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2015年4月

簿記論のテキストのこと、の続き

 ひとつ前の記事で書いた簿記論のテキストのことですが、このテキストを読んでいて不思議な気持ちになるのは、その優しい雰囲気のせいだけではありませんでした。book

 

 なんとなく、その先生が見ていらした人間の経済活動のとらえ方と、私が見ている人間の経済活動のとらえ方は、とてもよく似ているような気がするのです。

 

 その先生のテキストを読んでいると、複式簿記というものは、企業の経営活動という実体のある現実の世界の出来事を、金額という形で評価して、表しているのだという見方が、とても強く感じられます。

 

 そして、企業の中の生産という行動は、実体のある財やサービスが、労働力の消費や、原材料の消費、そして固定資産の価値の減少というような変化を伴いながら、同時に製品という新しい価値を生み出すことであり、複式簿記というのは、それらの変化もまた、金額で評価しようとする手法なのだという見方を感じます。shine

 

 このような、「複式簿記というものが、実体のある世界を、金額で評価して写し出そうとうする手法」だとする見方はとても大切なものだと、私は感じています。

 

 というのは、そうした見方を持たずに複式簿記を理解しようとすると、そこにあるのは、ただの金額だけ、つまり「カネだけ!」の世界になってしまうからです。dollar

 

 その「カネだけ」の世界となっている複式簿記を使って企業の財務諸表が作成され、その財務諸表をもとに、いろいろな利害関係者(とくに株主)が、企業から多くの配当(お金)を受けようと考えたら?

 

 その時は、カネだけとなっている複式簿記の世界によって、今度は実体のある経済活動の方が支配されてしまいかねない、経営の主役の逆転とでも言うべき現象が起こるかも知れません。

 

 その先生は、複式簿記というものが、実体のある財やサービスの世界における変化を写し出している技術であるという意識を、かなり強くお持ちだった。

 

 ということは、もしかしたら、実体のある財やサービスの変化とはまったく関係のない、バブルのような金額だけの変化もまた、意識されていたのかも知れません。

 

 そうしたことを思いながらテキストを読んでいると、ますますこの複式簿記という世界を、自分の意識の中に、もっとはっきりと捉え直してみたいという衝動にかられます。shine

 

 また、もうひとつ。

 

 「あ、『価値』と、『金額』は違うんだ!」というような。flair

 

 そういう、新しい見方が自分の中に生まれてくる変化も、とても心地良い…。shine

shine(*^^*)shine

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簿記論のテキスト

 大学の、通信課程の簿記論のテキストを読んでいます。book

 

 どうして簿記論のテキストにしたかと言いますと、たまたま最近の私が、複式簿記に興味が強くなっているということと、それから、教材として送られてきたテキストの中では、そのテキストが一番薄いから!、です。(後半、きっぱり!)

 

 でも、大学のテキストというものは「薄い → 読みやすい」とは、限りません。sign01

 

 厚さとしてはまったく薄くても、その内容が、気分が悪くなって本を投げ出してしまいたくなるほど、「ムズカシクテ、ツマラナイ!sweat01」ということだってあり得ます。

 

 でも幸い、そのテキストは意外とおもしろかったのでした。

 

 というよりも、読んでいるうちにだんだんわかってきましたが、そのテキストは「意外と」どころか、「かなり、おもしろい!shine」のです。

 

 日頃は実務でなんとなく使っている複式簿記ですが、その構造を丁寧に見ていくと、こんなにいろいろと、注目しておくべきポイントがあったのかと驚きます。

 

 そしてまた同時に、「学者という人たちは、ここまで意識の世界の枠組みを、見事に分解して、整理してしまうものなのか…sweat01」と、そちらの方向にも驚いてしまいます。(←学者観察?)

 

 でも、そのほかにも私がもっともおもしろく感じたのは、先生の文章はシンプルで無駄がなく、それなのにどうしてか、優しい雰囲気が伝わってくるということでした。shine

 

 言葉が静かに、自分の中に流れてくるようです。

 

 とても効率良く、先生の頭の中の世界が、自分の思考の世界に移し変えられていくような感覚があって、気持ちがいい…。shine

(学者風のまわりくどい書き方で書かれていると、私のような学生は「読み心地」がよくなくて、言葉を噛み砕いているうちに、思考が拡散していってしまいます。)

 

 そういうわけでこちらも、先生の言葉を受け取りたくなって、もっと踏み込んで行きたいような気持ちになるのです。

 
私の中ではだんだんとそのテキストが、大学の先生からの、学生にあてた「手紙」であるかのような気持ちになってきました。

 

 先生が自分の中にある知識を、なるべくわかりやすく、丁寧に学生に伝えようとして下さっている気持ちを感じます。book

 

(先生は、いったいどんな人…?)

 

 その感覚があまりにもはっきりとしていて不思議だったので、途中でふと、「このテキストは、いったいいつ頃に書かれたテキストなのだろうか?」と思いました。

 

 最後の方までページをめくってみたら、なんと39年も前に書かれたものでした。sign03

 

 39年前の私の年齢は…、12歳?!

 

 その頃の私は、簿記という言葉さえも知らなかった小学生です。

 

 まるで、タイムスリップでもしたかのよう!clock

 

 パチョーリの「スムマ」の時間差もすごいものですが、このテキストの、約40年後の私をこれほど気持ち良く読ませてくださる先生のパワーも、とてもすごい!

 
いったいどんな先生なのかしら…?shadow

 
ネットで調べてみたら、とても良い先生でいらしたそうです。shine

 

 その先生の授業を受けることは、もうできません。

 

でも、テキストをとおして伝わって来る先生のお話は、ちゃんと「聴こう」と思いました。

 

 そして、自分で選んだ本というわけではありませんが、これもまた間違いなく、ひとつの「本との出会い」であることを感じます。book

shine(*^^*)shine

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パチョーリの簿記と、現代の社会で習う簿記


 「バランスシートで読みとく世界経済史」の本を読みながら、パチョーリの簿記について考えていました。

 

 パチョーリの簿記は、現代の簿記の初学者が学ぶ簿記とは、反対の発想でできていると思ったのです。

 

 パチョーリの簿記は意外にも、期中導入のような形で始まります。

 

(「期中導入」という言葉は、あまり適切ではないと、自分でも書きながら思っています。当時はおそらく「期」という認識がなかったかもしれないと思うからです。ただ、ここでは、それはともかくとして話を続けます。)

 

パチョーリの簿記は、はじめは、ある日に「財産目録を作る」というところから、始まります。

 

その時、財産目録の各項目の金額が借方に記入され、その時の貸方が資本です。その後に商品も同じく、貸方を資本として記入されます。

 

そうなると帳簿の開始時は、「その時に持っていた財産と商品の価値」の総額が、「資本」になります。

 

借方)その時に持っていた財産のすべてと商品

 貸方)資本

 

という感じです。

 

パチョーリの簿記では、その状態を作ってから、取引の記録が始まります。

 

ところが現代の簿記は、そうではありません。

 

はじめから貸借対照表の中の、資産と負債と資本が明確に区別されてあり、財産目録というのは、どちらかと言えば資産にあたる部分です。

 

そして資本というのは、単なる「財産から負債を差し引きした結果」というわけではなく、はじめから「出資によって集められたお金そのもの」として認識されてあり、それは同時に「これから増やしていくべきお金」です。

 

取引の記録はそのように、しっかりと区分された状態から始まり、期末に結果として目指している「資本の増加」という状態に向かって進みます。

 

これは、パチョーリの簿記とは、発想が大きく違うと思うのです。sign01

 

パチョーリの簿記では、資本というのは、実体のある財が先にあり、それらをただ、金額で表しているだけという感じ。

 

言ってみれば、資本は単なる、実体のある財やサービスの価値を表す金額に過ぎず、実体のある財やサービスの「影」です。

 

「影」なので、資本の増減はいつでも、実体のある財の増減に従っていたであろうと考えられます。

 

でもそれに対して、現代の簿記の学習法では最初から、資本というのは、出資によって集められたお金の「かたまり」として示されてあり、そこから実体のあるビジネスが始まって、積極的に資本の金額をもっと増やしてゆこうとする意図が感じられます。

 

現代の簿記では、言ってみれば資本というものが、単なる、実体のある財やサービスの「影」などではなく、むしろ期首の帳簿の状態である、貸借対照表の「主役」に変わっていると思うのです。

 

そしてまた、実際に現代の簿記では「企業の目的は利潤の追求である」と習います。

 

(企業の目的が、「実体のある財やサービスを生産して、その経営を継続させることである」とは習いません。)

 

そうしたことを考えると、パチョーリの簿記と現代の簿記では、複式簿記を使用する経済主体の「経営の目的」というものもまた、違った認識がされているように思うのです。

 

もちろん、そうした大きな変化を生み出した歴史上の出来事としては、おそらく「株式会社」という、企業の資金調達における、新しい仕組みの誕生であろうとは、推測できるのですが…。

 

何にしても、私としてはまるで、「影」だったものが、いつの間にか、「主役」に成り代わっているような違いを感じて、とても興味深く感じました。

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叶うことのない、未来の「舟遊び」の夢について

 昨年から再び、時々ですが、カヤックに乗るようになりました。shine

 

 10年ほど前は海で乗っていたのですが、今度は東京の運河や川です。

 

 東京から海に行こうとすると、どうしても移動の時間がかかってしまいます。

 

 でも都内の運河や川であれば、移動の時間が短く済み、わりあい気軽に楽しめます。clock

 

(もちろん、ひとりで乗っているわけではありません。いろいろと、主催して下さる方々のお世話になっての話です。)

 

 先週末はお花見ツーリングでした。cherryblossom

 

 昨年までは、橋の上から見下ろしていたカヤックに、今年は自分が乗っています。

 

 桜の花びらが浮かぶ水面に、パドルをさしながら進みます。

 

 前を行くカヤックの後姿には、花びらがひらひら、降りかかっていました。

 

 後を追うように、私も進みます。

 

 水面は穏やかで、どことなく優雅な気分です。shine

 

 お花見カヤックは、ずいぶん前からの夢でした。

 

 「いつか私も、カヤックに乗った水面から、桜の花を見上げよう」と。

 

ずっと願っていた夢が、叶いました。

 

 川岸から、重みを持って水面に垂れ下がる桜を見ながら、時々、落ちてくる花びらに見とれます。

 

 思っていたとおりの、優しい、幸せな気持ちです。

 

 静かな水面で、パドルを伸ばして、ちょっとだけ…!

 

 花への挨拶代わりに、下がっている桜の枝をつついて揺らしました♪

 

shine*^^*shine

 

 私の、小さな「お花見カヤック」の夢は叶いました。

 

 だけど私には、もう少し大きくて、そして、おそらく絶対に叶わない夢があります。

 

 それは、いつか東京の、魚が見えるほど清らかに澄んだ川で、のんびりとお花見カヤックをする夢です。

 

 いつか、本当に遠くでも、未来のいつか、東京で…。

 

 いつ川に落ちても、まったく安心なほどに水が澄んだ、そういう川で桜を見ながら、カヤックに乗ってみたい!cherryblossom

 

 透明な水の上いっぱいに敷きつまる、ピンク色の桜の花びらをパドルでそっとかき分けて、その下をすばやく泳ぐ魚たちの影を見たいのです。shine

 

 春の陽射しが、澄み切った水中を真っ直ぐに通り抜ける、その明るさに目を細めながら…。sun

 

 資本主義社会では、絶対に叶うことのない夢ですが。

 

 そんなあり得ない、「未来の舟遊び」の夢を見ています。shine

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「お金が表している価値」についての補足

 ひとつ前の記事で、「お金が表わしている価値というのは、人間が財やサービスを生産している力の価値なんだ!」と、書きました。thunder

 

 このことについて、少し補足します。

 

 「財やサービスを生産している力の価値」という言葉の、「生産している力」という部分が、少しわかりにくいかもしれないと思います。

 

 例えば、次のような例を考えてみてください。

 

 もしも、あなたが海辺にいて、ある人から「おいしい魚を、売ってあげる」と言われたとします。

 

その時、次のように言われたら、あなたはその魚を買うでしょうか?

 

 「あの海の中を見てください。あそこに大きな魚が、今泳いでいるでしょう? あの魚を、あなたに100円で売ってあげます。おいしい魚ですよ。買ってください」。(海の中には囲いも何もなく、魚はいつ岸から遠くへ泳いでいってしまうか、わかりません。)fish

 ……。(^^;)

  普通は、買わないですよね?

 

 海の中にいる魚なんて、つかまえなくてはいけないし、それにそもそも、その魚が本当にその人のものだと、言えるのかどうかもわかりません。

 

 次に、そのまったく同じ魚をその人が何らかの方法でつかまえて、岸に上げた状態であなたに見せながら「100円で売ってあげます。おいしいですよ♪」と言われたら、どうしますか?fish

 

 ちょうどその時においしい魚が食べたくて、魚を調理する手間が面倒でなければ、買うのではないでしょうか? この時、魚の価値は100円です。shine

 

 でもその時に、あなたは調理するのが面倒かも知れません。そうしたら、買わないかも知れません。

 

 でもその時さらに、その同じ魚を今度はきちんと調理して、焼き魚か何かにして、お皿に載せた状態で、「この魚は200円です。おいしいですよ♪」と、言われたら?fishrestaurant

 ちょうどおいしい魚が食べたい時に、すっかり食べられる状態に調理されてある魚が200円で売られていて、その時に自分が200円を使える状態であれば、おそらく買うでしょう?heart

 

 どれも同じ魚ですが、海の中を自由に泳ぎまわっている時は、値段はつかず、つかまえて海から陸に引き揚げてきたら100円で、さらに調理して焼き魚にしたら200円です。

 

それは、なんとなく、無理のない(わからなくもない)値段設定だという気はしませんか?

 

 このような流れを考えて、そうすると、最初の「海の中で泳いでいたおいしい魚」は、まだ、誰かの所有物でもなく、天然の「資源」に過ぎないので、普通は値段がつきません。

 

 でもその同じ魚を、「つかまえて、陸に持ってくる」という状態に変えると、100円の価値がつきます。

 

 そして、その同じ魚を、今度は調理して「すぐ、食べられる!」という状態にすると、さらに100円の価値がついて、合計200円。restaurant

 

 この、まったく同じ、ひとつの魚の「状態を変える」という部分が、人間の「仕事」だと私は考えているのです。

 

 「海の中で泳いでいた魚を、陸に持ってくる」、そして「陸に持ってきた魚を、調理する」。

 

 このように、何かの「状態を変えてあげる」という行為が「仕事」です。

 
このように考えていくと、世の中にある財やサービスのすべては、①天然資源に人間の仕事を加えたもの。(財)、あるいは、②人間の仕事のみ(サービス)の、どちらかに分類がされると思います。

 
でも、どちらにしても、実物経済において、「人間がお金を払う時」というのは、この人間の「仕事」の部分に対して、お金を払っていると思うのです。

 

(天然資源の部分は、地球が「無料!」で人間に提供してくれていますよね♪)

 

 だから、「お金が表している価値というのは、人間が財やサービスを『生産している力』の価値なんだ!」ということです。

shine(*^^*)shine

 

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お金が表す価値とは、人間の生産力の価値!

 今日は日曜日だったので、午前中は例によって、カフェ♪(ウソです。近所のファストフード店、笑)でぼんやりしながら、本を読んだり、スケジュールの整理をしていました。book

 

 そして、「もうあまり時間もないけれど、ブログのアイデアも考えなくちゃ♪」と、いちおう、ノートを広げたその瞬間!

 
突然、何の前触れもなく直観が!!!thunder

 もう10年ぐらい前から、ずっと、ずーーーっと考えていたのに、はっきりとした答えがつかめずにいた問題です。

 

 どうして、こんなに関係のない瞬間に?!sweat01

 

あまりにも、唐突すぎます!sweat01

 

自分でも、「なぜ、今」なのかが、さっぱりわかりません…!

 

(^^;)sweat01

 

 でも、まぁ、それはともかく、その内容です。

 

 私は派遣という形で、もう長いこと、いろいろな企業で働いてきているのですが、ずっと以前からうすうすと感じていたことがありました。

 

 それは、「お金というのは、私がしている『仕事』なのだ」という感覚でした。

 

 自分でも、どうしてそうなのかがわからないのですが、とにかくそう感じていて、不思議に思っていたのです。

 

 たとえば、企業は私にサービス残業をさせることができれば、私にきちんと残業代を払って仕事をさせた場合よりも、利益が大きくなります。

 

 それは、せいぜい、1時間あたり2200円程度の金額ですが、そうなります。

 

 「どうして、私をタダで働かせることができれば、財務諸表上の起業の利益は大きくなるのだろう?」。

 当たり前と言えば、当たり前のことですが、それにしても不思議だったのは、「仕事」というものが、どうして「お金による利益」という結果で現れるのかが、よくわからなかったのです。

 

 ところが今日はいきなり直感で、「お金が現わしている価値というのは、人間が財やサービスを生産している力の価値なんだ!flair」ということが、わかりました。

 

 自分でもびっくりして、「ああっ!」と、とにかくひとりで思いっきり!驚いて…。

 

でも、待ち合わせの時間が迫っていたので、それ以上は考えずに、急いでお店を出てきました。(笑)

 

 今日の午前11時半頃のことです。rain

 

 とにかく、あまりにもいきなりすぎることだったので、自分でも驚きました。

 

 一瞬のことでしたが、とても衝撃的な日となりました。

 

 と言いますか、こうして振り返って見ると、「なんだか衝撃的だった…」という感じです。sweat02

 

 直観と言うのは、受け取った瞬間は「はっ!」と驚くのですが、受け取ってしまうと後はもう、すっかり当たり前のことのようになってしまうので…。

 

shine*^^*shine

 

*注:この場合の「人間が財やサービスを生産している力の価値」というのは、実物経済の場合に限ります。

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気をとりなおして

ところで、ひとつ前の記事ですが。

 

 文章が4行。リンクが2行という、大変短い記事です。pen

 

 それなのに…。

 

 実を言うと、私はこの記事を書くのに、4日もかかってしまっていたのでした…。sweat01(!)

 

 毎晩パソコンの前で、書いては取りやめ、書いては取りやめ。

 

 どうして書けなかったのかは、よくわからないのですが、とにかく「書けなかった!impact」のです。

 

 その結果、もっとも適切な表現として決めたのが、この6行でした。

 

 かなり、へこみます。sweat02

 

 ……。

 でも、今日と明日は休日なので、
気を取り直して、また経済の記事を書こうと思います。shinecherryblossom

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物議と解説

 先日の沖縄に関する出来事について、爆笑問題の大田光さんの発言が、物議を醸しているそうです。

 

↓その情報は、こちらです。

 

http://www.j-cast.com/2015/03/31231893.html?p=all

 

 ところで、この出来事については、リンク先のような解説も見つけました。

 

 私としては久々に、気持ち良く感じた「解説」でした。shine

http://news.livedoor.com/article/detail/9963710/

 

 

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