログをはじめました。

 

 「ちょっと頭をゆるめてみようかな~」と思われる読者さんは、こちらもぜひ見に来てください。

(^0^)

http://go-go-lemming.cocolog-nifty.com/miholemigurashi/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

失業給付

 4月から、本気で失業しています。sweat01

 

 「本気で」というのは、今回の失業は私にとって、今までとは意味合いが違う失業なのだと、感じているからです。

 

 私は20代後半に、派遣で働くようになりました。その後、どうしても正社員という立場になじみ切れない気持ちがあって、派遣や契約社員という立場でいることを、自ら選びました。

 

 途中からさすがに将来の危険!を感じ、正社員を志すようになりましたが、正社員になってもどうしてか、数年でうまくいかなくなってしまいます。sweat02

 

結局はまた不安定な雇用に戻りました。私はこのパターンで2回も、お給料のいい外資系企業の正社員という立場を失っています。

 

(このうまくいかなかった原因のひとつには、私が「株式会社」を理解していなかったということが大きいです。)

 

 とにかくそういうわけで、私はある時期から言わば「失業慣れ」しています。

 

 でも今回の失業は、事情がちょっと違います。

 

 今までは、仕事の種類さえ選ばなければ、たしかに少ないなりにも「ひとりで生きていけるだけの仕事」がありました。

 

 でも今回は、「ひとりで食べていけるだけの仕事」がほとんどないのです。

 

 東京でひとりで生きていくためには、どうしてもある程度の金額は、ほしいところです。そしてまた自分の体力も考えると、週休2日が希望です。clock

 

ところがハローワークで検索をしてみると、その条件の仕事が多くありません。あっても高度な技術を要する仕事であったり、それなりの経験を積んである仕事がほとんどです。

 

それができないのであれば、希望のお給料を下げるか、あるいは勤務時間が長く、収入が少ない仕事などにするしかありません。

 

でもそうなると、仕事をしながら家計が毎月赤字になってしまいます。また体力がきつければ、結局は長く持ちません。

 

この年齢(40代後半)になっても、自分の生きていく職業が見つけられなかったということは、自分としては恥ずかしく感じることでもあるので、世の中に文句を言うつもりはありません。

 

こういう状況になってしまった原因には、私が抱えている内的な問題もあるからです。hospital

 

幸い失業給付が出ているので、今はまだなんとかなっていますが、この先はどうすればいいのか、まだわかりません。

 

今回は雇用保険のありがたみを、つくづく感じます。heart

 

失業給付が出ているうちに、なんとかしなくては…。sweat01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもが生産しているもの

 休日の、お昼少し前。

 

 お天気の良い商店街は親子連れの姿が多く、とてもにぎわっていました。子どもたちが、お父さんやお母さんのまわりで、楽しそうにしている姿があちこちに見られます。

 

 子どもが幸せそうにしている姿は、とても微笑ましいものだと思います。

 

 経済において、子どもたちが生産しているものがあります。

 

何かわかりますか?

 

 子どもは「軽やかな、楽しい雰囲気」を生産しています。shine

 

 地球の経済学では、お金を見つめることなしには、経済を認識できないかも知れませんが、子どもたちが生産している楽しい雰囲気は、そうとうな価値のあるサービスです。

 

 ちなみにもしも、この世の中に子どもがまったくいない、大人と老人だけの社会を想像してみて下さい。世の中がどれほど、陰鬱で、かた苦しくて、耐えがたいものになるか、わかりますよね?sweat01

 

 きっと頭の干からびた大人たちの何割かは、あまりのつまらなさに、ますます頭がおかしくなってしまうかも知れません。sweat02

 

 子どもたちはいつでも考えることが柔らかで、陽気で、センスにあふれていて、とても素晴らしい「雰囲気」の生産者です。heart02

 

 子どもだけでなく、ペットも生産をしています。

 

 ペットが生産しているのは、人間の中にある「可愛がりたい、優しくしたい、甘えてもらえてうれしい」という潜在的な気持ちを、表に引き出してあげることです。

 

 子どもやペットを見ていて、胸がキュン!としてしまう時の強い気持ち。誰でも経験したことがありますよね?

 

 子どもやペットの存在には、経済学でいうところの「効用」のようなものがあるのだと思います。

 

 子どもという存在が、大人から世話などをもらいっぱなしというわけではなくて、子どももまた大人に与えているものがある、ということを指摘していたのは、心理学の河合隼雄先生だったと思います。

 

 何かの本で、お母さんが赤ちゃんの世話をすることについて書きながら、「あなたを見て、あんなに無心にニッコリと微笑んでくれる存在が、ほかにありますか?」と、書いていました。

 ………。

(^^;)

 たしかにそうですよね?

 

 ペットが生産しているサービスを見つけたのは、おそらく私が以前信仰していた宗教の会長だったと思います。

 

 たしか「ペットは人間の中から、愛を引き出す役目がある」と、言っていました。

 

 私は、子どもたちがのびのびと、元気に遊んでいられる社会が好きです。そういう社会は、子どもたちが怯えて生きている社会よりも、明らかに社会に生産されてある価値が大きいと思います。

 

 ファスト・フード店で経済学のテキストを見ていたら、隣の席にいた男の子が景品のおもちゃを見せびらかしたくて、お母さんが席をはずしたすきに、私の方を見ていました。car

 

 とてもゴキゲンな気分だったらしく、牛乳をひと口飲むごとに、「ぷは~っ!」と、ビールを飲んだあとのようにして、私においしさをアピールしています。

 

 お家のお父さんの真似でしょうか。beer

 

 テキストを読んでいて、頭が固くなっていた私も、思わずおもちゃを見せてもらいながら、一緒に楽しくなってしまいました♪

 

 地球の経済学の世界ではまだ発見されていない、とっても価値の高いサービスです。shine

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「善」へのこだわり

 経済学を勉強しようとする時に、あるいはテレビの政治家の発言などを聞いていて、私が困ってしまうのは、「自分だけが幸せであればいい」と考えている人たちの考え方です。

 

 私がもといた星(私はやはり自分は宇宙人なのではないかと思っているので…)では、そういう人がいなかったので、私にはそういう人たちの発想がまったくわかりません。

 

 私がもといた星では、社会の中の不調和というのは、その社会のレベルが低いということだったので、恥ずべきことでした。shine

 

 地球にたとえて言うならば、世界の端っこでたくさんの子どもが飢えて死んでしまうということは、自分たちの社会の運営が下手だということであり、人間としての能力が低いということだったのです。

 

 だから、まだ自分ひとりでは行動ができないような小さな子どもが、大量に飢えて死ぬということは、ありえませんでした。

 

 個人と社会はほどよくつながっていて、社会が安全であることは、個人にとっても生きやすいということでした。

 

 ですので私は子どもの頃から、誰もが「世の中を良くするために生きる」というのは、普通のことだと思っていました。heart

 

 でも経済学というものを学び始めると、地球ではそれもまた、いろいろな価値観の中のひとつに過ぎなかったと感じます。私が「当たり前」と思っていたことが、ほかの人にとっては、特定の価値観の主張でしかないということもあるのです。

 

 そして私は、(意外かも知れませんが…)そういう問題についてはけっこうドライなので、「弱者なんか、その人が悪いのだから知らないよ」という人については、「ああ、この人はそうなんだ」と考えて、べつに私の価値観を押し付けようとは思いません。そういう考え方でいる自由もあると思うのです。

 

 でも私が面倒だと思うのは、そういう人たちであっても「冷たい人」とか「悪い人」とは、言われたくないという心理です。sweat01

 

 別に「悪い人」とか「冷たい人」というのも、地球ではひとつの生き方なのだから、いいと思うのです。その人たちは信仰者でもないのに、どうしてそう言われたくないのかが、私にはよくわかりません。

 

 地球人のこの『善へのこだわり』というのは、正直に言いますと、「なんだかオモシロイ」です。

 

「悪い人」と言われたくないのであれば、「悪い人」でなくなればいいだけなのに…。flair

 

 と、こういうことを大まじめに言ってしまうと、そういう人たちからはものすごく嫌われるみたいです。annoy

 

 ムズカシイ…。sweat02

| | コメント (2) | トラックバック (0)

うどんのおいしさと、経済学

 先日、NHKの「ためしてガッテン」を見ていました。その日のテーマは、「うどん」でした。

 

 私は讃岐うどんが好きです。つまり私は「コシのあるうどん派」です。

 

 コシがなくて、お箸で持ち上げたら途中で千切れてしまうような「根性ナシなうどん」は、イマイチです。うどんは絶対に、コシのあるうどんがおいしいのだと思っていました。

 

 ところが放送を見ていたら、驚きました。うどんの好みというのは、人によってけっこう違うのです。

 

 中でも驚いたのは、「伊勢うどん」という、まったくコシのないうどんです。私からしてみると「超根性ナシうどん!」です。ところがこのうどんが好きと言う人もまたいるのです。

 

 その反対に「吉田うどん」という、讃岐うどんよりもさらにコシのあるうどんというのも、紹介されました。「讃岐うどんよりも、さらに…」ということになると、今度は私の方がひいてしまいます。sweat01

 

 「コシのあるうどんがおいしい」という私の信念は、単なる好みのひとつに過ぎなかったのだと知りました。誰にでも通用する、「うどんの絶対的なおいしさ」というわけではなかったのです。

 

 この日の番組はとてもよくできていたと思います。

 番組では「うどんのコシとは、どういうことなのか」を、まず明確に定義づけ、それからその「コシができる過程」を、MRIで撮影した断面写真を使って解説していました。そして最後に「家庭でコシのあるうどんを作る方法」や、「釜揚げうどんのおいしい食べ方」の紹介です。

 

 「コシのあるうどんと、コシのないうどんの、どちらがおいしいか?」などという、どうでもいい論争には入らずに、つまり、どちらがおいしいかについては判断せず、ただその「コシ」というものがなぜできるのか?、家庭で作るにはどうしたらよいかを解明していました。

 

 これが肩凝りとか、不眠というような、体の不調の問題であれば、もちろん単純に「不快な症状がない方がいい」という価値判断で、不調の説明がされるのだと思います。でも今回はうどんだったので、そういう展開でした。

 

 見ていて「なんだかいいなぁ」と、思いました。shine

 

 大学の経済学の勉強を始めたら、経済学という世界が意外と泥くさくて、早くもうんざりしています。まるでうどんの「どちらがおいしいか論争」を見ているみたいです。

 

 どんなに「おいしい」といっても、結局は好みに過ぎません。

 

 「完全雇用社会が好き」、「弱肉強食社会が好き」。どちらも単なる好みだと思います。

 

 善悪だって、社会や文化が変われば変化してしまうものに過ぎず、単なる価値判断であって、うどんのおいしさとそう変わりません。

 

だから経済学者はまず自分の好みを明確にしてから、持論を展開してくれればいいのにと思います。

 

コシのあるうどんが好きな人と、コシのないうどんが好きな人が一緒になって、おいしいうどんの作り方を論争していると、いつまでも「おいしいうどん」ができないと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »