簿記・会計

入力しにくい、ある会計ソフトに感じる疑問

 以前に働いていた職場で、社員の人がとても嫌っていた会計ソフトがありました。

 

 その職場で、私は経理のアシスタントでした。

 

 私がExcelで作成した仕訳伝票を、その人が会計ソフトに入力します。

 

 そして私は、時々ですが、仕訳伝票の部門(社内の担当部署)と、金額の割り振りを間違えて、伝票を作成してしまうことがありました。sweat01

 

 そうすると、社員の人がかなりコワイ顔をして、その修正をとても嫌がるのです。

 

 聞くと、入力している会計ソフトがとても使いにくくて、伝票の中のほんのささいな修正する時でも、その仕訳伝票の全項目を入力しなおさなくてはならない、というのです。

 

 その時、「自分は会計ソフトの使い方には、わりと強い方♪」という自信があった私は、その人の話を信じませんでした。

 

 いくらなんでも、そんなことがあるはずはないでしょう♪、と思っていました。(←実に生意気なアシスタント?)

 

 ところが因果はめぐると言いますか…(笑)、ある時、私もとうとう、そのソフトウェアに出会ってしまい、使う立場になりました。thunder

 

 そして、その人の言っていたことが、それほど大げさでもなかった!ということを、体験しました。

 

 なるほど、それでは、あの社員の人が、あんなに機嫌が悪かったのも、うなずけます。

 

 本当に、修正箇所はほんの1か所でも、カーソルが関連する全部の項目に入ってしまいます!

 

 実際にはTABキーを押せば、ある程度、前回入力時のコピーが自動的に再入力されるのですが、摘要欄などは、その時の修正とまったく関係がなくてもすべて、文字を再入力しなくてはいけません。

 

 たしかに単なる修正が、このソフトではとてもメンドクサイ…。sweat01

 

 本当に、こういうソフトだったんだ…。sweat02

 

 そういうわけで、いつかどこかで見てきたように(笑)、私もまた、毎回ため息をつくような感じで、だんだんこのソフトウェアが嫌いになって行きました。

 

 「慣れれば、いつかは好きになる?」と思った時期もあったのですが、結局「知れば知るほど、ますます嫌いになっていく…」というほど、このソフトと私の相性はダメでした。(笑)

 

 そして、実際に使ってみてわかったことですが、そのソフトウェアで仕訳伝票の入力作業をすると、私の好きなあるソフトウェアで入力する時の、だいたい3倍ぐらいの時間がかかります。(正確な入力をするための、入力後の確認作業を含みます。)clock

 

 そして入力する私の疲労も、3倍!です…。sweat01

 

 ということは、私の仕事の能率が、普段よりも早く下がってしまうということです。

 

 同じ時間給であっても、私の「出力」がとても悪くなる、というか…。(笑)

 

 そういうわけで、わたくしはその会計ソフトがとても嫌いなのですが、不思議なことに、この会計ソフトは、どうやら会計事務所や税理士事務所などで、わりと好まれて使われているソフトウェアなのだそうです。sign02

 

 聞けば、税金の電子申告をするのに、便利なのだそうです。

 

 そこで、その話を聞いて、私は考えてしまったのですが…。

 

 その会計ソフトを使うためには、どうしても入力オペレーターが、いったんそのソフトに仕訳を入力しなくてはいけません。

 

 その時、あるソフトウェアならば1時間で終われる入力作業が、そのソフトウェアを使うと、3時間かかるとします。

 

 そうすると、その会計事務所が入力オペレーターに支払う時間給は3倍です。

 

 その会計事務所に年間で、その入力作業がどのぐらいあるのかは、わかりませんが、とにかく、別のソフトの3倍のお金をかけて、1年分の入力を完了させ、同時に、そのソフトウェアを使って、手間のかかる税金の申告作業を簡単にする、という場合。

 

 データの入力に要した費用の増加分と、税金の申告時にらくをして、減らせた費用の差額はどれくらいなのでしょう?libra

 それから、そのソフトウェア自体がわりと高価だということなので、そもそも、その分の費用も考えなくてはいけません。

 

 そこで、私としては考えてしまうのですが…。

 

 「もっと安価で、普段の入力がしやすいソフトウェアに変えて、税金の申告がらくになるという便利をあきらめた方が、事務所の利益のためにはいいんじゃないのかな?」と。shine

 

 そのソフトウェアが嫌いな私は、やっぱり逃げたい気持ちもあって(笑)、そのようなことを考えてしまいます。sun

 

 実際には、税金の申告書を作成する作業というのが、どれほど手間なのか、私は知らないのですが、とにかくそれぐらい、普段の仕訳伝票の入力がしにくい会計ソフトです。

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枯葉剤と補聴器

 以前にあるテレビ番組で、日本のある補聴器メーカーの活躍を知りました。tv

 

そのメーカーは、ベトナムの先天性難聴の子どもたちのために、補聴器を売り込んでいこうとしていました。

 

番組の中で放送されていた、音が聞こえるようになった男の子の映像は、見ていても本当にうれしいものでした。heart01

 

人を幸せにする商品を生産する、日本の誇りとなるような企業だと思います。shine

 

この日の番組では、ほかにも海外で、その土地の人々の健康のために活躍している企業が紹介され、大変気持ち良く見ていられる放送でした。

 

ただ、ほんの少しだけ。

 

この日の放送で、まったく対照的な事実も知りました。

 

(番組の中で紹介された企業の活動が素晴らしいことには、まったく変わりはありません。まったく、別の企業に関する話です。)

 

ベトナムの先天性難聴の子どもたちというのは、悪名高き枯葉剤の影響であると考えられているのです。

 

ここには本当にやり切れない、資本主義社会の構造上の欠陥を感じます。

 

資本主義社会では、番組の中で取り上げられたような、人を幸せに導く企業も存在していれば、それと同時に、人を傷つけるような製品を生産する企業も存在し得るのです。

 
そこには、会計、そして投資という行為の存在が関係していると思います。

 

企業というものを、財務諸表を使って判断しようとする時に、その企業の実体である、「その企業は何を生産しているのか」という重要な問題がきれいに切り離されてしまい、その結果、企業の状態は、善も悪もないただの数字の羅列に変わってしまいます。

 

その先は、人間を幸せにする商品を生産している企業も、人間を傷つける製品を作っている企業もまったく同等に扱われ、企業の価値というものが、投資家にとって都合の良い企業であるかどうかという点からだけで、判断されてしまうのです。

 

 枯葉剤を生産した企業は、現在でも存続し、利益を上げています。

 

 最近思うのですが、こうした資本主義社会の構造上の欠陥というものは、もしかしたら会計という行為によって、企業の姿が、ただの金額で現された財務諸表に変換されてしまうことによって、起こっているのではないかと感じるようになりました。

 

(注意:ここで言う「会計」というのは、財務諸表を作成する行為という意味です。)

 

 それは、会計という行為がいけないと言うのではありません。

 

 会計によって写し出された財務諸表の世界というものが、企業の実体を写し出そうと試みた結果の、数字だけの世界であり、そして、その数字というものは、人間が生産物の交換用に使っているお金の金額であり、さらにまた、そこに投資という活動(お金を出資して、より多くのお金を得る行為)が肯定されているということが、おもな問題なのではないかと思います。

 

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簿記論のテキストのこと、の続き

 ひとつ前の記事で書いた簿記論のテキストのことですが、このテキストを読んでいて不思議な気持ちになるのは、その優しい雰囲気のせいだけではありませんでした。book

 

 なんとなく、その先生が見ていらした人間の経済活動のとらえ方と、私が見ている人間の経済活動のとらえ方は、とてもよく似ているような気がするのです。

 

 その先生のテキストを読んでいると、複式簿記というものは、企業の経営活動という実体のある現実の世界の出来事を、金額という形で評価して、表しているのだという見方が、とても強く感じられます。

 

 そして、企業の中の生産という行動は、実体のある財やサービスが、労働力の消費や、原材料の消費、そして固定資産の価値の減少というような変化を伴いながら、同時に製品という新しい価値を生み出すことであり、複式簿記というのは、それらの変化もまた、金額で評価しようとする手法なのだという見方を感じます。shine

 

 このような、「複式簿記というものが、実体のある世界を、金額で評価して写し出そうとうする手法」だとする見方はとても大切なものだと、私は感じています。

 

 というのは、そうした見方を持たずに複式簿記を理解しようとすると、そこにあるのは、ただの金額だけ、つまり「カネだけ!」の世界になってしまうからです。dollar

 

 その「カネだけ」の世界となっている複式簿記を使って企業の財務諸表が作成され、その財務諸表をもとに、いろいろな利害関係者(とくに株主)が、企業から多くの配当(お金)を受けようと考えたら?

 

 その時は、カネだけとなっている複式簿記の世界によって、今度は実体のある経済活動の方が支配されてしまいかねない、経営の主役の逆転とでも言うべき現象が起こるかも知れません。

 

 その先生は、複式簿記というものが、実体のある財やサービスの世界における変化を写し出している技術であるという意識を、かなり強くお持ちだった。

 

 ということは、もしかしたら、実体のある財やサービスの変化とはまったく関係のない、バブルのような金額だけの変化もまた、意識されていたのかも知れません。

 

 そうしたことを思いながらテキストを読んでいると、ますますこの複式簿記という世界を、自分の意識の中に、もっとはっきりと捉え直してみたいという衝動にかられます。shine

 

 また、もうひとつ。

 

 「あ、『価値』と、『金額』は違うんだ!」というような。flair

 

 そういう、新しい見方が自分の中に生まれてくる変化も、とても心地良い…。shine

shine(*^^*)shine

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パチョーリの簿記と、現代の社会で習う簿記


 「バランスシートで読みとく世界経済史」の本を読みながら、パチョーリの簿記について考えていました。

 

 パチョーリの簿記は、現代の簿記の初学者が学ぶ簿記とは、反対の発想でできていると思ったのです。

 

 パチョーリの簿記は意外にも、期中導入のような形で始まります。

 

(「期中導入」という言葉は、あまり適切ではないと、自分でも書きながら思っています。当時はおそらく「期」という認識がなかったかもしれないと思うからです。ただ、ここでは、それはともかくとして話を続けます。)

 

パチョーリの簿記は、はじめは、ある日に「財産目録を作る」というところから、始まります。

 

その時、財産目録の各項目の金額が借方に記入され、その時の貸方が資本です。その後に商品も同じく、貸方を資本として記入されます。

 

そうなると帳簿の開始時は、「その時に持っていた財産と商品の価値」の総額が、「資本」になります。

 

借方)その時に持っていた財産のすべてと商品

 貸方)資本

 

という感じです。

 

パチョーリの簿記では、その状態を作ってから、取引の記録が始まります。

 

ところが現代の簿記は、そうではありません。

 

はじめから貸借対照表の中の、資産と負債と資本が明確に区別されてあり、財産目録というのは、どちらかと言えば資産にあたる部分です。

 

そして資本というのは、単なる「財産から負債を差し引きした結果」というわけではなく、はじめから「出資によって集められたお金そのもの」として認識されてあり、それは同時に「これから増やしていくべきお金」です。

 

取引の記録はそのように、しっかりと区分された状態から始まり、期末に結果として目指している「資本の増加」という状態に向かって進みます。

 

これは、パチョーリの簿記とは、発想が大きく違うと思うのです。sign01

 

パチョーリの簿記では、資本というのは、実体のある財が先にあり、それらをただ、金額で表しているだけという感じ。

 

言ってみれば、資本は単なる、実体のある財やサービスの価値を表す金額に過ぎず、実体のある財やサービスの「影」です。

 

「影」なので、資本の増減はいつでも、実体のある財の増減に従っていたであろうと考えられます。

 

でもそれに対して、現代の簿記の学習法では最初から、資本というのは、出資によって集められたお金の「かたまり」として示されてあり、そこから実体のあるビジネスが始まって、積極的に資本の金額をもっと増やしてゆこうとする意図が感じられます。

 

現代の簿記では、言ってみれば資本というものが、単なる、実体のある財やサービスの「影」などではなく、むしろ期首の帳簿の状態である、貸借対照表の「主役」に変わっていると思うのです。

 

そしてまた、実際に現代の簿記では「企業の目的は利潤の追求である」と習います。

 

(企業の目的が、「実体のある財やサービスを生産して、その経営を継続させることである」とは習いません。)

 

そうしたことを考えると、パチョーリの簿記と現代の簿記では、複式簿記を使用する経済主体の「経営の目的」というものもまた、違った認識がされているように思うのです。

 

もちろん、そうした大きな変化を生み出した歴史上の出来事としては、おそらく「株式会社」という、企業の資金調達における、新しい仕組みの誕生であろうとは、推測できるのですが…。

 

何にしても、私としてはまるで、「影」だったものが、いつの間にか、「主役」に成り代わっているような違いを感じて、とても興味深く感じました。

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企業の中の「見えない資産」(人的資産)

 昨年の秋に知ったばかりの「人的資産会計」。

 

 某私立大学の学生さんに、短時間(わずか数分!)で、すご~くざっくり!ですが、教えてもらいました。(笑)

 

 その時の説明にあった例が、例えば企業の中の、社員に対する教育訓練費。

「これは、費用なのか?

 
それとも、人間に投資していると考えて、資産に計上するべきものではないか?」

 

 というお話。

 

 聞いている時には「なるほど…」と思いながらも、「でも、なんだか不思議?」という気持ちが拭えませんでした。

 

 ところが「バランスシートで読みとく世界経済史」の本(の第10章)を読んで、複式簿記には「金額がついているものしか、表示ができない」という限界があるということを知り。

 

そして「実は、私たちの世界には、金額がつけられないために、複式簿記では表現することのできない、たくさんの資産が存在しているのだsign03」ということに気づいた今は、わかります。shine

 

 まだ、なんとなく、漠然としてはいますが…。

 

 「人的資産dollar」というのは、おそらく「人間の、仕事をする能力」のことだと思います。shine

 

 通常の資産を取得する時のように、取得時の支払いが起こらないので、取得時に金額が現れず、そのため、バランスシートに表すことができない資産です。

 

 でも教育訓練などによって、支払いが起こる時には、お金の移動と同時に、仕事の能力が高まるわけなので、その時に資産の増加として、表現したくなります。

 

でもその時には、もともとバランスシート上に表現できずにいた、「人間が持っている、仕事をする能力」という資産の増加になるので、「もともとの資産がないのに、いったい、どうやって増やす?sweat01」という話になるのだと思います。

 

 本当は、「もともとの資産がない」のではなくて、企業の中には存在しているけれど、バランスシート上には「写し出せていない」というだけなのですが…。shine

 

 どちらにしても、通常の方法(取得時の支払額で、資産として計上するという方法)ではバランスシートには現れない資産なので、「見えるような、見えないような…?」という、とても不思議な気持ちにさせられる「資産」です。

 

 このあたり、複式簿記の限界に気づいていないと、「ちょっと、マジックみたい?!」と思えるので、とてもおもしろい世界です♪

 

shine\(*0*)/shine

 

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第10章をどう読むか?


 「バランスシートで読みとく世界経済史」というこの本は、第10章をどう読むかによって、本全体の印象がまったく変わってきてしまう本だと思います。

 

 複式簿記というものを、従来の枠組みの範囲で、「金額で表示されるものだけを対象とする」という考え方でとらえていると、この第10章は、ちょっと「きれいごと」のような感じで、リアリティがないものとして感じられると思います。

 

 でも、複式簿記というものを、従来の枠組みにとらわれずに、その意味について思いめぐらして来た人は、この第10章で思いがけない気づきを得て、環境会計という新しい発想に、ちょっとドキドキしてくるのかも知れません♪

 

shine♪(*^^*)♪shine

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「見えなかった星々」の海の中で…(「測定されない資産」について)

「バランスシートで読みとく世界経済史」の第10章を読んだ時、私の中には衝撃的な変化が起こりました。shine

 

 以下、記してみます。

 

 環境会計というものに触れた時、はじめは著者の言いたいことが、わかりませんでした。

 

 私の中にはまだ、環境というものを資産としてとらえる見方がなかったのです。

 

 読み進めていくうちに、著者の言いたいことがわかってきました。

 

 バランスシートというものは、貨幣による金額で価値を測定できるものしか表示できず、それゆえに、バランスシートの外側には、貨幣による金額では表示されない資産が存在しているのです。shine

 
でもその資産は、「貨幣による金額がついているものしか、表示できない」という、複式簿記の限界ゆえに、バランスシートに写し出されることがない。shine

 
自然環境というのはそうしたものであり、それゆえに経済学で言うところの「外部性」という言葉によって、どれほどの破壊を受けても、破壊者が罪に問われることはなく、その損壊が続いている。thunder

 

その時まで私は、バランスシートというものを、その整合性のおもしろさから、ただ、良く出来たパズルを見るような気持ちで見ていました。

 

でもこの時、私は衝撃的な気づきを得たのです。shine

 

複式簿記によるバランスシートが表現できるのは、現実の多様な経済活動全体の、ほんのわずかな部分でしかなかったのです!

 

バランスシートが現わす左右対称の四角の外側に、大変な量の数値化されていない経済事象が存在しています。shine

 

その衝撃は、意識がどこか、別の世界に飛ばされるような感覚でした。

 

10年に1回、あるかないかの意識の衝撃です。

 

それはまるで、暗い、深い、海のような夜空に、一瞬のうちに放り出されたような感覚でした。

 

 真っ暗な、深く真っ暗な、身体の重心がとれないような空間で、私はようやく、もがくようにして、身体の姿勢を保ちます。

 

自分の重心がとれた後、不器用な子どもが泳ぐように、私は真っ暗な夜空の漆黒を見つめました。その途端、まるで急激に意識が開かれるように…!

 

真っ暗だと思っていたのは、誤りでした。

 
意識を向けた途端に、たくさんの星々が音を立てるように光り始め、私の目の中にその煌めきの光を投げつけます。shine

 

その輝きは、見つめれば見つめるほど、小さな星々までもが目に映り、気がつけば暗闇は大変な数の星々の海だったのです!shine

 

煌めく星の海を見つめながら、私は頬を落ちる涙を感じていました。

 

「経済の本を読んで、泣いた」なんて、はじめてです。

 

「もう、何も考えられない」と思うのに、意識は容赦なく、私の中に流れ込んできます。

 

自然環境だけではない。

 

私たちの世界には、測定されない資産があまりにも、たくさん、多過ぎる!shine

 健康や平和と言うのも、そうしたもののひとつだったのです。shine

 

 旅に出る時に、普通、私たちは自然と、安全で楽しそうな地域を選びます。

 

 子どもが、骨が見えるほどやせている場所でなく。

 

 少年が武器を持ち、少女たちがつらい思いをしている国でなく。

 

 女性が苦しい目をして生きる国でなく、男性が嘆きと憎悪に満ちている国でなく、老人が悲しみにくれる国でなく。

 

 私たちは、人が楽しそうに、健康そうに、安全に生きている地域を選びます。

 

 それは、その国が、測定されない資産において「豊かである」から、選ぶのです。shine

 

 しょっちゅう、テロリストに狙われる国というのは、「安全」という資産が少ないのです。

 

 原子力の事故によって、健康の心配をしなくてはいけない国は、「保健」という資産が少ないのかもしれません。

 

 そして、人が温かい気持ちで助け合っている国は、「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」と呼ばれる資産が、大きいのでしょうか。heart

 

 GNH(国民総幸福量)という概念も、おそらくこうした「まだ、見えていない資産」の世界に属するものでしょう。

 

 そうした、人間の生存にとって、すべての快適さをもたらすあれこれを、「貨幣価値では測定されない資産」としてとらえることができた時、著者の言うとおり、会計は地球を救えるのかもしれないし、人間そのものを救うかもしれません。

 

 すべてはこの「見えなかった星々」の世界にかかっているのだと、思いました。shine

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簿記と時間

 簿記を教えていると時々、複式簿記というのは「時間」という要素ととても深く関っているということに気がつかされる瞬間があり、驚きます。shine

 

 自分が仕訳を切る時は、時間の経過と勘定科目の使い方がすっかり頭の中に入っているので、そのようなことを意識することは、あまりありませんでした。

 

 ところが教えていると、つねに「この段階ではこういう仕訳で、これがこうなるとこういう仕訳」という風に、ある時点での仕訳と、次のある時点の仕訳について説明する場面はとても多いのです。(売掛金、買掛金ほか。)clock

 

 貸借対照表と損益計算書の関係についてもそうで、そこには必ず「一定の期間」という時間の認識があります。sandclock

 

 複式簿記のおもしろさは、この時間の経過とともに、パズルのように仕訳が動いていく(流れていく?)ところにもあるのだと思いますが、これはおそらく、これから複式簿記を習得しようとする人には、難しく感じることかもしれません。

 

 時間という感覚を意識すると、複式簿記のおもしろさは増すように思います。shine

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子どものための楽しい簿記の本があれば

 以前から思っていたことですが、「簿記が義務教育で教えられるようになればいいな」と思います。

 

 これは私が思いついたというわけではなく、何かの本で見た考えの受け売りです。

 

 どうしてそう思うのかと言うと、簿記を知っているのと、知らないのとでは、会社というものについての考え方が、まったく変わってくるからです。

 

(とくに企業が生み出した利益が、その後いったいどうなるのかを、知っているのと知らないのとでは、世の中の仕組みがわかっているか、いないかぐらいの差ができます。)thunder

 

 簿記とは言っても、べつに検定に受かるほどのレベルは必要ありません。

 

 中学生向けに、せいぜい10個から15個ぐらいの科目で構成されている、簡単な貸借対照表と損益計算書の作り方が理解でき、株主に配当を出すまでの流れがわかればいいと思うのです。

 

 社会人になった後、簿記を知っていて損をすることは、まずないと思います。shine

 

 その反対にどの職業に就くとしても、簿記を知らないがために仕事の現場で引け目を感じることでもあれば、もったいないと思います。

 そのため、社会人になってから自分でお金と時間をかけて、わざわざ簿記を習得したビジネスパーソンは少なくないはずです。

 
それならばいっそ義務教育の中で簡単に教えてあれば、本人にとっても、将来子どもたちを採用する企業にとっても、らくでしょう。

 

 日本中の子どもたちが義務教育を終わる頃に、大雑把な知識でいいから簿記を知り、企業におけるお金の流れを知っていれば、日本人全体の経済の認識が変わると思います。

 

 何よりも良いことは、簿記を知っている人が多くなれば、簿記を前提にした会話が普通にできるようになり、政治や経済の議論もできるようになるかもしれない、ということです。

 

 実際には、簿記の義務教育化などという大きな変化を望むのは、現実的ではありません。

 

とりあえずは、それぐらい簡単に簿記を習得できる本でも出版され、その本がすごくおもしろくて、ベストセラーにでもなったらいいな♪、と思います。book

 

子どもたちに「しなくてはいけない勉強」を増やしてしまっては良くないので、「この本はおもしろかったから、簿記なんか簡単に覚えちゃった!」と言われるぐらい、楽しい簿記の本があったらいいな♪と思います。sun

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本 : 「日本経済を壊す会計の呪縛」(大畑伊知郎著)

 手にとった時は、ちょっと地味な印象の本でした。

 

 会計の本なので、内容もちょっと地味だと思います。

 

 ところが読んでみると意外と読みやすく、そしておもしろい本でした。

 「会計基準」という、世の中の一部の人たちしか知らないようなルールの変更が、日本経済に大きな影響を与えたとする筆者の主張は、本を読む前はあまり実感がわきません。

 

 ところが読んでみると、大いに納得ができるのです。

 

 会計基準が変わり、そのために企業の財務諸表の見栄えが変わってしまい、その結果、企業の経営者はルール変更後の財務諸表の見栄えが良くなるように、その行動を変えざるを得なくなった。

 
そのために増えてきたリストラ、百貨店の閉店、ブラック企業の増加など。

 

 たしかに日本中の企業でこのような変化が起こっていたならば、それは日本の経済に影響を与えることでしょう。

 

 「デフレ不況の一因が、こんなにも地味な出来事に?!」と、そうした意外性による驚きがおもしろく、興味を惹かれる本でした。thunder

 

 時価会計、税効果会計、減損会計など、簿記の知識を増やしたい人にも、おもしろい本だと思います。

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