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有限という制約の中での、お金という無限

 経済を考える時に不思議なのは、人間の世界は有限です。

 

 実体のある財やサービスは、有限です。shine

 それなのにどうしてか、金融という世界では、無限の方向にお金を求めることが習慣になっています。

 

 お金は、人間が財やサービスの交換用に使う数値なので、たしかにいくらでも発行可能です。

 

 数値であって、実体がないから、無限に向かっていられます。dollar

 でも、経済の実体は財やサービスで、 金融は数値上のやりとりにすぎません。

 

 そして、この数値は、財やサービスを交換する時にだけ役目を果たすものであり、財やサービスを交換する必要がなければ、役目を果たせない数値です。

 

 それなのに、その数値だけが、財やサービスの有り様を離れ、無限を求めて動くのです。

 

 世の中で、その意味を考える人は、わずかです。

 

 エンデの「時間どろぼう」という発想は、そうした社会の仕組みの結果として、社会に起こる状態を、「モモ」という物語の中で表現しています。book

 私がこのブログをとおしてやりたいことは、その社会の仕組みを明らかにし、その仕組みから、どうして、「モモ」の物語のような状態が起こってしまうのかを、説明することです。shine

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