「労働」を買ってもらう
最近、自分の「仕事」ということについて、考えることがあります。
すでにもうアラ・フィフといわれる年齢に属している私が、今頃このようなことを考えているというのは、とてもおかしなことなのですが、私の場合は今までにいろいろとやむを得ない事情があったので、結局今頃考えています。
仕事というのは、労働を売ることです。
それで、人には誰にも、その人なりの才能というものがあるはずであり、その才能を上手に生かして、「労働」として売って生きてゆくというが、その人のためにも、社会のためにも、一番良い展開ではないかと思うのです。
それで私の場合は、「では、いったい私には、何の才能があるのだろうか?」と。
普通ならばこういうことは、10代から遅くとも30代ぐらいのうちに考えておくべきことなのですが、とにかく私の場合はいろいろと事情があって、今年に入るまでまったく考えることができなかったので、ようやく今頃考えているわけです。
というわけで私の場合…。
どうやら人前で話すという才能は、それほど高度なものではないけれど、少しはありそうです。ただしこの仕事は、どうやら私の「本当の仕事」でもなさそうです。
それから、「お金を数える」という才能。
これは、かなり高度なレベルかも知れません。私はどこの企業にいたとしても、自分が管理をまかされた勘定科目は、かなりの精度で整理し、維持できます。
このお金に関する整理の良さについては、とても自信があります。
ところが私の場合の問題は、この能力がどうしてもそれ以上に広がってくれないのです。だから私の場合はいつも、任せられた勘定科目をきれいにしておくだけのことしかできません。
この能力をもっと広げて、お給料の良い仕事につなげられないかということも、よく考えました。
ところが私は、変化が多い仕事や、いちいち何かを考えて判断をしなくてはいけない仕事が苦手です。今までにもいろいろ、自分の能力を広げてみようとトライはしたのですが、どうしてもストレスの方が大きくて、最後にはうまくいかなくなってしまいます。
そういうわけで結局いつまでも、経理のお手伝い程度の仕事しかできません。
というわけで一番安心して働けるのが、派遣の事務員です。
またそれが自分にとっては、もっともちょうど良い働き方らしいということも、最近はわかってきました。
そういうわけで、自分にちょうど良い働き方がわかってきたのは良いことなのですが、このままではいつまでたっても出世ができません。
これではいつまでたっても、たくさん稼げる立場になれません。
ちょっと困ったと言えば、困った状態です。
どのみち今は、できることしかできないので、そうしていくよりほかにないのですが。
「まぁ、なんとかなるでしょう!」と。(*^^*)
とりあえず今はそう思って、自分の中の売れる「労働」を売っています。
でもまぁ良く考えてみれば、それは私の「労働」を買ってくれる人がいるから成り立っていることなので、それなりに有難いことでもあるとも思っています。
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