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私はどうして政治に怒ってしまうのか?

 ちょっと険しいタイトルになってしまいましたが、自分にとって大切なことだと思うので、このまま書きます。

 

 正直なところを書くと、2012年12月に安倍政権に変わってから、とにかく気分が楽しくない、ということが多くて、大変困っていました。

 

 症状?が悪化したのは、2013年の9月頃からの、特定秘密保護法のあたりからでしょうか?

 

 いいえ、それ以前にもすでに2013年7月、麻生副総理のナチス憲法でんでん。←あっ、間違えました! ナチス憲法云々(「うんぬん」、ですネ?)という発言を知った時、もうすでに、すっかり震え上がってしまったということもありました。

 

 それから現在に至るまで、政治に対する不愉快は増すばかり。

 

 怖ろしさで眠れない、怒りで眠れない等々、とにかく自分個人のことでもないのに、私の感情の動きの激しいこと!

 

 その一方で、少し冷静になる自分という存在もいるので、時々不思議に思います。

 

 私は現在の日本の状況が嫌でたまらないのだけど、その一方で、そのようなことなどまったく気にもしていなそうな人たちが、世の中のほとんどを占めているのはいったいなぜ?!

 

 またしても(?)、「私の頭がやっぱり(?)、ちょっとおかしいのかな?」という弱気な気持ちも出てきます。sweat01

 

 だいたい、人生はとにかく楽しい方がトクだと思いますし…。

 

 でも、どうしても私は怒ってしまうのよ!的な…。(笑)

 

 とにかく、そういう状況がもう4年半なので、自分でもさすがに疲れてきていました。

 

 この最近は「サウンド・オブ・ミュージック」の本を読みながら、祖国を捨てて難民になる時に必要な心構えは、いったい何だろう?と。

 

 そのようなことまで考えてしまうほどでした。(「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ一家はナチスから逃げて、オーストリアからアメリカに亡命しています。)

 

 「とにかく私は、日本にいるのも、もうかなり嫌!」という状態で、またまた、あまりにも自分は変わり者過ぎるのかもしれないと、けっこう真面目に困っていました。

 

 ところがこの問題が、意外な場所からすっきり解決しました。shine

 

 それは最近行ってきた、あるスピリチュアル系のセミナーでした。

 

 セミナーの場所で質問をさせてもらえる機会があり、私の悩みを質問しました。

 

(スピリチュアルの世界では、通常、激しい怒りという感情は喜ばしくないものとされています。)

 

 「私は現在の政治の様子を見ていると、どうしても怒ってしまって、それからあとになって落ち込んでしまうんです。とくに弱い者いじめ的な場面を見ていると、本当に怒ってしまって大変で、それで自分でも困っています」という感じで。

 私の質問に講演者の方はちょっと間をおいてから、とてもおもしろい答えを返してくれたのです。

 

 「う~ん。そこには、あなたの価値観が関係しているんじゃないのかな? 自分が価値感を置いているものを否定されると、怒りがわくよね?」という感じ。

 それで、その回答を聞いて、私もはっと気がつきました!

 

 私は人権問題に、とても関心が強いのです。

 

 人権というものは、大切にされるべきものだと、とても強い価値観を自分の中に持っています。

 

 そして人間の主張というものは、とくに社会の弱いに立場に置かれている人の主張というのは、いっそう大切に扱われなくてはいけないと考えています。

 

 ところが安倍政権は人権問題に対して大変鈍感、というよりも時によっては、大変な人権軽視の態度を見せます。

 

 また、人の心を傷つけるという点では、沖縄の翁長知事に対する菅官房長の態度などは、国が自治体に対して上から傲慢に従わせるような、とても沖縄県民の心を傷つける態度をとっています。

 

 そうした状況を見せられるたびに、私が自分の中に内在的な価値観として持っていた、「人権は尊重されるべき。人の心は大切にされるべき」という価値観が、まるで目の前でハンマーで叩き壊されるように、傷つけられていたのでした。

 

 そして私が日々、「あの人たちはどうして、私のように怒らないのだろう?」と思っていた、世の中の多くの人たちというのは、私ほどは人権問題に価値を置いていないのだと思います。

 

 おそらく人権問題ではない、そのほかの何かで、その人なりに大切にしている何らかの価値観があるのでしょう。

 

 それを悪いとも言いませんし、誰もが人権問題に強い関心を持つべきだとも言うこともできません。人が何に価値を置いて生きるのかは、それぞれその人の自由です。

 

 でも今、世の中で安倍政権に怒りを向け、また反旗を翻すような人々も出ていますが、この人たちはおそらく私と同じように、安倍政権以前の日本で、それぞれ自分たちが「大切なもの」として心に抱いてきた価値観を、安倍政権によって大きく叩き壊されてきている人たちなのではないでしょうか。

 

 だから怒りが湧き、そして時には、それをゆるしている自国の国民にまで、怒りがわいてしまうのだと思います。

 

 価値観というのは見方によっては、人間にとってその人の心の中に抱いている宝物のようなものだと思います。shine

 その人が心の中で大切にしてきた考え方を、目の前で真っ向から否定され、壊される行為を見せられた時、人は怒りを感じるものだし、また、もしも社会全体がそうなってしまった場合は、その社会に生きづらさを感じるものです。

 

 映画の「サウンド・オブ・ミュージック」を例に出しますと、たとえばトラップ一家はやはり、ヒトラーの価値観に自分たちの価値観を合わせることができなかったということなのでしょう。一家は亡命という道を選びました。

 

 けれどもその時代、オーストリアではナチスを歓迎する人たちも少なくなかったそうです。その人たちはおそらく、自分たちの価値観とヒトラーの価値観が、ぶつかるというほどのことではなかったのかもしれません。

(もちろん、当時には当時の状況が何かあったからなのかもしれませんが。)

 

 当時の状況を現在の自分の身において想像してみると、私ならやはり街からユダヤ人がどこかに連行されていくことに気づいた時点でアウトです。

 

 どんなに愛した祖国でも、それはもう私にとっては、放射能に汚染された街と同じで、生きていく場所としてはあまりにも辛すぎる場所となってしまいます。

 

 そしてまたもしも、自分たちの住んでいる社会が未来に、そうなってしまうかもしれないという危険を感じたら、私ならやはり、なんとかしてその状況を回避しようとするでしょう。sweat01

 

 なにしろ自分以外の人たちにとっては、国旗がハーケンクロイツに変わっただけで、たいした変化も起こっていない街だとしても、自分にとっては、それは放射能に汚染された街に変わってしまうのと同じです。

 

 どんなに過去に素晴らしかった場所でも、汚染されてしまった街には住めません。

 

 結局現在、政治の状況にあれこれ声を上げている人たちというのは、やはり私と同じように、人権問題や言論の自由などに関心の強い人たちなのではないでしょうか?

 

 そして、とくに危険を感じることもなく、傍観している人たちというのは、人権問題よりも、もっとほかに価値観を置いている何かがあるのだと思います。

 

 私が政治に怒ってしまうのは、私という人間が、自分の中に人権問題に強い関心を持っているからだったのだと気づいたら、なんだか気持ちがらくになってしまいました。sun

 

 自分の周囲の人たちと反応が違っていたとしても、それはとりあえず、私の頭がおかしいわけではないのだとわかったからです。(←まずはこちらがけっこう心配でした。笑)

 

 その状態は、どちらかと言えば、私の「個性」が強く表れていたのでした。

 それならそれで、私の生きる場所も、おそらくどこかに開かれていくと思うのです。shine

shine(^^)shine

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