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お金はどっちにばらまこう?

 ついさっき見ていたニュースで「ヘリコプター・ハルヒコ」という言葉を知りました。日銀の黒田総裁のことだそうです。黒田総裁はヘリコプターでお金をばらまいているようなものだという意味だとか。

 

ちなみに株価は今日も、今年の最高値を更新したそうです。upwardright

 

アベノミクスが始まってから、ニュースはいつでも株価と円安の話ばかりしているような気がします。モノ作りをしている企業がこれから何をたくさん作るか、どれだけ人を雇うかなどは、あまり話題になりません。

 

 モノ作りこそが経済の本質と考える私としては、こういう時代はあんまり楽しくありません。

 

 アベノミクスと黒田総裁の手法を見ているうちに、だんだん「これならベーシック・インカムの方が、よっぽど良かったのでは?」と思うようになりました。

 

 お金をばらまくのであれば、そのお金をどこにばらまくかということは、重要な問題だと思います。dollar

 

 もともと資本主義社会では、モノ作りをしている経済ネットワークと、カジノのように何も生産せずに、お金だけを動かす金融経済のネットワークが連結しています。

 

 経済の本当の姿は、「モノ作りによって、世の中に雇用と生産物がもたらされる」というものです。

 カジノのように何も新しい生産物は作らずに、ただ株などの値段の値上がりや値下がりで喜ぶという状態は、厳密には経済ではないし、お金がただ動いているだけの「ゲーム」です。

 

 お金をばらまく時に、カジノのネットワーク側にお金をばらまけば、カジノで使われるお金の総額が増えるので、株価などはきっと上がるでしょう。

 

 でもその一方で、モノ作りをするネットワークのお金の量が変わらないかも知れないので、モノ作りによる生産量の増大も、また雇用の増大も起こらないということもあり得ます。

 

 黒田総裁の金融緩和は銀行を経由して世の中にお金を流すので、お金がモノ作りをするネットワークに入る可能性は低そうに思います。

 

 私が銀行の立場であれば民間企業の常として、世の中に良いことかどうかよりも、とにかく利益が上がりそうな分野にお金を貸し出します。そうしなければ銀行は、株主に怒られてしまいます。だから金融緩和で銀行経由というのは、カジノ経済を太らせるだけで終わる可能性が高いと思います。

 

 ところがそれに対してベーシック・インカムならば、企業でなくすべての家計にお金が入るので、かなりの家計が投資ではなく、消費にお金を使うと思います。

 

 黒田総裁の金融緩和が「空から銀行経由でお金をばらまく」のであれば、ベーシック・インカムは「地面から、家計に直接お金をばらまく」ということです。

 

 家計は絶対にモノ作りと雇用の経済ネットワークに属しているので、当初はかなりのお金がモノ作りの経済ネットワークの中で動くと思います。

 

 ベーシック・インカムは、経済を考える上では「お金と労働を切り離す」というコンセプトに誤りを感じていたので、私としてはずっと反対でした。

 

 でもアベノミクスと黒田総裁の金融緩和を見ていたら、ちょっと考え方が変わりました。

 

 もともと資本主義社会というのは、(おそらく資産運用を禁止できないという理由から、)パン屋のお金とカジノのお金が、ひとつのネットワークでつながっていたのです。

 

 そしてよく考えてみれば「カジノのお金」というのが、そもそも「労働から切り離されているお金」でした。それならばベーシック・インカムだって、十分ありではないかと思います。

 

 今までは、まったく気づかずにいたことなのですが…。

 

 アベノミクスと黒田総裁のおかげで気がついた、けっこう根本的で重要なことでした。

 

 ところで思い出してみると、麻生総理の時代には定額給付金というステキなばらまき…、いいえ!、プレゼント♪がありました。present

 

 公共事業や金融緩和よりも、私はそういうばらまきの方がうれしいです。sun

 

 もちろんあの時のお金も全額きれいに消費して、ちゃんと経済への協力に使いました。shine
 

*^^*

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