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正義は資本に勝てるのか?(枯葉剤裁判の行方を思う)

 ふと気がついたことですが、「資本主義社会では、正義は資本にかなわないのだ」と思いました。

 

 どういうことかと言いますと…。

 

 以前にこのブログでにとりあげましたが、ヴェトナムの枯葉剤を生産した企業

 

 それらの企業は、枯葉剤によって引き起こされた結果を考えれば、どう見ても人道的に問題があったと言わざるをえません。

 

 個人がこのような行動をとれば、どう考えても罪に問われます。

 

それならば企業だって、人道的な罪という点から処罰が合っても当然です。thunder

 
でも、どうしてか、企業は罪には問われません。

 

 枯葉剤を生産した企業は、今でも存続しています。typhoon

 

 そしてまた、別の話にはなりますが、クラスター爆弾を作っている企業というのも、存在しています。

 

 おまけに「ただ存在している」というだけでなく、こちらは投資の対象にもなっていて、株主に利益ももたらしているのです。dollar

 

*リンク先、右クリックでご参照下さい。 

http://jp.ibtimes.com/articles/408950

 資本主義社会では、経営を理由に人道的な問題を引き起こす企業でも、なかなか社会から処罰を受けないのです。

 
それどころか、人道的な罪を犯している企業でさえ、投資の対象として、投資家から歓迎されてしまいます。bell

 
身近なところでは、大地を広範囲にわたって放射能で汚染した企業などは、社会から処罰を受けても当然です。

 

 ところが、処罰はありません。

 

 処罰どころか、わざわざ税金で、国民に助けられている始末です。

 
税金を使うと言えば、大きく破たんする金融機関などもそうでしょう。

 

 世の中に迷惑をかけた企業であれば、処罰を受けるべき。

 

 企業が世の中に迷惑をかける時は、当然、個人の過失の場合よりも、規模が大きくなります。

 

 それなのに処罰という点では、企業の過失は、個人の過失と比べてあまりにも軽くすまされ、さらには国によって救済さえされてしまうのです。

 

 いったいどうして、そうなってしまうのだろうか?と思いますが…。

 

 でも、よく考えてみると、その理由というのは結局、企業の処罰を決めるべき人たちが、同時に、どこかの企業の株主でもあり得るから、という可能性は考えられないでしょうか?shadow

 
もしも、企業の処罰を決めるべき人たちが、結局「個人的には、株主でもあり得る」としたら、自分が株を持っている企業の処罰など、まずあり得ません。

 

 株主であれば、処罰を考えるどころか、なんとかしてその企業の経営を続けさせ、自分のところに来る配当が減らないように、あるいは、株価は高いままでと行動するのが当然でしょう。

 

 政治家であろうが、なかろうが、投資家という立場になれば、武器を生産している企業も、世の中の人々を幸せにする製品を生産する企業も、それほど区別はありません。

 

 投資の世界では、配当金や株を売った時に出る利益は、どの企業からのものであっても、結局ただの利益であって、そこには区別がないからです。dollar

 

 株式会社という仕組みがあるために、資本主義社会では、社会や人間に悪影響を与える企業までもが、社会からの処罰を免れやすくなるということは、あり得ないこととは言えないと思います。

 
でも、やはり、個人の行動では悪いとされる行動が、企業においては容認されるというのは、受け入れ難い話です。

 

 資本主義社会では、正義は資本の意向に勝てないのでしょうか?

 

 ちなみに枯葉剤に関しては、フランスで被害者の訴えによる裁判が始まるそうです。

 

 「資本 対 人権」の裁判として、行方がとても気になります。libra

 

 先の理由から、資本主義社会では、正義は資本の意向に「勝ちにくい」と私は考えます。

 

 でも、そこを踏まえても、原告側の弁護士さんには、ぜひともがんばってほしい!と思います。

 
現代の資本主義社会では、資本の増殖を完全に否定できる理論は、まだ育っていません。

 

 裁判の行方は世論にかかっているそうです。

 

 たしかに世論には、企業に制裁を加える力があるかも知れません。flair

 
行方を見守りたいと思います。

 

*リンク先は、枯葉剤裁判の記事です。

http://synodos.jp/international/13841

 

 

 

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