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「エンデの遺言」と経済学の世界

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 私が「エンデの遺言」について知った時、政治や経済に関する知識はほとんどありませんでした。

 それでも「エンデの遺言」について知りたい、エンデの言葉を理解したいと思った時、とりあえず思いついた方法は「経済学を学ぶ」ということでした。

 

 「エンデの遺言」として得られた情報の中には、シルビオ・ゲゼルという経済学者の名前が出てきます。ということは、これはきっと経済学の話であろうと思ったのです。

 

 ところが実際に経済学という世界に触れてみると、どうも感触が違うのです。

 

 エンデがモモの世界に示していたような、働く人たちがゆったりと、時間どろぼうからぬすまれた時間をきちんと取り戻し、労働に誇りを持って人生を楽しみながら、生き生きと生活している世界が見えません。shine

 

 どちらをむいても、新聞やテレビのニュースで放送されているそのままの、企業の利益や環境破壊、そして財政破綻に金融危機や労働問題などが視界に入ります。

 

 世の中がどうも「灰色の男たちのけむり」に取り巻かれているように、明るい展望がまったく見えないのです。

 

 はじめは自分の目の前で講義をしている経済学の先生が、「そういう人」だからなのかと思いました。(過去に授業を受けさせていただいた経済学の先生方、本当にゴメンナサイ!!!

 

 目の前に立っている経済学の先生が、そういう経済社会を良しとする価値観を持っている先生だから、講義の内容もそうなってしまうのかと思ったのです。(実際にそういう先生も、いるにはいましたが…。)

 

でも最近は私にもようやく、そうではなかったのだということが、わかってきました。

 

というのはこの数年、私は経済学の先生とは比較的ご縁が良く、良い先生の講義や講演を聴く機会に恵まれていたのです。

 

私にとっての「良い先生」というのは、「有名である」という意味ではなく、お話に温かみと誠実さが感じられて、さらにまた講義の内容も充実している先生です。

 

そういう先生のお話は心に抵抗が起こらずに、楽しく聴いていられるので、あっという間に時間が過ぎ、こちらが充足感に満たされます。shine

 

そうした「私にとっての良い経済学の先生」からのお話に触れる経験を重ねているうちに、私の中でようやく「エンデの遺言」と経済学の世界の関係について、わかってきたことがありました。

 

現在のところ「エンデの遺言」は、経済学の世界には無いのです。

 

現在の時点では「エンデの遺言」は、経済学の世界の外にある。

 

どういうことかと言いますと、エンデが世の中に問おうとしたのは、「『お金』というものは、現在あるようなお金のあり方で良いのか?」という問いでした。

 

「現在あるようなお金のあり方」というのは、お金が労働の対価として支払われるだけでなく、金利や配当、売買差益など、お金それ自体が自らお金を増やした結果として、もとの持ち主に支払われることもまた当然と認める、現代社会のお金のあり方です。

 

お金は労働の対価であるだけでなく、自己増殖もするのが当たり前」という、お金のあり方です。

 

エンデはそこに疑問を感じていたのです。

 

お金はお金を生むものなのか?shine

 

そもそも「お金がお金を生む」ということは、現代の社会の中ではどういう結果を呼ぶものなのか?shine

 

お金とは本来、何だったのか?shine

 

いったいどうあるべきものなのか?

 

エンデはそういったことを世の中に問いたかった。

 

そうした疑問を解決するための思索のひとすじとして、シルビオ・ゲゼルの名前も出てきます。book

 

ところがこのシルビオ・ゲゼルの発想は、とりあえず私が持っている経済原論のテキストには出て来ません。(いちおう、ちゃんとした有名な私立大学のテキストです。)

 

どうやらゲゼルの主張というのは、経済学の世界ではまったく重要視されてはいないのです。

 

そうしたことから、私がようやく気がついたことがありました。

 
現代の経済学というのは、「お金がお金を生むのは当然のこと」という、お金の自己増殖を前提とした思考の上に成り立っているのです。

 

労働経済学も環境経済学も、「お金はお金を生む」つまり「企業は利潤を上げて、株主のお金を増やしてあげなくてはいけない」という、その制約からは抜けられない。

 

だから環境を守るのでも、労働者の生存を守るのでも、企業が利益を出せる範囲の中でしか、経済学の世界は解決策が図れない。

 

現代の経済学の世界では、世の中のいろいろな問題を解決したくても、なんとかしてお金の自己増殖は支えながら、その中で新しいアイデアをひねり出して行くよりほかにないのです。

 

ところがエンデが疑問を投げかけたのは、そうした経済学の世界の「前提」となっている「お金に対する認識」の部分でした。shine

 

だから「エンデの遺言」は、経済学の世界にはありません。

 

「エンデの遺言」は経済学の世界が成り立っている、その思考体系の土台の部分に疑問を投げかけているものだからです。shine

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コメント

みほれみさん

ご無沙汰しております。

ご自身が疑問に持たれた経済学について探求を続けておられるご様子、頭が下がります。

おっしゃるとおり、経済学は、現在の近代資本主義経済システムの中でのみ成り立つものでしょうから、「エンデの遺言」は経済学の世界の外にあるということになりますよね。

これまたみほれみさんのおっしゃるとおり、ニュース等見る限りでは明るい展望は全く見えません。

>だから環境を守るのでも、労働者の生存を守るのでも、
>企業が利益を出せる範囲の中でしか、
>経済学の世界は解決策が図れない。
>現代の経済学の世界では、世の中のいろいろな問題を
>解決したくても、なんとかしてお金の自己増殖は支えながら、
>その中で新しいアイデアをひねり出して行くよりほかにないのです。

これは非常に重要なご指摘ですね。

まずは、現在の経済の仕組みはおかしい、ということに気づいてくれる人がもっと増えてくれないとどうしようもないのでしょうかねぇ・・・

投稿: こうぺ | 2013年9月25日 (水) 23時54分

こうぺ様

お久しぶりです。shine

コメントをどうもありがとうございます!
ご丁寧にお読みいただき、感謝とともに、大変うれしいです。

>まずは、現在の経済の仕組みはおかしい、ということに気づいてくれる人がもっと増えてくれないと

本当にそうですね。

世の中のほとんどの人たちが、「経済というのは、こういうものなのだ」とそのまま受け入れてしまっていて、誰もその状況を疑うことなく、すっかりその思考の中におさまってしまっているように思います。

あるいはそれ以前に、数年前の私のように「経済なんて、自分にわかるはずがないから、考えてもしかたがない」という、まったく経済に関心を持たずに、あきらめている人も多いかも知れません。

でも、そう思いますと、そういう状況下でこのブログを発信してゆくということは、とても意義のあることのような気持ちもしてまいりました。

とくに、いただきましたコメントのように、私の発信したかった内容がしっかり受け取っていただけたということが感じられますと、本当にうれしく、励みになります。shine

ちょうど最近、私自身の状況も少し整ってまいりまして、「もっと、しっかりした記事を書いていこう!」という気持ちになっているところです。

気づいてくれる人が増えていくように、これからも発信を続けてゆきたいと思います。

よろしかったらぜひまた見に来て下さいね。

どうもありがとうございました。
(*^^*)

投稿: みほれみ | 2013年9月28日 (土) 00時40分

みほれみさん

コメントありがとうございました。

みほれみさんのように、現在の経済システムの問題点のキモの部分をきちんと把握されている方は貴重な存在です。

>「もっと、しっかりした記事を書いていこう!」という気持ちになっているところです。

素晴らしいですね!
記事、楽しみにしております!

投稿: こうぺ | 2013年9月29日 (日) 12時49分

こうぺ様

どうもありがとうございます!shine

この先もゆっくりペースでの更新となりそうですが、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

(*^^*)

みほれみ

投稿: みほれみ | 2013年10月 1日 (火) 23時02分

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