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2016年4月

パナマ文書(合法だけど、良くないこと)

 テレビを見ていたら、パナマ文書のことが放送されていました。tv

 

 出演されていた大学の先生によると、行われていたことそのものは、法律の上では、違法とは言えないのだそうです。

 

 でもやはり、一国の首相が自分の国に納めるべき税金を逃れようとしていたというのは、どう考えても「良くないこと」、だとされるでしょう。

 

 国民が怒るのは、当然です。impact

 

(ただし、怒るほどの意識のある国民ならば、の話ですが…。sweat02

 

それはさておき、この問題は、人間の世界のちょっとおもしろい状況を表に出しているように思います。

 

 つまり、法律で容認されている範囲で行動していても、「良くないこと」は、「できる」ということです。

 これは、法律の方が「良くないこと」を防止できるほどには、賢くできていないということなのかもしれません。

 でもこのあたりは、悪く考えれば、あえて法律を「賢く作らない」という意図をもった上で、法律を作っておく、ということもできそうです。

 

 あるいは、もしかしたら具体的に法律を作ろうとした場合に、どの行動からが「良くないこと」の範囲に入っていくのか、線引きが難しいという事情があるのかもしれません。

 

 このあたりはできれば、法律の専門家の先生に、お話をお聞きしてみたい、というところです。

 

 何にしても、「決められた税金を納める立場にしかなれない者」としては、なんとかして、こんなことはできないような法律を作ってほしいと思います。thunder

 
運用するほどの資産を持たない者には、消費税が8%に上がってからは、本当にいろいろと大変なのですから…。sweat01

 

*リンク先は、私が見ていたNHKの「クロ現プラス」です。

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3794/index.html

 

 

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地球人のギャンブル感覚がよくわかりません…。(2.競馬と株)

 地球では(「日本では」なのかもしれませんが)、「株はギャンブルではない」と考えられているのだそうです。

 

 これが「なりすまし地球人」である私には、どうもよくわかりません。

 

 私にはどうも、それほど違いがあるようには見えないのです。sign02

 ちなみに株は、競馬とは違って、企業を応援するために買うのだそうです。

 
ところで「それならば…」ですが、私としては思います。

 

 「それならば株を持っている人は、株価が下がった時にも、売ったりしないで、株を持ち続けてあげればいいのに!」と。

 

 ただでさえ株価が下がって、評判が下がってしまっている企業なのに、その人までその株を売ってしまったら、ますます株価が下がって、評判が悪くなってしまうではないですか?!

 

 結局は、自分が儲けられないのであれば、売ってしまうというのであれば、それは自分が儲けるために買っていたのであって、全然応援なんかじゃない!と、私は思います。

 

 「結局、その人は儲けたかったから、その株を買ったんでしょう? それなら競馬と同じじゃない?」と。

 
実にミもフタもない言い方になってしまいます。

 

 というわけで株も競馬も結局は、「自分の予測が当たってお金が儲かることを望んで、お金を払っている」という点では、そうたいして変わらないのにと私は思うのです。dollar

 
ところが地球では、競馬はギャンブルであって、株はギャンブルではないそうです。

 

 いったい、どういう点が違うのでしょうか?

 

 たしかに参加している人たちの服装や雰囲気は、大いに違うとは思いますが…。(笑)

 

 でも、していることとしては、それほど変わらないという気がします。

 

 ちなみに競馬でも、勝敗に関係なく自分が応援したい馬の馬券を買うことがあるそうです。horse

 なんでも「応援馬券」というそうで、馬券に「がんばれ!」と書いてあるのだとか。

 

 「もう儲からなくてもいい! とにかく応援したいんだ~っ!」という熱い気持ち!horsehorsehorse

 
その気持ちというのはなんとなく、株よりもむしろ、よほど純粋であるような気さえするのですが…。(笑)

shine*^^*shine

*リンク先はJRAの「応援馬券」の画像です。(ホントに「がんばれ!」って、書いてありますね♪)

http://sp.jra.jp/beginner/howto/A-3-1-3.html

 

 

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地球人のギャンブル感覚がよくわかりません…。

 バドミントンの選手が違法カジノ店で賭博をしていたことが発覚したために、リオ五輪に出場できなくなったと騒がれています。thunder

 

 先日、テレビを見ていたら、いろいろな人たちが「悪いと思う」と言っていました。tv

 

 見ていた私としては、少々不思議な気持ちです。

 

 今日(11日)現在では、その後のいろいろな報道も出てきて、出来事全体の印象も変わりつつあるところなのですが、はじめの頃にニュースを聞いた時の私の気持ちとしては、なんとなく選手たちが気の毒にさえ思えました。

 

正直に言いますと、彼らがしたことは、たしかに違法なことであるのですが、それにしても「それほどまで厳しい社会的制裁を受けなくていけないほどの、悪いことなのだろうか?」という気持ちもするのです。

 

 それで、彼らの行動のどの部分が、それほどの非難にさらされるほどのことだったのかと、私なりにちょっと考えてみました。

 

 ひとつの考え方としては、おそらく彼らが「違法カジノ店で賭博をしていた」ということが、悪いということなのではないかと思います。ng

 

 ということは、もしも彼らが「合法なカジノ店(そういうお店が日本にあるのかどうかはさておいて)で賭博をしていた」のであれば、それはべつに「悪いこと」でもなかった、ということです。sun

 

 ということになると、彼らはたまたま「日本の違法なカジノ店で賭博をしてしまったから(日本には合法なカジノ店はないようです。)悪かった」ということで、海外の合法なカジノ店でやっていればだいじょうぶだったのに、ちょっと不注意だったね…、ということです。

 

(まぁ、どちらにしても、違法であることは、たしかに悪いことであるのですが。)

 

 その次に私が考えたのは、「違法であろうが、合法であろうが、スポーツ選手が賭け事をするということがいけない」という考え方なのかもしれないと思いました。thunder

 

 違法か合法かに関わらず、「賭け事は、道徳的に良くない」という話です。

 

 でもこの考え方は、「なりすまし地球人」である私としては、とても理解がし難い考え方でした。sign02

 

 なぜかと言うと、地球では株の売買を含めた「投機的取引」というものは、経済活動の一部として認められているぐらいに、社会に肯定されていることだからです。

 

 「カジノで賭け事をするのはいけなくて、金融市場で賭け事をするのはかまわない?」。

 

 つまり「賭け事」がいけないのではなくて、場所がカジノなのか、金融市場なのかという場所の問題でしょうか?sign02

 こうなってくると、なりすまし地球人である私にしてみると、「どっちも賭け事に変わりがないじゃない?」と、違いがさっぱりわかりません。

 

 だいたい私には、「ギャンブルがいけない」という考え方自体も、そもそもあまりよくわからないところもあるのですが…。

 

 本人が自覚を持ってギャンブルをしているのであれば、大儲けをしようが、生活が破綻しようが、それこそ自己責任です。

 

 人に迷惑をかけるということでもなく、自分の責任で損失も引き受けるのであれば、ギャンブルのどこがいけないの?

 なんにしても、バドミントン選手に関する騒動を見ながら、「地球人のギャンブル感覚は、よくわからない」と、つくづく考えてしまいました。sweat01

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お金という「債権」を、どうやって手に入れるか?

 ひとつ前の記事では、「お金」というものを、「社会に対する債権」のようなものとして、考えてみました。

 

 「お金」というものを、その人が持っている量に応じて、社会に存在する、誰かが生産した財やサービスを買うことができる「債権」としてとらえてみました。

 この記事では社会の中で、その「債権」をどうやって手に入れるのか?について、考えてみます。

 

 いちばん一般的な方法は、「働いて稼ぐ」という方法です。shine

 これは「自分の労働力を売って、その代価としてお金をもらう」ということです。shine

 この時の「働く」場合には、労働力を直接企業に売って、賃金をもらうという方法もあるでしょう。

 

 あるいは自分で何か材料を買ってきて、自分で加工して、自分で売るという方法もあります。

 

 または、材料は何も買わないけれど、歌を歌ったり、誰かにマッサージをしてあげたりという形で、労働力を直接、お客さんに売るということもあります。

 

 とにかく何か、「社会の誰かがほしいと思っている財やサービス」を、労働力を使って、社会のだれかに提供した時の代価として、お金を受け取るという方法です。

 

 この時、お金は労働力の代価です。

 社会の中で、お金を手に入れる方法が、「労働力を売った時の代価」としてだけに制限されれば、世の中はずいぶん公平になるでしょう。shine

 働いて、世の中に必要とされる財やサービスをたくさん提供した人が、その労働の質や量に応じて、たくさんのお金を手に入れられる結果になるからです。shine
 

 あとは、社会の中で働けない人たちに、どうやってお金、または財やサービスを分けるかを考えればいいだけです。

 

 ところが資本主義社会にはもうひとつの、お金という「債権」を手に入れる方法が認められています。

 それは資産運用です。

 

 お金を運用することで、持っているお金を増やすことができます。

 

 この場合は、資産運用をする人は、社会の中での労働力の提供は一切なしで、お金を増やすことができます。

 

 お金を増やせる量は、お金の持ち主が運用にまわせる金額に応じて、大きくなります。

 

 ちょっとしか運用できない人は、運用がうまくいっても、ちょっとしたお金が増えません。

 

 お金をたくさん持っていて、たくさん運用できる人は、うまくいけばたくさんお金を増やせます。

 

 また運用には、いろいろな方法があって、お金が減るリスクは少ないけれど、お金が増える量も少ない運用方法もあれば、お金を失うリスクもあるけれど、うまくいけばたくさんお金が増えるという運用方法もあります。

 

 ただし、どちらにしても、社会に対する労働力の提供なしで、お金を得られるという点では変わりません。

 

 つまり資本主義社会では、お金という債権を手に入れる方法として、「労働力の代価として、手に入れる」という方法のほかに、もうひとつ「労働力は提供しないで、手に入れる」という、ふたつの方法がある、ということです。

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