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雷雨

 6月頃から心が不調で、すっかり外界に心が向かない状態が続いていました。

 

 「外側の私」は就職活動とか、短期の仕事などに対応していましたが、「内側の私」はすっかり自分の中に閉じこもり、外界のことには関心が向かなくなっていました。

 

 そうすると、世の中の動き、経済、経済学というものは私にとって、その間はもはや「どうでもいいこと」になっています。

 

 自分の外側に、映画のフィルムが映されているだけであり、そういうものは「自分という個体」とはほとんど関係のない、「どうでもいいこと」に過ぎません。

 

 自分という個体さえ安全であるならば、あとはもう世の中の出来事の、ほとんどがただの「雑音」です。

 

(そうは言いつつも、その安全もまた、社会に守られての安全ではありますが…。)

 

 今回の不調はずいぶん長く、しかも自分でコントロールができないという点では、思春期の不調と似ているところがありました。

 

 思春期の不調と違うのは、これだけ長く、実際に生きてきている後なので、外界に対する恐怖の量が全然違うということです。

 

 外界というものが、そう簡単に自分に牙をむくものではないとわかっているので、ある程度は落ち着いて自分の中に閉じこもり、自分の修復に向き合えました。

 

 (まだ「回復した」というわけではありません。兆しが見えてきた、という程度です。)

 

 (それに今までも、何度も「もうこれで、だいじょうぶ」と思っては、後になって「だめだった」ということの繰り返しだったので、慎重に経過を見ています。)

 

 はじめて「自分の傷」と「自分」が離れ、「自分はもう、傷そのものではない」という状態になりました。

 

 傷はまだそこにあり、時々暴れて私を困らせるけれど、その傷を見つめている私もここにいて。

 

今はもうおだやかに、私はその傷の回復に寄り添っていてあげればよさそうです。

 

 

 今日は激しい雷と雨の音を聞きながら、夏が崩れていく変化を感じていました。

 

 このところずっと、言葉をまとめても、まとめても、発信できなくて、どこかでさみしいような、でもそれでいいような感じでした。

 

 「書く」という行為は私にとって、何か、特別な意味を持っていることだという気がします。shine

 

 回復したらまた、ちゃんと経済の話題を書きたいと思います。heart

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