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2012年9月

だんだん遠く…

 ある雑誌を読んでいたら、立派な経済学者の人なのですが、「ケインズの本はとても難しかった」と書いてありました。

 経済学に関する本を読んでいると、このような記述によく出会います。

 

 リカード、ケインズ、マルクスなど。

 

どうやら学者の人が読んでも難しいらしいです。

 

 それで、そういう記述に出会うと、私はこう思います。

 

 「学問のプロである学者の人が読んでも難しいというほどの本なのだから、学生である私に読める道理がない。きっとどこかに、学者の人がわかりやすく解説してくれてある本があるはずだから、それを読もう!」と。

 

 私は経済学を勉強している学生なのですから、効率優先です。


 ところで私は、自分の所属している大学の経済原論のテキストが読めません。sweat01

 

 難しいだろうと覚悟はしていたのですが、本当に難しくて、がんばって読んでも全然進みません。sweat01

 

 それで、テキストに直接、体当たりをするのはいったん中止して、このテキストを読むために、もう少しやさしく書かれてある経済学の本を、一度読んでみることにしました。

 

 とにかく経済理論の世界の概要をつかもうというわけです。ちょっと遠回りですが、しかたありません。

 

 ところがその本もやはり、私には難しいところがあって、躓いてしまいました。sweat01

 

 それで今度はその本を読むために、また、もっと!やさしく書かれてある、経済学の本を手に取りました。

 

 今のところ、ちゃんと読めています。

 

でももしもこの先、この本も躓いてしまったら私は、また、もっと!!やさしい経済学の本を探さなくてはいけません。sweat01

 

 でも、ここまでテキストから離れてしまって思うのですが、この次に手に取る本にはもう、「経済学」というタイトルはついていないような気がします。

 

 おそらく「社会」とか、そんな感じでしょうか…。sweat02

 

 なんとかここで、踏みとどまらないと!

 

 それにしても遠くに来すぎて、なんだか戻るのが面倒になってしまいました。

 

 もしかして、このまま迷子になりそうな。

(^^;)

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平和の下ごしらえ?

 ネットを見るたびに、世の中で中国のことがどのように考えられているのか、気になります。

 

 でも「感情的にならずに、落ち着いて考えよう」という姿勢の人たちが、思っていたよりも多いので、ちょっと安心です。

 

 その一方でテレビでは、世の中の感情を煽り立てようとする人たちもちらほら見えるので、そうした報道を気にしないようにするのに、かえって努力が必要です。

 

 ネットは自分の意思で情報を選べますが、テレビは不意をついて、情報が飛び込んできてしまいます。

 

 水仕事をしている時は、リモコンが持てないので、防御できません…。sweat01

 

★★★

 

 日本と中国は、ビジネスの現場などではけっこう、現場の人同士で仲良しなのかも知れません。

 

 人と人なのだから、現場で仲良しになった関係の方が、メディアをとおしてイメージを与えられる関係よりも、よっぽど強いと思います。

 

 中国に限りませんが、いろいろな事情で日本に来てくれている海外の人たちが、日本のことを好きになってくれたらいいな♪と思います。heart

 

 「日本人って、慣れないとちょっとよそよそしかったり、フシギなところもいろいろあるけれど、でもイイヒトたちだね♪」という雰囲気で。

 

 そして日本にいる間に、たくさんの楽しい思い出を経験して、帰る時はその気持ちをたくさんお持ち帰りいただいて。

 

 そうしたら、もしもその人たちがいつか、自分の国に帰った後に、何かが起こっても、「えーっ、日本と仲が悪くなるなんて、絶対にイヤだよ。日本人のトモダチだって、たくさんいるんだから!」って言ってくれるかも知れません。heart

 

 「面倒くさいことは、それぞれのお国にやらせといて、自分たちは自分たちで、仲良くして行こうヨ♪」と、言ってくれるかも知れません。heart

 

 そうやって小さく、しっかりと心に貯めていった気持ちほど、大きな、しっかりとした平和の基盤になるような気がします。present

 

★★★

 

 それにしても、資本主義社会というのは格差のために、どうしても貧しい人々が出来てしまうので、社会が物騒でいけません。

 

 どの国にも、火をつければポンッ!と発火しそうな階層の人々が、たくさんいます。bomb

 

 圧縮されている不満という燃料が、多すぎます。annoy

 

 早く終わらせないと、花火倉庫の隣でお料理をしているみたいで、危なくて…。

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歴史の「鏡」

 尖閣諸島周辺の映像を見ると、心がざわざわします。

 

 日本の領土だと思っていた土地が、他国の人に侵害されてしまうかもしれないという雰囲気を、はじめてリアルに感じています。

 

 ひとつの場所がそうなれば、ほかの場所もまた、そうなってしまうかも知れないと思います。

 

 以前であれば、「日本は島国だから、領土の問題はそれほどないだろう」と思えました。

 

 でも今は、そういう時代でもなさそうです。

 

 大陸上にある国はどの国も、歴史の中でこのような、国境を侵害される危険を乗り越えてきたのでしょうか?

 

 そうであれば、長いこと島国であるという条件によって、地形的に守られてきた日本人と、大陸上に生きる人たちで精神構造が違うのは、自然なことかも知れません。

 

 このような緊張にさらされた歴史を持つ人々は、「平和」という言葉に、どのようなイメージを持つのだろうか?と、考えてしまいます。

 

 今回のように日本が領土を脅かされる危険など、今まで考えたこともありませんでした。

 

 本当に、本当に微弱な不安ですが、穏やかでない気持ちを感じます。

 

でも70年と少し前、アジアの人たちは、おそらくこのような危険を、毎日感じていたのです。自分たちの国に他国の軍隊が侵入し、平和に暮らしていた人たちの生活を壊しました。

 

男性も女性も子どもたちも、言葉にはできないような経験をして、その記憶はおそらく心のどこかに眠っているはずです。

 

人間である以上、その人たちにだって怒る権利はあり、もしもその人たちの怒りが全て、「お返し」として返済される時が来たら?

 

歴史は「鏡」のようだと思います。70年前の出来事は、幸いこんなにも微弱な像に姿を変えて、「領土を侵害される気持ち」というものを、示唆してくれているのかも知れないと思います。

 

体験にまさる、理解はありません。

 

そして今、これから作れる平和は何でしょう?shine

 

動物のように吠えるのではなく、人間らしく、頭を使って考えたいと思います。shine

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「平和で愛のある経済社会」について、考えている理由♪

 私がいつまでも懲りずに、「平和で愛のある経済社会」について、考え続けている理由ですが、2種類あります。shine

 

 1種類目の理由は、私は「自分が大好きな場面♪」を、たくさん見ていたいからです。

 

 ちなみに「私が大好きな場面♪」とは、これもまたさらに2種類です。

 

 まず1種類目ですが。

 

1.「人と人とが仲良しで、楽しそうにしている場面」です。shine

 

たとえば、国が違う、言語が違う、人種が違う、社会の階層が違う、職種が違うなど、いろいろ違う人たちが、でもお互いに、相手の立場を良く理解しようとしていて、仲良し♪でいる、という場面です。これは、頭の良い人でなくては、できないことだと思うのですが、そういう場面を見ると、うれしいです。heart

 

そして2種類目ですが、

 

2.「人間が成長してゆく場面」です。shine

 

たとえば、子どもが成長してゆく、大人がどんどん賢くなっていく。職人さんは技術が磨かれてゆく、お年寄りはどんどん知恵が深くなってゆく、など。人間がより成長してゆくということは、本当に素敵なことだと思います。shine

 

私は、そういう場面をたくさん見たいのです。

 

だから、小さな子どもたちが飢えて死んでしまったり、地球の海や大地が汚れてしまったり、そういう愚かなことばかり引き起こしている、資本主義という経済体制ではとっても不満!です。punch

 

もっと頭が良くて心がトキメクような経済社会shineになってほしいのです。

 

と、ここまでが、私が「平和で愛のある経済社会」について考え続ける、1種類目の理由です。

 

そしてもう1種類目の理由ですが、こちらは思いっきり、ますます!、私の個人的な好みによるものです。

 

*^^*

 

私が夢見ている経済社会のイメージは、実は、私の好みの男性のイメージ♪heart01なのです。

 

つまり「現実的で、ものすごーく頭が良くて、愛があって、力がある男性!」。

 

だから、私は経済について考えている時はもう、楽しくて楽しくて、楽しくて!heart02

 

資本主義社会にゾロゾロいるような、世の中のことも考えず、時には世の中に迷惑をかけながら、自分のお金儲けにギラギラしてしまっているような男性なんて、私にとってはダメダメ!です。punch

 

あっ? 私としたことが、また言っちゃった♪みたいです。

 

*^^*

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「平和」って、簡単ではなさそうです。

 ニュースを見ていると、中国に住んでいる日本人の人たちの安全が、気になります。

 

 また、私の個人的な話としては呑気にも、こういう問題が起こったことで、はじめて領土問題など、国と国との関係について、リアリティのある関心を持ったというのが本音です。

 

 もしかしたら生まれてはじめて、リアルな問題として、平和とか紛争について、考えているのかも知れません。

 

 今までは、国境とか領海というのは、世界のどこかに誰かが、それをまとめた地図を持っているのだろうと思っていました。

 

 だから今度の問題でも、そういう機関が「その場所の国境については、○○○○年の会議でこう決めてあって、その時にあなたの国も認めていますよ」と、判断してくれるのではないだろうか?と。

 

 でもよく考えてみれば、国際社会というものが、それほどお行儀のよいものであれば、世界はとっくに平和になっていそうです。

 

 本来は、「経済」というものには、世の中を平和に導く力があるのだと思います。

 

 地球上には、いろいろな民族や文化や、自然条件の違う土地があって、そういう多様性の中で、みんなが生産物を交換し合うことで、お互いが楽しくなるネットワークを構築する。

 

 もしも経済というものがそうなっていれば、私たちはほかの国の人が作った工業製品を、わざわざ壊す必要もない。

 

 いつだって、他国とは仲良くしていた方が得策です。

 

 でも、資本主義社会は格差を生むのでどうしても、格差による不満をぶつける対象が必要です。

 

 ある地域について、「それは、うちの国の土地だ」と言う主張を聞いて、苛立つ感覚というのは、本当はそれ自体がもう「あ、私もまた『武器』を受け取ってしまったのだ」ということなのでしょう。

 

 資本主義を止めることができれば、社会の生産力がもっと向上するので、富める人も、素朴な生活をする人も、それぞれが納得の行く生き方ができるようになり、社会の不満そのものが減るのですが。

 

 「平和」って、簡単ではなさそうです。

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ちょっと反省…

 ちゃんとした経済学を勉強するようになってから思ったことですが、以前の私は経済学者という人たちに対して、気持ちがとても「とがっていた(尖っていた)」と思います。

 

私は普通の経済学というものをまったく知らずに、「エンデの遺言」から経済について考え始めたので、どうしても、資本主義という経済体制を、自然なこととして受け入れている経済学者という人たちに、不信があったと思います。

 

 でも私も、ちゃんと正面から経済学というものを勉強し始めてみてわかったことですが、ちゃんとした経済学の世界の人たちと、「エンデの遺言」から経済に関心を持つようになった私では、「お金」というものに対する見方がまったく違っていたのです。

 

 経済学の世界では、お金というものも、普通の生産物やサービスのように、「それ自体が価値のあるもの」として扱います。

 

 そうなると、どうしてもやはり、資本主義という経済体制の方が、「まだ、いいだろう」ということになります。

 

 でも「エンデの遺言」をきっかけにして経済について考え始め、そしてさらに「宇宙から来ている、なりすまし地球人♪shine」でもある私は、お金というものそれ自体には、まったく価値を見つけません。

 

 私にとっては、お金と言うものは「価値の量を表示した数値」だとしか、見えないのです。

 

(金や銀については、貴金属としての価値は見ますが、「価値を表示する道具として、わざわざ金や銀を使わなくても」と、思います。別に金や銀でなくても、価値の量さえ表示ができれば極端な話、裸んぼの数字でいいのでは?」と、思います。)

 

 そうなると、同じ地球の現象を見ていても、まったく違った見え方や判断になるのです。

 

 かつての自分と、いわゆる経済学者という人たちの間には、そういうお金に対する見え方の違いがあったと気がついたら、私の中で、経済学者という人たちに対する見方が少し変わりました。shine

 

 ちょっと反省です。

 

 あっ、でも相変わらず、経済学者でももちろん、キライな人はやっぱりキライ!なままですが…。

 

*^^*

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完敗…

 大学の図書館に行ってきました。(有名な私立大学です。)

 

 ものすごく大きくて、びっくりしました。慣れないうちは、迷子になりそうです。sweat01

 

 経済学の本のコーナーも見てきました。

 

 街の図書館の、経済のコーナーとは違っていて、まじめで密度の濃そうな本ばかりです。おそらくほとんどが、学者の人たちが渾身の力を込めて書いた本なのでしょう。pen

 

 私に「読めそうな本」が見つかりません…。book

 

 本の背表紙を見ているだけで、疲れてきてしまいました。仕事の面接の後に行ったので、ちょっと休みたいぐらいの気分です。

 

 結局移動して、児童書のコーナーにあった絵本shineを見て、帰ってきてしまいました。chick

 

 図書館初日、完敗です…。wave

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出生前診断と経済社会

 昨日(16日)のNHKスペシャルは、「出生前診断 その時夫婦は」という内容でした。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0916/index.html

 

 科学技術の進歩によって最近は、妊婦さんが受けるエコー検査で、胎内にいる赤ちゃんの病気や障害までが、高い精度でわかるのだそうです。

 

その一方で、人工妊娠中絶ができる期間は法律で定められているため、赤ちゃんに障害があることがわかったご両親は、その時期までにとても辛い決断を迫られます。

 

 「辛い」というのは、従来であれば赤ちゃんの障害を知ることなく、出産に至るという場合もあり、そうなるともうご両親には、育てるよりほかに選択肢はありませんでした。

 

 ところが現代では、赤ちゃんがまだほんの小さな段階から、病気や障害についてわかってしまいます。そしてまたあまりにも、赤ちゃんの状態がわかり過ぎるのです。

 

 赤ちゃんの、まだ6mmでしかない心臓が動いているということさえ、わかるそうです。また成長して、顔だちが出来上がっていく様子まで、見えるそうです。

 

 これはご両親にとっては、本当に辛い選択です。

 

 従来であれば、人工妊娠中絶という行為について、その行為の重さをお医者さんや看護師さんたちで背負ってくれていたのですが、現代ではご両親もまた、その心の負担を背負わずにはいられなくなりました。

 

 赤ちゃんを待ち望んでいたご両親としては、もちろん画像を見てしまうとほとんどが、おそらく「生みたい」と思うでしょう。

 

 たとえ障害を抱えているとしても、小さな、一生懸命に生きようとしている生命を見てしまうと、「なんとかしてあげたい」と思うのは、人間としてまったく自然な気持ちだと思います。

 

 でもその時にのしかかってくるのが、経済的な負担や、生まれた後の世話についての、圧倒的な不安です。

 

 家庭によっては、お母さんが働きに出なくてはいけない家庭もある。介護するお年寄りを抱えている家庭もある。先に生まれている兄弟もいるのです。

 

 そして生まれてくるお子さんは出生後、いったいどのぐらいの世話が必要になるのかも、わからない。また将来大きくなっても、仕事に雇ってくれる企業は少ないという現実などもあります。

 

 あまりにも重すぎる負担です。

 

 番組の中では幸い、生まれてきた赤ちゃんは、家族に囲まれ幸せそうでした。

 

 日頃から「もっとスマートで、もっと愛のある経済社会がいい」と考える私は、思います。

 

 地球は、科学技術の進歩に比べて、経済の進歩があまりにも遅れ過ぎていて、両者の間に、アンバランスな状態が起こっているのだと思います。

 

 せっかく生まれてこようとする赤ちゃんを受け止めてあげるために、社会にはご両親の家計を支える仕組みも必要だし、また家族の外からも、障害を抱えているお子さんを十分に手伝ってあげられる仕組みも必要です。

 

 それなのに資本主義社会では、その両方が難しい…。

 

 科学技術の発展は、人類の進歩という点で良いことです。

 

 問題は、経済があまりにも、いつまでも幼稚な状態にあるままで、「人間的な成長ができていない」ということにあるのだと思います。

 

*図書館で見かけた本です。現代はこのようなことまで「見える」のですネ。感動します。shine
本:「出生前の私を見て!」

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育む経済

 自分の思考を観察していると、時々「四次元ボックスみたい!」と、自分で笑ってしまうことがあります。

 

 たとえば「りんごapple」と入力すると、「銀色のラメのサンダル、ヒールは9㎝!shine」と出てきたりします。外からみると「いったいどうして?!」という感じですが。

 

 でも本人の中では、ちゃんとつながりがあるのですよ。(笑)

 

 

 ある小説を読んでいました。とても平和な、田舎町の食品メーカーのお話です。

 

 出てくる人が、みんな人懐っこくて、いい人ばかりです。毎日平和でゆるゆる、のんびり。安心感がいっぱいです。

 

 「いいなぁ、こういう雰囲気」と思っていたら、だんだん、得意の妄想の世界に行ってしまいました。

 

 「育む経済!」。

 

 突然、そんなタイトルまで浮かんできます。「妄想」にますます力が入ります。

 

 

 「育む経済chick」とは、例えばこんな感じです。

 

 ある田舎町。その町は農業や漁業が十分盛んで、食べ物は豊富。幸いエネルギー問題も、なんとかなる。

 

 町には居酒屋は一軒しかなく、もちろんホテルやスーパーも一軒だけ。

 

 町の人たちはなんとなく地域通貨shineを使っていて、単位は1円相当が「1ナット」かな?(笑)

 

 新聞やテレビでは毎日、金融危機だのなんだの、しょっちゅう大騒ぎをしていますが、その町は食べ物もエネルギーもOKなので、どことなくのんびり暮らしています。

 

 そして、その町には「懲りない企業家」という、人たちがいるのです。

 

その人たちは、それまでにもう何回も、新しいビジネスを始めては、倒産しています。

 

その人たちが企業をすると、駅前のバス停の掲示板に、このようなチラシが貼られるのです。

 

 「新しいビジネス、始めます。内容は、かくかくしかじかで、物品及び資金を必要としています。『おもしろいじゃないか!』と思われる方は、ご協力をお願いいたします。」

 

 そうすると町の人たちが、畑やお店で余った食べ物だの、ビジネスの道具や原料だの、あるいは地域通貨の「ナット」など、わいわい持ってきてくれるのです。

 

 経営の様子はインターネットで公開されます。出資者の応援、ご心配、いろいろご意見もいただいて…。

 

 それから約1年後ぐらい、その企業家はよくがんばったけれど、ビジネスは倒産して、バス停の掲示板に、また貼り紙です。

 

 「倒産してしまいました。ご協力をいただいた皆さま、すみません。どうもありがとうございました。またいつかチャレンジしますので、その時はまた、よろしくお願いいたします。」

 

 町の人たちはその貼り紙をみて、「あ~あ、また、だめだったんだね~」とか言いながら、「でもまぁ、おもしろいアイデアだったから、ま、いっか!」とか言って、そこで終わり!

 

 

 えっ、軽すぎます?sweat01

 

 でも、そういう経済って、おもしろいと思いませんか?heart01

 

 

 生産が上手で、金融システムが違うので、「企業に伴うリスク」というものが、小さくなっているのです。

 

 前述の企業家さんも、そうやってエジソンのように、何度も倒産しているうちに、ある時、新しいビジネスモデルを成功させて、もしかしたら町中が、世界の注目を浴びる日が来るかも知れません。flair

 

 そうしたら今度は町中が、観光客を相手に大繁盛?!

 

 「育む経済」です。せっかく食べ物もエネルギーも足りているのなら、お金という制限に縛られず、遊び心と冒険心と、人間の知恵を活用して、まったく新しいアイデアの実現にチャレンジできる経済です。shine

 

 社会に迷惑をかけない限り、新製品の開発でも何でも、何度でもチャレンジが可能です。

 

 金融システムが愛情深く、大人であれば、そういう経済が可能です。heart

 

 金融は、社会を上から動かすのではなく、社会の発展を手伝うのです。heart

 

 「そういう経済って、あったらステキだな♪」と思います。

 

 

 ちなみに、この妄想のきっかけとなった小説ですが、「株式会社ネバーラ北関東支社」という本です。

 

 そしてカンのいい読者さまは、すでにもうお気づきのことかと思いますが、この会社の主力商品はもちろん納豆です…。

 

*^^*

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思い込み

 自分の心の中をお掃除していたら、とんでもない思い込みが出てきました。

 

 「私が考えることは、すべて間違っている」。

 

………。sweat02

 

 こんな思い込みを持っていたら、自分の意見を言ったり、ブログを書く時に、怖くてたまらないわけですよネ?

 

 いったいどこで、こんな思い込みを拾ってきたのやら。

 

 だいたい「自分が考えることは、すべて間違っている」と思いながら、ブログを書いていたなんて、読者さまにたいして失礼ですよネ?!

 

 というわけで、この古くさい思い込みは、最近捨てました。

 

 思いっきり、ゴミ箱に放り込みました!impact

 

 というわけで9月からは、「私が考えることは、もちろん間違うことも、あるかも知れないけれど、自分ではいちおう正しいと思うshine」と、思って書くことにしています。pen

 

 というわけで、ずっとこのブログにおつきあい下さっている読者さま。

 
今までも、ありがとうございました。

 

 そして、これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。heart

 

*^^* 

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10年後

 ひとつ前の記事で、自分の中にしまい込んであったことを書いてしまったら、どうしてかその途端、気持ちが軽くなったようです。

 

 今日も本屋さんで新書の棚を見ていたら、突然その病名が出てきました。

 

 一瞬目が止まりましたがすぐにもう、なんだか遠い世界のお話のような気がしました。

 

 「人に言えない」という気持ちが、心を重くしていたのかも知れません。

 

 自分がそうだったのかも知れないし、また、そうでなかったのかも、わかりません。

 

とにかくなんだかすっきりとした、気持ちでした。

 

よくわからないのですが、とにかく「ああ、もう終わったんだな♪」と思いました。

 

 結局、単なる私の思い込みだったのでしょうか?

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

 新しい仕事を決めなくてはいけません。今ある選択肢は限られていても。

 

 「10年後に自分が、どうしていたいのか?」を考えながら、目の前の選択を考えるなんて、はじめてです。

 

 短期契約の、お給料が良い仕事を選ぶのが良いか、時給は安いけれど長期更新の可能性がある派遣の仕事を選ぶのが良いか、なかなか判断がつきません。

 

 そうは言っても、流れ続けている時間の中で、「いつまでも決めない」ということも、できません。どこかで思い切って、決めないと。

 

 船や自転車などの乗り物は、運転者が見つめている対象に近づいていくそうです。

 

 そう言えば、シーカヤックに乗っている時がそうでした。

 

10年後、私の夢が、叶っていますように!shine

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

 以前の職場の同僚さんから、とても久しぶりのメールが入りました。

 

 奥さんやお子さんもいる男性ですが、11月で現在のお仕事が終わってしまうそうです。

 

 別の、日中に私が会ってきた、その前の職場の同僚さんは、今月末で派遣の仕事が終わってしまうと言っていました。

 

 この数年、非正規雇用が続いている、私の周辺はそういうお話ばかりです。

 

………。

 

 やっぱり10年後、私の夢が叶っていますように!shine

 もちろん私の、能力に見合っている分だけでかまいません。

 

 全部でなくてもいい。一部でもいいから、叶っていますように!shine

 

*^^*

 

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経済の発展とメンタルヘルスケア

 私は10代の頃に心の不調を経験しましたが、その時の診断名は、よくある「神経症」とか「うつ状態」という程度のものでした。

 

 でもそのわりには、自分で感じる症状が大変騒々しいものだったので、自分では違和感がありました。おまけに治療が終わっても、12年前までかなりの症状が残り、人間関係はトラブルの連続でした。typhoon

 

(12年前に半分ほどの症状が解決し、現在は7、8割程度の症状が解決しています。)

 

 10年ほど前のある時、大学の心理学の授業の中で、「私がかかっていた病気は、もしかしてこの病気だったのではないか?」と感じる病名に出会い、はっとしました。ちょっと驚くような名前の病気です。

 

 その病名は、かなり強烈な印象の病名だったので、私はそのことを、なかなか人に話せませんでした。

 

 ところが最近本屋さんで、この病気に関する本がけっこう出版されているのに気がつき、びっくりしました。いつの間にか、病気の知名度(?)が上がっていたようです。

 

 本屋さんの棚には、その病気に関する本が10冊以上も並んでいます。しかもその中には、おもしろおかしく、マンガにしてしまっているような本まで出ています。(!)

 

 たしか何年か前までは、もっと悲劇的なニュアンスの病気だったはずなのに…。

 

 この最近で、病気に関する研究が進んだのかも知れません。あるいは患者さんが、増えたのでしょうか?

 

 思わず本棚の前で、「時代が変わった」と思い、佇んでしまいました。

 

 この病気の例に限りませんが、そうした感じで最近は、30年ほど前に比べると、社会の側からの、心の病気に対する理解が、ずいぶん進んだと思います。たとえば現代では、うつ病という病名を聞いても、それほど驚く人はいないのではないでしょうか?

 

そうした変化を感じる時、私は「日本が、いわゆる先進国で良かった」と思います。

 

 経済というのは、どこの国でもはじめは、自分たちの衣食住を整えていくだけで、精一杯です。衣食住を整え、自動車や家電を手に入れ、それから教養や文化などへと発展が広がると思うのです。

 

 日本だって高度経済成長期までは、生活を良くしていくことに手いっぱいで、人間の心の問題にまで、社会が目を向けていく余裕がなかったと思います。

 

 そういう社会では、心の調子を崩してしまった人々は、なかなか適切な治療も受けられず、いつまでも苦しいままで、放ったらかされてしまっていたのではないでしょうか?

 

 資本主義社会というのは、労働者にかかるストレスが強いので、私は、あまり好きではありません。

 

(ここで言う「資本主義社会」とは、金利、配当金、株や債券、通貨などの売買差益、つまり資産運用というお金の使い方が、容認されている社会という意味です。)

 

 でも、あまり好きではないとしても、それでも、人間が生きていくための、基本的な必需品さえ入手できない社会よりは、まだ良い社会だと思っています。

 

 ただ、物資を豊かにしてゆく段階が過ぎたら、今度は社会の方が、資本主義という体制を脱ぎ捨てていく方が良いと、私は思います。

 

 それは、生きるために必要な物資を得た後は、今度はその社会で生きている「人間の心」が幸せになるためにです。shine


 ちなみに先ほどの、私が「自分はもしかしたら?」と感じていた病気ですが、「境界性人格障害」という病気です。

 

 自己診断でしかありませんが、良く似た症状を経験した者として私は、この病気はあと20年もすれば、子どもが特定の条件下におかれれば、誰でも後に発症する病気として、社会の認識が変わるのではないかと思っています。

 

 その頃には、効果的な治療方法も発見されているかも知れません。

 

 あっ、でも私はその時を待っていると、その間にすっかりオバアサンになってしまうので、このまま自分で回復の努力を続けます。sweat01

 

 せっかくここまできたのですし、それに回復が進んだら楽しみたいこと♪が、たくさんあるのですから!

 

*^^*

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ますます…

 今日はとても暑かったので、また、 空の電子レンジの中に、野菜やパンをしまっておきました。

 

 室内の高温の空気から、野菜やパンを(いちおう)守るためです。sweat01

 

 それなのに、ふと気がついたら、電子レンジの扉(、蓋というか…)を閉め忘れていて、扉が開いていました。sign01

 

 ますます、意味がなくなってしまいました…。sun

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経済学の世界の温度

 5月頃から、(いちおう、)ちゃんとした経済学の本を読むようになりました。sweat01

 

 まだ全然進んでいませんが、だんだんと「慣れてきた」という気はします。

 

 はじめの頃のことですが、経済学の本を読んでいると、時々、理由がよくわからない「冷たさ」の感覚に悩まされました。penguin

 

経済学という世界の考え方を知っていくと、時々、どこか底の方で、なんとも言えない、ひやりとした冷たさを感じて、心が立ち止まってしまうのです。

 

 まるで海や川で遊んでいる時に、水底のある部分だけ、とても水が冷たい場所があって、びっくりしてしまう時のような感覚です。

 

 今はもう、そういう感覚に少しは慣れてきています。そして、私なりに考えるようになったことがあります。

 

 私はもしかしたら、これまでの人生の中で、あまりにも温かい世界しか知らずにいたのではないか?と、思うのです。spa

 

 考えてみれば私は、子どもっぽい「愛」とか「正義」をかざしていたそのままで、20代から宗教の世界に入っていきました。そこでは「人間は助け合って、生きていく」ということは、ほとんど常識で、疑う余地もないことでした。

 

 人間が争うというのは、人間としてまだ未熟だから、争ってしまうのだと思っていたのです。

 

 ところが経済学という世界に踏み込んだ途端、自分が今まで絶対的に正しいと信じてきたことは、人間の世界にたくさん存在している、いろいろな思想の中のひとつに過ぎなかったのではないか?と、思えてきたのです。

 

 そうなると今まで自分が、真理だと信じて振りかざしてきたことは、ある人たちにとっては大変な「思想の押しつけ」であったということです。

 

 別に、経済学の世界のどこにも「弱者など、どうでもいい」という言葉があるわけではありません。

 

 ただその箇所に書かれてある内容を読んでいると、どうしても、そういう発想を感じてしまうのです。

 

 「ここには、ある人たちの生存権というものは、ないのかな?」という感じです。

 

 なんとなく思うのですが、「人間が、自分よりも弱い人間を支配するのは、当然だ」という思想も、世の中にはあるのかも知れないという気もします。

 

 どこか、西洋の思想なのでしょうか?

 

 いまさらこの年齢になってなんですが、「人間の世界って、奥が深いんだな~」などと、驚きのため息をつきながら、思ってしまいます。sweat01

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