経済と国

財政黒字と国債のこと

 ひとつ前の、ドイツの財政黒字のことですが。

 

 だいたい日本にいると、そもそも「財政黒字」という言葉さえ忘れてしまいます。

 

 ドイツの話を聞いた時は、「まぁ、『財政黒字』だなんて、そんな言葉があったのね?!」というほどの、驚きでした。(笑)

 

 ところでこの「財政黒字」ですが、実際に財政黒字になると、何が起こるのか?

 これもまた、今まで考え方こともなかったことなので、まったく見当がつきませんでした。

 

 たまたまネットで調べていたら、財政黒字になると、赤字国債を発行しなくてもいいのだということがわかりました。shine

 「あっ、そうか? 黒字だから、借金をしなくていいってこと?」と、納得です。

 

 借金をしなくてもいいのだから、利息の払いもないわけです。

 

 ということは、「黒字」というだけあって、財政黒字になると、国民は金利分の税金を払う必要もなくなるでしょうし、「財政黒字は良いことだらけ?」とひと時、思いました。

 

 ところが同時に、困る人たちもいるだろうなということにも、気がつきました。

 

 それは、国債で資産を運用する人たちです。

 

 その人たちは、資産運用のチャンスが減ってしまうわけです。

 

 それは、嫌がるかもしれません。

 

 ちなみに私は、嫌がりません。

 

 少しも嫌ではありません!

 

(だって、運用する資産が今ないので…。笑)

 

 ところで、ここまで考えて思ったのですが。

 

 結局、国債を発行するということは、金利分について、「納税者→政府→資産運用者への利息」という流れになるのではないでしょうか?

 国債を発行するということは、なんとなく「納税者から資産運用者への、金利分のお金が移動する流れを作ること」という感じがしなくもありません。

 

 納税だけの立場からすると、やっぱり国の財政は黒字の方がいいなぁと思います。shine

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財政黒字って、本当に実現できることだったのですね?!

 先月の伊勢志摩サミットの報道で、ドイツが財政黒字であることをはじめて知りました。

 

 はじめは耳を疑いました!thunder

 

 冗談ではないかと思いました。(←失礼!、本当にそれぐらい衝撃的だったのです!笑)

 

m(_ _)m

 

 だって、財政黒字なんて、本当に実行できる話だったとは?!

 日本のような国に生きていると、財政というものは赤字であるのが当然なのだろうという感覚になってしまいます。(笑)

 
実際に日本の財政はいつだって赤字です♪

sun\(^0^)/sun

 

 財政黒字だなんて、まさかそのようなことを本気で考える人々がいて(←まず、ここっ!)、おまけに実行してしまう人々がいようとは?!(←さらに、ここっ、「実行」!?!)

 

 ドイツの話を聞いた時は、信じられないような気持ちで、驚嘆してしまいました。

 

 ステレオタイプなイメージで申し訳ないのですが、ドイツの人たちというのはなんて真面目な人たちなのでしょう?!

 

 実行力、忍耐強さ。

 

 今でも財政赤字を拡大し続けている日本から見ると、とにかく信じられません!

 いったいどうやって、そのようなことを実現できたのか?

 

 調べてみると、どうやら徹底的な緊縮財政を実行したようです。

 

(さらにまた、調べてみると、どうやら赤字の「付け替え?」もしているのかもしれませんが…。)

 

 リンク先の記事を見ていたら、ほんのちょっとだけですが、その緊縮財政の具体的な状況が伺えました。

 

 なるほど、そういうところまでがんばったのですネ♪

 

 それにしてもすごい!

 

 財政黒字を実現させている国なんて、本当に「すごい!」と思いました!shine

 

*リンク先は川口マーン惠美さんという、ドイツ在住の作家さんの記事です。

 

http://shuchi.php.co.jp/voice/detail/2449

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政治家を選ぶということは、数年後の自分の経済状況を選ぶこと

 いつの、どの先生の授業だったかは忘れてしまいましたが、ある経済学の先生の言葉が深く心に響きました。

 

今になって思うと「本当にそうだった」と、つくづく感じさせられる言葉です。

 

 記憶に頼るのでうろ覚えですが、「政治家を選ぶということは、税金の使い方を選ぶ(決める?)ということなんですよ」という意味の言葉でした。shine

 

 「政治家を選ぶということは、税金の使い方を選ぶということ?」。

 

 その時の私には、あまり実感がありませんでした。

 

 政治家を選ぶということは、その国の思想的な方向性を選択することだと思っていたのです。

 

 だからその頃の私は、選挙の時に考えるのは、その政治家がどのような価値観を持っているか?とか、どのような世の中にしようとしているのか?

 

そのようなことばかり考えながら選んでいました。

 

 でも今になって思うと、あの時の先生の言葉はまったく正しかったと思います。

 

 政治家が選挙で選ばれた後、どのような世の中を作ろうとするとしても、その時に使うお金は国民の税金です。

 政治家が私財を投じるわけではありません。


 だから選挙で政治家を選ぶということは、ある意味では「税金の使い方を委ねる」ということでもあったのです。

 

 国で言えば、国民から集めた税金を、「何に使ってもらいたいのか」を「任せる」ということだったと思うのです。

 

 そう気づくと国民の立場としては、選挙に行く時の基準が変わります。shine

 選挙で投票をする時点で、国民は数年後の日本の税金の使い方や、税金の仕組みがどう変わるかを選んでいるのです。

 

そして、数年後の日本の経済政策も選んでいるのです。

 

 もっと言えば、数年後の日本の経済状況を選んでいるし、数年後の自分の仕事と家計の状態も選んでいるのです。

 数年後の自分が働く社会は、低賃金の長時間労働が多くて、格差の大きい社会なのか?

 

 それともバブルで運用する資産があればおおいに儲かり、同時にバブルの崩壊の時にはたくさんの資産を失う社会なのか?

 

 自分が負担する税金は高くなり、それに対してどの程度の社会保障が受けられる社会なのか?

 

 自分が払う年金は、それに見合う支給が受けられる社会なのか?

 

 その結果は、その政治家を選んだ数年後に受け取ることになるのです。

 数年後の自分が生きる社会が、自分にとって不利な社会となるのかどうかは、もうすでに選挙の段階で選択されていたのです。

 あれからおそらく、もう10年以上はたちますが、私はあの時の先生のような考え方には出会っていません。

 

 あの頃の私のように、選挙というものは、思想を選ぶものだと思っている人は多いのではないでしょうか?

 

 実は選挙というものは、思想を選んでいるだけではないのです。

 

 選挙というものは、数年後の自分が払う税金と、国がその税金を何に使うかを選んでいたのです。

 数年後に自分が払う税金が高くなれば、自分の経済状況は厳しくなるでしょう。

 

 選挙というものは、数年後の自分の経済状況を選んでいたのです。

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あの戦争は、自ら選んでいた…

 5月10日(日)の午後のことでした。

 

 たまたまテレビをつけたら、NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」という番組を放送していました。

 

 内容は「メディアと民衆」というものでした。

 

http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2015/150510.html

 

 興味があったので、見ていました。tv

 

 そして、予想以上に興味深い内容に、驚きました。

 

 その時は突然で、録画が間に合いませんでした。

 

 それで後になって図書館から、「NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか(下)」という本を借りてきて、今、この記事を書いています。

 

 番組の中で私が興味をひかれたのは、「日本人は、自分たちであの戦争を選んでいた」と感じさせられた部分です。

 

 経緯をおおまかに書きますと。

 

もともと大正デモクラシーを経験してあった新聞界には、ある時期まで民主主義の思想が根付いていたそうです。新聞各社は軍の弾圧を恐れることなく、軍の拡大を批判していたということなのですが。

 

ところが「戦争になると発行部数が伸びる」という実情があったため、1931年の満州事変を契機に新聞社は報道競争を始めます。日本軍の快進撃という報道は、世界恐慌で疲弊した経済に苦しめられていた国民を熱狂させたということです。

 

この時、満州事勃発の3カ月ほど前に。

 

実は、国民にとってはまだわずかに、後の戦争を避けられたかも知れないターニング・ポイントとなり得る状況があったのでした。

 

満州事変の3か月ほど前に、中村震太郎事件という出来事があったのです。

 

大興安嶺(だいこうあんれい)という場所で、敵情を偵察していた陸軍将校中村震太郎大尉ほか3名が中国兵に拘束され、銃殺後に遺体を焼き捨てられるという事件でした。

 

この時、各新聞社はこぞって中国兵の残虐性を強調した記事を書き、その後は満州事変拡大を支持する方向に進みます。

 

その時、大手新聞社の中で、朝日新聞だけが慎重論を唱えました。

 

ところが朝日新聞のその論調に対して、今度は全国各地で朝日新聞に対する不買運動が起こります。

 
新聞社とは言っても、結局は資本主義社会の企業に過ぎません。

 

不買運動は、企業に打撃を与えます。

 

最終的に、朝日新聞はその論調を変えざるを得なかった…。

 

その結果、もはや世論を抑制しようとするメディアはなくなって、ほとんどのメディアが軍部に寄り添い、こぞって満州事変を煽っていく方向に変わったということです。

 

私はこの番組を見ていて、当時の日本人の気持ちというものが、不気味に思えてなりませんでした。

 

関東軍の勝利ということは、他国の人たちを「またやっつけた」ということです。

 

どうしてそのような暴力的な出来事に、当時の人々は「バンザイ!」と叫べたのか?

 

女性たちも、歓声を上げているのはなぜなのか?

 

女性たちは生命への慈しみを忘れたのか?

 

民衆は、新聞の不買運動という形で、自分たちが日本の未来を選択したことに気づきませんでした。

 

その結果は後になって、自分たちに大変な牙をむいて、犠牲を強いてきたのです。

 

当時の民衆は、どのような気持ちで満州事変を支持したのでしょう?

 

もしかしたら、世界大恐慌という経済の苦境が、人びとの心を苛立ちでいっぱいにしていたのかも知れません。

 
何にしてももしもあの時民衆が、朝日新聞ではなく、満州事変拡大を支持する新聞に対して不買運動を起こしていたとしたら?

 

それでも新聞社は、その論調を貫けたでしょうか?

 

この番組とそして本は、資本主義社会における報道機関の行動を考える上で、大変興味深い内容を記していると思います。book

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スコットランドが示した福祉国家の価値

 先月のスコットランドの住民投票は、私にとって今でも衝撃的な出来事となっています。

 

 スコットランドは、福祉国家というものは、わざわざ、あえてそれを選ぶだけの価値があるのだ」という価値観を、あらためて世界に示した結果になったと思います。

 

 もともと福祉国家であった北欧3国などが、福祉国家であり続けることには、それほどの新しいエネルギーが必要になるとは思えません。

 

 ところがスコットランドの場合は新自由主義路線を進めている連合王国のイギリスから、わざわざ独立という大きな変化を経てでも、福祉国家を目指そうとしたのです。

 

 そこには、それほどまでに強く「福祉国家を望む」という志向に込められた、強い誇りさえ感じられます。

 

 何かと勢いのある新自由主義に比べると、福祉国家というのは地味な印象です。

 

 でも地味ではあっても福祉国家には、やはり大きな価値があるのです。

 

 少なくともスコットランドには、そう感じていた人がそれなりの人数でいたということなのでしょう。

 

 これからは、福祉国家を良いと考える人たちは、新自由主義に押される必要はないのかも知れません。

 

 新自由主義がどれほど経済の発展を謳おうと、それでも強い誇りを持って、「私たちは、あえて福祉国家であることを選ぶ」という意思が示されても、少しもおかしくなかったのです。

 

 その意思表示は、その国の人々の価値観の現れとして、堂々と新自由主義に対峙してゆける力となるかも知れません。

 

 なにしろ福祉国家を志向する人々は、意外と「少なくなかった」のかも知れないのです。

 

 私も社会にたいする美感の問題として、新自由主義よりも福祉国家の方が良いと思っています。

 

 もちろん福祉国家にもいろいろと問題はありますが、それでも「社会に激しい格差を見なくていい」というそれだけでも、私は福祉国家に価値を感じます。shine

 

だからスコットランドの意思表示は、私にとって大変衝撃的であり、そしてカッコいい!と思いました。 

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