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2016年11月

11月22日の「ガイアの夜明け」(バターの話)を見て思う

 11月22日の夜は、たまたま「ガイアの夜明け」を見ました。tv

 

 番組を見たこと自体は良かったのですが、その後、数日がたってから、ちょっと不愉快な気持ちになりました。typhoon

 

 番組の内容では、この数年続いている世の中のバター不足という現象は、ホクレンなどのいわゆる「指定団体」という組織によって、引き起こされているというものでした。

 

 放送の中では、実際にその指定団体のひとつであるホクレンの担当者が、まさしくそのような、バターの品薄を好もしく思っているような話をしていました。

 

 ただしその話し方は、あまりにも無防備な様子だったので、この場面は見ている方にも少し違和感がありました。

 

 放送を見ながら「この人は、自分のこの言葉がそのまま放送されてしまうことを知っていて、話しているのだろうか?」と、心配になるほどの「言いっぷり」だったのです。

 

 「この人はもしかしたら、自分の言葉が放送されることを、知らないのでは?」と、心配になりました。

 

 発言がそのまま放送されたら、もちろん視聴者から悪者呼ばわりされるのは、間違いありません。

 

 そのため番組を見終わった後も、「見て良かった」とは思うものの、その一方でどこか奇妙な後味も残りました。

 

 ところがその後、日にちがたち、ネットを見ていると、どうもホクレン側では放送の内容に納得しておらず、取材や編集の在り方に不満を漏らしているそうです。

 

 「バター不足はホクレンが起こしている」という内容の、番組の編集に悪意が見られるというのです。

 

 それで、実際に番組を見てあった私としては、今度は「ああ、やっぱり…」と、テレビ東京の、番組制作側の方に不信の気持ちがわいてきました。annoy

 

 番組が伝えようとした内容は、おそらく事実であろうと思います。

 

 たしかにバター不足という現象と、指定団体の存在は大きく関係があるのでしょう。

 

 ただ、そうしたことを伝えようとするために、番組のたとえ一部でも、人をあざむくような方法を使って番組を作ってはいけないと思います。

 

 これがよほどの、誰かの人命に関わる話とか、あるいは大きな犯罪とでもいうのなら、その情報を引きだすために、何かしら、関係者にうそをつくような行為もしかたがないかもしれません。

 

 でもこれは、単なる世の中の仕組みの話であり、たかだか経済の話です。

 

 その程度の情報を強調するためだけなのに、人をおとしいれるようなことをしてはいけないと思います。

 

 そうした「正しくないやり方」で手に入れた情報は、結局その情報の質そのものに不信を抱かせます。

 

 つまり見ているこちらも、「こういうことをする番組の作り手であれば、もしかしたらこの番組を見ている私自身も、番組の制作者にうまいこと、思考を誘導されてしまうのかもしれない」という、番組制作者の「恣意性」が心配になってくるのです。

 

 大きくとらえれば番組側が伝えようとした内容は、重要なことでした。

 

 でも番組の作り方については、かなりの問題を感じました。

 

 普段はおもしろく見ていた番組だったので、大変残念です。

 

 この時の放送に出演していたMMJという企業や、新しい道を開こうとしている酪農家さんたちには、応援の気持ちを感じます。shine 

 

 とにかく番組の作り方が、あまりにも残念だった回でした。

 

*リンク先は、「ガイアの夜明け」のサイトです。

http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber3/preview_20161122.html

 

*リンク先はホクレンの反論を報じるYahooニュースです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161124-00000066-it_nlab-life

 

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ニュースがもう無理…!

 以前から、嫌いな政治家がテレビに出ると、さっとリモコンでチャンネルを変えて、見なくてすむようにしていました。tv

 

 ところがアメリカの大統領選でトランプ氏が当選してからは、もう完全に「降参!」という感じで、すっかりニュースを見なくなりました。

 

 「見ない」というより、「もう、見られない!(無理っ!)」というのが正直な気持ちです。

 そういうわけで、ニュースの時間はテレビを消すようになりました。

 音が無くてさみしい時もありますが、自分を守るためにはしかたがありません。

 

 あんまりさみしい時は、しかたなくNHKの英語番組の録音を聴いている時さえあります。sign01

 

……?

 

 よく考えると、私のためにはかえっていいのでしょうか?

 

(^^;)

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「気の強い姫君」が見る世界

 お天気の良い11月のある日、古典の「とりかえばや物語」をベースにした小説を読みました。 「ざ・ちぇんじ!」(氷室冴子著)という少女向けの楽しいお話です。sun

 

*以下、ネタバレしますのでご注意くださいネ!

 

 時は平安、所は京。shine

 

 家柄の良い権大納言には大変美しい男の子と女の子がいるのですが、ところがこの二人はそれぞれ、本来の性別と性格がまったく反対の若君と姫君です。

 

 活発な姫君はやむなく男の子として育てられ、繊細な若君も諸事情によってやむなく、女の子として育てられます。

 

 そのうちに姫君は男として帝に仕えることとなり、若君もまた女として女東宮の尚侍となるのですが、どちらもその美しさからつねに人々の評判を集めます。

 

 ところがあることから、姫君である綺羅(きら)中将は自分が妊娠したものと思い込み、人に知られることをおそれて、都から姿を消してしまいます。また若君も帝から直々に女御入内が決められてしまい、いくら姿は美しくても、本来は男なのでどうしても入内は受けられず…。

 

 やむなく若君は男の姿に戻り、いなくなった姉である姫君を探しに出ますが、不思議なほど姫君の消息がわかりません。

 

 失踪の理由を知らない若君は、もしかしたら姉は入水でもしてしまったのではないかと、ありえないことまで考え、胸まで苦しい思いで宇治川のあたりに立ち寄ります。

 その時、どこか遠くから、女同士の激しく言い争う声が聞こえてきました。

 

(以下、引用です。)

 

都育ちで、女が怒鳴り合うなどお目にかかったことのない弟君は、ひょいと小柴垣から隙見した。

 

「なにさ、こんな子魚ばかりじゃ、芋を一籠まるまるってわけにゃいかないわ」

「ボるんじゃないよ、あんた。あたしを甘く見る気かい!? そんなやせこけた芋なんて、二籠でも少ないよ。どうやったら、そんな病気持ちみたいな芋ばっかり掘れるのか、教えてもらいたもんだよ、芋娘!」

「な、な、なんてこというのよ。あんたが採ってくる泥魚なんて、芋一本分もありゃしないんだよ。それを、あたいが芋や塩に替えてやってんじゃないか」

「へっ、塩が聞いてあきれら。半分は砂じゃないかよ。それともなにか?宇治の辺りじゃ砂を塩というのか」

「は、半分!? よ、よくもそんなこといえたもんだわね」

 

 実にどうも、ものすごい修羅場に出くわしたらしい、と弟君はあっけにとられた。

 芋がどうのこうのというところを見ると、芋を争っているのだろうが、どうしてあんなもので、ここまで罵り合うのか、よくわからない。

 しかし、どうみても芋娘の方が負けてるのは確かだった。

 芋がどうの塩がどうのと叫びまくっている女の顔は見えないが、すごい迫力である。

 

(引用、中略。そのうちに罵り合いはさらに高まって…?!)

 

(以下、引用、再び)

 

 「この、クソ女! そのへらず口、閉じさせたるぞっ」

 怒鳴り声と一緒に、バシーンというすさまじい音がして、芋娘が、抱えていた籠ごと横っとびに吹っとんだ。

 ばらばらと、あたり一面に芋が転がり、芋娘はおんおん泣きながら芋を拾い集め、逃げるように走り去った。

<すげえ女だなァ……。どういう魚(うお)採り女だ。>

 弟君は呆れ返って、思わず小柴垣から身をのり出した。

 

(引用終わり)

 

 もちろん、この<すげえ女>と弟君が呆れ返った魚採り女こそ、かつては都で評判の美貌の公達であった左大臣家の若君、綺羅中将の「今」の姿であり、弟君の「姉さん」です!(笑)

 

 この後弟君は、姉の作ってくれた芋粥♪をすすりながら、失踪の事情を聞いていると、さらに呆然とさせられる話が続きます。

 

 都から失踪した綺羅姫は、宇治の河原で空腹を感じ、食べ物を持ってくれば良かったと思いながら川を見ていたところ、身投げ女と間違われ、あわてて助けようとした通りすがりの僧と一緒に川に落ちてしまい、あやうく死にそうになったと言うのです。

 

 「死ぬとこって、姉さま、死ぬつもりで宇治に来たんじゃないの」と言う弟君に、「んまあ!冗談はよしのすけよ」と姉君はけらけら笑い飛ばします。sun

 

 どこか人しれないところで子どもを生んで、母子二人で物売りでもしながら、「雄々しく(?)」生きていく決心だったと言うのです。

 

 「そ、そうだよな。姉さまなら、どうしたって、身投げよりは物売りだよなあ」と弟君はそれまでの心配など吹き飛び、いたく納得するのでした。

sun(^^;)sun

 以下、物語の世界から抜け出して、現実の世界に戻りますと…。

 

 私はこの物語に出てくる「気の強い姫君」というイメージに、どこかほっとするような気持ちを感じます。

 

 私自身は気の強さとはほど遠く、むしろ、めそめそと内向きな性格で、強い女性とはまったく気が合わないタイプですが…。

 

 女性という性はどうしても社会の中では立場が弱く、社会はまだまだ男性優位です。

 そうした過度期の社会を進んで行くために、どうしても女性も激しい強さを見せなくてはいけない時がある。shine

 その時には世の中の古い価値観というものを、それこそ巨大な芋籠(?!)でもひっくり返すようにして、根底から覆してやらなくてはいけない時もある。sweat01

 

 そういう何かを感じているからなのかもしれません。

 

 氷室冴子さんの楽しげな世界に引き込まれ、お腹を抱えて笑いながら、綺羅姫の「男にも負けない強さ」に胸のすくような思いを感じた午後でした。sun

*リンク先はWikiの「ざ・ちぇんじ!」です。
(^^)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%96%E3%83%BB%E3%81%A1%E3%81%87%E3%82%93%E3%81%98!

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先週末の東京新聞より

 あっという間に一週間がたってしまいましたが、先週末の東京新聞も「読んで良かった」と思いました。shine

 

 土曜日(5日)の記事で良かったと思ったのは…。

 

1.17ページ目、三尾真琴先生の「『多様性社会』の実現とイスラームの世界」という記事です。良かったと思う理由は、日本にいるイスラーム教徒の子どもたちが学校で差別を受けていたということを、私が知らなかったので。知ることができて、よかったという意味です。

 

2.25ページ目、「本音のコラム」欄。「ニュースは細部に」という師岡カリーマさんの記事。

 

 ドイツでシリア人の人たちが、同じシリア人のテロを計画していた人物に気がつき、先に通報したそうです。日本のメディアの多くは、この「シリア人の人たちが通報した」というところを省略してしまって、かえって誤解を招くような報道まであったそうです。

 

 この記事に関しては、読んで良かったと思うところがふたつありました。

 

 ひとつは、そう…。

 

難民の問題では、昨年大晦日のケルンの事件があってから、「もう、難民の人たちが、自らテロリストを排除してくれるようにしてくれないと、受け入れ国側も大変なのではないないか?」と思っていました。

 

 だから、難民の人たちがこれを機にと言いますか、自らそういう行動を起こすという流れができてくれればという希望を持ちました。

 そしてふたつめですが、報道機関は「通報したのは、同じシリア人だった」という、そうした、人の印象を左右するような大事なポイントは、メディアがしっかり報道してくれないと!、という点です。

 

 そこが伝わるかどうかで、社会の側の見る目が変わってしまいます。

 

 メディアの報道には、そういうことも起こり得るということを、知ることができて良かったです。

 

 そして6日、日曜日の東京新聞では。

 

1.1面の、憲法9条に関する記事。

 学習漫画の中で、ある時期から戦争放棄の提案者が変わっていたそうです。同じ本なのに、ある時の版からさりげなく(?)、絵柄はほぼ同じままで、台詞の吹き出しの部分だけが変わっているとのこと。

Img_3538_2

★東京新聞のサイトではリンク先。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016110690070932.html

 う~ん、歴史って、こうやって塗り替えられてしまうのでしょうか?

 

(^^;)

 

 絵はほとんど同じままで、台詞の部分だけが変わっているなんて、なんて巧妙な変更なのでしょう。

 

 なかなか気づくことは、難しそうです。

 

 気づかれたのは、平和歴史学者のクラウス・シルヒトマン氏とのこと。

 

 平和歴史学という学問があることにも驚きましたが、ドイツに平和学会という会があり、その関係で各国の憲法の平和に関する規定に興味を持ったという、そうした学問の分野の存在にも驚きました。

 

 平和歴史学という学問は、日本で勉強することはできるのかな?と思います。

 

2.そして「こちら特報部」というページの、熊本県のハンセン病療養所、菊池恵楓園の記事。

 

 熊本地震で、入所者が保存を求めていた歴史的建造物の一部が損壊したそうですが、国は修復の方針を示していないそうです。

 

 この記事は、たった1日で次の号が発行されてしまう新聞というメディアにはもったいないほど、(人の目に触れる時間が短いという意味で、です。)人権問題について、力を入れて書かれてある記事だと思いました。

 

 「発病は罪を犯したのと同じこと」という言葉には、世の中がいとも簡単に陥ってしまいやすい人権軽視という現象を、とてもわかりやすく伝えていると思います。

 

そして、この出来事に関して、東京新聞という新聞が、どういう出来事を伝えるか、またどういう姿勢で伝えるかという、新聞社自体の姿勢も伝わってくる、これもまた「読んで良かった」と思える記事でした。shine

3.あとは、ふたつ前の記事でご紹介したパンダ!です♪

 

 この写真が、私を図書館からコンビニに向かわせたとは、東京新聞は意外なところでポイントアップしていましたネ。(笑)♪

 

shine(^^)shine

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おまけの記事♪

 この記事は、ひとつ前のパンダの記事のおまけです。present

 

 ちょっと癒されたい時のために♪

 

shine(^^)shine

 

*リンク先はBIGLOBEニュースのサイトです。

http://news.biglobe.ne.jp/minmato/000000035.html

 

 

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今日の東京新聞

 午前中に図書館で見た東京新聞。

 

 今日は買いました!

 

 いろいろここにご紹介したい記事もあるのですが、それよりも買った理由はまずこれです!

 

 簡単な英文で書かれたCatch the Newsのコーナーのパンダの写真!

 

 一瞬にしてハートをやられてしまい、永久保存版!と決めました。

 あまりに可愛らし過ぎて、胸が痛いです!(笑)heart

Img_3530_2

 

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学力と人間の善性は関係がない

 慶應大学で学生による性犯罪の事件がありました。(大学側は確認していないそうですが…。)

 

 何年か前の早稲田の事件、東大の事件、それから慶応の事件です。

 

 これで日本のトップ3の大学で、それぞれ性犯罪事件が起こったことになります。

 

 このブログの中でもよく考えるのですが、人間にとって「頭が良い」ということは、いったいどういうことなのだろうかと思います。

 

 そして、これらの3つの事件を考えて私が思うのは、「学力」というのは人間の本当に部分的な能力にすぎないのだろうなということです。

 わかりやすく言うと、運動能力の頭脳版とでも言うのでしょうか?

 

ものごとをよく記憶したり、複雑な考え方を理解したり、難しい言葉を使いこなせたり、あるいはもっと何かいろいろ、とにかく人間としては本当に限定された、一部の能力であるような気がします。

 

 そして学力と、人間の善性は関係がない。shine

 

 東大だろうが、早稲田、慶応であろうが、その性質が良くない人間は、結局他者を傷つけるような悪い人間になるのです。

 

 なかにはその悪さが社会のルールを飛び出して、犯罪者となる者もいるかもしれません。

 

 あるいはその悪さを社会のルールの中におさめたまま、結局犯罪者とはならないまでも、たくさんの隠れたずる賢さを発揮して、世の中をよくない方向に導いていくかもしれません。

 

 そういう風に考えると、学歴というものを基準に考えて、世の中がそういう学生に良い待遇を与えていくような社会なら、その社会が良くなるはずなどありません。

 

 このことは、先にあげた、それぞれの大学の学生や大学が悪いというよりも、それらの大学や学生を認識する社会の意識の方が悪いと思います。

 

 社会の方が学力という、人間の能力の中の本当に一部の能力を、異常にあがめて称えてしまうから、結局大多数であるはずの庶民が住みにくい、よくない世の中ができるのです。

 

 学力と、人間の善性はまったく別!sun

 

 世の中にもっと、そうした認識ができればいいのにと思います。

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