« 「あさが来た」の時代考証の宮本又郎さん? | トップページ | 有限という制約の中での、お金という無限 »

「あさが来た」の世界で、あまりに新し過ぎるもの(^0^)

 朝ドラの「あさが来た」を見ていると、とにかくいろいろなことが新しく変わっていった時代を感じます。

 

 世の中の様子も、人の服装も考え方も、いろいろなものごとが新しくなっています。

 

 でもそういう中で私は、「いくらなんでも、これだけは新し過ぎるでしょう?(笑)」と思ってしまうものがあります。

 

 ドラマの中でなんとなく、明治時代に携帯電話を見るような…。

 

強い違和感を持つほど、軽やかで新し過ぎるもの♪(楽しい違和感なので、良いのですが。笑)

それは「人の心」です。shine

 東京へ行きたいあさを見て、ついついそれを応援したくなってしまう優しい夫の新次郎さん。

 

 奥さんが可愛くて、可愛くて、大好きで。heart

 

だからきっと、のびのび、思うとおりにやらせてあげたくなってしまうのでしょう。

 

 世間の人が、なんと言おうとも!shine

(^0^)

 こんなにステキなだんなさまは、今の時代にだって、そうそういるものではありません。

 

 いくら、いろいろなものごとが新しくなっていった明治時代でも、これほどまで世間の常識にとらわれず、自分の価値観に根づいた愛情を示せる男性なんて、本当にいたのかしら?と、私はついつい懐疑的な気持ちになってしまいます。(笑)

 

 でも、いつの時代でも、人の心は、時代で変わる人もいれば、時代に関わらずに自分の内面的な価値観で生きる人もいるものです。

 

 そう考えてみればどの時代にも、ほんの少数ではあっても、そうした個性的な男性は、いたのかもしれません。

 

 「あさが来た」の時代背景は、明治時代です。

 

 でも、登場人物の心は、すっかり現代の人たちの心です。shine

 楽しくて、いいですネ♪sun

|

« 「あさが来た」の時代考証の宮本又郎さん? | トップページ | 有限という制約の中での、お金という無限 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52049/62925981

この記事へのトラックバック一覧です: 「あさが来た」の世界で、あまりに新し過ぎるもの(^0^):

« 「あさが来た」の時代考証の宮本又郎さん? | トップページ | 有限という制約の中での、お金という無限 »