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深く生きる

 最近、空気が澄んでいるせいか、ちょっとした風景を見ていても、とても美しく見える瞬間を感じます。

 

 たとえば都会の朝の、川の霧。

 

色づいた木の葉を透かしていく朝日。

 

 底が抜けるような青い空。

 

 桜の葉は、今日の風がすっかり落としてしまいました…。

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 今年の木の葉は、とても色がきれいだと思います。

 私は昨晩、伊丹万作さんの記事を書いたので、今日は、心が深く、静まっているような気持ちです。shine

 

 人は、いろいろな出来事を生きています。

 

 その環境から、人間が受け取る情報は、おそらく誰も、そうは変わらない程度でしょう。

 

 でも、その情報からその人の意識に呼び起こされる活動は、おそらく人によって、とても違うはずです。

 

 外界を、さらさらと流していくように生きる人も、外界から、その人のたましいまで響くような何かを得る人も、おそらく見ている世界の状況は、それほど変わらないものだと思います。

 

 できることならば私は、たった1回の人生ならば、思い切り深く生きたいと思います。shine

 

 人の中に呼び起こされる、絵の具の渦のような意識の奔流を、私は思い切り味わって生きていたい。shine

 

 今日は、そんなことを思いました。

 

 見上げればそこにある木の葉の色も、青い空も。

 

 同じ風景を見ていても、心に見える風景は、人によってまったく違うでしょう。

 

 しんとした、木の葉の色が深々と冴える今年の秋を、私は今までよりも美しく感じます。

 

 秋が、私の中に深く、深く、どんどん染み入ってくるのを感じます。

 

 昨晩、都内の某所にて、雨上がりのベンチに落ちていた、銀杏の葉です。

 

 冷たい空気の中で空を見上げたら、月が冴え冴えと、光を放っていました。

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