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2015年6月

パチョーリの時代を探しに、渋谷まで♪

 Bunkamuraに、「ボッティチェリとルネサンス」展を見てきました。

 

 べつに、ボッティチェリの絵が、特別に好きだというわけではありません。

 

 ただこの展覧会は、企画が少しおもしろかったのです。

 

 展示のサブタイトルが英語で、「Money and Beauty」です。

 

 日本語訳では「富と美」となっていますが、「Money」ときたら、普通は「お金」を連想すると思います♪

 

 新聞の紹介などでは、メディチ家、銀行、フィオリーナ金貨、金融業など、経済に関する言葉がたくさん出ていました。

 予定が立て込んでいたので、見に行くかどうかは迷ったのですが、ふと、あることに気がつき、見に行くことにしました。

 

 ボッティチェリは1445年生れです。(1445-1510)

 

 そして、ルカ・パチョーリも1445年生れです。(1445-1517)(byWiki)

 

 つまりふたりは、生きていた頃は同い年?sign01

 その人生のどこかで、出会っているかどうかは知りませんが、ふたりが同じ時代を共有していたことは、間違いありません。

 

 地理的な事情はよくわかりませんが、とにかくどちらも同じイタリアだし、とりあえずは言って見てこよう♪と、思いました。(←相変わらず、考え方が大雑把…。)sun

 

 もしかしたら、どこかでちゃっかり、パチョーリが絵画の中に登場していたりするかもしれません♪shadow

 

shine*^^*shine

 

 そして、入ってみましたが…。

 

 結局、パチョーリの姿はありませんでした。(笑)

 

 でも当時の経済や、世の中の様子については、とても勉強になりました。

 

 印象に残ったことを、書いてみます。

 

1.フィオリーナ金貨shine

 

 思っていたよりも、小さくて、きゃしゃな感じでした。私はてっきり、金貨というものは、直径が3センチくらいで、厚みも4から5ミリぐらいはあるものだと思っていたのですが…。やはり、コイン・チョコレートのようなわけには、いかないようです。(笑)

 

2.メディチ銀行発行の為替手形pen

 

 小さな紙切れ…、失礼!、紙片です。でも、為替手形は現代でも時々見かけるものなので、感慨深かったです。

 

3.「高利貸し」、「両替商の夫婦」の絵art

 

 「高利貸し」は、とても悪い人であるように描かれています。そして「両替商の夫婦」は、べつに普通の人たちの姿に見えるのですが、解説ではやはり強欲な人物として、描かれているそうです。

 

 ただ、私としては、両替商がお金を正確に数えたり、金属の比重を正確に測ろうとするのは、べつに強欲なことではないと思うのですが。

 

 むしろ、当時の世の中の様子を思えば、それぐらいした方が?と、ちょっと同情的な気分になってしまいました。

 

 お金を扱うことを強欲の象徴であるように考えていた当時の世の中の思想と、実際の世の中には、金融という機能が必要であったという、思想と現実の矛盾を感じます。

 

おもしろかったことは、まだまだたくさんありますが、この記事ではここまでにしておきます。

 

ボッティチェリ展は、渋谷のBunkamuraで、次の日曜日(28日)までです。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_botticelli/

 

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開きなおり♪

 長年の心の不調が、急速に回復に向かっています。sun

 

 とは言っても、もともとが本当にひどい状態だったので、いったいどれだけ「普通」になったのかは、断言できませんが…。typhoon

 

 それでも、日常生活において、明らかな力がついてきたことは、たしかです。

 

 そして、それにともなって、日常的な本を読んだり、ものごとを考えたりする力も増してきました。

 

 時間がある時は、以前よりも安定した状態で、本を読むことができるようなりました。book

 

 ところがその結果。

 

 自分の能力の限界というのも、なんとなくわかってきました。sweat01

 

 以前はこのブログを書きながら、有名な大学の学生の頭の良さや、学者の人たちの頭の良さを知らなかったので、ずいぶん大胆なものいいをしていましたが…。

 

 今では自分の思考力の限界や、言葉を扱う能力の限界がわかってきています。

 
その結果、とうとう。

 

 もう、降参!sun

 
お手上げを決めました。

 
私には学問なんて、とても無理!

 

 だからもう、頭がいいようなふりなんかやめにします!

 

(というか、「ふり」だけでもできていたと思っている?)

 

 でも、だからと言って、経済のブログもやめてしまおうということではなく、これはこれで、自分なりの頭でしっかり書こうと思います♪shine

♪(*0*)♪

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柔らかなる知(思考のあり方について思う)

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 この絵は、小杉放菴の「湧泉」という作品です。

 

 3月に出光美術館で開催されていた、「没後50年 小杉放菴 <東洋>への愛」展の図録には、次のような説明がありました。(*写真は、図録より撮影したものです。)

 

(引用始め)

 

 東京大学大講堂(通称・安田講堂)の舞台正面に放菴が描いた壁画の一部の習作。舞台上部のアーチ型に向かって左側は「湧泉」、右側は「採果」と呼ばれている。放菴はパリのソルボンヌ大学の大講堂にあるシャヴァンヌの大壁画を念頭に、フレスコ画風の薄いタッチで、知恵が泉のように湧き出し、大きな成果となって実を結ぶまでの、大学にふさわしいテーマを考えた。

 

(引用終わり)

 

 この絵を見ていたら、「柔らかなる知」という言葉が浮かんできました。

 

 自分が学問の素質に欠けるせいか、私は学者という人たちの仕事に興味を持ちます。

 

 学者という人たちの仕事に時には感動し、時には残念なことですが、失望もします。

 

 失望をするのは、「驕り」を感じる時です。

 

 学者という人たちは、思考します。

 

 その思考は、その人が置かれている世界の中で得た思考ですが、学者という人たちの中には時として、自分がまるでこの世界のすべての知を得ているかのような強さで、その思考を主張する人たちもまた、見かけます。

 

 思考は時としてひとつの剣となり、世界の見え方を歪めます。

 

 思考をふりかざし、その硬さで世界を切り取れば、世界の本当の姿が見えなくなってしまうかもしれません。

 

 経済学の世界でも、心理学の世界でも、おそらくほかの分野の世界でも…。

 

 そうやって一時的に、世界をその人の思考にあてはめてみたとしても、その驕りは数百年の後には朽ち果てて、錆びた鉄塔のように崩れていくでしょう。

 

 「真理」というのは、大きな水の流れのように柔らかで、同時に「たしかなもの」ではないかと思います。shine

 

 学者の思考が真理を歪めても、未来は真実だけしか残しません。

 

 学者という人たちは、小さな一生の時間で自らの仕事を記録に残し、世界を去ります。

 

その記録は誰かによって後を継がれ、世界が少しずつ、人間の意識の世界に写し出されます。

 

 そうした、糸をつなぐような受け渡しの連続が、いずれは悠久の世界を写すでしょう。shine

 

 そのような、力みのない思考のあり方を、私は「柔らかなる知」と呼びたいと思いました。

 

 この作品は洋画でありながら、東洋的な情緒に満ちています。

 

 穏やかな微笑みは、知に向かう人間の営みを楽しむような、幸福な気持ちを思わせます。

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*図録はリンク先から購入可能です。
http://www.idemitsu.co.jp/museum/shop/illust/index.html

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日章丸二世と「天のうづめの命」の絵

 ひとつ前の記事を書いていたら、出光佐三の名前が出てきたので、ある絵画のことを思い出しました。

 

3月に出光美術館で開催されていた、小杉放菴(こすぎほうあん)展で見た作品です。

 

「天のうづめの命」という壁画でした。

 

 こちらが、図録から撮影した画像です。(図録には折り目のない画像がありませんでした。残念です。)

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 小杉放菴(1881-1964)は、明治・大正・昭和の時代を生きた画家です。

 

 当時は洋画と日本画の画壇が厳しく別れていたそうですが、放菴は洋画も日本画も描いています。

 

本人の中ではどちらにも通じる、とらわれない感性があったそうです。

 

 放菴は、出光佐三と交流がありました。

 

この作品は、昭和26年、当時竣工したばかりの日本最大の出光興産タンカー日章丸二世のために、描かれたものです。

 

 かの、日章丸事件の船ですね。

 

 思っただけでもドキドキ、緊張してきます。

 

 壁画は船長室に掲げられてありました。

 

 図録には、次のような説明が書かれてあります。

 

(引用始め)

 

 英国海軍の目をかいくぐってイランから石油を運ぶ密命を唯一知らされていた船長は、この飄々とした明るい踊りにさぞ勇気づけられたであろう。天照大御神である太陽は日本を象徴し、天のうづめの命のような機転と力強さで、戦後日本の復興を先導して欲しいという祈りがこの絵に込められていたからである。

 

(引用終わり)

 

 ちなみにこの絵のモデルは、ブギの女王・笠置しづ子さんだそうです。

 

 「天のうづめの命」の表情をアップにすると、こんな感じです。(こちらは、チラシから撮影したものです。)

 
大らかな、とても明るい笑顔です。

Img_0550_2

 小杉放菴の作品には、温かく、優しい雰囲気の作品が多いのですが、そこにはいつも、祈りのような思いを感じます。

 

 出光美術館で見たこの作品は、静かな空間に透き通るような、明るく、楽しい雰囲気を放っていました。

 

 放菴の祈りが伝わってくるかのようでした。

 

*図録は出光美術館のサイトから購入できます。

http://www.idemitsu.co.jp/museum/shop/illust/index.html

 

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歴史の読み方、語り方

「歴史に学ぶ会計の『なぜ?: ―アメリカ会計史入門」(トーマス・A・キング著、友岡賛 翻訳)という本を読んでいたら、印象的な記述に出会いました。

 

 ただし、著者そのものの文章ではありません。著者が文中で、E.H. Carr”What Is History”から引用している部分です。

歴史に学ぶ会計の「なぜ?」: ―アメリカ会計史入門

 引用始め

 歴史は物語であり、物語はすべて終わることがない。歴史家たちは果てしない事実の大海から選択しなければならないが、そこにはごく僅かしか重要なものはないようにみえ、選択は著者が重要性を認めることによってのみ行われる。

 
引用終わり

 

私はこの時まで、E.H.カーのこの言葉を知りませんでした。

 

でも、たしかに歴史というものは、そういうものかもしれないと思いました。

 

 歴史というのはおそらく海の上の波のように、次々と起こり続けている出来事の中から、その人の意識が止まった出来事を拾い出し、つづっていくものなのでしょう。

 

 ある人にとっては、ぜひとも取り上げておくべきことが、別の人にはそうではない。

 

 そういうことだって、あるかも知れません。

 

 過去を見る歴史というものが、そうした選択によってつづられる物語であるならば、そこには歴史を見る人の主観が入ります。

 

 自然と、その人の価値観も入るでしょう。shine

 その人が過去の出来事や人間の行動に、どういう場面で目が止まり、どういう場面で、たいしたことではないと感じたか?

 

 価値観の織りこまれない歴史は、年表の暗記と同じで退屈です。

 

 読み手には、その出来事の意味や、後世への影響がわかりません。

 

 だから、出来事の語り手の意味付けというものは、聞き手にとっては重要です。

 

 ひとつの時代を切り取っても、語り手の選択がつまらないものであれば、歴史は色褪せた冴えないものとなるかもしれません。

 
その反対に、語り手の選択が冴えていれば、同じ時代でもまったく違う一面が見えてくるのかもしれません。shine

 

もちろんそれは、読み手の価値観にも言えることですが…。

 

 そのようなことを考えていたら別の本で、これもまた印象的な歴史の記述に出会いました。

 

 「経営はだれのものか 協働する株主による企業統治再生」(加護野忠男著)という本です。

 

 この本は企業統治のあり方について、はじめにふたつの企業観の立場を示し、歴史をとおした実情と、現在の日本が向き合っている状況の解決を探っています。

 

 その第一章はおもにヨーロッパ、米国、日本の、企業の在り方と思想の歴史です。

 

 この歴史の部分ですが、「4.日本における会社の歴史と会社統治についての思想の変遷」というあたりは、とても気持ちの良い記述でした。

 

 ここでは明治時代の香蘭社から戦後までの、日本の株式会社の歴史が、ほんの8ページの間で、さらりと語られます。

 

 はじめは、渋沢栄一の「論語と算盤」の思想。

 

そして、会社設立ブームによる拝金主義の風潮の中で、その反動として現れてきた社会的使命を掲げる企業家たち。

 

 拝金主義を排除するために、上場を忌避した出光佐三。

 
お金持ちの浄財を集めて、学校、病院を設立し、生活協同組合設立を支援した甲南学園の創設者、平尾釟三郎。

 
人本主義経営を標榜し、労働者の作業環境の改善に取り組んだ鐘紡の武藤山治など。

 
日本的経営の思想は、すでにもうこの時代に生まれていて、実践が始まっていたようなのです。shine

 

この時代は、株主の要求する高配当に企業経営者が苦しめられた時代と聞いています。

 

でもその一方で、そこにしっかりと反旗を掲げ、自らの信じる経営を貫いた経営者の存在は、やはり歴史の一部として拾っておくべきことではないでしょうか?

 

この部分は本当にあっさりとした記述ですが、著者の価値観が歴史という物語を、大きな、動きのある物語にしていると思うのです。

 

それは、揺れ動く拝金主義という波間に立ち上がり、自らを貫いた経営者たちが次々とスポットライトに現れる、鮮烈な印象を伝えてくるのです。shine

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企業の、新しい資金調達の方法の可能性♪

(ご注意!:この記事は、ひとつ前の記事をお読みいただいてから、お読みいただけますとうれしいです。)note

 

 ひとつ前の記事で取り上げた3つの情報から、企業の資金調達の方法について、次のような可能性を考えてみました。

 

 「リストラなしの『年輪経営』」の伊那食品工業株式会社が、経営者のビジョンに沿った経営ができるのは、「株式市場からの資金調達をしない」という決断をしているからです。



 伊那食品工業の経営は、以前にこのブログでご紹介した、甲南大学の加護野忠男先生による企業観の分類では企業制度説です。

 

 伊那食品工業株式会社というのは、投資家のためにお金を儲けてあげる企業ではなくて、社会貢献を目的とした企業です。shine

 

 同社がもしも株式市場から資金調達をしてしまったら、その経営を維持することは難しくなるはずです。

 

 というのは、株式市場から株を買おうとする投資家は、必ずしも社会貢献をする企業を応援したいというわけではないからです。

 

 むしろ、加護野忠男先生の分類による、企業用具説の立場に立つ投資家の方が多いでしょう。

 

★企業用具説と企業制度説については、よろしければ、こちらの記事もご覧ください。

http://go-go-lemming.cocolog-nifty.com/okanetojikan/2013/03/post-8500.html

 

 世の中では、それほど注目されていないことかも知れませんが、伊那食品工業が株式上場をしないという決断をしたということは、とても重要なポイントだと思います。

 

 ところで同時に伊那食品工業は、その決断によって、今度は大量の資金を集める方法を失ったことになります。

 

 というのは、従来であれば企業の資金調達というのは、銀行からの融資、または株式市場からというのが、一般的な考え方だったからです。

 

 そこでふと、考えてみたのですが…。shine

 

 企業の資金集めについて、次のような方法はできないものかと考えてみました。flair

 具体的に書きますと。

 

1、資金を集めたい企業は、その資金で何をしたいのかを、インターネット上に公開し、資金協力者を公募する。

 

2、資金協力の形は、出資ではなく融資とする。その時に5年また10年という感じで融資の期限を明示して、融資者と企業は個別に資金協力の契約を結び、資金を受け取る。

 

融資者が融資を中断したい場合は、個別に契約の解除をすることとして、企業が知らないところでの、権利の譲渡は行わない。

 

3、金利については、必ずしも現金での支払いでなくても良いものとする。例えばその企業の商品、あるいは家庭で使える物品、それからレジャーなどの各種サービスなども良し♪

 

ちょうど、今のふるさと納税の景品のような感じでしょうか。お米なども良いと思いますし、それからいろいろな商品が選べるという形に発展してもいいと思います。これが、配当にあたります。

 

4、株主優待については、3とほとんど区別がなくなってしまいました。(笑)

 

5、そして、融資をしてくれた人には、企業からの「資金協力証明書shine」のようなものを発行してあげて、その企業に関する何らかの特典を与えてあげる。

 

例えば経営者による講演会や事業報告会に、参加できるなど。また、工場を見学させてもらえるとか。あるいは、社会貢献活動の心温まるエピソードを、報告してもらえるなど。heart

 

 アイデアとしては、以上です。shine

 

 私が何を目的としてこのような方法を考えたのか、わかるでしょうか?

 

 私は、株式市場から資金調達をすることによって起こる、投機的株主による経営への介入を排除しようと考えたのです。

 

 そしてもうひとつは、資金協力者にとっての資金協力のうまみである金利や配当を、お金ではなく、実体のある財やサービスでも良いということにして、金利や配当の支払いが企業の経営の負担となることを避けようと考えました。

 

 資本主義社会では、お金を調達するということは、とても難しいものですが、その代わり、実体のある財やサービスは、(需要があるかどうかという問題はあるものの、)比較的調達しやすいはずです。

 

 ちなみに、融資者が融資に応じる動機は、「自分は、社会貢献をする企業に資金協力をしている」という「気持ちの良さshine」です。

 

 そして、融資者と企業の関係は「信頼」です。shine

 

融資者は企業をとおして、自分の善意を社会に届けてもらい、経営者と従業員はその手腕を持って、融資者の善意を社会に現わしていくのです。

 

この発想は、手元の情報がたまたま伊那食品工業だったからこそ、思いつけたものだとは思いますが、悪くない発想だと(自分では)思います♪

 

shine*^^*shine

★企業用具説と企業制度説については、こちらの本にも書かれてあります。

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みほれみブレンド?(企業の資金調達に関して)

(ご注意!:この記事は、次の記事とセットでお読みいただけますと、うれしいです♪)

 

 現在、私の手元に3つの情報が集まってきました。

 

 ひとつめの情報は、たまたま本屋さんで手に取った本の中の、ある人のエピソードです。

 

 残念ながら、本のタイトルは忘れてしまいました。(新刊のようでしたので、またどこかで出会えると思います。)

 

 そのエピソードというのは…。

 

 海外旅行をしていたら、ピストル強盗にあってしまい、全財産を失ってしまったが、フェイスブックか何かで事情を説明して、ネット上で資金協力を募ったところ、いろいろな人がお金を振り込んでくれた、ということです。heart

 
その人はそのおかげで、旅を続けられるようになったというお話でした。shine

 

 そして、ふたつめの情報は、ひとつ前の記事でご紹介した「リストラなしの『年輪経営』」。

 

 キーワードは、株式の「非上場」です。

 

 そしてさらに、みっつめの情報は…。

 

 以前に読みかけてあった「経営はだれのものか」(加護野忠男著)です。

 

 この中の、「第4章 長期連帯株主を求めて」という部分。


(えっ、もう私が何を発想したか、わかってしまいましたか?。笑)

 

 普通であれば、まったくバラバラで、これといった関連のなさそうな情報ではないかと思いますが、私の手元にくると…。

 

 ほら、このとおり!shineshineshine

 

\(*0*)/sun

 

 というわけで、それでは次の記事をご覧ください!up

 

 いや、荒唐無稽と言えば、いつでもそのとおりなのですが…。(笑)

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本 : 「リストラなしの『年輪経営』」(塚越寛著)



 久しぶりに、読み返しています。

 経営の本ですが、単なる読み物としても、とても気持ちの良い本です。book

 

 塚越会長のビジョンは、経営に興味がない人にとっても、健康的な希望を心に与えてくれます。shine

 

 伊那食品工業株式会社の最大の強みは、「株式上場をしない」いう点にあると思います。sign01

 株式上場をしないことによって、市場から大量の資金を集めるということは、できなくなったかも知れません。

 

 それは同時に、大量の資金を必要とする事業には、進出できなくなったということです。

 

 でもその代わり、経営者は「株主の顔色を見なくてもいい経営」が、できるのです。shine

 

 経営者が心にビジョンする経営を、経営者の責任で堂々と実行できるのです。shine

 

 その結果、着々と実現されていく「塚越ワールド」が、次々と世の中から注目されるほどの、素晴らしいものであれば?

notenotenote

 

 「超カッコいい!」と、何回読んでも思います。

 (↑言葉が軽薄でスミマセン。)

 

sun*^^*sun

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