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2017年7月

外国特派員協会は日本の政治に参加した…。

 6月にある先生の政治学入門の授業を受けてから、私の中で政治を見る見方が変わりました。impact

 

 政治というものを形にとらわれず、世の中を動かすパワー(権力)として、徹底的にとらえるようになったのです。

 

 ところで、政治というものをそのようにして見直すと、意外なところに世の中を動かす力があったということに気づかされます。

 

 それは、ひとつは世論です。

 

 世論というものは、その社会によって、力を持っている度合は違いますが、ひとつの社会を動かす力になり得ます。

 

 そしてもうひとつ、意外と気づかなかったことですが、大変なパワーを持っている存在がありました。

 

 それは報道機関です。sign01

 報道機関というものは、世論の形成に影響を与えています。

 

 報道機関は報道する情報を選択することができ、また報道の仕方も選択しています。

 

 報道の仕方というのは、たとえば批判的な姿勢で報道するとか、あるいは肯定的な姿勢で報道するということです。

 

 ほかにもたとえば、中立的な「単なる出来事」として報道するという方法もあるでしょう。

 

 いずれにしても、その報道をとおして社会の人々は、自分たちの社会に何が起こっているのかを知ることになります。

 

 またその報道というのは、普通の人には理解が難しいような専門的なことであれば、報道機関がわかりやすく噛み砕いて伝えてくれるということもあります。

 

 よくよく考えてみれば報道機関という組織は、この時にその社会の政治に参加していたのです。

 

 ただ単純に出来事を伝えるだけでなく、社会に知らせる出来事の分別と、その出来事を情報の受け手側に「どう、とらえさせるか」という、とらえ方の「提案」をしていたようなものでした。

thunder

 このことは、今まではまったく気づかずにいたことですが、実は政治というものを考える上では、大変重要なことでした。

 このことの例としては、
たとえば5月に詩織さんという女性が、元TBS記者の記者にレイプされたと主張して記者会見を開いたことについて、外国特派員協会からは記者会見を拒否されていたという事例があげられます。

 

週刊現代の報道では、拒否された理由としては外国特派員協会の「報道企画委員会」の所属記者たちから、「特派員協会は、犯罪告発の場ではない」、「犯罪は証明されていないし、相手は有名なジャーナリストだ」、「彼女は外国メディアに報じさせて男に復讐しようとしている。協会の品位を損なう」などという意見が出されていたそうです。

 

 そして同協会、報道企画委員のひとりであるデイビッド・マクニール記者の弁明によると、『安倍政権に影響が出る話かどうかが重要。それには時期尚早だと思った』とのことですが…。

 

 報道機関もまた、政治に関わるひとつの権力であるという見方でこの出来事を見直してみれば、この弁明は論理がとおっていないと思います。

 

 というのは、ここで外国特派員によって報道がされていれば、それが逆に安倍政権に影響を与えていた可能性も考えられるからです。

 報道機関が、自分たちの世論に影響を与える力について、認識がないということはないでしょう。

 自分たちの社会に対する役目を十分理解した上で、先ほどのデイビッド・マクニール記者の弁明はあるはずです。

 

 この記者会見がなされたかどうか、またそのことによって報道がされたかどうかのポイントは、私は詩織さんという女性が本当にレイプされたかどうかという問題ではないと考えます。

 

 詩織さんという女性がレイプされたかどうかは、記者たちにとっては疑惑にすぎないとしても、その出来事に関して一度は逮捕状が出されたにも関わらず、その後に取り消されているということの方が問題です。

 

 そしてその加害者とされる人物が政権に近い人物であり、逮捕状を取り消した人物もまた政権に近い人物であったということは、もはや日本の社会の在り方に関する大きな問題です。

 

 この問題は、日本が法治国家であるのか、ないのか?

 また日本という国は、レイプという人権侵害に対して、どのような姿勢で向き合う国なのかを明確にする上でも、大変重要な問題でした。

 日本という国が、昔からレイプという犯罪を容認してきた国であり、その加害者への捜査の方法、逮捕するかどうかの判断を政権が決めてきたという国であれば、この問題はわざわざ外国特派員協会で記者会見を開くほどのことではなかったかもしれません。

 

 それは「日本に起こっている、よくある出来事」に過ぎないから、ということになります。

 

 でも詩織さんという女性がこの出来事について、外国特派員協会での記者会見を要請したのは、この出来事が単なる個人の問題ではなく、日本という国に起こっている変化を知ってほしかったからでもあるはずです。

 

 日本という国が法治国家でなくなりつつあるかもしれない。

 

 また今後の日本は、政権に近い人物であれば、犯罪行為があっても逮捕されないという国になっていくのかもしれない。

 

 この点も視野に入れて、詩織さんという女性の記者会見の要請を考えてみれば、それは十分に外国特派員という立場の人たちにとっては、意味のある記者会見となっていたのではないでしょうか?

 

 それとも、この外国特派員協会という組織の対応から考えると、正直に言うと私はまったく別の見方も考えてしまいます。

 

 それはつまり、日本という国はもともと、欧米諸国からは、法治国家とはみなされていなかったのではないか?とか、あるいは欧米諸国からしてみたら、たいして重要な国でもなかったのではないか?とも思えてしまうのです。

 

 G7に加盟しているなどということで、日本人のひとりとしてはすっかり「日本という国はアジアの国の中では唯一、欧米と対等に扱われている国だ」とも思っていたのですが、本当はまったくそんなことはなく、もともと「単にお金を持っているだけの、法治国家もまともに運営できない国だ」と思われていたのではないかと心配になってきます。sweat01

 そうした私の、日本という国の政治が欧米諸国からはどう見られていたのか?という、日本人としての心の揺らぎは、今は置いておきたいと思いますが…。

 

 とにかくこの出来事は、私が最近、政治というものを、権力という視点から考える上では、大変わかりやすい事例となりました。

 

 私の結論で言いますと、外国特派員協会は日本の政治に参加したのです。

 

 それは、日本の政治に圧力をかけたということでなく、単純に「政治に影響を与えるかもしれない出来事を報道しない(報道につながる機会を拒む)」という方法でさりげなく、世論に影響するかもしれなかった力を消滅させ、政治に参加をしたのです。

 

*リンク先はリテラの詩織さん記者会見の記事です。

http://lite-ra.com/2017/05/post-3203.html

 

*リンク先はShare News Japanというサイトの、週刊現代の記事に対するネットの反応です。

http://snjpn.net/archives/23453

 

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権力の分散状況に注意をはらっておく

 前述の政治学入門の授業では、もうひとつ、新しく、大きく気がついたことがありました。sign01

 

 それは政治というものを考える時は、その時の「権力の分散の状況」によく注意をはらっておくことが重要だということです。shine

 たとえば、日本は三権分立です。

 

 そうなるとこの3つである立法、行政、司法の機関は、いつでもそれぞれに独立していなくてはいけません。

 

 でもこれらの3つ機関というのは、結局は「人の集まり」でもあるわけですから、いつでも、「いつの間にかそれぞれが、やけに融和的な状態になってくる」ということだって、起こり得るわけです。

 

 国民としては、そのような状況に気がついたら、すぐにそこで警鐘を鳴らして、それぞれが分立して動ける状態を維持しておかなくてはいけないのです。(具体的に、そのような方法があるかは別ですが。)

 

 権力が集中しようとする状況は、できるだけ避けておいた方がいい。

 それは権力が集中してしまうと、その権力が強大になり過ぎてしまい、国民の手に負えなくなって、暴走する可能性が出て来るからです。thunder

 権力というのは、考えようによっては、獰猛な動物を国民のために飼うようなものだと私は考えます。

 

 主権が国民である以上、国民はいつでも、権力というものにはある程度の首輪をつけるようにして、国民に不利益なことをしないように監視していなくてはいけなかったのです。

 
権力というものが国民を裏切って、自ら強い力を得ようとする時には止めようとしなくてはいけなかった。

 

 権力の状況を野放しにしておきながら、いつのまにか分散されていた権力がひとつの力となってしまい、国民に牙をむいてくるような状況は起こしてはいけなかったのです。

 

 そのようなことは、この政治学の授業を受ける前には思いもしなかったことでした。

 

 これは具体的な例をあげれば、2014年の5月に内閣府が内閣人事局を設置したというあたりで、世の中はもう少しこの動きに注目しておくべきだったということです。thunder

 

 それまでの各省庁や官僚の在り方がどうであったか(タテ割行政)ということは別にしても、とにかくこの内閣人事局の設立によって、首相や官房長官が大きな力を得たことは間違いありません。

 

 でもその頃の自分に、その認識があったかと問われると、正直に言えばまったくありませんでした。そもそも内閣人事局という組織が設置されたことさえ、知らなかったのです。

 

 その時の内閣人事局という組織があるために国民は、これからは森友学園問題で疑惑隠しとしか思えないような答弁をしていた国税庁長官のもとで、税金を徴収されなくてはいけないという、なんとも言い難い状態におかれることになっています…。sweat01

 

 この時の政治学入門の授業では、このような「権力を分散させておく」というような、国民側から政治に関わっていくための知恵もいろいろと学べました。flair

 

またそのほかにも、「選挙による政治家の信託というのは、どの範囲までなのか?」という問題など、それまで気づかなかったいろいろな政治の見方も知ることができる授業でした。

 

 「政治家への信託がどの範囲までなのか?」というのは、例えば「選挙で選ばれた政治家なのだから、その後、その政治家は何をしてもいいのか?」という問題です。

 

 例えば当選した政治家が、選挙前の公約には無かったことを実行するとか、それから公約をまったく覆すことなど。

 

 有権者は政治家という「人間そのもの」に信託したのか、それとも政治家の公約に対して信託したのかというあたりになるかと思います。

 

 とてもおもしろい授業だったので、いつかまた同じ先生の授業をお聴きできたらと思うのですが、大学の規則であいにくそのチャンスはもうなさそうです。

 ちょっと、残念です。shine(^^)shine

*リンク先は内閣人事局が発足した時のJ-CASTニュースの報道です。
https://www.j-cast.com/2014/05/05203780.html?p=all

 

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政治を「権力」という観点から徹底的に見直してみる。

 最近受けた、ある政治学入門の授業。pencil

 

 いったいどこがおもしろかったのかと言いますと。

 

 その授業では、政治というものを徹底的に「権力」という観点から、見直してみるという試みがおもしろかったと思うのです。(←先生がそう表現したというわけではないのですが…。)flair

 

 どういうことかと言いますと。

 

 授業を受ける前までの私の視点。

 

 政治とは? → 国会、内閣、裁判所、省庁、自治体、市区町村など。

 

 だいたいそのあたりが視野でした。

 

 だからつまり、「選挙が終わったら、国民は政治を見ているだけしかできない!」と。

 

 そういう風に考えていました。

 

 ところが先生のお話を聞いているうちに、政治というのはよく考えると、その範囲だけでものごとが決まっていくものでもない、という状況がわかってきました。(「見えてきた」という感じです。

 

 「公式的回路」と「非公式的回路」という言葉。shine

 この言葉が、いったいどの学者のどういう考え方によって出てきたものなのかはわかりませんでしたが、このふたつの言葉を知ることで、政治というものを見る視野が、ものすごく大きく広がります。

 

 「公式的回路」というのは、先ほど私が書いたような、いわゆる「目に見える政治」とでもいうのでしょうか。

 

誰もが「政治」と認識している部分です。(先生の資料では、「既存の制度(政治制度、行政制度)を通じた回路」となっています。)

 

 そして、その「公式的回路」に対して、「非公式的回路」という部分もまた存在すると、先生は言うのです。

 

その「非公式的回路」という部分に注意を払うと、政治というものには、もっと大きな範囲があり、そこに働いている力というものが見えてきます。

 

 ちなみに「非公式的回路」というのは、具体的な例をあげるとデモや圧力団体、それから世論などがあるそうです。(先生の資料では「制度以外における討議、世論形成(カフェ文化からIT空間まで)」ということです。)

 

 たしかに世論というものはばかにできなくて、時々、政治家が世論に動かされるという場面も見かけます。

 

 そうなると、政治というのは決して、制度としてきちんとした形を持っている議会、内閣などという組織だけの話でなく、その国の運営に影響を与えることができる「力」のすべてが、ある意味では政治の一部だという見方もできてきます。

 

 つまり政治というものを、政治制度によって規定されている議会、内閣などと言った形にとらわれず、その国の運営に関する判断に影響を与えることができる、すべての力(権力)の関係、として見る視点ができてくるのです。sign01

 この見方は、大変おもしろい見方だと思いました。

 

 つまり政治というものは、決して国会のあたりだけで、すべてが決まるというわけでなく、デモや世論が形成される空間からも、政治を動かしていく可能性というものが考えられるということです。

 

 実際に韓国では、デモによって大統領を失脚させています。

 

 それは、韓国では公式的回路だけでなく、非公式的回路の部分もまたよく機能していて、それなりの力を持っていると言うことなのでしょう。

 

 それに対して日本はもともとデモが起こりにくい。

 

 これは非公式的回路の中の、デモという部分は、もともとあまり力を持っていないということなのだと思います。

 

 この非公式的回路という見方を知ると、政治というものの見方が大きく変わります。

 

 つまり政治というのは、公式的であろうが非公式的であろうが、とにかく力と力の戦いなのだという現実が見えてきます。impact

 そして、力という点においてはとにかく力の強いものが、「その集団を動かしていく力」になっていくということです。sign01

 力の強さという点から見れば、たとえば韓国で起こったように、非公式的回路からの力が、その国の未来を動かすことも起こり得るでしょう。

 

 あるいは公式的回路があまりに強固なものとなっている国では、非公式的回路の力がすっかり抑えられてしまうことだってあるかもしれません。

 

 たとえば中国などは、公式的回路である共産党の力が強すぎて、非公式的回路であるデモや世論は、すっかり抑え込まれているということなのだと思います。

 

 そして日本は?

 

 共謀罪法というのは、非公式的回路に大きな脅威となるように思います。

 

 授業の中では、この公式的回路と非公式的回路の力の関係と、民主主義というものの関係までは、発想することはできなかったのですが、こうして書いてみると、本当におもしろい見方を知ったと思うのです。book

*リンク先はハフポストの韓国のデモの記事です。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/03/seoul-rally_n_13398170.html

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平和を追いかけている時間は本当に幸せです♪

 最近ある場所で、社会人大学のスクーリングに行ってきました。

 

 科目は政治学入門です。

 

 休日に2日間の授業。

 

 場所は自宅から遠くて、電車に乗ること1時間、プラス徒歩。train

 

 朝、仕事に行くのとほとんど同じ時間に家を出ました。

 

 でも不思議なことに2日間、とにかくおもしろくて夢中で、楽しかったのです!

 

 日頃の生活習慣がたたって、2日とも午後の1限目になると眠くなってしまい…。sleepy

 

 そうするとどうしてか「くやしい!」と思うのです。(←残念ながら、仕事中にそんなことを思ったことは、一度もありません。笑)

 

 「くやしいっ!impact」って、自分が眠くなってしまったことが悔しくて。(笑)

 

 だって、起きていて、先生のお話を全部お聴きしたいのに!

 

 それなのに、意識はうとうと…。

 

 「ああ、だめ、どこかに、行ってしまう~」という瞬間も何度かありましたが、とにかくがんばって、できる限りこらえました。(笑)

 

 以前は心の不調があったので、こうした休日の授業に出かけると、「こんな休日に私はいったい、何をしているのだろう」と悲しくなりました。

 

 でも今は心が元気になっていて、そうすると夢中になっている間は、悲しいとか、不安とか、そういう気持ちってないのですね。(笑)shine

 夢中になってお話を聴き、一生懸命質問をしながらノートをとり、一期一会かもしれない先生のお話をとにかく頭に詰め込みました。

 

 授業の途中で気がつきましたが、私は結局、平和というものを追いかけている瞬間が、一番自分らしくて、幸せなのだと思います。shine

 「平和を追いかける」という行為が、社会科学という形で表れた時は、大学の授業に出席するという形になり、そしてスピリチュアルや宗教という形で表れれば、祈りや瞑想になっていた…。

 

 まったく違うふたつの世界に興味があるようで、本当は同じ、ひとつの平和を追いかけていただけ、だったのでした。(笑)

 

 この最近の世の中を見ていると、平和というのは、学問だけはできないと思います。

 

 どんなに頭の良い人たちがそろっても、人を見る目がなければ、民主主義は合法的に停止に追い込まれ、独裁者に社会を操られてしまいます。

 そうかと言って、宗教やスピリチュアルの世界もなかなか、いろいろで…。

 

 世の中の動向に関心も持たずに祈るだけで、世界が平和になるとは思えません。

 

 あるいは、自分で考えることも放棄してしまう盲信で、世界が平和になることもないでしょう。

 

 平和を求める心と、しっかりと足場を固めて、社会の仕組みを考える心。shine

 
その両方が必要ではないかと思います。shine

 歴史の中で、世界は一度も、世界全体で平和になったということはありません。

 

 それでも、平和というものを目指して、あれこれと道を探してゆく旅は、とてつもなく挑戦的で楽しい旅だと思います。shine

 

sun(^^)sun

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知っていたわけではありません…。

 ヒトラーの経済政策のことを書こうと思ったのは、たしかに29日の夜だったかもしれません。(あるいは、その前日の夜だったかも?)

 

 でもそれは、私が自分であるサイトを見て、「ああっ、そうだったんだ?!」と驚いて書こうと思ったのです。

 

 べつに、この文章の最後の、リンク先の情報を見てから書こうと思ったわけではありません。sweat01

 

 単なる偶然の一致です!

 

 信じてください! 本当です!

 

 知っていたわけではないんです!sweat01

 

 と、まぁ、それはそれとして。(笑)

 

 うん。たしかに私は変わったことばかり書いているけれど、時にはこんな風に、「ちゃんとした人」が発想するのと同じことを思いつくことだってあるのですね。

 

 めったにないことなので、うれしい、うれしい。

 

♪(^0^)♪

 

 ただし問題は、この発想をされたこの方が、おそらく経済界の異端者的に扱われてしまうかもしれないことですが…。

 

 ……。

 

 (どうか、がんばってくださいね!shine)(←かげながらの応援です。)

sun\(^^)/sun

*リンク先はロイターの、原田日銀委員の発言を扱った記事です。

https://jp.reuters.com/article/harada-germany-polcy-idJPKBN19K1JT

 

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