お金について考える

黒田総裁はどうして物価の上昇を起こせなかったのか?

 日銀の黒田総裁は、大規模な金融緩和をもう3年も続けていますが、物価の2%上昇を達成することができません。

 

 物価の上昇が、良いことであるのかどうかはさておいて、このことについて、どうして物価が上昇しないのか、説明を試みてみたいと思います。

 

 実を言いますと、私の中ではこのことに対する答えは以前からありました。

 

 でもそれは言葉で表現しても、インパクトのない表現になってしまうので、あえて書こうという気持ちにもなれませんでした。

 

 ところが最近ある本に出会ったことで、かなりはっきりとした表現が見つかりました。

 

 ちなみにその本というのは、こちらです。

 

 この本の内容が、経済学の世界で正しいと考えられていることかどうかはわかりません。

 

 でもとりあえず、この本の著者は私と同じように、実物経済とマネー経済が、まったく別の種類の経済であるという認識を持っています。(著者の言葉では「金融経済」です。)

 

 先にその部分の説明を書きますと、実物経済とマネー経済は、同じ「お金」を使って、取引(お金の所有者の移動)がされていても、その取引の内容はまったく違います。

 

 実物経済は、財やサービスを持っている人から、別の誰かに財やサービスが提供される時に、お金は財やサービスと反対の方向に動きます。

 

 つまり財やサービスと、お金が「交換」されます。

 

 そして交換された財やサービスの方は、必ず消費されるか、あるいは減価を起こします。

 

 実物経済は、生産と交換と消費の流れの一部であり、人間の生存を支える経済です。

 

 ところがマネー経済の世界では、お金の所有者が変わる時、財やサービスとの交換は起こりません。

 

 そもそも財やサービスの生産ということも起こりません。

 

 マネー経済はただ、人間の世界の習慣や約束ごとに従って、お金の所有者が変わるだけという経済です。

 

 実物経済とマネー経済の違いは、それぞれの世界に実体のある財やサービスが存在するか、しないかです。

 この認識が、経済学の世界で一般的なものか、どうかは私にはわかりません。

 

 でもこの2種類の経済の違いというものが、ミヒャエル・エンデが言うところの、「パン屋のお金とカジノお金」というほどの違いであることは、私にもわかります。

 

 「パン屋のお金」は、財やサービスを生産した結果による経済です。

 

 それに対して「カジノのお金」とは、財やサービスの生産と関わりなく、ただお金だけがその所有者を変えていく経済です。

 

 そこで、黒田総裁の話に戻りますと、黒田総裁は金融緩和は続けていますが、緩和したお金がこの2種類の経済ネットワークの、どちらに流れて行くのかをまったく考慮していません。

 

 黒田総裁の理論では、金融を緩和すれば、自動的にそのお金は実物経済に流れ込み、物価を上昇させるものだと考えられているようです。

 

 でも実際には、日銀から緩和によるお金を受け取る民間銀行は、その後に実物経済にお金を送るか、マネー経済にお金を送るかの選択が可能です。

 

 そして実物経済の世界には、実体のある財やサービスが存在しているため、そこには、実際に財やサービスの移動が進行する時の速度が存在しています。

 

そのために、その速度以上のお金は、いくら緩和をされても吸い込むことができないのです。(このことはまた、別の機会に記事にします。)

 

 そのため、緩和によるお金を受け取った銀行は、実物経済にお金を送ることはできず、マネー経済に送って、ひとつの企業としての利益を上げるよりほかにありません。

 

 物価が上昇しないのは、緩和されたお金が実物経済に入っていないためです。

 なぜなら物価というのはモノの値段のことであり、財やサービスが存在している実物経済の世界に存在するものだからです。

 

 黒田総裁は、緩和の効果がまだ出ていないためだと考えているようですが、そうではありません。

 

 財やサービスが存在しないマネー経済の世界にお金をいくら送っても、もともと財やサービスが存在しないので、物価の上昇しようがないのです。

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お金という「債権」を、どうやって手に入れるか?

 ひとつ前の記事では、「お金」というものを、「社会に対する債権」のようなものとして、考えてみました。

 

 「お金」というものを、その人が持っている量に応じて、社会に存在する、誰かが生産した財やサービスを買うことができる「債権」としてとらえてみました。

 この記事では社会の中で、その「債権」をどうやって手に入れるのか?について、考えてみます。

 

 いちばん一般的な方法は、「働いて稼ぐ」という方法です。shine

 これは「自分の労働力を売って、その代価としてお金をもらう」ということです。shine

 この時の「働く」場合には、労働力を直接企業に売って、賃金をもらうという方法もあるでしょう。

 

 あるいは自分で何か材料を買ってきて、自分で加工して、自分で売るという方法もあります。

 

 または、材料は何も買わないけれど、歌を歌ったり、誰かにマッサージをしてあげたりという形で、労働力を直接、お客さんに売るということもあります。

 

 とにかく何か、「社会の誰かがほしいと思っている財やサービス」を、労働力を使って、社会のだれかに提供した時の代価として、お金を受け取るという方法です。

 

 この時、お金は労働力の代価です。

 社会の中で、お金を手に入れる方法が、「労働力を売った時の代価」としてだけに制限されれば、世の中はずいぶん公平になるでしょう。shine

 働いて、世の中に必要とされる財やサービスをたくさん提供した人が、その労働の質や量に応じて、たくさんのお金を手に入れられる結果になるからです。shine
 

 あとは、社会の中で働けない人たちに、どうやってお金、または財やサービスを分けるかを考えればいいだけです。

 

 ところが資本主義社会にはもうひとつの、お金という「債権」を手に入れる方法が認められています。

 それは資産運用です。

 

 お金を運用することで、持っているお金を増やすことができます。

 

 この場合は、資産運用をする人は、社会の中での労働力の提供は一切なしで、お金を増やすことができます。

 

 お金を増やせる量は、お金の持ち主が運用にまわせる金額に応じて、大きくなります。

 

 ちょっとしか運用できない人は、運用がうまくいっても、ちょっとしたお金が増えません。

 

 お金をたくさん持っていて、たくさん運用できる人は、うまくいけばたくさんお金を増やせます。

 

 また運用には、いろいろな方法があって、お金が減るリスクは少ないけれど、お金が増える量も少ない運用方法もあれば、お金を失うリスクもあるけれど、うまくいけばたくさんお金が増えるという運用方法もあります。

 

 ただし、どちらにしても、社会に対する労働力の提供なしで、お金を得られるという点では変わりません。

 

 つまり資本主義社会では、お金という債権を手に入れる方法として、「労働力の代価として、手に入れる」という方法のほかに、もうひとつ「労働力は提供しないで、手に入れる」という、ふたつの方法がある、ということです。

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「お金」とは「社会に対する債権」のようなもの

 ふと思ったのですが、お金というのは、簿記で考える時の「債権」のようなものだと思いました。

 

 簿記で考える時の「債権」という言葉は、将来「お金」を受け取れる権利に限定されるのかもしれませんが、ここで考える場合には、将来「社会に売られている財やサービス」を受け取れる権利として考えてみます。

 

 そうすると、お金というのは、「その人が所有している金額に応じて、これからの未来に、その時点で社会に売られている財やサービス購入できる権利」と考えられます。flair

 

 お金がたくさんある人は、その時点からの将来に、社会に売られている財やサービスを、たくさん買うことができます。

 

 お金が少ししかない人は、その時点から将来に、社会に売られている財やサービスを、少ししか買うことができません。

 

 債権、権利という言葉は、あまり良い表現ではないかもしれません。

 

でも、お金をたくさん持っている人は心理的に、自分がこれからの未来に、その所有する金額に相当する、たくさんの財やサービスを買うことができると保証されているように感じていると推察できます。

 
人間はだから、たくさんのお金を持っていたい、あるいは持っていた方がいいと考えるのではないでしょうか?

 保証があれば、安心できます。shine

 それに対して、お金をあまり持っていない人は心理的に、自分がこれからの未来に、そんなにたくさんの財やサービスが買えるわけではなく、持っている金額分しか買えないという限定を自覚していると推察できます。

 

 人間はだから、持っているお金が少ないということを、怖く感じるのでしょうか?

 その怖さというのは、「自分はこれからの将来に、生きるために必要な分の財やサービスを買うことができないかもしれない」という、「生きられないかもしれない怖さ」です。shine

 

 そうした保証と限定の感覚を考えると、お金というのはやはり、一種の「債権」とか「権利」のようなものだという感じがするのです。shine

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「お金が表している価値」についての補足

 ひとつ前の記事で、「お金が表わしている価値というのは、人間が財やサービスを生産している力の価値なんだ!」と、書きました。thunder

 

 このことについて、少し補足します。

 

 「財やサービスを生産している力の価値」という言葉の、「生産している力」という部分が、少しわかりにくいかもしれないと思います。

 

 例えば、次のような例を考えてみてください。

 

 もしも、あなたが海辺にいて、ある人から「おいしい魚を、売ってあげる」と言われたとします。

 

その時、次のように言われたら、あなたはその魚を買うでしょうか?

 

 「あの海の中を見てください。あそこに大きな魚が、今泳いでいるでしょう? あの魚を、あなたに100円で売ってあげます。おいしい魚ですよ。買ってください」。(海の中には囲いも何もなく、魚はいつ岸から遠くへ泳いでいってしまうか、わかりません。)fish

 ……。(^^;)

  普通は、買わないですよね?

 

 海の中にいる魚なんて、つかまえなくてはいけないし、それにそもそも、その魚が本当にその人のものだと、言えるのかどうかもわかりません。

 

 次に、そのまったく同じ魚をその人が何らかの方法でつかまえて、岸に上げた状態であなたに見せながら「100円で売ってあげます。おいしいですよ♪」と言われたら、どうしますか?fish

 

 ちょうどその時においしい魚が食べたくて、魚を調理する手間が面倒でなければ、買うのではないでしょうか? この時、魚の価値は100円です。shine

 

 でもその時に、あなたは調理するのが面倒かも知れません。そうしたら、買わないかも知れません。

 

 でもその時さらに、その同じ魚を今度はきちんと調理して、焼き魚か何かにして、お皿に載せた状態で、「この魚は200円です。おいしいですよ♪」と、言われたら?fishrestaurant

 ちょうどおいしい魚が食べたい時に、すっかり食べられる状態に調理されてある魚が200円で売られていて、その時に自分が200円を使える状態であれば、おそらく買うでしょう?heart

 

 どれも同じ魚ですが、海の中を自由に泳ぎまわっている時は、値段はつかず、つかまえて海から陸に引き揚げてきたら100円で、さらに調理して焼き魚にしたら200円です。

 

それは、なんとなく、無理のない(わからなくもない)値段設定だという気はしませんか?

 

 このような流れを考えて、そうすると、最初の「海の中で泳いでいたおいしい魚」は、まだ、誰かの所有物でもなく、天然の「資源」に過ぎないので、普通は値段がつきません。

 

 でもその同じ魚を、「つかまえて、陸に持ってくる」という状態に変えると、100円の価値がつきます。

 

 そして、その同じ魚を、今度は調理して「すぐ、食べられる!」という状態にすると、さらに100円の価値がついて、合計200円。restaurant

 

 この、まったく同じ、ひとつの魚の「状態を変える」という部分が、人間の「仕事」だと私は考えているのです。

 

 「海の中で泳いでいた魚を、陸に持ってくる」、そして「陸に持ってきた魚を、調理する」。

 

 このように、何かの「状態を変えてあげる」という行為が「仕事」です。

 
このように考えていくと、世の中にある財やサービスのすべては、①天然資源に人間の仕事を加えたもの。(財)、あるいは、②人間の仕事のみ(サービス)の、どちらかに分類がされると思います。

 
でも、どちらにしても、実物経済において、「人間がお金を払う時」というのは、この人間の「仕事」の部分に対して、お金を払っていると思うのです。

 

(天然資源の部分は、地球が「無料!」で人間に提供してくれていますよね♪)

 

 だから、「お金が表している価値というのは、人間が財やサービスを『生産している力』の価値なんだ!」ということです。

shine(*^^*)shine

 

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お金が表す価値とは、人間の生産力の価値!

 今日は日曜日だったので、午前中は例によって、カフェ♪(ウソです。近所のファストフード店、笑)でぼんやりしながら、本を読んだり、スケジュールの整理をしていました。book

 

 そして、「もうあまり時間もないけれど、ブログのアイデアも考えなくちゃ♪」と、いちおう、ノートを広げたその瞬間!

 
突然、何の前触れもなく直観が!!!thunder

 もう10年ぐらい前から、ずっと、ずーーーっと考えていたのに、はっきりとした答えがつかめずにいた問題です。

 

 どうして、こんなに関係のない瞬間に?!sweat01

 

あまりにも、唐突すぎます!sweat01

 

自分でも、「なぜ、今」なのかが、さっぱりわかりません…!

 

(^^;)sweat01

 

 でも、まぁ、それはともかく、その内容です。

 

 私は派遣という形で、もう長いこと、いろいろな企業で働いてきているのですが、ずっと以前からうすうすと感じていたことがありました。

 

 それは、「お金というのは、私がしている『仕事』なのだ」という感覚でした。

 

 自分でも、どうしてそうなのかがわからないのですが、とにかくそう感じていて、不思議に思っていたのです。

 

 たとえば、企業は私にサービス残業をさせることができれば、私にきちんと残業代を払って仕事をさせた場合よりも、利益が大きくなります。

 

 それは、せいぜい、1時間あたり2200円程度の金額ですが、そうなります。

 

 「どうして、私をタダで働かせることができれば、財務諸表上の起業の利益は大きくなるのだろう?」。

 当たり前と言えば、当たり前のことですが、それにしても不思議だったのは、「仕事」というものが、どうして「お金による利益」という結果で現れるのかが、よくわからなかったのです。

 

 ところが今日はいきなり直感で、「お金が現わしている価値というのは、人間が財やサービスを生産している力の価値なんだ!flair」ということが、わかりました。

 

 自分でもびっくりして、「ああっ!」と、とにかくひとりで思いっきり!驚いて…。

 

でも、待ち合わせの時間が迫っていたので、それ以上は考えずに、急いでお店を出てきました。(笑)

 

 今日の午前11時半頃のことです。rain

 

 とにかく、あまりにもいきなりすぎることだったので、自分でも驚きました。

 

 一瞬のことでしたが、とても衝撃的な日となりました。

 

 と言いますか、こうして振り返って見ると、「なんだか衝撃的だった…」という感じです。sweat02

 

 直観と言うのは、受け取った瞬間は「はっ!」と驚くのですが、受け取ってしまうと後はもう、すっかり当たり前のことのようになってしまうので…。

 

shine*^^*shine

 

*注:この場合の「人間が財やサービスを生産している力の価値」というのは、実物経済の場合に限ります。

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「信用」という付加価値

 たまたま水曜日(5月14日)に見ていたNHKの「歴史秘話ヒストリア」。

 

 この日は坂本龍馬のエピソードでした。

 

 歴史は苦手なので興味はなかったのですが、なんとなくだらだら見ていました。

 

 そうしたら途中で三岡八郎という人物が出てきました。

 

 光岡八郎は龍馬の「お友達」で、のちの由良公正という人らしいです。(この名前なら、なんとなく聞き覚えがあるような…。)

 

 そして由良公正という人は、どうやら明治政府の経済政策に関わった人らしく。

 

でも歴史に興味がない私としてはどうでもよかったので、そのまま聞き流していました。

 

そうしたら…。

 

途中で通貨に関する話題になり、その中で突然「信用という付加価値」とう言葉が耳に飛び込んできました。

 

その瞬間、頭の中に衝撃(!)が走りました!thunder

 

正確な言葉は忘れましたが、紙幣(藩札)というものは「ただの紙きれに、信用という付加価値をつけたものだ」というナレーション(たしか…)があったのです。
 

あまりにも的確で、絶妙な表現だと思います。shine

 

たしかに、「(貨幣における)信用」というのは、一種の付加価値です!

 

この先は私の考えになりますが、それは物質的な形を持っている財ではなくて、一種のサービスに属する生産物であり、まだはっきりとした定義はないかも知れないけれど、経済学で言うところの「付加価値」の一種である。

 つまり「信用」というのも、人間の手による一種の生産物なのです!

 

すごい捉え方だと思いました!

 

歴史のことはよくわからないけれど、この番組を作った人(ナレーションの原稿を書いた人?)は、すごい!!!と思いました。

 

この「付加価値」の部分を見極め、どうあるべきなのかを考えるのが、このブログの目的になると思います。

 

衝撃を受けたので番組の続きをさらに見たのですが、結局関心を持ったのはそこだけで、その後の歴史のことは、やっぱりよくわからないまま終わりました。

 

歴史、苦手です。

 

騒々しくて、面倒なので…。

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その通貨を選ぶ理由!

加入している通信系のポイントが、かなりの量になりました。

 

近いうちに失効してしまうポイントがあるそうです。

 

たしか2年ほど前にもそんなことがあり、その時はとりあえずクレジット会社のギフトカードに交換しました。

 

クレジット会社のギフトカードは使用期限がないので、価値の保存には便利です。それで今回もそのつもりでいました。

 

ところがいざ交換しようとしたら、ギフトカードとの交換はできなくなっていて、その代わりに数種類の電子マネーとの交換ができるようになっていました。

 

ほとんどがなじみのない電子マネーだったので、どの電子マネーにするか考えなくてはいけません。

 

コンビニで使えるもの、スーパーで使えるもの、使い始めに手数料がかかるもの、ネットショッピング専用のものなどいろいろです。

 

どの電子マネーを選ぶかによって、使えるお店が変わってきます。

 

それによって、私の場合は買える品物も変わってきます。せっかく電子マネーに交換しても、買いたい品物が買えなくては意味がありません。

 

そしてまた困ったことに電子マネーは、たいがいある程度の期限つきでした。

 

ということはその電子マネーに交換した後は、期限内に使い切ってしまわないと、これまた無効になってしまいます。

 

いったいどのお店で使えるのかと、期限内にどれだけの量を使えるのか?

 

あれこれ調べて考えているうちに、疲れてきました。sweat01

 

こんなにまでして電子マネーに交換しないと、ポイントが無効になってしまうなんて…。(涙)

 

すっかりくたびれてしまったところで、はっと気がつきました。sign01

 

お金の使用者が、ある通貨を選ぶ理由について、です。thunder

 

たとえば私の場合ですが、私の場合は「その通貨を選ぶことで、いったい何が買えるか?」です。

 

この発想は、たとえば地域通貨を新しく計画する場合にも、通じるものではないででしょうか?

 

ビットコインで示されたように、人がその通貨を選ぶのは、「中央銀行が発行しているから」という理由ではありません。お金システムのユーザーは、誰が発行した通貨であるかは、あまり気にしていないようです。

 

それよりも、私のように買い物がしたい人間の場合には、「その通貨で何か買えるのか?」ということの方が重要なのです。

 

いくら発行された地域通貨が立派でも、その通貨で自分がほしい品物が買えなくては意味がない。

 

地域通貨の普及には、「その通貨で何が買えるのか」ということをはっきり示し、信用を得て行く必要があるのです。

 

ある人が数種類の通貨を使える状況下では、その人には何かしら、その通貨を選ぶ理由があるのだと思います。shine

 

たとえば私の場合であれば、「その通貨で、いったい何が買えるのか?」ということですが、投機でひと儲けをしたい人の場合は「その通貨はこれから値上がりするか?」でしょう。

 

ビットコインはそういう理由もあったので、投機をしたい人たちの人気を呼んでしまい、その価値はとても不安定なものになってしまいました。

 

 この現象はお金のシステムについて考える上で、とても興味深い事例になったと思います。

 

ところで私がようやく選んで交換した電子マネーですが、その後、ちょっとした手続きをすれば、使用期限のないギフトカードや図書カードへの交換もできるということがわかりました。

 

私はさんざん考えて、ようやく「本を4冊買おう!」と決め、買う本まで決めてからその電子マネーに交換したのですが、ここにきてまたまた選択肢が広がってしまいました…。

 

もう疲れたので、とりあえず電子マネーへの交換だけで終わりです。sweat01

 

選べるお金の種類が多いのも、なんだか大変です。

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ビットコインで考える、通貨の普及の1ステップ

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 ビットコインは、インターネットの中で生まれました。

 

 ということは、ビットコインははじめから財やサービスの交換の道具だったというわけではなく、はじめは単なる数値の移動が表示できる、一種のポイント・ゲームのような状態であったと思うのです。

 

 発行された数値が、所有者間でどのような移動をしていたかはわかりませんが、それでもその移動というものは、インターネットの中だけの、単なる数値情報にすぎませんでした。

 

 ところがある時点からビットコインは、「実体のある財やサービスとの交換ができる数値」に変わります。ビットコインはこの時から、限定的ではあるかも知れませんが、「実体のある財やサービスの交換にも関われる力」を持つようになりました。

 

 財やサービスの売り手は、実体のある世界で財やサービスを買い手に提供し、買い手はネットの中でビットコインを売り手に払います。「実体のある財やサービスと、ビットコインの交換」が、この時から始まります。

 

 ビットコインはこの時に、「財やサービスの交換の道具」という、通常の「お金」の役目も果たせるようになりました。

 

 それまでは、ネットワークの中でいくら所有者が変わっても、それは単なるネットワーク内の数値の移動に過ぎませんでした。ゲームの中のポイントと、それほど違いはなかったのです。

 

 ところが実体のある財やサービスとの交換に使われるようになることで、ビットコインは実体のある財やサービスの移動に関われる力を得るのです。

 

 このことは、お金の発行と、実体のある財やサービスが交換されている実体経済の世界との関係を考えたい時に、とてもわかりやすいモデルになると思います。

 

 私はもともと「お金というものは金属や紙でなくても、数字が表示できれば十分だ」と考えていました。ですので、まさしくそのとおりに、ただの数値情報であったビットコインが、突然お金の役目を果たすように変わった瞬間に、とても興味を感じます。

 

 ビットコインではじめて「買い物」がされたのは2010年の5月、ピザとコーラがビットコインで買われた時だそうです。

 

 売り手と買い手のどちらがビットコインの使用を望んだのかはよくわかりませんが、ビットコインはこの時に、ただの数値の情報から「お金」と同じような役目を果たせる数値に変わりました。

 

 通貨の普及について考える時、ここにはひとつのステップが、存在していることを感じます。

 

 「誰かが新しいお金を発行する」ということは、おそらくそれほど難しいことではないのです。 

 

 ところが新しいお金が発行されても、それが実際に「財やサービスの交換に使ってもらえるようになる」という段階に至るには、少し、ステップがある。

 

 お金として、数値を表示した紙幣や貨幣をいくら発行したとしても、その数値が財やサービスの交換につかってもらえなければ、それはお金の役目を果たせないのです。

 

 「新しく発行された数値の情報」が、いわゆる「お金」として流通するためには、絶対に「実体のある財やサービスの交換の道具」として、使われる必要がある。

 

もしそれができなければ、そのお金はただの「数値の情報」で終わってしまい、お金としては普及しない。つまり流通せずに、ただの紙きれ、金属片、または単なる数値となってしまう。

 

 ビットコインはそのステップを、クリアしたのです。

 

 このことは歴史の中で、使われなくなってしまった通貨について考える時や、あるいはこれから新しい地域通貨などを計画する時に、とても重要なことではないかと思います

 

 「『お金』はどうやって、ただの『数値を表示した紙や金属』という状態から、実体のある財やサービスの交換の道具に変わるのか?」という、「『お金』誕生!」のプロセスの、ひとつのステップを、ビットコインは見せてくれているように思います。shine

 

 実際には、ビットコインはピザの買い物の以前にも、インターネットの中で、無形のソフトウェアなどの購入代金として使われたことなどが、あったかも知れません。

 

 もしそうであればその時が、はじめてお金の役目を果たすように変わった瞬間です。

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不思議な不思議なビットコイン

 1月21日のNHK、クローズアップ現代で放送されていたビットコイン。

 

*放送の内容は、こちらのサイトをご覧ください。

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3455_1.html

 

 以前から話には聞いてあったのですが、とても不思議に思いました。

 

 「インターネット上の仮想通貨」という点では、少しも不思議とは思いません。

 

 私はもともと、お金というのは「数字だけ」で十分に機能を果たせるものだと思っているからです。

 

 ですからそのあたりはまったく問題ナシですが。

 

 ただ、その日の放送で不思議だったのは、ビットコインというこの巨大な「お金システム」は、いったい誰がどういう目的で始めたのか?ということでした。

 

 放送を見る前は、「きっとどこかの民間企業が、利潤追求のために通貨発行システムでも始めたのだろう」と思っていました。

 

 でも番組によるとそうではなく、ビットコインの開発者はプログラマーの集団なのだそうです。

 

 その人たちは「国家から独立したお金を作りたかった」そうですが、でもこの人たちは、いったい何のために「国家から独立したお金」がほしかったのでしょう?

 

 たしかにキプロスの預金者の立場を思えば、そういう気持ちもわかりますが…。

 

 でも現在のビットコインは、すでにもう投機マネーの流入によって、法定通貨との交換レートが不安定な状態にあるそうです。これでは結局、価値の暴落も起こりかねず、そうなれば中央銀行のお金とそれほど変わらない事態にもなりかねません。

 

 ビットコインはいったい、何を目的として始められたのか?

 

 優秀なプログラマーの集団による遊びから?(ちょっとお金の採掘ゲームを作って、ゲームの中でお金持ち比べをしたかっただけ?)

 

 それとも誰かが、利潤を狙っていた?(たとえば通貨発行益?)

 

 それとも手数料がかからない簡易な送金システムという、社会貢献のひとつとして?

 

(そのわりには、犯罪に使われることを抑止する仕組みはないらしく、すでにもう犯罪に使われたこともあるそうです…。)

 

 あるいはやはり、放送のとおりの新しい通貨を作る試みで、言ってみれば「通貨の冒険」がしたかった?

 

 (でもまさか「通貨の冒険」を考える人たちが、投機マネーを考慮に入れないということがあるのでしょうか?)

 

 それとも、どれも全部ハズレで、たまたまお金として運用を始めてみたら、いつの間にかお金システムそのものが、勝手に大きくなってしまって、もしかして開発者もびっくり!な状態になっているとか???

 

 まさかネ?(^^;)

 

 というわけで。

 

どの意図を想像してみても、いまひとつでした。

 

 開発をした人たちは、ビットコインを世の中に送り出すことによって、いったい何がしたかったのか?

 

 私はそのあたりが、とても謎???でした。

 

 そして、誰がどのようにして始めたシステムなのかはよくわかりませんが、とりあえずビットコインは、すでに世界中で大きく流通しているそうです。

 

 とてもおもしろい現象だと思います。

 

 放送の中にもありましたが、「通貨というのは、みんながお金だと信用するものがお金だ」という、まったくそのとおりの展開が、現実のこととして起こっていたのです。

 

 そして、それが「お金だ」と信用される時には、いったい誰がどのような目的で始めたお金システムであるかなどは、実はまったく気にされない、というのが現実のようです。

 

 ビットコインについては考えれば考えるほど、お金というものの不思議さについて、新しい気づきがありそうで、興味をひかれます。

 

 今後どうなっていくのか、気になります。

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