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「時間の花」が意味するもの


 久しぶりに「モモ」のDVDを見ました。

 

 エンデの世界の雰囲気がたっぷり表現されてあり、私としてはとても好きな映画です。shine

 

 すっかりエンデの世界にひたり切って、「時間の花」の場面を見ていました。

 

 最近になってから思ったことですが、エンデの世界というのは「考えながら」読み解く世界というよりも、心が「感じるまま」にまかせておく方が、より多くのことが受け取れる世界だったのではないかと思うのです。shine

 

 そうした意味では、私はこのブログを書く上で、はじめの頃はずいぶん無理をしていたと思います。エンデが伝えようとしていたことを、あまりにも早く掴み取ろうとがんばり過ぎていたように思います。

 

 でももう今は、無理をする必要はありません。

 

 私は資本主義社会における「お金のトリック」である「時間どろぼう」を、すでにもう見つけてあるからです。(まだ、うまく表現はできていませんが。)

 

 この日はゆったりと、「モモ」の世界を味わっていました。映像や音楽に、おだやかに心を委ねます。

 

 そしてこの日になってようやく私も気がつきましたが、「時間の花」というのは、「人間が自分の意思で生きている時間」のことだと思いました。shine

 

 そしてこのことから、このブログに関して言えることは、「時間どろぼうによってぬすまれている人間の時間」には、ふたつの意味が受け取れるということです。

 

 ひとつは、私がこのブログの中でつかまえようとしている、人間の物理的な時間のどろぼうです。clock

 

 お金が自己増殖をする資本主義社会では、労働を売る人たちはどれほど時代が進んでも、1日のほとんどの時間を、労働に費やして過ごさなくてはいけません。

 

 生産技術がどれほど進歩しても、労働の時間が1日に少しで済むという時代は来ないのです。資本主義社会である限り、働く人たちのほとんどは、長時間労働か失業、あるいは低賃金の仕事のどこかにおさまってしまいます。

 

 本当は社会の生産技術が上がったら、人間はもっとゆとりを持って、労働の時間を減らせるはずなのです。社会の必要量を生産できれば、あとはもうそれ以上がんばる必要はありません。

 

そうすれば1日の労働のほかにもその人の時間は余って余暇となり、人びとはその時間で遊んだり、何かを学んだり、家族と過ごしたりと、いろいろなことに時間を使えるようになるはずです。shine

 

 社会の生産技術の進歩とともに、本来であれば労働者が受け取れるべきはずの「余暇となる時間」がどうしてか、労働者のもとにやって来ない。

 

 私はそんな時間どろぼうをつかまえるつもりでした。

 

 でもエンデが表していたものは、もっと深遠なものでした。

 

 エンデは、人間が自分の意志で生きられる世界を表していたのです。

 

 資本主義社会では、ほとんどの人間は、本当に自由には生きられないのです。
 

 映画の中で、左官屋のニコラは自分の仕事に誇りを持っていて、本当はまっとうな左官屋の仕事がしたいのですが、お金のためにやむなく、左官屋としては良心が痛むような仕事をしています。

 

 もちろんニコラは、あまり幸せではありません。

 

 現代の時代も、そうではないでしょうか?

 

 たくさんの若い人たちが、社会に貢献したいと思って就職してみても、実際に企業に就職した途端どうしてか、社会のためよりも企業そのもののために、もっと言えば間接的に株主のために、働かざるを得なくなってしまうのです。

 

 自分の意思で選んだ仕事なのにどうしてか、自分の意志のとおりの働き方でなく、自分の意に反するような働き方をしている時、その人の時間はその人のものではなくなっていて、その人の時間は「ぬすまれている」のです。

 

 

 「時間どろぼうから、ぬすまれた時間をとりもどした社会」とは、働く人たちの労働時間が短くなり、それでも世の中がうまくまわっていて、働く人の生活も成り立っている社会です。clockshine

 

そしてまた、働く人たちが自分の仕事に誇りを持っていて、その人の仕事をとおしてまっすぐに、世の中に貢献できる社会です。shine

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コメント

みほれみさん、こんにちは。

>本当は社会の生産技術が上がったら、人間はもっとゆとりを持って、
>労働の時間を減らせるはずなのです。社会の必要量を生産できれば、
>あとはもうそれ以上がんばる必要はありません。

キモのキモですね。
世の人々は、ここの理解が決定的に足りないようです。

生産力が足りないのならみなで頑張らなければならないのですが、現在ほどの技術力と生産力があれば、本来義務的労働時間を減らす方向にいかないとおかしいのです。

失業者がたくさん存在することからもわかるように、本当は労働力には相当に余裕があるはずです。
就職できない人がいる一方で、低賃金で長時間労働を強いられている人もたくさんいます(「ブラック企業」はやりましたね)。

先日も生活保護世帯数が過去最高を更新したとのニュースがありましたが、生産力が向上しているのに逆に庶民が貧しくなっているというとんでもない状況ですね。

現在の経済システムを維持するために、競争のための競争が行われ、貧しい人がどんどん増えています。

経済システムが「主」、人が「従」、まさに主従逆転です。

おかしいと思う人が一人でも増えていって欲しいものですね。

投稿: こうぺ | 2013年12月17日 (火) 17時50分

こうぺ様

こんにちは。コメントをどうもありがとうございます。shine

毎回、こうぺ様からのコメントによって、さらに新しいことに気がつくということがよくありまして、今回も本当に感謝!です。

今回のコメントでも「義務的労働時間」(←この言葉、いいですね。)がいつまでも減っていかないということについて、「そう言えばこんなに奇妙なことなのに、どうして世の中の人は誰もこのことを不思議に思わないのかしら?」と、あらためて、起こっていることの不思議さに再び気がついてしまいました。(笑)

(^^;)

本当に、経済の主従逆転ですよね。

人間が、経済システムにすっかり組み込まれてしまっていて、そこから逃げ出すことさえもできなくなってしまっています。

はじめの一歩は「こんなにたくさん働いているのに、なんだかおかしくない?」と気がつくことかも知れませんね。

いつもありがとうございます。shine
m(_ _)m

投稿: みほれみ | 2013年12月20日 (金) 00時11分

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