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2014年12月

良いお年を

 今年、ブログを見に来てくださった皆さま、どうもありがとうございました。

 

 来年も、よろしくお願いいたします。

 

 皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。

 

 shine(*^^*)shine

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今年、出会った、経済に関する良かった本(2014)

 今年は、経済、社会に関して、良い本にたくさん出会えた年だと思います。

 

 とりあえず数冊、並べてみました。

 

(順番に、特別な意味はありません。)

 

(ほとんど、読み書けのままで書きます。スミマセン。sweat01

 

(でも、たとえ読み書けであっても、その本がどのような世界に属する本であるかは、わかります。本というものは、ひとつの世界を構成しているので、そこは、間違いなくわかるものです。shine

 

では、経済に関する良かった本から。

 

・「経営はだれのものか」(加護野 忠男 著)

 

 経営学の本です。

 資本主義社会という、株式会社というものが宿命的に、投資家のカネ儲けの道具にされてしまう構造を持っている社会の中で、どのようにしたら、株式会社に、その本来の経営をさせてあげられるかを追求している本です。

 静かで清潔な印象が、本当に気持ちの良い本ですので、来年も、著者の言葉を丁寧に受け止めながら、慌てず、ゆっくり読みたいと思います。

 

・「日銀はいつからスーパーマンになったのか」(北野 一 著)

 


 私はマネー経済が苦手なので、前半の金融に関する部分は、まったく読めませんでした。

 

 私にとっては、中盤過ぎからが、読みどころでした。

 

 この本によって私は、企業の目的が『利潤の追求』であるという考え方が、決して、世の中における普遍的なものではなかったということを知りました。

 

とても爽快な気分です!shine

 

 (ただし、この部分は先の加護野忠男さんによるものであって、著者のオリジナルではないそうです。)

 

 こちらの著者も、表現は身近な感じですが、企業の在り方に関しては、とても気持ちの良い見方をしている立場です。

 

 著者自身が企業で働いた経験があるので、現実的な感覚も織り込まれてあり、読みやすい本でした。

 

・「日本経済を壊す会計の呪縛」(大畑 伊知郎 著)

 


 会計制度の変更が、企業の経営者の行動を変えたという状況を、丁寧に説明している本です。

 

 会計と言うのは、世の中の一部の人しか知らない世界ですが、その世界で、このような興味深い出来事が起こっていたのかと驚きました。sign01

 

 とてもおもしろかったです。

 

そしてこちらは、経済とは直接関係はありませんが、でも「経済学」には間接的に関係があるように感じられたので、ここに取り上げます。

 

・「愛を科学で測った男」(デボラ・ブラム 著)

 


 心理学の世界の、ハリー・ハーロウ博士に関する本です。

 

 ハリー・ハーロウ博士というのは、アメリカの心理学者で、アカゲザルを使った「代理母の実験」という実験によって、当時のアメリカの心理学の世界で主流となっていた、「赤ちゃんは授乳(食餌)によって、母親との結びつきを得ている」という主張を、覆しました。

 ハーロウ博士は実験によって、赤ちゃんは授乳よりも、「接触による安らぎ」によって、お母さんとの結びつきを得ているということを、証明したのです。

 
この本によって明かされる、ハーロウ博士の研究の素晴らしさはもちろんのことですが、私としては、当時の心理学の世界に起こっていた、あまりにも非現実的な主張が主流となっていた学問の世界の不思議と、そうした状況下で、上手に自分の研究の成果を世の中に認めさせていったハーロウ博士の手腕に興味を感じ、ここに取り上げました。

 

 学問の世界というものが必ずしも、いつの時代でも現実に即しているというわけでなく、時には現実から大きく離れた世界に、流れていってしまうこともあるという現象の不思議さを感じます。

 

 心理学の世界での評価はともかくとしても、現実に沿っていたハーロウ博士の研究が、その後の時代に、どれほどたくさんの子どもの幸福に貢献したのかは、ここに書くまでもありません。

 

 そして、この本を読んだことで私が思ったのは、経済学の世界にも、かつての心理学の世界と同じことが起こっているのではないか?と、改めて疑問に感じていたのでした。

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今年の「ONE PIECE」♪

 今日で、今年の「ONE PIECEの放送が終わりました。

 

 今年の「ONE PIECE」は奇しくも、年頭のクンフージュゴンの話から、今日放送分の最後まで、「自分の意思を奪われ、操られる」という状況が、テーマであったように思います。

 

 そして毎週、放送を見るたびに思っていたのですが、それはどこかしら、現実の世界の影を見せられているように感じました。

 

 悪者たちによって、普通の人たちが自由を奪われ、操られ、その意に反した、望まない戦いをさせられる。thunder

 いかにも、人間の世界にありそうな話です。

 

(この先は、「ONE PIECE」を見ていた人たちにしか、わからない内容だと思いますが…。笑)

 

 クンフージュゴンもそう。

 

 優しい王であったリク王もそう。

 

 そしてシュガーという、本当に性質の悪い子どもによって、おもちゃの姿に変えられてしまった、数えきれないほどの人たちもそう。

 

 今年の「ONE PIECE」の悪者は、本当にその性質が悪くて、大人が見ていても、目をそらしたくなるほどでした。

 

(いくらルフィ達がいるからって、子どもが、こんなに刺激の強い悪役を見ていても、いいのでしょうか?)

 

(^^;)

 

 そして今月の放送に入っても、悪者たちがあまりにも手ごわいので、「もう年内はこのまま、ルフィ達が劣勢のまま終わってしまうのかしら?」と心配だったのですが…。

 

 でも今日、最後の最後でウソップが大逆転を果たしましたね。sun

 

 あまりにもおもしろすぎる展開で、思いっきり笑ってしまいましたが…。shine

 

 最後に笑わせて締めるとは、さすがは「ONE PIECE」です!shine

 来年はどうやら、自由を取りもどした人たちの反撃が始まるようです。

 

 良かった、良かった♪

 

これなら私も、安心して年を越せそうです♪

(……?)

 

shine*^^*shine

 

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宣伝し過ぎ…?(笑)




 11月の中旬に図書館で出会ってから、ずっと読んでいた「バランスシートで読みとく世界経済史」の本ですが。

 

 なんと先週、図書館の返却期限が来たので、また続けて借りようとしたところ、カウンターで「予約が入っています」と言われて、びっくりしました。(!)

 

 「えっ?」と、一瞬耳を疑いました。thunder

 

著者の方にはまことに、申し訳ないことなのですが…。

 

(ス、スミマセン…。)sweat01

 

m(_ _)m

 

でも、でも、だって…。sweat01

 

簿記の本なのです。それに簿記からちょっと離れて、もう少し大きく見たとしても、世界経済史の本なのですから、どう考えても、そんなに多くの人に読まれる本とは思えませんが…。

 

聞けば区内の図書館に合計7冊あるのですが、すべてが貸し出し状態になるそうです。

 

どうしてそんなに人気が…?

 

一瞬、「あ、もしかして、私がブログで宣伝し過ぎちゃったからかしら? 大変!!」。sun

 

などと、どうしようもなく、脳天気な原因も考えたのですが、もちろんそんなはずはありません。(笑)

 

何が起こっているのかはよくわかりませんが、とにかくこの本は、意外と人気が出ているようです。

 

「複式簿記」という言葉ではなくて、「バランスシート」という言葉が良かったのかも知れません。

 

 原因は何であるとしても、書かれてある内容のわりに、とにかく読みやすく、親しみやすい本であることは確かです。shine

 

予約を入れて、先日また借りられたので、続きを読んでいます。

 

本当は、そろそろ自分で買っても良い感じなのですが、予算の都合もあり、まずは借りて、自分でひととおり読んでから、決めようと思います。

 

というか、すでにもう、マーカーをひいたり、書き込みをしたくてたまらなくなる時もあるので、「早めに買えば?」という感じではありますが…。(笑)

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クリスマスツリー

14099__3

 最近は、青や白の、大人びたツリーが多いような気がします。

 
でも私はどちらかと言えば、オーソドックスな赤を基調としたツリーや、カラフルなボールがキラキラしているツリーの方が好きです。

 本日、都内某所にて…。

 赤とゴールドで飾ってあるツリーがとてもきれいだったので、しばし立ち止まって見ていました。xmas

 窓の外から見ると、空に昇って行くサンタさんとトナカイさんが、ちょうど良い位置に見えます。

 今日が25日なので、今夜のうちに片づけてしまうのでしょうか。bell

 
あまりにきれいだったので、来年はどこか別の場所で使えばいいのに、などと思います。

 ずいぶんお金もかかるのでしょうが、やっぱり見る人を幸せにしてくれます。

 
世界中の誰もが、温かな気持ちでクリスマスツリーを見られますように!shine

 
そう、ずっと、未来まで…。shine

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晴れた日の道路と、流れゆく祈り

 仕事中、ふと窓の外を見たら、よく晴れていて、高速道路の上に、たくさんの自動車が見えました。

 

 都会はビルがいっぱいで、年末近い道路の上も、たくさんの自動車やトラックでいっぱいでした。

 

そして、たくさんの人がいる街の上に、澄み渡るような冬の青空が、広がっていました。shine

 

 遠くに目をやれば、私の知っている人もいる、東京の向こう側までもが見えそうです。

 

 今年はどうして、こんなに祈りたい気持ちになるのでしょう。

 

 つい最近も、地震のテレビを見たばかり…。

 

 あたたかなオフィスの中で、私はたくさんの働く人たちの中にいて、そして窓の外に目をやれば、たくさんの動いている自動車と、働いている人と街がある。

 

 宗教に熱心であった時のように、自然に心から祈りが流れ始めます。

 
大地のために。

 
地球のために。

 
たくさんの生きている生命のために。

 

 心から溢れ出る祈りが、大地に流れるように、遠くへ、遠くへと広がっていきます。

 

 コピー機まで、自分の印刷した書類を取りに行くまでに…。

 

 「自分が、幸せである」ということは、大切なことだと思います。shine

 
「祈り」というものが特別なことでなく、まったく普通の心から、自然に流れ出るものとなるからです。

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社会問題とのつきあい方(War Is Over)

 「暗いことには、関心を持ってはいけない」。

 

 宗教の会員であった頃、よくそう言われていました。

 

 それは、ある面では本当のことだと思います。

 

 でも私は、世の中のいろいろな問題から、目をそらすということが、できませんでした。

 

 それに宗教の教えも、時によっては誤っていたのだということも、感じるようになりました。

 

 私の心の回復は、自分の中の暗さと向き合うことから、始まったのです。shine

 あのまま私が、自分の中の暗さから目をそらしていたら、今の私はいなかった。

 

 いつまでも苦しいままで、いたことでしょう。

 

 暗さに目を向けていくことで、そこから解決の道が開かれることもまた、あるのです。shine
 

 でもこのところ、社会問題に関心を持ち過ぎて、自分が個人的に暗くなってしまうという失敗を、私が繰り返していたことも事実です。

 

 社会問題に関心を持ってしまうと、自分の心が暗くなってしまう。

 

 そのことは、自分を温かな幸せから遠ざけてしまいます。

 

 それならば、心を向けなければいい…。

 

 するとその途端、自分の中に大きな悲しみが押し寄せてきます。

 

 世の中のどこかで起こっている、どこか遠くの辛い出来事も、どこかで自分の心の一部である。shine

 

 そうしたことを、感じさせられてしまいます。

 切り離すことは、できない。

 

 でも自分の軸を、手放してはいけない。shine

 

 そうした「明るさと暗さのバランス」という問題は、この数か月、私を悩ませていました。

 

 でもクリスマスを前にしてようやく私も、そうしたこともまた、自分のたましいのひとつの学びとして、なんとか乗り越えてゆけそうです。xmas

 

 実際に、大きな社会問題に取り組んでいる人たちは、あきれかえるほど明るい人である場合も多いのです。sun

 

 こんなにとんでもないことが山積みの地球なので、深刻になっていては、問題に取り組む元気もなくなってしまうのでしょう。

 

 明るい気持ちを維持すること。shine

 

 悲しみに呑まれず、怒りに引きこまれず、あきらめや絶望は手放して、そういう人たちは自分の心の中の宝物を見つめながら、その活動を続けていくのだと思います。shine

 

 地球は、平和になるのでしょうか?

 

 私の場合は、「地球の資本主義は、いつかはちゃんと終わるかな?」、ですが…。(笑)

 資本主義が終わった後のビジョンは私の中にあり、そこにはいつでも光があります。shine

 

 あとは私が、目の前の出来事を見つめ過ぎず、自分の中の光を見つめて行くだけです。

 

 気がつけば、ほんのちょっと、心の視線の向けどころを変えていくだけの話でした。

 

 いつか、ある人から聞いた話です。

 

 「ジョン・レノンが暗殺されてしまったのは、彼が『イマジン』を歌ったからだ」と言うのです。

 もしも世界中のたくさんの人が本当に、平和な世界をイメージしてしまったら、そのイメージは必ず現実になってしまうから…。shine

 

 だから、それを望まない人たちによって、彼は暗殺されたのだと。

 

 もちろん私は、その話を本当だとは思っていませんが…。

 

 でも、平和な世界をイメージするのは、楽しいことだと思います。shine

 

 ベルリンの壁が崩壊した時のように、人間がひとつの大きな課題を乗り越えていく場面は、本当に壮大で素晴らしいと思います。

 

地球上にこれからも、そうした素晴らしい場面が現れますように!shine

 

クリスマスが近いせいか、ついついいつもより、そんな気持ちです。

 

shine*^ ^*shine

 

 それにしても、ジョン・レノンはすごいと思います。

 

誰にでも親しめそうな歌なのに、そのまま「祈り」なのですね。shine

 

地球上のすべての生命のために、愛が呼び起こされていくようです。

 

リンク先は、どちらも「Happy Xmas (War Is Over)」です。

 

映像は辛いものですが、いつか人間はそこを乗り越えていけるのだと、信じていたいです。

 

*映像が辛いので、心が暗くなってしまいそうな方は、後のリンクの方が良いと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=yN4Uu0OlmTg

 

*こちらは映像なしで、歌詞だけのサイトです。

https://www.youtube.com/watch?v=oXaLu7bvke8

 

*なんと、日本語でも?!

私はこのヴァージョンも、なんだか好きです♪

shine*^^*shine

https://www.youtube.com/watch?v=vEVhFuVuuWo

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「言葉が、あまりきれいでない社会」に生まれてくる子ども

 言葉にはけっこう敏感な方だと思います。

 

 これは以前、熱心に信仰していた宗教の影響もあるのですが、日頃からなるべく音と、それから意味がきれいでない言葉は避けるようにしています。

 

 そういう言葉を使ったり、聞いたりしていると、まるで自分の心まで汚れてしまうような気持ちがするからです。

 

 ところがそうして生活していると、ほかの人の使っている言葉が、とても気になってしまう、という時があります。

 

 だからなんとなく、言葉がきれいでない人や集団からは、距離を置くことになってしまいます。

 

(ちなみに、ここで言う「きれいでない言葉」というのは、攻撃的な言葉とか、人をばかにする言葉、罵る言葉などが多いです。単なる庶民的な言葉というのは、それほど気になりません。)

 

 そして、そういう生活をしていると、これもまた時々ですが、「言葉がきれいでない社会に生まれて来る子ども」というのは、とても可哀そうなのではないかと考えてしまいます。

 

 子どもたちは、本当は「もっと、きれいな言葉の方がいいよ(涙)」と、思っているのかも知れない、などと考えてしまうのです。shine

 

 でもよく考えたら、「言葉がきれいでない社会」に生まれてくる子どもというのは、案外その子も素直に、「言葉がきれいでない大人」に育っていくのかも知れません。

 

 そうなれば、自分が「言葉がきれいでない社会」に生きているということも、まったく気にならないかも知れないのです。

 

 だから最近は、「実際には、それほど可哀そうでもないのかな?」などとも、思うようになりました。

 

 でもやはり、と、考えは先に進みます。

 

子どもと言っても一様ではないわけですから、そうなると、生まれつき言葉の感覚が鋭くて、美しい言葉を好む子どもなどは、言葉がきれいでない社会に生まれてきてしまうと、ずいぶん居心地が良くないことだろうなと思います。

 

 子どもの感性というのは、けっこうあなどれないものだからです。

 子どもたちの中には生まれつき、詩人の素質のある子もいるでしょうし、文学の素質のある子供もなどもいると思います。shine

 

 そういう子どもたちのことを考えると、やっぱり「言葉がきれいでない社会」に生まれてくる子どもというのは、可哀そうなのかな?と思います。

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資本主義社会における、選挙の選択肢

 アメリカでは、オバマ大統領によって、ブッシュ政権時代のCIAの拷問の報告書が公開されました。

 

 「どうしてこの時期に?」という、疑問があります。

 

 そして、その「時期」についてですが、たまたま昨晩見ていたテレビで、少しだけ解説がありました。tv

 

 詳しい言葉は記憶していませんが、アメリカは来月になってしまうと、議会で共和党が優勢になってしまい、そうなるともう、その報告書がまったく公開されなくなる可能性があったのだそうです。

 

 たしかに共和党政権時代の行為ですから、共和党勢力が強くなってしまえば、もう公開されることはないでしょう。

 

 こうした状況を考えてみると、オバマ大統領という人は、現在、政治において酷評をあびているとしても、人間としては「まっとうな人」と考えて良さそうです。

 

 すくなくても拷問という行為について、それを容認して、国民に隠しておこうとするような人物ではなかったということです。

 

 ところで、このオバマ大統領の人間性と、その政治に対する評価を考えながら、私は以前からずっと、書きたかったテーマについて書きたいと思います。

 

 それは、「資本主義社会における選挙の選択肢」です。

 

 大きく見てみると、アメリカと日本は、選挙における選択で、似ているところがあると思います。

 

 それは国民が、「共和党政権が嫌になれば、民主党政権を選択し、その民主党政権にうんざりしてくると、今度は共和党政権に戻りたがる」、という点です。

 

 アメリカでは、その選択が繰り返されているように思います。

 

 日本もまた、民主党政権から数年で、自民党政権に戻りました。

 

 この選択について、私は以前から、考えていたことがありました。

 

 政治と経済を別々に考えた時、実は共和党政権と民主党政権では、その構造ではあまり違いはないと思うのです。

 

 格差が大きくなる政策をとるか、格差が小さくなる政策をとるかという、そうした「格差の大きさの選択」については、大きな違いがありますが、「格差を解決できない」という点においては、どちらも同じです。

 

 なぜかと言うと、結局どちらも、「資本主義社会」でしかないからです。

 

 資本主義社会というものについて、私は「お金を使って、お金を稼ぐという行為(資産運用)が容認されている社会のこと」と考えていますが、この資本主義社会では、格差が生まれるということは、自然なことです。

 

 ただ、その格差を大きくするか、小さくすませるかという「調整」については、いくつかの手段はあります。

 

 だから資本主義社会における選挙では、経済に関しては、結局その点についての選択ができるというだけです。

 

 つまり格差が大き目か、小さ目かという、選択です。

 

 そこを考えずに、ただ自分たちの経済の状態が良くなっていないという不満から、「それなら別の政党で」という発想で政権の交代を望んでしまうと、そこには思いもかけない副作用がついてくる場合があると思うのです。

 

 それが、ブッシュ政権時代にアメリカが経験した、「テロとの戦い」であり、また今回、公開されたような、人権侵害を伴う社会なのではないでしょうか?

 

 国民は、その時の政治に不満があったから、別の政党を選んだだけなのですが、その結果、とんでもない人権侵害を平気で行う政党を選んでしまっていた、ということです。

 

 そしてアメリカは、ブッシュ政権時代に本当にずいぶん嫌な思いをしているはずなのですが、今回またしても、民主党政権への不満から、経済を理由に共和党政権を選び直すかも知れないのです。

 

 それは国民にとっての「賢い選択」になるのかどうか、私は疑問に思います。

 

 私は、資本主義社会においては、経済の選択肢は限られているのだから、格差も小さなものであり、そして、まだ生きていいかれる範囲内での程度であれば、それは「小さなこと」として我慢をするべきではないかと考えています。

 
要するに、資本主義社会においては、もともと経済については「我慢が必要なものだ」ということです。

 

 そしてそれよりも、選挙の時には平和や人権といった、人間の生活を本当に快適にしてくれるものを、大切にしてくれる政党を選んだ方が、国民は結果的に、良い結果を得られるのではないかと思います。shine

 

 今度の報告書は、アメリカの国民の選挙に影響を与えるのでしょうか?

 

 私としては、気になるところです。

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外国に住みたい(2)

 最近は、「私がもしも、外国に住むとしたら、いったいどの国がいいかな?」などということもまた、時々考えるようになりました。

 

 現実的な見込みがまったくなくても、そのような非現実的な発想ができるのが、私の良いところでもあり、また、良くないところでもあるようです。(笑)

 
今、興味があるのは北欧です。

 

 その理由ですが、「北欧の人たちはすごい!」と思うのです。sign01

 

 北欧の人たちはどうして、あんなに高い税金を国に払ったあとに、国からちゃんとそれに見合うだけのサービスを、「しっかり取り立てられる(←?)」のだろうか?と思います。

 

 日本などは、税金を払っても、払っても、払っても!!!、ぜんぜんそれに見合うサービスが受け取れません。

 

 それどころかいつも、「もっと、もっと、もっと!!!」と、まるで大喰らいのカオナシ(*注:ジブリの「千と千尋の物語」を参照のこと)みたいに、税金を要求され続けてきています。sweat01

 

 消費税も8%になってしまったし、働きながら税金を払っている国民は、もうへとへとです!sweat02

 

 北欧の人たちは、どうしてそういう状況に陥らないのか、不思議に思います。

 

 それからアイスランドという国も、とても不思議です!shine

 

 あまり情報がないのでよくわかりませんが、アイスランドという国は、どうやら金融に関して大事件?!があったようなのです。sign01

 

でもそれなのに国民は、金融に打ち負かされて泣くのではなく、逆にマネー経済という獰猛な怪物を、どういう方法でなのかはわかりませんが、「やっつけてしまった!」らしいのです。punch

 

……。

 

(いったい、どうやって?)sweat01

 

(普通はどこの国だって、負けるのに…?)

 

(^^;)

 

聞けば、アイスランドでは今でも妖精の存在が信じられているのだとか。thunder

 

そんなメルヘンチックな文化を持ちながら、世界中が苦しめられている金融という怪物をやっつけてしまうとは、なんと不思議な力を持った人たちなのでしょう?shine

 

 もしかして妖精がこっそり、戦い方を教えてくれたとか…。shine

 

 とても、気になってしまいます♪

 

shine*0*shine

 

*リンク先は、アイスランドの金融バブルに関する橘玲さんの記事です。

http://diamond.jp/articles/-/23464

 

*こちらはアイスランドの妖精に関する記事です。笑えますよ♪

http://matome.naver.jp/odai/2141215013814269601

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実体経済の回転速度

 昨年のある日、社会人大学での、経済学の授業の時の話です。

 

 その時の話題も、すでに日銀の金融緩和でした。

 

 先生の雰囲気が良かったので、学生も発言がしやすい授業でした。

 

 この金融緩和については、私ははじめから、ある考えを持っていました。

 

 それは「金融緩和をしても、そのお金が実体経済(実物経済)に入らなければ意味がない。そこを決めるのは、緩和されたお金を受け取る市中銀行なのだから、市中銀行がマネー経済ではなく、実体経済にお金を融資するように『させなければいけない」というものでした。

 

 私は、銀行が利益を優先するために、実体経済への融資よりも、意図的にマネー経済を選択するのではないかと思っていたのです。

 

 それでその時も、そうした自分の考えを発言していたのですが、なんとなく先生や、周囲の人の様子に違和感がありました。

 

 どうして?と思ったので、自分の意見はいったんオフにして、先生やほかの人の発信に意識を向けました。

 

 すると、私が思っていたのは違う状況を、ほかの人たちは主張していることがわかりました。

 

 先生やほかの人たちは、私とは違う状況を見ていたのです。

 

 先生も、ほかの学生も言っています。

 

 「地方の銀行では、融資をする先が見つからなくて、銀行にお金が積み増しになっている。銀行が貸したくても、企業がお金を借りようとしないのだ」と。

 

 それで私も、はっとしました。
 

 「実体経済に、お金が入っていかない」という状況があったのです。

 

 そして、気がつきました。

 

 実体経済には、「回転速度」とでも言うべき、流れの「速度」があるのです。

 

 実体経済は、実体のある財やサービスを生産し、交換し、消費をする経済であり、お金がその動きと一緒移動をする経済です。

 

そのため、どうしてもそこには、「速度」というものが現れます。

 

数字だけが動けばいいマネー経済とは違って、実体経済は「実体」が動くからこそ、速度が生まれてしまうのです。

 

*ここで言う「実体経済」、「マネー経済」につきましては、「私の経済観」というカテゴリーの記事に記してあります。ご参照いただけましたら、幸いです。

 

 マネー経済とは事情が違い、実体経済ではお金が瞬時に、底なしに吸い込まれていくということはあり得ません。

 

 生産された財やサービスが、きちんと売れて、消費にまわっていく速度に合わせた速さでしか、実体経済はお金を吸い込むことができないのです。

 

 この先は私の推測ですが、「企業がお金を借りようとしない」ということは、おそらく生産を拡大しても、売れる見込みがないからではないかと思いました。

 

 とにかく私の、「銀行はマネー経済にお金を使うのではなく、企業にお金を貸すべきだ」という考えは、誤っていたのだと思いました。

 

 そして結局、そうなると…、ですが。

 

 銀行が企業にお金を貸したくても、企業が融資を望まない。

 

 それでは金融緩和を受けても、銀行はお金を貸し出す先が見つからない。sweat01

 

 そうなれば銀行としては、結局マネー経済にお金を投ずるよりほかにないのでは?

 

そうすると金融緩和をした結果、日本全体ではマネー経済だけがどんどん膨らんでしまうのではないでしょうか?bomb

 

そして、その先ですが、もしもそのすっかり大喰らいのカオナシ(「千と千尋の神隠し」をご参照のこと)状態に巨大化しているマネー経済が、大爆発をしたら…?impact

 

(大変!!!)

 

 などと…。

 
昨年まではそう考えていたのですが、ところが今年、ここに来て新たな情報が出てきました。

 

 金融緩和によって世の中に出て行ったお金は、どうやら誰にも借りてもらえなくて、銀行が持っている日銀当座預金の中でお休み中…?

 

ZZZ…。(すやすや…)

 

あれっ?(^^;)sweat01

 

 どちらにしても、実体経済に入って行かれなかったらしいということは、間違いなさそうです。

 

*リンク先は、情報元の内橋克人さんの記事です。最後の「符号」という項目は、私にはまだ、理解ができていないのですが…。 

http://www.kanaloco.jp/article/81378/cms_id/115319

 

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もう、愛せない

 たとえば、好きだと思っていた異性でも、ほんのある一面を見た瞬間、「私はもう、この人のことは、絶対に愛せない!」。

 

 そう感じてしまう瞬間が、あるかも知れません。

 

 もちろん人間には誰でも、良いところも悪いところもあり、良いところだけの人間なんていないでしょう。

 

 だから「欠点がある」というところまでは、しかたがありません。

 

 でもただ「欠点がある」という場合でも、その欠点がどういう種類の欠点なのかということは重要です。

 

 ひとりの人の欠点が、ある人にとってはまったく気にならない程度のことかも知れないし、でも別の人にとっては、絶対にゆるせない、決別の決め手となるほどのことかも知れません。

 

 その人の欠点が、自分にとってたいしたものでなければいいのですが、自分にとっては、どうしても耐え難い欠点であるならば、それはもう、その関係に修復の見込みはないでしょう。

 

 どうしてもゆるせない相手の欠点というものは、人によって違うと思います。

 

 私の場合は、人間の生命を大切に考えられない異性は、絶対だめです。

 

 どんなに陽気で優しくて、どんなに頭が良くて素敵な男性でも、人間の生命に対する想像力のない男性は、愛せません。

 

 つまらなくて、軽蔑を感じてしまいます。

 

 私の場合これだけは、どんなにほかの長所が素晴らしくても、絶対に妥協ができないポイントです。

 

 そして私の場合、このポイントは、異性関係だけとは限りません。

 

 同性でも、そのほかの集団や組織でも同じです。

 

 人間の生命を大切に扱えない存在は、愛せません。

 

 最近、自分にとても縁の深い、ずっと好きだったある存在を、とうとう愛せなくなりました。

 

 たくさんの温かな思い出を含んだそのものの、ここにきて現れたあまりにも軽々しい無責任さは、私にはもう、絶対に愛せない種類の欠点でした。

 

 生命を大切に扱えない存在は嫌いです。

 

 たくさんの生命がありました。

 

 たくさんの生き残った人たちが、自らの辛い記憶に向き合って、それでも「あんなことは、もう二度とあってはいけない」と、今、生きている人たちに語ってくれました。

 

これから生まれてくる、たくさんの生命のためにも、その人たちは語ってくれたのです。

 

その人たちの気持ちを受け止めているならば、自然と行動は決まっていくはずです。

 

楽しむことがいけないと、言いたいわけではありません。

 

楽しむことも大切だけど、人間として生きている以上、どうしても逃げずに向き合わなくてはいけないこともあるのだと思います。

 

それほど難しいことでは、ありません。

 

ただ、辛い経験を話してくれた人たちの気持ちをしっかり受け止めて、もう二度と「あんなこと」が起こらないように、自分の足元を丁寧に進めてゆけばいいだけです。

 

 それなのに、楽しい踊りに夢中で、足元を見ることもなく、ほったらかしている。

 

 そういう存在を、私は尊敬できないし、愛せません。

 

 あんなにたくさんの、去っていった生命を忘れて、ただ楽しむだけで過ごしている。

 

 生命を大切に扱えない存在を、私は愛することができません。

 

 私が愛せなくなったもの。

 

 悲しいことですが、それは…。

 

 もう、言葉にする必要もないでしょう。

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選挙に行かなかった私と「株式会社」

 15年ほど前まで、選挙にはめったに行きませんでした。

 

 どうせ行っても行かなくても、世の中は変わらないので、行く必要などありませんでした。

 

 2000年頃から、選挙に行くようになりした。

 

 その時の理由は、世の中の変化が嫌だったからでした。

 

 私が望まない方向に、急速に世の中が変わっていくのを感じたので、政治のことなど何もわかりませんでしたが、投票に行くようになりました。

 

 そして、政治のことなどわからない私でしたが、その時の感覚が正しかったことは、後になって世の中の現実が示していました。

 私が自分の考えを持って、選挙に行くようになったのは、「エンデの遺言」に興味を持つようになり、その過程で「株式会社」を理解した時からでした。

 

 「株式会社」を理解した時にはじめて、それまでまったくつかめなかった「世の中の仕組み」というものが、突然、視界が開けるようにわかりました。shine

 

 企業はどうして、際限もなく利益を求めるのか?

 

 株とは何なのか?

 

 株価が上がるとは、どういうことなのか?

 

 そうしたことが理解できた時、はじめてそれまでわからなかった選挙演説を、私は感覚ではなく思考で判断できるようになったのです。shine

 

 自分の希望は、どの政党の主張に近いのか?

 

 どの政党の主張に、どれほどの現実性があるか?

 

 その政策は、誰を豊かにするものなのか?

 

 そうしたことが判断できない時、選挙権というものは、いったいどのように使えばいいのでしょうか?

 

 私たちは、政治を判断するための知識も、考え方も教えてもらえずに、20歳になると選挙権が与えられます。

 

 でも、判断する方法も知らずに、ただ選挙権だけが与えられるのならば、その票は単なる人気投票の一票としてぐらいしか、使いようがありません。

「株式会社」を知ったことで、ようやく私は、私なりの判断ができるようになりました。

 

 選挙で投票をするための知識として、「株式会社を知る」ということは、それほど大きなことなのです。

 
それは、もともと知っている人から見れば、当たり前過ぎてなんでもないことなのでしょう。

 

 ところが株というものは、選挙権とは違っていて、世の中の20歳以上の全員が持っているわけではありません。

 

 株を持っていない家の子どもは20歳になってもほとんどが、株式会社とは何かを知らないままで、ただ選挙権だけを与えられているのだと思います。

 

 そして、判断できないもどかしささえも意識せず、自分たちの望みが反映されない投票に行っては、苛立ちとあきらめを重ねてゆきます。

 

 自分が住んでいる世の中なのに、自分にはわけのわからない力で世の中が動いている。

 

 その不満。そして、そのあきらめ。

 

 今はもう遠くなった記憶ですが、かつては私も「選挙に行かない人」でした。

 

 私が変わったのは、「株式会社」を理解した時からです。shine

 

 そして今もまた、かつての私のように、「株式会社」とはどういうものなのかもわからずに、ただ選挙権だけを与えられている人たちが、世の中にはたくさんいるのだと思います。

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お叱り?

 「世の中の変化が怖い」という感情を、解放しようと思ったのは、「怖い」と感じる自分を抑圧していると、ますます気持ちが不安定になるからでした。

 

 それで、これはもう抑えている方が健康に悪いので、はっきり「怖い!」と認めてしまおうと思ったら、今度は抑制が効かなくなって、恐怖感が大量流出状態に…。sweat01

 

 加減がわからないというか、自分でも本当に面倒な性格です。

 

 でも、今日思ったのですが、怖がることはもうやめます。

 

 あまり怖がっていると、運勢も下がってきてしまうので…。

 

 今日は、かなり以前から楽しみにしていたイベントに、なんと時間を間違えて遅刻をするという失敗をやらかしてしまいました。

 

 本当に楽しみにしていたのに、ショックです。sweat02

 

 それで、なんとなく神さまから、「怖がるのも、もういい加減にしなさい!thunder」と叱られているような気分になったので、怖がることはもうやめます。

 

 自分の中にたまっていた「怖い!」も、すっかり出尽くしたような気がします。

 

 とういか本当は、怖がっていることに疲れてきたから、もういいです…、という気持ちもあります。sun

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かもめ

 数日前、ビルの窓から海を見ていました。

 

 世の中の雰囲気に敏感、というか、異常なほど過敏な私は、すっかり閉塞感に負けてしまい、なかなか心が晴れません。

 

 そこまで、傷つくことないじゃない?

 

 と、自分でもそうは思うのですが、生まれつきの性分はそうそう変えられるものではありません。

 

 「どうでもいいこと」にすっかり傷ついてしまっている自分は隠しておきたくて、この最近は、ついつい人から遠ざかり気味です。

 

 もともと人づきあいがすごく下手なのに…。sweat01

 

……。

 

 窓から見える港の風景は、まるで模型のようでした。

 

 道路を走るトラックは、よくできているおもちゃのよう。

 

 大きな、それなのに可愛く見える船が、海の上を動いていきます。

 

 私も、海に出て行けば、自由になれるかも知れません。shine

 

 現代的な、素晴らしいフォルムの建造物を見ていた時です。

 

突然1羽のかもめが現れて、私がいる窓の外を大きく旋回し、そのまま矢のように飛び去って行きました。

 

一瞬、パーンッ!とはじけるように、心が解放されました。shine

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見かけだけの平和とドレスローザ

 子どもの頃から、「世界が平和になればいいな」と考えていました。shine

 

 世界に戦争がなくて、人間がみんな助け合っていて、もしも災難に合っている人や、飢えている人がいるのなら、世界中の人たちで、何とか助けようとして知恵をしぼる。

 

 そういう世の中がいいと、いつも、考えていました。

 

 おそらくそのように考えている人は、決して私だけでなく、世の中にはたくさんいるのだと思います。

 

 だからクリスマスを祝う国の人たちは、この季節にはとても優しくなる。heart
 

 普段から、平和のことを考えている人も、普段はあまり考えていない人も、この季節には平和について、考えやすくなるのだと、思います。xmas

 

 ところでこの「平和」というものですが、大人になると、子どもの頃に思っていた「平和」と、大人になってから思う「平和」は、ずいぶん違うと思います。

 

 私が子どもの頃に思っていた平和というのは単純に、世の中に戦争がないこと、人が全員で助け合っているということぐらいでした。

 

 でも大人になるとだんだんと、人間の世界には、そういう形だけのことではなく、目には見えていないことでも、とても大切なこともあるのだということがわかってきます。shine

 

 人間の世界では時によって、見かけの上では平和に見えるけれど、その状態は本当に平和と言えるのだろうかと思うような、そういうことについてもまた、わかってくるのだと思います。

 

 でも、もしかしたら子どもたちは、そんな難しい話は知らなくても、実はもうそういう「見かけだけの平和」という世界を、知っているのかもしれません。

 

 子ども向けのアニメとされている「ONE PIECE」では、今年に入ってから「ドレスローザ」という国が舞台になっています。

 

 このドレスローザという国は、一見、とても可愛い国です。

 

 町では人間と、ぬいぐるみやロボットなどのおもちゃが、どちらも生き物として楽しそうに共存しています。

 

 街の中を、着ぐるみを着た人間ではなく、本当のぬいぐるみや、犬の姿をしたおもちゃたちが普通に歩いています。

 

 その風景はとても可愛くて、まるでそのまま、遊園地にでも来たかのようです。

 

 ところがこのドレスローザという町は、実は大変な悲劇に見舞われている国でした。

 

 可愛らしい姿の動くおもちゃたちは、実は過去には、普通の人間だった人たちなのです。

 

 この国では、権力者に嫌われた人たちは、おもちゃの姿に変えられて、自分の意思を奪われてしまうのです。

 

 そうした事実が明かされるにつれて、はじめは平和で楽しそうに見えていた国が、だんだんと、本当は大変な「闇」を抱えている国として、その姿を現してくるのです。

 

 表に出ている町の様子は明るくても、その裏では実は、たくさんの自由を奪われている人たちがいる。

 

 そうした、その国の現状がわかってくると、その国に対して「平和」という印象を持つことは難しい…。

 

 平和というのは、見かけ上の話だけではないのです。

 

 もちろんルフィ達、麦わらの一味は、この国を悪者の手から救うために、戦っているのですが。

 

 アニメの世界には、ルフィ達がいるので、安心ですね♪

shine(*^^*)shine

 

 ところでネットを見ていたら、以前から気になっていたあることについて、映画作家の想田和弘さんがコラムを書いていました。

 

 ちょうど1年ほど前に書かれたものです。

http://www.magazine9.jp/article/soda/9868/

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コワイものはキライです!

 このところ、なかなか経済の記事が書けなくなりました。

 

 今は、経済どころではないような気持ちがして、心が落ち着かないのです。

 

 実は、私は大変な怖がりで、「コワイもの」は全部、キライです!sweat01

 

 ホラー映画など、たとえお金をもらったとしても、見たくありません。

 

 夏場に甥っ子や姪っ子たちが笑いながら見る「ホンコワ」(「本当にあった怖い話」シリーズのことらしい…)でさえも、コワい場面では絶対に耳を押さえて、目もつぶっていることにしています。

 

 たまにうっかり、タイミングを間違えて目を開けてしまうと…。(!)

 

 あとでひとりになった時に、本当に後悔してしまいます。sweat01

 

 お化け屋敷とか、キモ試しなどは、絶対あり得ません!thunder

 

 そのほかにも私がコワいものとしては、人がいない場所、人が多すぎる場所、(つまり結局、両方?)、それから高い場所、地下の深すぎる場所、(これもまた、両方?)、ある種の昆虫類や生き物たち、難しすぎて模様にしか見えない経済学の数式、古過ぎて中からあやしい煙(?)でも出てきそうな昔の本、古い建物、それから歴史に出てくる昔の事件など、いろいろです。

 とにかく私は、コワいものは、キライ!、絶対にキライ!sweat01

 

 これはもう理屈ではなく、絶対です!

 

 ところが昨年の秋頃から、私を本当に怖がらせ、私を心底痛めつけているものがあります。

 

 そのことによる私の痛めつけられようときたら、まるで心理学の実験室で、強いストレスをかけられて、弱ってしまった小動物並みの有り様なのです。

 

 「お願いだから、もういい加減に、このストレスから私を解放してください!」と言いたいぐらい、私はそれがキライ!

 

 それぐらい、私にとって理由もなくコワくて、キライなもの。

 

 それは、今月の10日から施行される新しい法律です。

 

 この法律が、私は理由もよく説明できないのですが、とにかくコワくてたまりません。

 

 人に話すとあきれられてしまうのですが、とにかく大キライ!!!です。

 

 ですので、これももうあと数日ですが、それまでは経済ではなく、政治に関する話題を先に書こうと思います。

 

 それは、コワいから、書かずにはいられないのです。sweat01

 

 そして10日になった後は…。

 今度はコワいから、その話題については、まったく書けなくなるのだと思います。sweat01

 

 本当は、こんなコワい法律はいらないから、もっと楽しい法律を作るとか、政策を導入すればいいのにと、思っています。shine

 

 たとえば毎年のクリスマスに、日本国民全員に1人あたり10万円ずつ、国がお金をプレゼントしてくれる「サンタクロース法♪」とか。xmas

 

 それから、実物経済における消費をすると、経済を活性化させたご褒美として、使ったお金の10%を国から支給してもらえる「マイナス消費税♪」とか。bell

 

(↑この税制、冗談で思いついたのですが、経済政策的にも、なんだかいいような気がしません?)(笑)flair

 

 どちらも実物経済は回復に向かうでしょうし、国民は絶対に反対のデモなど起こさないでしょうし、良いアイデアだと思うのですが…。

 

shine*^^*shine

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深く生きる

 最近、空気が澄んでいるせいか、ちょっとした風景を見ていても、とても美しく見える瞬間を感じます。

 

 たとえば都会の朝の、川の霧。

 

色づいた木の葉を透かしていく朝日。

 

 底が抜けるような青い空。

 

 桜の葉は、今日の風がすっかり落としてしまいました…。

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 今年の木の葉は、とても色がきれいだと思います。

 私は昨晩、伊丹万作さんの記事を書いたので、今日は、心が深く、静まっているような気持ちです。shine

 

 人は、いろいろな出来事を生きています。

 

 その環境から、人間が受け取る情報は、おそらく誰も、そうは変わらない程度でしょう。

 

 でも、その情報からその人の意識に呼び起こされる活動は、おそらく人によって、とても違うはずです。

 

 外界を、さらさらと流していくように生きる人も、外界から、その人のたましいまで響くような何かを得る人も、おそらく見ている世界の状況は、それほど変わらないものだと思います。

 

 できることならば私は、たった1回の人生ならば、思い切り深く生きたいと思います。shine

 

 人の中に呼び起こされる、絵の具の渦のような意識の奔流を、私は思い切り味わって生きていたい。shine

 

 今日は、そんなことを思いました。

 

 見上げればそこにある木の葉の色も、青い空も。

 

 同じ風景を見ていても、心に見える風景は、人によってまったく違うでしょう。

 

 しんとした、木の葉の色が深々と冴える今年の秋を、私は今までよりも美しく感じます。

 

 秋が、私の中に深く、深く、どんどん染み入ってくるのを感じます。

 

 昨晩、都内の某所にて、雨上がりのベンチに落ちていた、銀杏の葉です。

 

 冷たい空気の中で空を見上げたら、月が冴え冴えと、光を放っていました。

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トンタッタ族に見る「だまされることの責任」

 最近、伊丹万作さんの「戦争責任者の問題」というエッセイの話を、時々耳にするようになりました。

 

 戦前に活躍した映画監督の伊丹万作さんが、敗戦の翌年、1946年に発表したものだそうです。

 

*リンク先、青空文庫に全文が掲載されています。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

 

 細かい状況については省きますが、そのエッセイの中で主張されている内容を知った時、私は、心がすっきりするのと同時に、凜と引き締まるような気持ちを感じました。

 

 伊丹万作さんは、戦後の日本で多くの人たちが「だまされた」と言っていることについて、次のように書いています。

 

(引用始め)

 

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。

 
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

 

(中略)

 
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

 

(引用終わり)

 伊丹万作さんはこのように、戦争が起こってしまった原因を、「だまされた」という言葉で、簡単に片づけてしまおうとする人々に、強い警戒を示しながら、その考え方を戒めているのです。

 

 日本で、これほどの思いで、戦争が起こってしまった原因を考えていた人の存在を、私はまったく知りませんでした。

 

 おそらく本当に、心底、その時の戦争が嫌だったのでしょう。

 

 「もう絶対に、二度とこのような目にはあわされるものか!」という、強い決意を感じます。

 たしかに「だまされた」と言って、すべてを「だました者」の責任にして、ものごとを終わらせてしまう人ならば、おそらくその後も、何度でもだまされてしまうことでしょう。

 「だまされない」ということは、とても難しいことですが、せめて「もう二度と、だまされるものか!」というぐらいの気持ちは持たなければ、未来にもおそらく同様の経験を重ねてしまいます。

 

 「だまされる者の責任」という言葉は、しばらく私の心にのしかかり、その「責任」というものについて、なんとなく気にかけている日々が続きました。

 

 たとえば、だました者については「責任を問う」という発想があります。

 

 でも、だまされた者については、たとえばその「責任を問う」という発想をしたとしても、いったいどうしたらいいのでしょう?

 

 なかなか、思いつくことができませんでした。

 

 ところがこの問題は私なりに、とんでもなく意外なところから、答えを見つけました。

 

 なんと、毎週、見ているアニメの「ONE PIECE」です。

 

 気骨の入った伊丹万作さんの言葉から、いきなり「ONE PIECE」の話に移るのは、話が軽すぎると笑われてしまうかも知れません。

 

 でも、考え方としては、けっこう、まともな発想ではないかと思うのです。

 

 「ONE PIECE」の物語では、この数か月、トンタッタ族という、可愛い姿をした小人の一族が悪者と戦っています。

 

 トンタッタ族は心が良く、頭も良くて、戦闘能力も勇気も優れている小人族なのですが、とにかく「だまされやすい!」のです。sign01

 悪者たちのあり得ないようなウソにも、コロリ!とだまされてしまいます。

 

 なにしろ悪者たちもあきれてしまうほどにまで、だまされやすい…。sweat01

 

 昨日の放送でも、2回も連続で、それもほとんど反射的(?)ともいえるほどのスピードで、あっという間にだまされていました。sweat02

 

 そのためなのか、トンタッタ族には苦難の歴史が多いようで、その時も大勢の仲間が、奴隷のようにこき使われているという状況です。

 

 そして、見ていた私は思ったのですが、結局「だまされることの責任」は、「苦難」という形でだまされた人々が「とらされる」のだと思うのです。thunder

 

 苦難が嫌ならば、「だまされない」ように徹底的に気をつけて、自らの行動を選択するしかありません。

 

 なにしろ、アニメの中のトンタッタ族ならば、ルフィ達が助けてくれるからいいのですが、現実の世界では、助けてくれるヒーローはいないのですから。

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