気の毒な大発見?
図書館に、コペルニクスの「天球の回転について」(1566年)と、ガリレイの「天文対話」の初版が、展示してありました。
コペルニクスという人は、地動説を裏づけてしまった「気の毒な学者さん」だと、私は思います。そのうえガリレオ・ガリレイに至っては、地動説を擁護してしまったために異端審問にまでかけられてしまった、「本当に気の毒な学者さん
」だと思います。
当時の学者たちよりも、この2人の学者さんは真理を見極める目があった。
当時の学者たちの方がよほど、頭が凝り固まっていて、見る目がなかったのです。
でもそうは言っても「多勢に無勢」です。おまけにこういう時は、既存の常識を盲信できる人間の方がどうしても強いので、やっかいです。
宗教でも何でも「盲信できる人」というのは、「視野が狭いからこそ、かえって疑いを持たない」という強さがあって、キケンです。
コペルニクスは、とくに聖職者でした。
「動いているのは地球の方だ。その方が現れている現象のつじつまが合っている!」と気がついてしまった時、いったいどういう気持ちがしただろうか?と思います。
彼の職業は神様に仕える者であり、でもその神様はどう考えても「天が動いているのだ!」と言い張って、聞く耳も持たなそうな石頭です。
面倒くさそうです…。
言いたいけれど…。
でも「どうして、よりにもよって、自分が言わなくてはいけなくなってしまったのだろう」、とは思わなかったでしょうか?
私だったら、思います。(笑)
「誰か、先に言い出してくれればいいのに」と。
(^^;)
地球の歴史の中には、このような場面はけっこうありそうです。
現場の人であれば、「理屈はよくわからないけれど、とにかくこうすればうまくいくよ♪」と言ってすませることができますが、学者という人たちは言わなければ、仕事にならなそうです。
優秀な学者だからこそ、「かえって大変だった」という時代。
でも現代だって、もしかしたらそうだったりして…?
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