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2015年8月

その配当は、うれしいですか?

今日で8月も、終わりです。

 

 この記事は、どうしても8月のうちに書きたいと思っていました。

 

8月6日の朝、テレビで広島の平和式典の放送を見ていた時に、ふと思いました。

 

原子爆弾を製造した企業というのは、いったいどこの企業だったのでしょうか?

 
株主は、その企業から配当をもらっていた?

 
株主は、その企業が原子爆弾を作っていたことを、知っていた?

 
その人たちが喜んで受け取った配当の向こう側で、一瞬にしてたくさんの生命が失われました。

 

爆弾は、本当にたくさんの人の生命と幸福を奪いました…。

 

 その爆弾を作った企業は、おそらく利益を上げたことでしょう。dollar

 

 そうして、株主に配当も出したと考える方が自然です。dollar

 

お金は、ただのお金にすぎません。

 

だから、どのようなことをして得た利益による配当であっても、単なる「お金」に過ぎないかも知れません。

 

でも、考えてみてほしいのです。

 
そういう配当は、うれしいですか?

 

自分が受け取る配当の向こう側で、たくさんの人の生命が奪われ、苦しみが生まれている。

 

原爆を製造した企業の株主が、そのことを意識していたかどうかは、わかりません。

 

もしかしたら、単純に配当を喜んでいたかも知れません。

 

あるいは、ただのお金として、何も思わず、ほかの何かに再投資をしたかも知れません。

 

それでも、その人が受け取った配当の向こう側で、たくさんの人の生命が失われているのです。

 
70年前の原子爆弾の話に留まりません。

 

現代でも、人間に有害な製品を作って利益を上げている企業は、たくさんありそうです。

 

でも、そういう企業の株も、証券取引所では、まったく普通の企業の株と同じに扱われ、株主に利益をもたらします。

 
株主は、その配当が、企業がどのようなことをして得た利益による配当なのかを、知らなくても、配当という名のお金を受け取れます。

 
企業が生産する製品の善悪と、証券取引所でなされる企業の評価が、まったく別ものになっています。

 

株主は、自分でも知らずに、社会に有害な生産を行う企業から、その利益による配当を得ているという場合もあるのです。

 

その時、株主は、世の中からは大変目立たないことかもしれませんが、もしかしたら一種の加害者、あるいは加害の協力者であるとも言えるかも知れません。

 もちろん、本人は何も気づかずに、たまたまそうなったというだけかもしれませんが。

 でも、そうしたことも起こり得るということは、
資本主義社会の、もっとも有害な側面ではないかと、私は思います。

*リンク先はWikipediaのマンハッタン計画のサイトです。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%B3%E8%A8%88%E7%94%BB

 

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入力しにくい、ある会計ソフトに感じる疑問

 以前に働いていた職場で、社員の人がとても嫌っていた会計ソフトがありました。

 

 その職場で、私は経理のアシスタントでした。

 

 私がExcelで作成した仕訳伝票を、その人が会計ソフトに入力します。

 

 そして私は、時々ですが、仕訳伝票の部門(社内の担当部署)と、金額の割り振りを間違えて、伝票を作成してしまうことがありました。sweat01

 

 そうすると、社員の人がかなりコワイ顔をして、その修正をとても嫌がるのです。

 

 聞くと、入力している会計ソフトがとても使いにくくて、伝票の中のほんのささいな修正する時でも、その仕訳伝票の全項目を入力しなおさなくてはならない、というのです。

 

 その時、「自分は会計ソフトの使い方には、わりと強い方♪」という自信があった私は、その人の話を信じませんでした。

 

 いくらなんでも、そんなことがあるはずはないでしょう♪、と思っていました。(←実に生意気なアシスタント?)

 

 ところが因果はめぐると言いますか…(笑)、ある時、私もとうとう、そのソフトウェアに出会ってしまい、使う立場になりました。thunder

 

 そして、その人の言っていたことが、それほど大げさでもなかった!ということを、体験しました。

 

 なるほど、それでは、あの社員の人が、あんなに機嫌が悪かったのも、うなずけます。

 

 本当に、修正箇所はほんの1か所でも、カーソルが関連する全部の項目に入ってしまいます!

 

 実際にはTABキーを押せば、ある程度、前回入力時のコピーが自動的に再入力されるのですが、摘要欄などは、その時の修正とまったく関係がなくてもすべて、文字を再入力しなくてはいけません。

 

 たしかに単なる修正が、このソフトではとてもメンドクサイ…。sweat01

 

 本当に、こういうソフトだったんだ…。sweat02

 

 そういうわけで、いつかどこかで見てきたように(笑)、私もまた、毎回ため息をつくような感じで、だんだんこのソフトウェアが嫌いになって行きました。

 

 「慣れれば、いつかは好きになる?」と思った時期もあったのですが、結局「知れば知るほど、ますます嫌いになっていく…」というほど、このソフトと私の相性はダメでした。(笑)

 

 そして、実際に使ってみてわかったことですが、そのソフトウェアで仕訳伝票の入力作業をすると、私の好きなあるソフトウェアで入力する時の、だいたい3倍ぐらいの時間がかかります。(正確な入力をするための、入力後の確認作業を含みます。)clock

 

 そして入力する私の疲労も、3倍!です…。sweat01

 

 ということは、私の仕事の能率が、普段よりも早く下がってしまうということです。

 

 同じ時間給であっても、私の「出力」がとても悪くなる、というか…。(笑)

 

 そういうわけで、わたくしはその会計ソフトがとても嫌いなのですが、不思議なことに、この会計ソフトは、どうやら会計事務所や税理士事務所などで、わりと好まれて使われているソフトウェアなのだそうです。sign02

 

 聞けば、税金の電子申告をするのに、便利なのだそうです。

 

 そこで、その話を聞いて、私は考えてしまったのですが…。

 

 その会計ソフトを使うためには、どうしても入力オペレーターが、いったんそのソフトに仕訳を入力しなくてはいけません。

 

 その時、あるソフトウェアならば1時間で終われる入力作業が、そのソフトウェアを使うと、3時間かかるとします。

 

 そうすると、その会計事務所が入力オペレーターに支払う時間給は3倍です。

 

 その会計事務所に年間で、その入力作業がどのぐらいあるのかは、わかりませんが、とにかく、別のソフトの3倍のお金をかけて、1年分の入力を完了させ、同時に、そのソフトウェアを使って、手間のかかる税金の申告作業を簡単にする、という場合。

 

 データの入力に要した費用の増加分と、税金の申告時にらくをして、減らせた費用の差額はどれくらいなのでしょう?libra

 それから、そのソフトウェア自体がわりと高価だということなので、そもそも、その分の費用も考えなくてはいけません。

 

 そこで、私としては考えてしまうのですが…。

 

 「もっと安価で、普段の入力がしやすいソフトウェアに変えて、税金の申告がらくになるという便利をあきらめた方が、事務所の利益のためにはいいんじゃないのかな?」と。shine

 

 そのソフトウェアが嫌いな私は、やっぱり逃げたい気持ちもあって(笑)、そのようなことを考えてしまいます。sun

 

 実際には、税金の申告書を作成する作業というのが、どれほど手間なのか、私は知らないのですが、とにかくそれぐらい、普段の仕訳伝票の入力がしにくい会計ソフトです。

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CD1枚の魔法♪

 8月のある土曜日。

 

 渋谷の駅前を歩いていたら、素敵なギターの音がしていました。

 

 夕方の空に、気持ち良く響いています。

 

 しばらく聴いていたのですが、そのうちに、演奏は終わってしまいました。

 

 もっと聴いていたかった私は、CDを1枚買ってきました。

 

 音楽の「お持ち帰り」です♪

 

♪(^^*)♪

Dvc00253_2

 ミュージシャンの名前はCHUTAさんです。

 

 家に帰ってから、早速聴き始めました。

 

やはり、私の好みの音楽で、とても穏やかな、優しい気持ちになってきます。

 

 揺れている感じも、とても心地良い…。

 

 ただ蒸し暑いだけの夏の夜が、たった1枚のCDで、一気に「素敵な夜」に変わっていく。

 

 私にとっては、そんな魔法のようなCDです♪

 

*^^*)♪♪♪

*CHUTAさんのサイトはこちらです。
http://do-do-chuta.com/


*こちらの動画も楽しい♪

https://www.youtube.com/watch?v=MNjXpkThPMk

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週刊女性自身 8月25日号 美智子さまの記事

 美容院でたまたま読んでいた週刊女性自身に、とても良い記事を見つけたのでご紹介いたします。

 

 8月25日号です。book

 

 この号は、反戦特集?と思われるぐらい、私には反戦に関する記事が印象的でした。

 

 ひとつは「寂聴×三輪明宏反戦対談『悲劇を二度と繰り返させないために!』」という記事です。

 

 こちらは「『笑いと涙の120分』誌上独占中継」とも書かれてありますが、本当に「笑いと涙」の4ページです。sun

 

 たとえば「美人はロクな死に方をしません」とか。(笑)

 

 こういう言い方なら、美人もそうでない女性もうれしいですよネ?

 

shine(*^^*)shine

 

 こちらは親しみやすく、わかりやすく、女性らしい視点から反戦を語ります。

 

 そしてもうひとつ、こちらは対照的に、本当に重厚な平和への記事です。

 

 こちらは「シリーズ人間 No.2237」で、今回は美智子さま(皇后さま)です。

 

 表紙の見出しでは「平和を人任せにしない」となっています。

 

 美容院で読んでいたのですが、この記事はあまりにも迫力のある記事だったので、私は途中で涙が出てきてしまいました。

 

 静かなのに、ずっしりと心が動かされる、本当に重みのある記事です。

 

 この8ページは、本当にたくさんの人たちの目にふれてほしい!

 

 この記事に関しては本当に、「女性週刊誌」という枠を超えて、ひとりでも多くの人の心に届いてほしい!

 

 そのような思いにかられてしまったので、それで「自分などには、本当はこの記事についてご説明をするような言葉もない…sweat01」と思いながら、現在、この記事のご紹介を書いています。

 

 とは言え、「ご説明をするような言葉もない…」という状態ですので、結局何も書けないわけですが…。(笑)

 

(^^;)sweat01

 

 美智子さまのお言葉の中で、今回私があらためて意識し直したお言葉をひとつだけ、ここに引用させていただきます。

 

(66ページ 引用始め)

 

 平和は、戦争がないというだけの受け身な状態ではなく、平和の持続のためには、人々の平和への真摯な願いと、平和を生きる強い意思が必要ではないかと思います。

(94年、アメリカ訪問前の外国記者質問へのご回答)

(以上、引用終わり)

 

 私はこのお言葉ほど、この数年、自分の中でどこかもやもやとしていた、現在の世の中の変化に関する違和感を明かしてくださるお言葉はないと思いました。

 

 数年前までは、あれほど平和を大切にしていた日本だったのに…。

 

 わずか数年で、日本の世の中の雰囲気は、ガラリと変わってしまったと思うのです。

 

 平和というのは、だまっていても、誰かが与えてくれるというものではない。

 平和でありたければ、「平和を維持する」という強い意思が必要だったと、今は思います。

 
その「強い意思」がなければ、社会は軽々と平和を放棄して、再び戦争の状態に戻ってしまいかねないという、そうした不安定さが本当はあったと思うのです。

 

 この70年、日本はその「強い意思」を持っていたか?

 

 もしかしたら日本は安穏と、ただその時の平和を享受していただけでは…?

 

 そうしたことを、今は思います。

 

 「週刊女性自身、8月25日号」(8月18日・25日合併号)。

 

 私は昨日(15日)買いましたが、まだ店頭にあるでしょうか?book

 

 雑誌名は「週刊女性自身」ですが、この8ページは男性にもぜひご一読をお薦めいたします。shine

 

 shine(*^^*)shine

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エリート軍人の「戦争ゲーム」とキノコ雲

 毎年のことですが、この時期になると戦争のテレビ番組が多くなります。

 

 今年はとくに、いつもの年よりも、強く意識されている気がします。

 

あまり見たくはなかったのに、たまたま「特攻」の番組を見てしまいました。

 

 日本がもう、勝てる見込みがなくなっても、特攻は命令によって出撃を続けていました。

 

 その結果、さらにたくさんの若者の生命が失われました。

 

 軍の中では、なんとかして終戦に持ちこもうとする終戦派と、ぎりぎりまで攻撃を続けようとする主戦派の、ふたつの立場が出ていたそうです。

 

 結局、主戦派の主張がとおったため、特攻はぎりぎりまで出撃を強いられました。

 

 最後の頃には、練習機で若者が戦地に送られたそうです。

 

 その時点での軍部の判断というものは、もはや正気の沙汰とは思えないようなものでした。

 

 番組を見ていると、思います。

 

 「主戦派という人たちは、よほど頭が悪かったのではないか?」と思います。

 

 彼らは頭が悪いから、戦局というものを正しく判断ができなかったのでは?

 

 はじめはそんな風に、辛辣な気持ちで見ていました。

 

 ところがある場面を見た時に、ふと「もしかして、そうではなかった?!」という気持ちになりました。thunder

 

そして、その後はショックで今度は、大変虚ろな気分になりました。

 

 その場面というのは、作戦会議のイメージ映像でした。

 

 戦地から離れた、おそらく東京のどこか、安全な場所で行われていたと思われる作戦会議の映像です。

 

 地図の上にあれこれと、展開をシミュレーションする場面…。

 

 その映像を見た時に、ふと思ったのです。

 

 主戦派の軍人というのは、頭が悪かったというよりも…。

 

あの戦争はもしかして、主戦派のエリート軍人にとっては、ただの「ゲームのようなもの」でしかなかったのではないでしょうか?

 ちょうど現代の若い人たちが、パソコンやスマホの中でやるゲームのように。

 

 戦っても、画面の中で誰かが倒れて死ぬだけで、そこには血のにおいも、悲鳴も何もない。

 

 エリートと言われた軍人たちは、だからあのような判断ができたのでは?

 

 普通の人たちは、「生命(いのち)」という視点で、戦争を考えます。

 

 だからその結論は、「あんなことは、もう2度とあってはいけない」と思います。

 

 でも、いわゆるエリートと言われた軍人たちには、もともと「生命」などという意識はなかったのかも知れません。

 

 彼らが持っていたのは、国民の生命ではなくて、「国民」という名前のゲームの「持ち駒」だったかもしれないのです。

 

 彼らは「戦争というゲーム」の中で、自分の「持ち駒」をぎりぎりまで、有効に使い切ろうと考えたのではないでしょうか?

 

 彼らはエリートであるがゆえに、自分は怪我をすることもなく、また「持ち駒」である若者たちが死んでも、自分にその生命の請求書が来るというわけでもありませんでした。

 

 彼らは、いわゆるエリートであったからこそ、国民の生命というものを単なるゲームの「持ち駒」としてとらえることができ、だからこそ人間の生命を、ただの戦力として、まるで消耗品のように、どんどん戦地に投入することができたのではないかと思うのです。

 

 特攻隊員の生命というのは、普通の人にとっては「生命」でしたが、彼らにとっては、弾薬などと同様の、ただの「持ち駒」でしかなかったのではないかと思います。

 

 どうせ負けるなら、ただで負けるより、持ち駒の全部を投げ込んでやれ!

 

 自分が一切の痛みを負うことのないゲームであれば、プレーヤーがそう考えたとしてもおかしくありません。

 

 ふたつのキノコ雲さえ、おそらく彼らにはちょっとした出来事に過ぎなかったかも知れません。

 

 ちょっとばかり刺激的なゲームで、自分の陣地が「やられた」だけでしょう。

 

 キノコ雲の真下では、大変なことが起こっていました。

 

 でもそれは、おそらく彼にはどうでもよかったことでしょう。

 

 なぜなら彼らには、もともと「生命」などという認識がなかったからです。

 

 「今回は負けたけれど、いつかまたチャンスがあったら、今度は勝ってやる!」。

 

彼らがそう考えたとしても、どうやら、おかしくはなさそうです。

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