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もう、愛せない

 たとえば、好きだと思っていた異性でも、ほんのある一面を見た瞬間、「私はもう、この人のことは、絶対に愛せない!」。

 

 そう感じてしまう瞬間が、あるかも知れません。

 

 もちろん人間には誰でも、良いところも悪いところもあり、良いところだけの人間なんていないでしょう。

 

 だから「欠点がある」というところまでは、しかたがありません。

 

 でもただ「欠点がある」という場合でも、その欠点がどういう種類の欠点なのかということは重要です。

 

 ひとりの人の欠点が、ある人にとってはまったく気にならない程度のことかも知れないし、でも別の人にとっては、絶対にゆるせない、決別の決め手となるほどのことかも知れません。

 

 その人の欠点が、自分にとってたいしたものでなければいいのですが、自分にとっては、どうしても耐え難い欠点であるならば、それはもう、その関係に修復の見込みはないでしょう。

 

 どうしてもゆるせない相手の欠点というものは、人によって違うと思います。

 

 私の場合は、人間の生命を大切に考えられない異性は、絶対だめです。

 

 どんなに陽気で優しくて、どんなに頭が良くて素敵な男性でも、人間の生命に対する想像力のない男性は、愛せません。

 

 つまらなくて、軽蔑を感じてしまいます。

 

 私の場合これだけは、どんなにほかの長所が素晴らしくても、絶対に妥協ができないポイントです。

 

 そして私の場合、このポイントは、異性関係だけとは限りません。

 

 同性でも、そのほかの集団や組織でも同じです。

 

 人間の生命を大切に扱えない存在は、愛せません。

 

 最近、自分にとても縁の深い、ずっと好きだったある存在を、とうとう愛せなくなりました。

 

 たくさんの温かな思い出を含んだそのものの、ここにきて現れたあまりにも軽々しい無責任さは、私にはもう、絶対に愛せない種類の欠点でした。

 

 生命を大切に扱えない存在は嫌いです。

 

 たくさんの生命がありました。

 

 たくさんの生き残った人たちが、自らの辛い記憶に向き合って、それでも「あんなことは、もう二度とあってはいけない」と、今、生きている人たちに語ってくれました。

 

これから生まれてくる、たくさんの生命のためにも、その人たちは語ってくれたのです。

 

その人たちの気持ちを受け止めているならば、自然と行動は決まっていくはずです。

 

楽しむことがいけないと、言いたいわけではありません。

 

楽しむことも大切だけど、人間として生きている以上、どうしても逃げずに向き合わなくてはいけないこともあるのだと思います。

 

それほど難しいことでは、ありません。

 

ただ、辛い経験を話してくれた人たちの気持ちをしっかり受け止めて、もう二度と「あんなこと」が起こらないように、自分の足元を丁寧に進めてゆけばいいだけです。

 

 それなのに、楽しい踊りに夢中で、足元を見ることもなく、ほったらかしている。

 

 そういう存在を、私は尊敬できないし、愛せません。

 

 あんなにたくさんの、去っていった生命を忘れて、ただ楽しむだけで過ごしている。

 

 生命を大切に扱えない存在を、私は愛することができません。

 

 私が愛せなくなったもの。

 

 悲しいことですが、それは…。

 

 もう、言葉にする必要もないでしょう。

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