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2015年12月

良いお年をお迎えください。

 今年も、私のブログを見に来てくださって、ありがとうございました。

 

 今年はあまり書けなかったので、来年はもう少し、書ければいいなと思います。

 

 来年も、よろしくお願いいたします。

 

 皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。heart

shine*^^*shine

 

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有限という制約の中での、お金という無限

 経済を考える時に不思議なのは、人間の世界は有限です。

 

 実体のある財やサービスは、有限です。shine

 それなのにどうしてか、金融という世界では、無限の方向にお金を求めることが習慣になっています。

 

 お金は、人間が財やサービスの交換用に使う数値なので、たしかにいくらでも発行可能です。

 

 数値であって、実体がないから、無限に向かっていられます。dollar

 でも、経済の実体は財やサービスで、 金融は数値上のやりとりにすぎません。

 

 そして、この数値は、財やサービスを交換する時にだけ役目を果たすものであり、財やサービスを交換する必要がなければ、役目を果たせない数値です。

 

 それなのに、その数値だけが、財やサービスの有り様を離れ、無限を求めて動くのです。

 

 世の中で、その意味を考える人は、わずかです。

 

 エンデの「時間どろぼう」という発想は、そうした社会の仕組みの結果として、社会に起こる状態を、「モモ」という物語の中で表現しています。book

 私がこのブログをとおしてやりたいことは、その社会の仕組みを明らかにし、その仕組みから、どうして、「モモ」の物語のような状態が起こってしまうのかを、説明することです。shine

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「あさが来た」の世界で、あまりに新し過ぎるもの(^0^)

 朝ドラの「あさが来た」を見ていると、とにかくいろいろなことが新しく変わっていった時代を感じます。

 

 世の中の様子も、人の服装も考え方も、いろいろなものごとが新しくなっています。

 

 でもそういう中で私は、「いくらなんでも、これだけは新し過ぎるでしょう?(笑)」と思ってしまうものがあります。

 

 ドラマの中でなんとなく、明治時代に携帯電話を見るような…。

 

強い違和感を持つほど、軽やかで新し過ぎるもの♪(楽しい違和感なので、良いのですが。笑)

それは「人の心」です。shine

 東京へ行きたいあさを見て、ついついそれを応援したくなってしまう優しい夫の新次郎さん。

 

 奥さんが可愛くて、可愛くて、大好きで。heart

 

だからきっと、のびのび、思うとおりにやらせてあげたくなってしまうのでしょう。

 

 世間の人が、なんと言おうとも!shine

(^0^)

 こんなにステキなだんなさまは、今の時代にだって、そうそういるものではありません。

 

 いくら、いろいろなものごとが新しくなっていった明治時代でも、これほどまで世間の常識にとらわれず、自分の価値観に根づいた愛情を示せる男性なんて、本当にいたのかしら?と、私はついつい懐疑的な気持ちになってしまいます。(笑)

 

 でも、いつの時代でも、人の心は、時代で変わる人もいれば、時代に関わらずに自分の内面的な価値観で生きる人もいるものです。

 

 そう考えてみればどの時代にも、ほんの少数ではあっても、そうした個性的な男性は、いたのかもしれません。

 

 「あさが来た」の時代背景は、明治時代です。

 

 でも、登場人物の心は、すっかり現代の人たちの心です。shine

 楽しくて、いいですネ♪sun

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「あさが来た」の時代考証の宮本又郎さん?

 NHKの朝ドラの「あさが来た」を見ていたら、ふと、あることに気がつきました。tv

 

 テロップの時代考証の担当として、宮本又郎さんというお名前が出ているのです。

 

 そこで思い出したのですが、たしか以前に放送大学で日本経済史を履修した時の、テキストの先生のお名前が宮本又郎先生だったような…。(!)

 

 日本経済史。

 

 科目として、とてもおもしろかったことを記憶しています。shine

 そして、ドラマの「あさが来た」の時代背景も、とてもおもしろい。shine

 ビールが出てきたり、政府紙幣が出てきたり、大福帳という昔の帳簿が出てきたり。

 

 とにかく興味をひかれる小道具がたくさん出てきます。

 

 ネットでお名前を調べてみたところ、やはり放送大学客員教授の宮本又郎先生でした。

 

 複式簿記が導入され、株式会社の制度も入ってきて、日本の経済の仕組みが大きく変わった明治時代。

 

西洋の資本主義が日本に入ってきた時代です!(←と、私は考えています。)

 

 私としては、本当に興味をひかれる時代です。

shine*^^*shine

 

*リンク先は宮本又郎先生が館長を務めておいでの「大阪企業家ミュージアム」のサイトです。

http://www.osaka.cci.or.jp/museum/blog/2015/09/post-362.html

 

 

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COP21と資本主義

 数日前、COP21の報道を見ていたら、先進国と発展途上国の間で折り合いがつかないということでした。

 

 それを聞いてなんとなく思ったのですが、地球は資本主義を止められないと、おそらく今後100年はもたないのではないかと思いました。

(*ここでいう資本主義とは、財やサービスを交換する時に、その価値を一度、お金による金額に換算して交換をする習慣を持つ経済で、さらにその、一時的に換算された結果である価値(金額)が、今度は財やサービスの生産とはまったく独立し、自らその数値を自己増殖させられる習慣(金融による資産運用のこと)も、同時に容認されている経済です。)

 

 地球の習慣では、財やサービスを交換する際に、おそらくほとんどの場合、お金という金額の情報に、その価値を変換してから交換します。

 

 この「金額」という価値表示は、まったくただの情報に過ぎなくて、実際の財やサービスそのものではありません。一時的に財やサービスに割り当てられた結果の、価値の情報です。

 ところが、この価値の情報が、財やサービスの生産と連動せず、独自にその数値を増殖(移動)させることが容認されているとなると、地球上では、財やサービスの配分に、さまざまな分配の歪みが起こります。

 

 実際の財やサービスの在り方と関係なく、「お金による金額」という価値情報の分配の在り方が生まれてしまいます。

 この「お金による金額」によって生まれる分配の歪みが、先進国と発展途上国の、利害の違いというものを生み出します。

 本来、実体のある財やサービスのレベルで考えれば、地球の環境に関しては、先進国も発展途上国も、それほど状況が変わるはずはありません。先進国でも発展途上国でも、地球の環境が安全であった方が良いのは同じです。

 ところが、実体のある財やサービスを離れた、お金という、価値を表示する情報に重きを置く社会では、地球の環境という、実体のある世界の危機よりも、お金を考えた損得に意識が集まってしまいます。

 

 資本主義社会でとくに問題となるのは、お金による損得を考える場合、営利を目的とする企業が株主のために、地球の環境を無視しても、利益を上げようとする行動を抑止できないことです。

 企業は社会や、地球全体のためよりも、株主のために行動しようとしてしまいます。

 

 資本主義(はじめの方に書きました、長い説明の部分)である以上、その行動を抑えることができません。

 

 地球の環境を考える会議は、未来にも何度も開かれることでしょう。

 

 でも、資本主義である限り、完全に地球の環境に配慮した経済の実現はありません。

 

 資本主義社会では、企業は株主のための存在となりがちであり、地球の環境や、地球全体の人々の幸福のための存在にはなりにくいからです。

 地球が資本主義である限り、いつまでも解決することのない環境問題は、いつかは地球の住人である人間の手には負えなくなり、地球そのものを壊してしまうかもしれません。

 

 この数日は、そうしたことを思いました。

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