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2012年8月

減価が速くて…!

 日当たりの良い、明るいお部屋に住んでいます。sun

 

 どうしてそうしているのかというと、私はお日様の光が大好き♪だからです。shine

 

 「日当たりが良くて、明るいお部屋」というのは、本当にお日様によく当たり、そして窓が多いお部屋ということです。ということは、当然のことですが、夏はものすごく暑いです。sweat01

 

 日中は遮光カーテンで光をさえぎっておくのですが、それでも室内は、かなりの温度になってしまいます。うっかりチョコレートなどを、そのへんに放置してしまった日には…。

 

 銀紙を開けるとどう見ても、「もしかして、沸騰した???」という状態になっています。japanesetea

 

 ですので、このお部屋に住み始めた時から、「夏だけは絶対に失業しない!」と決めていました。あまりにも、お部屋が暑すぎるからです。

 

それなのに今年は不覚にも、お家で夏を越すことになってしまいました…。sweat02

 

 お部屋の温度が高いと、食料品の「減価」が早くて大変です。ゲゼルが言っていた「減価!」です。

 

 そう、私たちが生きている世界では、消費の手前の状態まで生産された生産物は、時間の経過とともに「減価」が進みます。温度が高いと、その速度が上がってしまうのです。

 

 きゅうりもトマトもナスもズッキーニも。

 

 買ってきたら早めに食べないと、どんどん減価が進んでしまいます。

 

 パンもカボチャも卵も、開封してしまったホットケーキ・ミックスも…。

 

 冷蔵庫の中が、いっぱいになってしまいました。それなのに、大好きなふんわり食パンbreadと、ご近所さんからもらった米なすと、買い過ぎたトマトが入りません。

 

 減価を防ぐためには、少しでも常温を保持してくれそうな場所にしまって、高温の空気から「隠さないと…」。

 

 でももう、室内のどの戸棚に「隠しても」、高温の空気から逃れるすべはなさそうです。

 

 どうしよう?

 

 なんとなく、空の電子レンジの中に「隠して」みました。sweat01

 

 根拠はまったくないのですが、なんとなく、温度に対して「一番頑丈そうな箱」に思えたので…。

 

 今日はもう、ずいぶん涼しくなったと思うので、電子レンジにはしまいませんでしたが、明日はまた暑くなるそうなので、再びしまうかも知れません。

 

(もっとも、「今日は涼しくなったwave」と言っているのは、どうやら私だけのようです。もしかしたら私は、暑さに強いのかも知れません。)

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私が感じる「頭の良さ」とは?

 自分の頭が良いかどうかはさておいて、頭の良い男性が好きです。heart

 

(「自分の頭がたいして良いわけでもないのに、なんて生意気なことを言う女なんだ!annoy」という至極まっとうな批判も、今はさておきます。)

 

もちろん特別に頭が良くなくても、誠実な男性も好きheartですが、(←「ますます、なんて生意気な言い方だ!annoy」と言われてしまいますが、shineshine、それでも)やっぱり私は「頭の良い男性」が好きなようです。heart

 

ところがこの自分で言っている「頭の良さshine」というのが、いったいどういう場面で感じる感覚なのか、ずっと、今ひとつ言葉にすることができませんでした。

 というのは、ものすごく頭が良いとされている有名な人が書いた本を読んでいても、まったくそういう「私の好みの頭の良さ」を感じないということもあるし、そうかと思うとまったく普通の世の中で出会う人の中に、「私の好みの頭の良さ」を感じて、「この人はすごい!」と、はっとするということもあるのです。

 

ところが、ある本を読んでいたら、私が感じるこの「頭の良さ」について、ちょっとしたヒントを与えてくれる内容がありました。経済学とはジャンルが違いますが、「犬として育てられた少年」という本です。

 

この本は「子どもの脳とトラウマ」とうサブタイトルがついていて、著者はブルース・D・ペリー先生という、アメリカの乳幼児精神医学者です。

携帯用リンクはこちらです。

ペリー先生が医大生だった1980年代頃は、心理的なトラウマについて、子どもは生まれつき「すぐに回復する力を持っていて」、自然に「立ち直る」と信じられていたのだそうです。

 

ところがペリー先生は臨床医となって、問題を抱えている子どもたちを診察するうちに、この定説に対する疑問が大きくなります。

 

子どもたちは明らかに「すぐ回復」などしていなかったのです。子どもたちは、自分が受けた出来事のトラウマに苦しんでいました。

 

そして子どもたちは様々な精神的な症状を示していましたが、それらは定説のために、過去のトラウマとは関係のないこととして診断され、「偶然」そうした症状を呈するようになったと考えられていたのです。

 

ペリー先生ははじめて担当した少女について、自分の2人の指導医に相談します。少女は過去に、トラウマとなるような体験がありました。

 

1人の指導医は、精神医学の小難しい用語を楽々と使いこなしながら、「精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)」を使って、「こういう診断基準にあてはまる」と、てきぱきとした口調で言いました。

 

ペリー先生はその言葉を聞いて「そう思います」と返事をしながらも、「本当はそうではない」と思ったのだそうです。自分が担当している少女には、それらの病名だけでは説明しきれない何かがあると、感じているのです。

 

幸いペリー先生には、もうひとり違うタイプの指導医がいて、その指導医は臨床の経験も生かした考え方をしていました。ペリー先生は、担当している少女の症状だけでなく、彼女自身のことを知り、彼女がどのような生活をしているのかについても知るように促されます。

 

その後、ペリー先生はたくさんのトラウマを抱えている子どもたちの治療の経験を重ねながら、定説を覆すことになるニューロ・シークエンシャル治療モデルという治療方法を確立し、たくさんの子どもたちの回復を促していくのです。

 

その過程について、ペリー先生は「子どもたちが教えてくれた」という表現をしています。

 

私はこの本を読んでいるうちに、自分が漠然と「頭の良さ」と言っていたものが、どういうことなのか、少しわかりました。

 

学問というものは、おそらく理論だけでも、それなりの完成を示せるものかも知れないと思います。たとえば経済学の世界にはたくさんの、数学的に説明された、素晴らしいとされている理論があります。

 

でもそこには、「人間が生きている現実」とつながっていようとするような柔らかさが見られず、理論がすっかり自己満足にひたっているように思える時。

 

私はその理論について、「つじつまがあっていて、すごいですね」とは思うのですが、「頭の良さ」と言う感覚は、まったく感じないのです。そして、はっと心がときめくような、新鮮な感動もしないのです。

 

もしかしたら私が感じる「頭の良さ」というのは、理論と現実のバランス感覚のことなのかも知れません。shine

 

私が感じる「頭の良さ」には、そういう面があるようです。

 

もちろんその根底に、「善良さ」とか「優しさ」があるというのは、前提条件です。shine

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ほどほどに…

 リカードの「比較優位の原理」を、勉強しています。book

 

 はじめは数字が面倒くさくて、なかなか進みませんでした。sweat01

 

 でも国単位で分業をすれば、生産量が増大するのだということが理解できてからは、今度はその増量分の分配に興味が湧いて、一気におもしろくなりました。

 

 「ラシャとワインの増量分は、いったいどちらの国が、どれだけ取るんだろう?」。

 

 「交換比率によっては、片方が全然トクをしないということもあるってこと?」

 

 などなど。

 

 交換比率と言う数字の不思議に、とっても興味が湧いてしまいます。なんとなくエンデが指摘していたお金の不思議に通じるものを感じます。shine

 

 「これは、おもしろい?!thunder」と、一気に引っ張り込まれてしまいました。

 

その結果、この交換比率について、もっと深く考えたくなってしまったので、やっぱり、なかなか進まなくなってしまいました。snail

 

経済学で理解しなくてはいけない理論は、たくさんあります。比較優位の原理はその中の、まだまだはじまりのお話らしいです。sweat01

 

時間と言う資源は限られているのだから、ほどほどにしなくては…。clock

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雷雨

 6月頃から心が不調で、すっかり外界に心が向かない状態が続いていました。

 

 「外側の私」は就職活動とか、短期の仕事などに対応していましたが、「内側の私」はすっかり自分の中に閉じこもり、外界のことには関心が向かなくなっていました。

 

 そうすると、世の中の動き、経済、経済学というものは私にとって、その間はもはや「どうでもいいこと」になっています。

 

 自分の外側に、映画のフィルムが映されているだけであり、そういうものは「自分という個体」とはほとんど関係のない、「どうでもいいこと」に過ぎません。

 

 自分という個体さえ安全であるならば、あとはもう世の中の出来事の、ほとんどがただの「雑音」です。

 

(そうは言いつつも、その安全もまた、社会に守られての安全ではありますが…。)

 

 今回の不調はずいぶん長く、しかも自分でコントロールができないという点では、思春期の不調と似ているところがありました。

 

 思春期の不調と違うのは、これだけ長く、実際に生きてきている後なので、外界に対する恐怖の量が全然違うということです。

 

 外界というものが、そう簡単に自分に牙をむくものではないとわかっているので、ある程度は落ち着いて自分の中に閉じこもり、自分の修復に向き合えました。

 

 (まだ「回復した」というわけではありません。兆しが見えてきた、という程度です。)

 

 (それに今までも、何度も「もうこれで、だいじょうぶ」と思っては、後になって「だめだった」ということの繰り返しだったので、慎重に経過を見ています。)

 

 はじめて「自分の傷」と「自分」が離れ、「自分はもう、傷そのものではない」という状態になりました。

 

 傷はまだそこにあり、時々暴れて私を困らせるけれど、その傷を見つめている私もここにいて。

 

今はもうおだやかに、私はその傷の回復に寄り添っていてあげればよさそうです。

 

 

 今日は激しい雷と雨の音を聞きながら、夏が崩れていく変化を感じていました。

 

 このところずっと、言葉をまとめても、まとめても、発信できなくて、どこかでさみしいような、でもそれでいいような感じでした。

 

 「書く」という行為は私にとって、何か、特別な意味を持っていることだという気がします。shine

 

 回復したらまた、ちゃんと経済の話題を書きたいと思います。heart

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